迫害や紛争、命の危険から逃れ、難民となった人々は、どんな道のりをたどってきたのか、そしてどのような支援が必要とされているのか、理解を深めるために制定されたのが6月20日、「世界難民の日」です。今年発表された、世界の中で避難生活を続ける人々の人数は8,240万人をこえ、過去最多となっています。
そもそも「難民」とはどのような困難を抱えた人々なのか。社会はどのように変わっていくべきなのか。日本で活動を行う「難民支援協会(JAR)」代表理事の石川えりさん、パレスチナ・ガザ地区で現地支援を行う「国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)」の吉田美紀さんと一緒に考えていきます。
――まずは難民支援協会、代表理事の石川えりさんにお話を伺っていきます。そもそも「難民」とは、どのような人々のことを指す言葉なのでしょうか?
石川: 「難民」とは、ひとことで言うと、「命や迫害の危険を感じ、国境を越えて逃げてきた人々」のことです。例えば現在ミャンマーでは、クーデターにより軍事政権に逆戻りしてしまいましたが、そうした政権に対抗してデモを行う市民などが、デモの最中に発砲されたり、夜中に突然逮捕されてしまったりということが起きています。実際に命の危険のある状況ですね。
また、LGBTQ+など、性的マイノリティの方々や、国で定めている宗教と違う宗教を信仰していたり、また、特定の宗教への改宗が認められていなかったりと、国内で深刻な差別や迫害を受け、他国へ逃れてきた人々も「難民」と定められています。
――性的マイノリティの方々の人権などに関しては、日本でもまだまだ改善していかなければならない点が多いと思います。「難民」と呼ばれる方々の定義というのは、社会情勢によって少しずつ変化していくということでしょうか?
石川: そうですね。「これは人権侵害だよね」という理解・価値観は、日々変化しています。そうした人権状況の変化にしたがって、「難民」として保護する対象も広がってきています。日本も「難民条約」に加入しているので、当然「難民」を守る責任と義務を負っています。
――IDP(国内避難民)という言葉も聞かれますが……。
石川: IDPとは、その呼称にあるように、元々いた場所から避難せざるを得ない状況であっても、“国境を越えられない”、つまり自国内で避難をしている人々のことです。人々を「難民」という立場に追い込むものに「内戦」や「暴力行為」、「深刻な人権侵害」などがあります
昨年12月、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は世界で避難を余儀なくされている人々の数が8千万人を越えたと発表しましたが、IDPはその中で最も多い数を占めています。
――日本へ難民として庇護を求める方々というのは、どういった理由で、どのような国や地域からやってくる人々が多いのでしょうか?
石川: 一人ひとり、本当に様々な理由があります。人種や宗教、国籍、特定の社会的集団に属していることや、政治的な意見によって迫害をうけるおそれがあり、国外に逃れている人というのが「難民」の定義なのですが、そうした事情ゆえに、個人を特定できるような具体的なお話は難しく……いくつかの例を混ぜてお話します。たとえばある独裁政権下の国で、政府批判をしたがために、自宅に武装警官が踏み込んできて拘束されたという方もいらっしゃいます。その後拘禁されたまま激しい拷問を受けていましたが、間一髪逃れることができた、あるいは家族が法外な保釈金を支払うことで出てくることができた。その地に留まっていると、またいつ命の危険が及ぶかわからないということで、家族や親族、周囲の人々の助けを借りてパスポートやビザを手配、なんとか国外に逃れてきたという方がいらっしゃいます。
その避難先が“たまたま日本だった”という方も多く、私たち(難民支援協会)もそうした方々の支援を多くさせて頂いています。“選んで”日本に来たわけではなく、命の危険が迫る中、早期にビザを取得できたのが偶然日本だったという方は、少なからずいらっしゃると思います。ただ、せっかく日本に逃れてきて、空港で難民申請をしたはいいものの、そのまま入国管理局に1年も2年も収容され、5年以上かけてやっと難民認定を受けることができたという方や、それでも認定を受けられない人々もいます。
――日本で難民申請を行うと、認定を受けるまでに平均してどれぐらいの年数がかかるのでしょうか?
石川: 認定された方、不認定となった方も含めた全体の統計から、昨年政府が発表した情報によると、平均審査期間は52ヶ月――4年4ヶ月になります。これはあくまでも行政段階であって、裁判を経て難民認定をされた方の中には、足掛け10年という方もいるのが現状です。
――海外の事例を見ると、たとえばニュージーランドの難民認定審査期間は、「理想は2~3週間、実際には1ヶ月程度」ということです。日本ではたとえ認定を受けられるとしても数年かかり、そもそも難民認定率が非常に低いという現状があるわけですが、その背景にはどのような問題があるのでしょうか?
石川: たとえばドイツのメルケル首相は、2015年のシリア危機の際に「私たちは難民受入れを成し遂げられる」と、ドイツでの難民受入れを力強く発言しました。日本は包括的な難民政策が不在であることに加え、政治的なリーダーシップ、難民を受け入れる政策をトップダウンで訴えていく力も弱い。そしてそれを支える世論や市民社会もまだまだ弱いと言えます。
また、今の日本は難民保護の実務を法務省の出入国在留管理庁(入管)が担っているんですね。ところがこの入管という組織は、難民を「保護する」という観点よりも、「管理する」という視点が強いため、多くの難民申請者が不認定となってしまう、という点もあげられます。誰が難民であるかという定義、審査の基準、自身が難民であることを証明する難しさ……どれをとっても国際社会の基準より、非常に厳しいものとなっています。
――こうした日本の難民認定率の低さに関して、国際機関から指摘や勧告を受けるということはないのでしょうか?
石川: 人権条約に加入している国に対して、条約で定められた義務を果たしているかどうか審査をする国際機関があります。日本の現状はそうした機関からも、「難民認定が厳しすぎる」「滞在資格を持たない人々の収容期間に上限がないことは問題である」などといった指摘を受けています。他にもUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)からも、難民受入れに特化した法律を作ることなどが提案されています。
――今年の国会で審議入りした「入管法改定案」、ギリギリのところで見送りとなりましたが、この改定案に関して、現場で支援を続けてこられた皆さんには、どのような問題点・不備があると感じられましたか?
石川: 直接支援をする立場から懸念していたことのひとつは、「難民申請が3回目になると強制送還を可能にする」という条文が入っていたことですね。そもそも2回、3回と難民申請を繰り返さざるを得ないということ自体が大きな問題ではありますが、0.5%という低い難民認定率の中で、様々な危険を抱えて国に帰ることのできない人々は、何度でも難民申請を行わざるを得ません。そこに上限を設け、送還を可能にしてしまうということに、大きな危機感を覚えました。
――逆に日本から他国へと難民申請を行う方もいらっしゃるのでしょうか?
石川: UNHCRの統計を見ると、2015~2020年の間に163人の日本人の方に難民申請の決定が出ていて、2016年には5人が認定されていることがわかります。具体的な事例としては、未婚の母に対する地域社会の差別や、東京電力福島第一原発事故に関連した健康被害、放射線の危険性などを理由に、他国へ難民申請された方もいると聞いています。
「難民」となってしまう人々というのは、どこか日本とはまるで違う社会の、たとえば独裁政権下といった極端な状況にだけ存在するのではなく、深刻な人権侵害、差別の累積といった要件も「難民」の定義に含まれるのだということは、きちんと皆さんにも知って頂きたいことです。
――ここからは国連パレスチナ難民救済事業機関UNRWAの吉田美紀さんにもお話を伺っていきます。吉田さんはパレスチナのガザ地区にて現地支援活動を行っているとのことですが、現在(6月16日時点)のガザ地区はどのような状況なのでしょうか?
吉田: 5月10日から11日間続いた攻撃の応酬は、5月21日に停戦合意に至り、人々は少しずつ日常を取り戻してきています。ただ、瓦礫の撤去や道路の修復作業などは今も続いています。多くの人々が家を失い、私が働いているUNRWAの運営する学校にも沢山の家族が身を寄せています。こうした避難所に辿り着くまでにも何度も移動を繰り返した方も少なくありません。家の崩壊とともに火災が発生し、着の身着のまま、避難時に持っていたもの以外、家財道具を全て失ってしまったという方もいます。ある高校3年生は、日本でいうセンター試験を受ける予定だったのですが、戦争により試験が行われず、「また来年受け直す」と、こうした状況の中でも力強く希望を持ち続けている方もいます。けれどエルサレムの方では小競り合いも起きていたりと、緊張した状態は続いています。
――現在のイスラエルの政治状況を見てみると、ネタニヤフ首相の退陣、そして新首相に、元IT起業家で、前首相よりも強硬派であるとみられるナフタリ・ベネット氏が就任しました。今後のパレスチナの状況が、ますます厳しいものなっていくのではないかと予想されますが、ガザ地区には、そもそもどのような方々が暮らされているのでしょうか?
吉田: 現在ガザ地区には約200万人の人々が住んでいます。その約7割が、「パレスチナ難民」です。1948年のイスラエル建国に伴い、現在イスラエルとなった土地に住んでいた方々が故郷を追われました。そうした方々が、身の危険を感じて隣国のヨルダンやレバノン、シリア、そして現在のパレスチナ自治区であるヨルダン川西岸地区、そしてガザ地区へと逃れました。残りの3割の方々というのは、1948年時点ですでにガザに住んでいた方々とその子孫になります。同じくパレスチナ人ですが、難民ではありません。UNRWAでは、ガザ地区の住人の7割を占める140万人のパレスチナ難民の支援を行っています。
――国連による「難民」、そして「国内避難民」の定義は、「国籍国」が存在することが前提となっていますが、帰るべき国家、土地を持たないパレスチナの人々というのは、どのような解釈のもと「難民」と定義されているのでしょうか?
吉田: おっしゃる通り、「帰る土地」を失ってしまった人々なので、1948年当時、土地や生活基盤を失ってしまった人々、そしてその子孫をUNRWAでは「パレスチナ難民」と定義し、支援を続けています。
――ガザ地区は「天井のない監獄」とも呼ばれており、その土地は周囲をぐるりと壁やフェンスに囲まれています。地中海に面する海岸も、遠くまで船を漕ぎ出すとイスラエル軍に撃たれてしまうという状況です。そうした中で、復旧・復興のための資材を確保するのは大変なことなのではないでしょうか?
吉田: はい。破壊されてしまった建物やインフラを、これから時間をかけて修復していかなければなりません。けれど、そうしたコンクリートやセメント、建設資材などの搬入には、ボーダーを管理する側(イスラエル)の許可を得なければなりません。それらが兵器などに転用されることがないということを、ひとつひとつ申請し許可を得て、物資を搬入しなければなりません。街の再建は早急に求められていますが、そうした事情により時間がかかってしまっています。
――こうした現状を知った方々、たとえば日本で暮らす私たちには、何ができるでしょうか?また、どんな行動が求められているでしょうか?
吉田: やはりまずは知って頂くということだと思います。少しでもニュースなどで見聞きすることがあったときに、戦禍に生きる人々、難民や国内避難民という状況に陥ってしまった人々がいるということに思いを寄せ、そもそもなぜこうしたことが起きてしまっているのか、一緒に考えていけたらと思います。
【プロフィール】
石川 えり(いしかわ・えり)
1976年生まれ。上智大学卒。1994年のルワンダにおける内戦を機に難民問題への関心を深め、大学在学中、難民支援協会(JAR)立ち上げに参加。企業勤務を経て2001年より難民支援協会に入職。直後よりアフガニスタン難民への支援を担当、日本初の難民認定関連法改正に携わる。2008年1月より事務局長、2014年12月に代表理事就任。▶難民支援協会(JAR)
https://www.refugee.or.jp/吉田 美紀(よしだ・みき)
1983年生まれ。UCLA卒。青年海外協力隊を経て日本のNGOで災害復興支援を担当。NGO勤務時に2014年ガザ紛争があり、ガザ支援プロジェクトを担当したことでパレスチナ難民への関心が高まる。その後、日本財団の奨学金制度で政治と平和学を学び、2016年よりUNRWAガザ事務所勤務。▶国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)
https://www.unrwa.org/
※本記事は6月16日に放送されたRadio Dialogue、『いま、「難民」について知る―国内外の支援の現場から』を元に編集したものです。
(2021.8.23 / 写真・文 佐藤慧)
(書き起こし協力:久保田潤一)
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