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Feature特集

美術展『止まった時代の主人公たち ~1945×2021~』―戦没画学生慰霊美術館「無言館」で、今を生きる自分たちの声を紡ぐ

青い空に白い入道雲が積み重なり、湿気の多い風に揺れる木々の葉っぱからはジージーというアブラゼミの鳴き声が響き渡る。きっと何十年、いや何百年、何千年も昔から続いて来た、夏のひとときの風景だろう。おそらくあの当時も、蝉の鳴き声が響き渡っていたに違いない。軍服姿に身を包んだ若者を送り出す、万歳三唱の声とともに……。

長野県上田市の山腹にある「無言館」は、戦没画学生の遺作・遺品を収蔵している美術館だ。雑木林とコントラストを為すように建つコンクリートの建物は、どこか時の流れを外れた異質な空間のように、周囲とは違う静けさの中に佇んでいるように見えた。

1997年5月2日に開館した「無言館」。

無念ではなく、青春の刻まれた作品たち

扉を開けると十字型の空間が表れ、戦時中に命を落とした画学生たちの作品が、ひとり数点ずつ展示されている。通路中央のガラスケースには、遺品や、戦死を知らせる「死亡證書」が並び、そのひとつひとつの「死」が手触りを伴い迫ってくる。

大貝彌太郎氏の「飛行兵立像」は、絵具が剥がれ、キャンパスが裂けており、その顔も定かではない。しかしそのわずかに残る瞳からは、観るものに対する時を越えたメッセージが込められているように感じる。

「無言館」内部、中央奥が大貝彌太郎氏の「飛行兵立像」。

「無言館は、そのコンセプトから“無念の館”などと呼ばれることもあるのですが、決して悲しみや苦しみに満ちた作品が展示されているわけではありません。実際に絵を見て頂けたらわかりますが、そこに描かれているのは、可愛がっていた妹や、家族団らん、恋焦がれていた人や、お気に入りの場所など、“戦争”というフィルターでくくられるわけではなく、ひとつの命が生きた“青春”が描かれているんです」

「無言館」館長の窪島誠一郎さんは、一点一点、絵を思い浮かべるようにそう語る。窪島さんは、戦没画学生の絵を紹介する『祈りの画集』を刊行したひとり、野見山暁治さんの想いを継ぎ、全国五十数カ所に及ぶ戦没画学生のご遺族を訪ね、その故人にまつわる話を伺い、遺作や遺品を集め、「無言館」を建設した。

「無言館」館長、窪島誠一郎さん。

1941年、真珠湾攻撃の3週間前に生まれた窪島さんは、「無言館」建設にあたり、自身の「戦争観」とも深く向き合っていくことになる。その著書『無言館への旅 戦没画学生巡礼記』では、“ひどくアイマイでボンヤリとした戦争観なき自分の姿”と対峙しながら、青春の最中に命を落とした画学生たちの遺作を集める様子が描かれている。

そしてやっぱり自分は何としてでも「無言館」をつくらねばならないと思った。 (中略) 死んでいった画学生や遺族のためというのではなく、野見山さんのためにというのでもなく、今ここにこうして生きている自分のために、何より絵を描くことに真一文字につきすすんで燃焼して逝ったかれらの美しい生命のために、「無言館」をつくらねばならないと思った。他人から見てその仕事がどう思われようとかまわない、すべては自分の問題なのだから、と私は自分にいい聞かせた。

『無言館への旅 戦没画学生巡礼記』より

止まった時代の主人公たち

この「無言館」のすぐ側に、窪島さんが館長を務めるもうひとつの美術館、「残照館(旧信濃デッサン館)」がある。その別館、「槐多庵」にて、現在(2021/8/19~8/29)『止まった時代の主人公たち ~1945×2021~』という美術展が行われている。副題として、《コロナ禍の学生美術展》とある通り、今現在絵を描き続けている画学生の作品を展示している。主催の学生団体、「コエテコエ」は、この試みを下記のように説明する。

新型コロナウイルスが猛威を奮い始めてから、早くも2年が経とうとしています。世界中を取り巻く未曾有の異常事態。行きたいところに行けず、会いたい人に会えない。こんな状況がいつまで続くのか、不安ばかりが募る。ひょっとしてこの状況は、第二次世界大戦中の人々の生活と、重なるものがあるのではないか――。これが、この美術展開催のきっかけです。

赤茶けた金属に覆われた「槐多庵」の外壁前に、黄色を基調とした美術展のポスターが飾られている。時を刻むことを止めた時計を中心に、右上には爆弾を投下する戦闘機が、左下には王冠様突起を特徴とする新型コロナウイルスが描かれている。画面を斜めに横切るように描かれた3体のデッサン人形は、立ち止まったもの、上を見上げているもの、そして走り出すものなど様々だ。戦禍とコロナ禍、それは一様に比べられるものではないかもしれない。けれど、先の見えない状況に、立ち止まり、葛藤し、何かを掴もうと必死にもがく若者たちは、どちらの時代にも存在したはずだ。

16人の画学生による、18作品が展示されている。

「コロナ禍で、留学先から帰国せざるを得なかったんです。その留学も、“なんとなく”選んだ進路だったのですが、そうした行き当たりばったりの生き方が、コロナ禍によりできなくなった。帰国したらしたで、今度は祖父母の介護に追われる毎日で、その日々のギャップに、自分の将来がまったく見えなくなってしまったんです。そんな時に、窪島さんから何かやらないか、と声かけて頂き、この美術展を思いついたんです」

そう話すのは、学生団体「コエテコエ」代表の下村えりかさん、現在大学5年生だ。窪島さんとは、2年前に「無言館」で行われた「成人式」で出会った。「無言館」の来場者は、開館当初から主に実際に戦争を体験した世代や、その遺族たちだった。年を重ねるごとに来場者は減り続け、若者世代との交流の機会として窪島さんが思いついたのが「成人式」だった。

「無言館という建物、そして画学生の作品……その名の通り、無言で受け取れるものが、とても大きかったんです。その、“大きなもの”を受け取った状態で成人式に臨めたことは、今でも強く印象に残っています」

下村さんは、その成人式で出会った窪島さんの雰囲気に強く惹かれたという。「平和教育、反戦教育というものは、これまでにも学校などで受ける機会があったのですが、そういうことを伝える大人たちって、どこか“固い”んですよね。なんというか、私たち若者世代に対するベクトルが強すぎるというか……。“あなたたちが戦争証言を繋いで行ける最後の世代なんだから”とか、“あなたたち若者が頑張らないと”って。それはそれで大切なことだと思うのですが、無言館はそのベクトルが逆だった。こちらに向かってくるのではなく、“受け入れてくれる”」。

それに何より、窪島さんという人が、とても面白い大人だった――。「こんな口が悪くて、面白い人が無言館つくったの? って、それまでの大人像がいい意味で壊れたんです」。そう下村さんが話すと、窪島さんは照れるようにしてこう続ける。

「そういって頂けるのは嬉しいですね。僕とえりかさん、60歳近い歳の差というのは、半世紀以上の開きがあるわけですよ。けれど、“戦争の実相”をどれだけ知っているかと聞かれたら、僕もえりかさんもどっこいどっこいなんです」

「コエテコエ」代表の下村えりかさん(右)と窪島誠一郎さん。

開戦の年に生まれた窪島さんは、たしかに“戦前派”と呼ばれる年代ではあるが、その記憶は戦争そのものというよりも、空襲で家を失い、苦労して自分を育ててくれた養父母の姿、疎開先の宮城県石巻へゆく汽車の窓から見た空襲などであり、「直接火あぶりにあったような痛みはない」という。

「強いて言えば“低温火傷”のように、戦争というものが遠いところにあるように感じていたんです。えりかさん世代になると、それは教科書に載っている写真のように、セピア色の世界なのかもしれませんが……。こうして無言館を運営していると、戦争や平和に対する社会的な発言を求められる機会もあります。けれど僕自身、本当に“どうしていいかわからない”という思いが根底にあるんですね。今もベラルーシやアフガニスタン、地球の色々なところが火だるまのようになっていますが、僕はテレビの前で見ていることしかできない、無力な人間なんです。その“無力さ”、“どうしていいかわからない”という思いが、歳の差を越えて、えりかさん、そしてコエテコエのメンバーたちと通じるところかもしれない。いわば同志のような……」

今を生きている私たちの声

そんな窪島さんに声を掛けられて、下村さんは一歩を踏み出すことになる。「ちょうど周囲の友人たちが、私と同じように、コロナ禍で色々なことを諦めざるをえなかったり、将来の見通しが立たなくなったりと、同じような葛藤を抱えていたんです。じゃあ、一緒に何かやろう、と。そして、無言館という場所と対になるような、現代の画学生の作品を集めた美術展をやろうというアイデアが動き始めたんです。無言館の画学生たちは、もう“無言”でしか語れないけれど、今を生きている私たちは、“自分たちで声にできる”よねって」。

展示スペースの2階には、画学生の作品ではなく、「コエテコエ」のメンバーたちによるインスタレーション作品が並んでいる。コロナ禍前の自分への手紙や、戦時中のチラシを模した「コロナ禍の要請」ポスター、映像作品、そして来場した人々が声を残していくメッセージボード、そうした展示が一体となり、この美術展の“芯”を形作っている。

2階に展示されているポスターと映像作品。戦時中のチラシを現代風にデザインしたポスターもある。

「無言館の作品もそうですが、画学生の作品にはまだまだ粗削りなところも残っています。けれど、そうした作品が一点だけそこにあるのではなく、ひとつのコンセプトで束ねられることによって、ぐわっ!と迫ってくる力が出てくるんですね。こうした、突出した個の力に頼るわけではなく、“束ねていく力”というものは、今の時代に強く求められているものでもあると思うんです」と、窪島さんは感慨深げに館内を見渡す。

「実はコエテコエはこの4月に誕生したばかりの学生団体なんです」と、下村さんが続ける。「“時代・国境・性別・障がいなどの、ありとあらゆる壁を越えて、届かぬ思いを声にしていくこと”を目標に活動を開始しましたが、展示が完成するまで、“本当にこれで大丈夫なんだろうか”と不安で仕方ありませんでした。けれど、その不安や葛藤、このコロナ禍で悩み、立ち止まった時間の中で考えたことも表現したかったんです」。
 

「コエテコエ」メンバー、左から吉川結衣さん、永見正恵さん、下村えりかさん。

長い置き手紙を、次に生きるものたちに

「コロナ禍という時代にあって、本当に身の置き所のない、心の持って行き場のない、身もだえするようなところがどの展示作品にも感じられます。けれどもしかしたら、これはコロナ禍の今だからこそ表現できたものかもしれない。何かを生み出そう、表現しようというのは、最初から拍手に包まれているわけではない、孤独な作業なんです。ペストやスペイン風邪の時代にも、すごい芸術が生まれた。ある意味では表現者にとって、今の時代というのは一番エネルギーがたぎっている時代なのかもしれないと、この展示を見て感じました」

そうした窪島さんの言葉に、「画学生たちにもその言葉を届けたいです」と、下村さんが頷く。「私には仲間がいたし、窪島さんにも手を差し伸べて頂きましたが、コロナ禍による厳しさは準備中も相当感じました。今はメンバーとも和気あいあいとしていますが、けっこう揉めたり、立ち止まったりもしたんです。でもこうしてひとつの展示が完成して、自分自身も、仲間たちも、一緒にワンステップ進むことができたのではないかと感じています」。

「僕はね、結局人間は、次に生き残るものに対する、長い置き手紙を書いているという気がするんです」と、窪島さんは語る。

「時々えりかさんと会って、食事しながら話をする。それもまた手紙を綴っているような時間なんです。僕はもう80歳ですが、老いていく中で、何が一番悲しいかというと、物忘れが激しくなるとか、そういうことじゃないんです。歳を重ねると、社会も年長者を遇してくれるようになる。つまり、何か間違っていても、ゴツン!とやってくれなくなるんですね。それがもう、とてつもなく、悲しい。人間の精神というのは、そうやってゴツン!とやられたコブのぶんだけ成長すると、僕は思います。その点で、えりかさんや、コエテコエのメンバーたちは、もちろん丁寧に遇してはくれますが、“どうしていいかわからない”という点で、一緒に悩み、成長していくことができる。そうした交流の中で、きっと僕は手紙を綴っているんだと思います」

「受け取ってますよ」と笑顔で答える下村さんに、「本当に届いてんのかな……みんなスマホでやり取りするけど、僕のは飛脚のようなもんだからな」と窪島さんも笑う。

ここで紡がれた声が、次はどのような手紙となり、誰の元へと届いていくのか。止まった時代の主人公たちは、時を“コエテ”対話を重ねる。

        

《コロナ禍の学生美術展》止まった時代の主人公たち ~1945×2021~
開催期間:2021年8月19日(木)~29日(日)
開催場所:長野県上田市、戦没画学生慰霊美術館 無言館(槐多庵)
主催:学生団体コエテコエ(代表 :下村えりか)
協力:一般財団法人戦没画学生慰霊美術館 無言館

■問い合わせ
学生団体コエテコエ  https://www.koetekoe.com/

(2021.8.24 / 文・写真 佐藤慧)


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