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2020.9.10

『悲しみと共に生きる』 第1回:物語を組み立てなおす

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

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佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

2020.9.10

Series #Sato #care&health

「グリーフケア」――。耳慣れない言葉かもしれません。「グリーフ」とは、「悲嘆」を表します。といったところで、かえって意味が遠のくだけかもしれません。あくまでも僕なりの理解となりますが、グリーフとは、自分自身の一部とも思える大切な人、もの、居場所や価値観などを喪失した時に感じる、痛みや悲しみ、虚無感や重みのようなものだと思います。そしてグリーフケアとは、人生に於いて誰もが経験しうるそうした状態にある人の声に耳を傾け、寄り添い、そのプロセスを見守ることです。

本連載では、グリーフケアにまつわる人々へのインタビューを通し、喪失体験と共に生きる人々の姿をお伝えしていきます。第一回は導入として、僕(佐藤慧)自身のグリーフケアとの出会いと、そこから頂いてきた学びについてお伝えしたいと思います。
 
 

本文中には筆者の体験に基づき、身近な人の死や、自死に関する記述がございます。そうした内容により、精神的なストレスを感じられる方がいらっしゃる可能性もありますので、ご無理のないようお願い致します。

 


 

僕の故郷の岩手は、雪深い土地です。真冬になると、あらゆる人間の営みが白銀に覆われ、雪のひとひら、ひとひらに、日常の雑音もかき消されていくような気がします。木々から粉雪の舞い落ちる夜の林道は、足跡の無い前途を踏みしめる、自分の靴の沈む音と息遣いだけが辺りに響き、まるでこの世界で脈打つ生命は、自分ひとりしかいないのではないかという錯覚に陥りそうになります。空を見上げると、月に照らされた縹(はなだ)色の雪をかぶる枝々の隙間から、無数の光の粒子のような天の川が目に映り、その手に届かない美しさが、かえって孤独を強調するようでした。

17歳のある夜、姉を自死で失った僕は、こうして雪の中を歩いては、「死」について思いを巡らせていました。人はいつから死を意識するようになったのでしょうか。遥か昔、類人猿と袂を分かち、「言葉」を獲得した二足歩行の生き物は、歌うことも、踊ることもしなくなった冷たい同胞の骸から、その概念を獲得したのでしょうか。いつかそれが、己にも待ち受けている避けがたい運命だと知ったとき、宗教や哲学、芸術や科学の萌芽とも言える何かが、その胸の内に生じたのかもしれません。そんなとりとめのないことを考えては、脳裏にくすぶる死への恐怖や、生の苦しみを振り払おうとしてきました。
 

 

喪失という重石

僕が初めて「死」というものに触れたのは、小学2年生のときでした。4人きょうだいの長男として育った僕は、姉と、ふたりの弟と共に幼少期を過ごしました。そんなある日、次男の弟が「がん」を患い入院し、闘病生活の末亡くなりました。いつも一緒に過ごしていた弟の死は、何か理解できない恐ろしいものがこの世界にはあるのだという意識を、僕の脳髄に刻み込みました。しかし当時の僕は、その「死」というものが、いずれ自分にも訪れるものだということを、きちんと理解してはいなかったように思います。それよりも、嘆き悲しむ両親を見て、自分の無力さを感じたことを覚えています。

17歳のとき、2歳年上だった姉もまた、突然いなくなりました。弟と同じく闘病生活の末ではありましたが、姉は自ら命を絶ったのです。当時の僕には、なんだか「自殺」というものが悪いことのような気がして、周囲の友人たちにも、姉の死について話すことができませんでした。自殺と呼ばれるものの多くが追い込まれた末の死であること、本人の行為を責めるような偏見や差別を助長しないために、二人称の死を表す際には「自死」という表現もあるということなどを知ったのは、それから10年以上も経ってからのことでした。

【参照】
全国自死遺族総合支援センター
https://www.izoku-center.or.jp/
よりそいホットライン
http://www.since2011.net/yorisoi/

 
姉との死別から、僕は自分の死…「一人称の死」についても考え始めました。この世に生まれてきた以上、どんな命も必ず死を迎えます。もし死というものが「無へと帰すること」であるのなら、人はなんのために生きるのでしょう。どこかにその答えが書かれていないかと、様々な本を読み漁り、賢人・偉人の言葉を探し求めましたが、納得のできるものは見つかりませんでした。その後大学を中退し、本には書かれていない「死生観」に触れるために、世界のあちこちを旅するようになりました。
 

 

結局答えはどこにも見つかりませんでしたが、世界には僕の想像を超える多種多様な死生観があることを知り、僕が囚われていた「死のイメージ」は、そのうちのたったひとつの世界の観方に過ぎないのだということに気づきました。どこか胸の片隅に、ずっしりと重石のように沈んでいる、死への恐怖や喪失の痛みから自由になるためには、自分自身の死生観を確立しなければならない…。そのように頭で理解していても、実際にそれを行うのは容易なことではありませんでした。

2011年3月。東日本大震災により、母が津波に呑まれ、最愛の伴侶を失った父は、日を追うごとに衰弱し、数年後に後を追うようにして亡くなりました。その時のことは下記の記事に詳しく書いていますが、度重なる死は僕の心身により一層のしかかり、もはや死を肯定的に受容することなどできないのではないかと思っていました。
 


 

再生へのプロセス

父の死と前後しますが、震災から数年後、糸が切れたように体が動かなくなりました。生きることへの意味を見出せず、心が体を動かそうとしないのです。比喩表現として、「胸を開く」「心を閉じる」などと言うときがあります。けれどそれは、単なる比喩ではありませんでした。喪失の痛みに晒された心身は、外部からの刺激をなるべく感じないで済むように、硬化していくのです。実際に、胸骨・胸椎周り、首(胸鎖乳突筋)、腕の付け根(小胸筋)などが、鋼のように固まっていきます。呼吸も浅くなり、身を縮こまらせるようにして、世界から目を逸らそうとするのです。こうした反応は、生命の防御反応かもしれません。たしかに、カメが甲羅に閉じこもるように、胸の中心の感覚を鈍化させていくことで、様々な痛み、悲しみを感じにくくなっていきます。けれどそれは同時に、生の喜びや楽しさ、感動をも遮断してしまいます。気が付くと、自分が生きている意味も見いだせず、呼吸することにすら疲労を覚えるような状態となっていました。

幸い周囲の支えもあり、しばらく田舎で療養する時間をとることができました。その時は、もう二度とカメラを持って海外取材へ行くことなど、できないだろうと考えていました。心が動くことを怖がるあまり、映画や小説も読めず、音楽を聴くこともできません。できることは、ただ時の流れに身を任せ、四季の移ろいを眺めていることだけでした。

何も生み出さない、前に進めない無為な時間を過ごしているのではと思っていた僕でしたが、しばらくすると、何かが変わってきたことに気づきます。心身の強張りがちょっと緩み、それと共にわずかな、ほんとうにわずかなものですが、「喜び」が戻ってきたのです。

雨の後、紫陽花の葉に輝く水滴の美しさに目を奪われたり、何気なく手に取ったギターの音色に心地良さを感じたりと、外界の刺激に心が躍動し始めました。それと同時に、喪失の痛みもまた針で刺すように蘇ってきましたが、その小さな、小さな痛みをゆっくりと感じることで、静かな涙があふれてきたのです。それは本当に遅々とした歩みでしたが、まるでカメラの露出を合わせるように、その時の自分の耐えられる範囲で、痛みと喜びを受容し始めたのでした。

どれだけ考えても、探しても見いだせなかった「心の重石の外し方」ですが、僕の心身は確かに、生に向かって呼吸を続けていたのです。数か月後には、なんとか本も読めるようになり、再び自分の世界を広げ始めました。それは以前のような、自分の知らない答えを探すための読書ではありませんでした。他者の経験から学ぶことで、自分の身に起きたことを理解したいと思ったのです。その過程で出会ったのが「グリーフケア」でした。

周囲の人々の愛情や、良い医師との出会い、これまでの経験から育まれてきた価値観など、再生へのプロセスに寄与したものは多岐にわたるでしょう。しかし、まるで「天の岩戸」のように頑なな心の扉を、僅か針の穴ほどであっても初めに押し開いたものは、自分の内側の、その最奥にある生命の種子のようなものから生じたように思えてならなかったのです。
 

 

癒された人が、癒す人である

しばらくして仕事を再開した僕は、「グリーフケア」というものを本格的に学ぶために、上智大学グリ-フケア研究所の開催する「グリーフケア人材養成講座」に通い始めました。グリーフケアの基礎を学ぶための座学と、実際にそのプロセスを経験するグループワークや、訪問実習を通して学びを深めていきました。

学問的な歴史を振り返ると、現在のグリーフケアに繋がるコンセプトを示した重要人物として、ジークムント・フロイト氏(精神分析の創始者)があげられます。その著『喪とメランコリー』では、葬儀などの外的な形に留まらず、心の内側で進行するプロセスも含めた悲嘆と向き合う過程を「喪の仕事」と呼びました。それは自身が経験した父との死別から生み出された概念でした。メランコリー(鬱)と悲嘆について類比した氏の理論は、その後のグリーフケア理論の基礎となるもののひとつでしたが、個人的な経験から導き出された理論であるだけに、他者へそのままあてはめるには限界のあるものでもありました。

その後多くの研究者、医師らが数々の理論を研磨していきましたが、その中でも有名なもののひとつが、エリザベス・キューブラー=ロス氏の段階理論です。自らの死…「一人称の死」を前にした人の心理的な経過を「否認」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」の段階に分け、理解しようとするものです。しかし、喪失体験というのは個別具体的なものであり、画一的なパターンを想定することの弊害も近年では懸念されるようになりました。本来、「悲しみと共に生きる形」というのは正解のあるものではありません。グリーフケアという名称は、「ケア」という言葉から、どこか「回復」や「再生」、「受容」や「克服」をゴールとして想定しているかのような印象を受けますが、実際には、それぞれが「自己自身の物語を組み立てなおす」過程に寄り添うことであり、悲嘆の多様性を型に押し込むことではありません。
 

 

上記のようなことは、確かに文献でもある程度のことは学べます。しかし、グリーフケアの本質は、ひとりひとり、独自の世界を持った人との触れ合いの中でしか学べないものかもしれません。同養成講座で最も多くの学びを得られたのが、そうした人々と実際に向き合うグループワークの場でした。そのグループワークに際し、先生から教わった大切なことのひとつに“「事柄」ではなく「気持ち」を聴く”というものがあります。講座を受講し始めたばかりの頃は、傾聴のための“具体的なテクニック”を学べるものとばかり思っていましたが、そうではないのです。気持ちを聴くとはどういうことか。敢えて(浅学菲才な僕が)言葉にするならば、日頃前頭葉ばかりが優位に立ち、世界を論理的に整理・批判しようとする自分を手放し、自身と他者との境界線を越えて“共に感じる”ことではないかと思います。言葉で言うと「共感」の一語ですが、それが如何に多様で、奥の深いものかということに驚くばかりの日々でした。

そして、そうしたグループワークの中で最も感嘆したことが、「個々人の中で自然と再生へのプロセスが始まっていく」ということでした。自らの悲嘆を他者に語り、また、耳を傾けるということは、ときにとても大きな苦痛を伴うことです。しかし、多様な価値観に触れ、僅かずつでも心を重ね合わすことによって、世界を構築するピースの色彩や質感が化学変化を起こしていきます。それが呼び水となり、過去、現在、そしてそこから続く未来を新たな物語として再構築する、生命力(としか形容できない何か)が生じるのではないでしょうか。こうした抽象的な表現でしか言い表すことのできないプロセスに実際に触れ、また、自分自身の世界像の変化(時に濃霧に溶けるように、時に山頂の眺望のように)を経験することが、今振り返ると大きな「癒し」となっていることに気づきました。

こうした学びを通じて、とても印象に残っている言葉があります。それは、「癒された人が、癒す人である」という言葉です。初めて聞いたときは、まるで理解の及ばない言葉でしたが、少しずつ、自分なりに理解を深めているように思います。僕は、どんな人間にもその奥底に、外の世界の季節の循環にも劣らない「生命力」を秘めていると思うようになりました(それが僕の「死生観」なのかもしれません)。それを自分自身で実感し、体験することで、傷ついた誰かに「大丈夫だよ」と、声や想いを届けられること。それがこの言葉の意味ではないでしょうか。僕自身は、まだまだそうした心境には及びません。けれど、虚無を刻み込むばかりだと思っていた数々の死別から、そのような死生観の種子を得られたことは、僕がこれまで生きてきた意味のひとつとして、かけがえのないものです。
 
 

物語を組み立てなおす

今の社会は、そうした共感や癒しの空間・時間が極端に少ないのではと思うことがあります。疲弊し、倒れてしまった人に対し、「それはあなたが弱いからだ」と言い放つことに、どんな意味があるのでしょうか。誰もが、その周囲とのかかわりあいの中で、幸福の価値観や世界像を形成していきます。その「倒れてしまった誰か」がつまづいたものは、社会が無意識のうちに積み上げてきた重石のようなものかもしれません。グリーフケアは、個々人の悲嘆と向き合うものですが、この概念が広く普及し、誰もがその役割について考えるようになることによって、社会の閉塞感、息苦しさも緩和されるのではないかと思います。あちこちに転がっている重石を外し、より希望に満ちた物語を組み立てなおすことができるかもしれません。

この連載を通し、多様な悲嘆との向き合い方と触れることで、少しでも毎日が優しく、豊かになることを願っています。そして僕自身も、まだまだ歩み始めたばかりのグリーフケアの道ですが、今後も学びを続けていきたいと思っています。
 

  

(写真・文 佐藤慧 / 2020年9月10日)

【支援・相談窓口/参照リンク】

▶︎ 全国自死遺族総合支援センター
身近な人を自死(自殺)で亡くした方のつどいに関する情報や、相談先が記載されています。

▶︎ 自殺対策支援センターライフリンク
「生き心地の良い社会」の実現をめざし、自殺対策、「いのちへの支援」に取り組んでいるNPOです。

○ 相談先リンク
▶︎ 電話相談等を行っている団体一覧(厚生労働省HP)
▶︎ SNS相談等を行っている団体一覧(厚生労働省HP) 

○ グリーフケアについてもっと知りたい方へ
▶︎ 上智大学グリーフケア研究所 
▶︎ 一般社団法人The Egg Tree House

 


あわせて読みたい・聴きたい

連載「悲しみと共に生きる」  (※記事は順次更新して参ります)

【Radiotalk】グリーフケアを学びながら[2020.8.28/佐藤慧]

新型コロナウイルス感染拡大、自殺問題へ及ぼす影響は ―NPO法人ライフリンク代表、清水康之さんインタビュー [2020.4.7/安田菜津紀]

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2020.9.10

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