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2019.6.27

【エッセイ】「想定の範囲内」で死ななければならなかった人々のこと

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

田中 えり Eri Tanaka

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安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

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佐藤 慧 Kei Sato

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田中 えり Eri Tanaka

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安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

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佐藤 慧 Kei Sato

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田中 えり Eri Tanaka

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2019.6.27

エッセイ #人権 #戦争・紛争 #イラク #安田菜津紀

2017年7月、モスル市内の小児病院。弾痕が至る所に残されていた

2003年3月、高校1年生の春休みのことだった。どのチャンネルをつけてみても、乾いた大地と迷彩服が目に飛び込んできた。遠い地で起きていることに、あの時なりに想像力を働かせようと試みた。でもどうしても、実感がわかない。あまりにもテレビ越しに伝わってくる光景が理不尽にすぎるからこそ、これが本当に現実なのかと目を疑ったからかもしれない。

イラク戦争開戦からしばらく経った頃、とりわけ衝撃だったことがある。当時ブッシュ大統領が「民間人の犠牲者数は、想定の範囲内」と話していたことだ。悲しみなのか、怒りなのか、あの時の感情を上手く言葉にできない。戦争だから”仕方ない”かのような積み重ねが、世界の”今”を築いてしまったのではないだろうか。

あれから今年の3月20日で16年という月日が経った。これまで、ISにかつて占領されていたイラク第二の都市、モスルを度々訪れてきた。とりわけ激しい破壊に見舞われていたのは、最後まで戦闘が続いていた旧市街地だった。

2014年6月にアル・バグダディ氏が自らをカリフ(イスラム教スンニ派の指導者)と名乗り、国家の建立を宣言したのが旧市街地にあるヌーリーモスクだった。

「遺体が埋まったままかどうかさえ分からない。この場所はもう墓場にするしかないんだ」と、家の様子を見にやってきた住人たちが唇をかむ。

市内の小児病院には追い詰められた兵士たちが院内に油をまき火を放った跡が、まだ生々しく残されていた。

「考えられるかい? 一緒に命を救おう、と誓い合った同級生たち、同僚たちが、気づけばISに加担し、人の命を奪っていったんだ」。この数年間だけでも、誰しもが少なからずトラウマを背負った、と医師の1人は語る。心の復興への道のりは長い。

こうして深い爪痕を残した、ISとは何だったのだろうか。振り返ればイラク戦争後から駐留していた米軍が2011年に撤退し、「力の空白」を生じさせ、過激派組織「イスラム国(IS)」の台頭を招いたことはこれまでも度々指摘されてきた。

そのイラク戦争で真っ先に米国支持を打ち出し、そして自衛隊を派遣した国がある。

その国ではイラク戦争への関りについて、当時の首相や外務大臣に聞き取りをせず、簡素な報告書でまとめられたのみだった。挙句、イラクに派遣した自衛隊の日報隠蔽問題まで発覚し、責任の所在はあやふやにされたままだ。

小児病院内には、ISが火を放ち焼け焦げた跡が残されていた

この戦争の”大義”だった大量破壊兵器は見つからなかった。根拠のない戦争のために、命を奪われた人々は50万人を超えるとも言われている。そして16年間イラクは治安悪化や戦闘が続いた。イラク戦争は終わっていない、と訪れる度に思う。

「ねえ、戦争がはじまるとね、僕たちはチェスの駒なんだ。チェスは駒ばかりが傷ついていく。駒を動かす人は決して、傷つかない」。イラク人の友人の言葉が、この戦争の構造を物語っていた。

あるとき、一人の女性にはっきりといわれたことがある。「今のイラクの混乱があるのは、イラク戦争があったからでしょう。あの時、アメリカの姿勢を追った日本に責任はないのでしょうか?」

イラク戦争での犠牲者は「想定の範囲内だった」と切り捨てられた。その後のISの台頭や戦闘で奪われた命は「想定外」として背を向けることができるだろうか。今、「当事者」としての意識を取り戻し、この地で起きていることを直視できるかが改めて問われている。

(2019.6.20/写真・文 安田菜津紀)


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エッセイ #人権 #戦争・紛争 #イラク #安田菜津紀