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【エッセイ】日本は「平和国家」だったか―武器輸出解禁と世界の「信頼」

ハラブジャ平和博物館に展示されている戦車。(安田菜津紀撮影)

高市政権は21日、防衛装備移転三原則と運用指針を「改定」し、殺傷能力のある武器の輸出を全面的に解禁した。輸出可否の判断は「国家安全保障会議(NSC)」が行い、輸出の際の国会承認を不要としている。「平和国家」の日本が大きく変わってしまう――こうした声を上げることは大切なことだ。

同時に、果たして日本がこれまでも「平和国家」と呼べる振る舞いをしてきたのかと考える。国家の変質は「急に」起きたことではないのではないか。

「平和憲法」からそもそもはじき出されてしまった人々の存在を、一部ではあるが【「選挙は大切なものだから大丈夫だよ」とまた言える社会に】に記している。また、【書籍『遺骨と祈り』プロローグ抜粋】にも綴っているが、「日本」の中にも周縁化の暴力や理不尽な権力勾配が歴然と存在する。

同記事でも伝えているが、2024年、私は東ティモールを取材で訪れた。ティモール島は日本軍に占領されていた時期がある。日本の敗戦を経て、インドネシアによる占領が24年間に及んだが、現地住民たちは「野蛮人」扱いされた。インドネシア政府は「入植」を続け事実上の併合を図った。ところが日本政府は、国際社会の非難を浴びながらも、殺戮の手を止めないインドネシアに援助を続けたのだ。凄まじい暴力を生み、被害者に長年沈黙を強いた責任は、日本にもある。

東ティモールが独立を遂げて20年余り。今度はパレスチナ自治区ガザ地区で、虐殺が加速した。イスラエルの国防大臣は「人間動物」という言葉でパレスチナ人を形容して「野蛮人」扱いした。ヨルダン川西岸地区は、「入植」によってイスラエルに呑みこまれようとしている。入植者たちは軍に守られ、「お前たちの尊厳など、いとも簡単に奪えるのだ」と誇示する。しかし日本政府は、イスラエルと経済や安全保障の分野で連携を続け、ガザ地区での虐殺加速後もイスラエル製軍事品を241億円分購入してきたことが分かっている。

ヨルダン川西岸地区北部のジェニン難民キャンプで、イスラエル軍により自宅を完全に破壊されたサミールさん。(安田菜津紀撮影)

それでもなお、辛うじてつながってきた「信頼」を感じることもあった。

イラク北部、クルド自治区の中でも東端に位置する街ハラブジャ。この地は1988年、イラク軍の投下した化学兵器によって、5000人もの命が奪われたとされる。誰しもが家族を亡くし、「まるで街全体が孤児院のようだった」と、当時を生き延びた方は語る。

24人もの家族を殺害されたサイード・カカさんは、こう強調した。

「私たちに日本の兵器が使われたことは一度もない。それは大切なことだ」

不条理が繰り返されないようにと、街中の道は「ヒロシマ通り」と名付けられていた。

ハラブジャの「ヒロシマ通り(Heroshima Str.)」。(安田菜津紀撮影)

今回の運用改定は、「平和国家」という看板と実際の中身との「ねじれ」をより根深いものにする。この間、外務相だった宮沢喜一氏の「我が国は兵器の輸出をして金を稼ぐほど落ちぶれていない」との答弁が引用されることが度々あったが、「金を稼げるか否か」だけにとどまる問題ではない。かろうじてつながってきた「信頼」を自ら毀損するのか、その「信頼」に重きを置き強めることを目指したいのか。社会のあり方の根本が問われている。

Writerこの記事を書いたのは
Writer
フォトジャーナリスト安田菜津紀Natsuki Yasuda

1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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