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2020.3.2

タテタカコ×安田菜津紀 「窓」 Music Video

2020.3.2

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タテタカコ×安田菜津紀 「窓」 Music Video
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タテタカコ×安田菜津紀 「窓」 Music Video

東日本大震災から9年。タテタカコさんの楽曲「窓」にのせて、写真を通して東北の方々の息吹をお届けします。
音楽:タテタカコ/収録アルバム「十」(2019.9 release)
写真:安田菜津紀
映像制作:Dialogue for People

■ Artists’ Comment
【タテタカコさんコメント】
菜津紀さんが目の前で静かにスライドショーをしてくださっているようなぬくもりを感じました。
この歌についてのお話しを交わしていないのに、菜津紀さんは歩幅と心持ちを感じてゆっくり、この歌の景色を映しながら歩いてくださっているように感じます。
菜津紀さんが通われて出会った方との大切なひととき。菜津紀さんの眼差し。
写真から聴こえてくる風や声や音。気温。記憶。
そしてこの歌ができるまでに、胸が軋むような出来事を体験された方、そのときの気持ちを聞かせてくださった方に心から感謝いたします。

【安田菜津紀コメント】
東日本大震災から9年という月日が経とうとしています。報道の中ではあの日からの年数を「節目」として伝えがちです。ある時、「あの日から、心の秒針は一秒も前に進んでいない。今日が何日で何曜日なのかも分からない」と、陸前高田で出会った方がぽつりと語ったことがありました。こうして悲しみを抱き続ける方々を置き去りにしたくない。そんな想いを込めて、シャッターを切り続けてきました。この映像はそんな東北で出会った方々の写真と、東北の復興への祈りが込められた、タテタカコさんの歌で作り上げました。
タテタカコさんは東北の被災地にも通い続け、伸びやかな歌声を届け続けてきたシンガーソングライターです。彼女の歌声や言葉には、悲しみも、ささやかな喜びも、優しく抱擁できる深みがあります。
無理やり前に進むのではなく、大切なのはそれぞれの心のペースで生きられること。この映像を通してそんなメッセージをお伝えできればと思っています。

■ Photo Story
本映像に使われている写真は、安田菜津紀が東日本大震災以降、継続的に東北各地を訪れる中で撮り重ねたものです。写真に映る人や場所にはそれぞれの時間が流れていることを、この映像を通じて感じていただければ幸いです。

【1】震災直後の市街地(2011年3月 岩手県陸前高田市)[ 00:10 ]
【2】高田松原の中から波に耐え抜いた松(2011年3月 岩手県陸前高田市)[ 00:23]
【3】市街地から見つかった佐藤慧の母の車(2011年3月 岩手県陸前高田市)[ 00:36]
【4】破壊されてしまった車から取り外したナンバープレート(2011年3月 岩手県陸前高田市)[ 00:46 ]
【5】母の遺影と共に(2013年5月 岩手県陸前高田市)[ 00:59]
【6】市街地に位置していた県立高田病院(2011年3月 岩手県陸前高田市)[ 01:15]
【7】気仙小学校の校庭脇に、住人の方が立てた鯉のぼり(2011年3月 岩手県陸前高田市)[ 01:29 ]
【8】フランス菊。当時6歳だった佐藤愛梨ちゃんが亡くなった場所に咲いていたという。(2019年6月 宮城県石巻市)[ 01:44]
【9】愛梨さんの遺体の傍にあった上靴。津波の後、火災が園児たちを襲った。(2018年2月 宮城県石巻市)[ 02:00 ]
【10】愛梨さんの写真の前で、宿題をする妹の珠莉さん。毎日のように写真に語りかける。(2018年2月 宮城県石巻市)[ 02:13 ]
【11】愛梨さんが亡くなった場所に立つ母の美香さん。あの日、津波警報が鳴り響く中、愛梨さんを乗せた幼稚園のバスは園児たちを乗せ、海側へ向かったことが分かっている。(2018年2月 宮城県石巻市)[ 02:28 ]
【12】日和山から眺めた街、そして海(2018年2月 宮城県石巻市)[ 02:43 ]
【13】木村汐凪(ゆうな)さんが通っていた熊町小学校。あの日の子どもたちのノートや教科書がそのまま残されている。(2019年2月 福島県大熊町)[ 02:57 ]
【14】これまでの捜索で見つかった汐凪さんの服や持ち物(2019年2月 福島県大熊町)[ 03:13 ]
【15】2012年の捜索で見つかっていた、汐凪さんの靴(2019年2月 福島県大熊町)[ 03:28 ]
【16】2016年12月、ようやく汐凪さんの遺骨が見つかった場所で手を合わせる父の木村紀夫さん。靴が見つかった場所と同じだった(2019年2月 福島県大熊町)[ 03:42 ]
【17】木村さんの自宅跡地近くで、花咲く日を待つ椿(2019年2月 福島県大熊町)[ 04:01 ]
【18】佐藤慧の両親が暮らしていた自宅跡地、震災から3年の日(2014年3月 岩手県陸前高田市)[ 04:13 ]
【19】うごく七夕、川原祭組。街に戻ってくる亡くなった人々の魂が迷わないよう、強く太鼓をたたき続ける(2014年8月 岩手県陸前高田市)[ 04:26]
8【21】山車を貫く舵棒。ここに力を持ち寄り街を練り歩く(2017年8月 岩手県陸前高田市)[ 04:46]
【22】津波の被害を受けた市役所。川原祭組の獅子舞たちが解体前、最後の舞を捧げる(2013年1月 岩手県陸前高田市)[ 04:54 ]
【23】獅子舞を導く蔡瑁たち。ばらばらの仮設住宅に暮らしている子どもたちが、祭のために集う(2013年1月 岩手県陸前高田市)[ 05:03 ]
【24】震災から5年という日、海に向かって(2016年3月 岩手県陸前高田市)[ 05:19 ]
【25】震災当時、中学生だった臼澤(旧姓:釜石)望鈴さんが、お母さんとなった。日和太くん、ようこそ、この世界へ(2019年3月12日 岩手県大槌町)[ 05:30 ]

■ Links
タテタカコTwitter https://twitter.com/tatetakako


 

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