民主主義のバージョンアップ ―分極化した島に橋を架ける
2011年3月11日、東日本大震災による凄まじい揺れと津波は、沿岸の多くの街々に壊滅的な被害をもたらした。東京電力福島第一原子力発電所は、1~3号機が稼働中だったが、地震により緊急停止機能が作動。しかしその後襲った津波により全電源を喪失し、メルトダウンへと繋がっていった。日本の原発は13ヵ月ごとに定期検査を受けることとなっているが、この事故の影響により、定期検査後の運転再開には大きな反発の声もあがり、2012年5月、日本全国の原発が停止した。その後関西電力大飯原発の再稼働に対し、多くの市民が声を挙げ、原発の是非に対する議論が高まった。しかし原発「推進」にしろ「反対」にしろ、その「声」はどのように集約され、政策へと反映されていくのだろうか。
茨城県東海村にある首都圏唯一の原発、東海第二原発は、東日本大震災後に運転を停止していたが、2018年11月、原子力規制委員会が20年の運転延長を認可、翌年2月には日本原電が再稼働の意思を示した。再稼働には東海村を含む周辺六市村と茨城県の同意が必要だが、その政策決定に市井の人々の声は届くのだろうか。
そうした状況を前にして、「再稼働反対を掲げる運動」ではなく、人々の声を届けるため、「民主主義の確立を求める運動」として、2019年3月、「いばらき原発県民投票の会」が発足した。同会は「県の判断には広く県民の意思を確認する必要があり、その最適な手法は県民投票の実現である」と、原発再稼働に関する県民投票条例の制定に向けて署名を募った。
結果、必要数(有権者の1/50)の1.78倍もの署名が集まり、今年6月、条例制定に向けて議会審議にかけられた。しかし条例は否決され、県民が直接政策決定に意思を表明する「県民投票」という手段は潰えた。
「原発の是非を問うていたわけではないんです。重要な問題に関して、市民一人ひとりが熟議を重ね、“練られた民意”を届けるためには住民投票という手段もあるのだということを伝えたかったのです」
そう語るのは「いばらき原発県民投票の会」元共同代表であり、現在「VOICE and VOTE」代表、ファシリテーターの徳田太郎さん。「民主主義のバージョンアップ」について、お話を伺った。
民主主義の共通体験を目指す
―「いばらき原発県民投票の会」ではどのようなことに挑戦されていたのでしょうか。
会のスローガンは「話そう 選ぼう いばらきの未来」というものです。県民投票の実現を目指す運動ではありましたが、単に県民投票が実現すればよいというものではなく、「熟議投票」という、投票にいたる過程に重きを置いていました。正確な情報に基づいた対話を通じて、一人ひとりがきちんと考え、より練られた民意を形成していく「話そう」という部分と、自分自身の意思を政策決定への一票として投じるという「選ぼう」という部分…このふたつの掛け算で、民主主義の回路を増やしていこうという試みです。
特に原発などの問題となると、そこに関わる地元の人々も多く、なかなか表立って「話そう」という空気が広がっていきません。そうしたことを「タブー」にするのではなく、また、良い悪いという二元論でいきなり結論に飛び付くわけでもなく、それぞれの立場の人々とじっくり話し合う、そうした場をつくるということがひとつの大きな目標でした。反原発/脱原発の運動だと誤認されることもありましたが、あくまでも「熟議投票」という、民主主義の共通体験を目指していました。
住民投票条例へのハードル
―そもそも「県民投票」を行うにはどのようなハードルがあるのでしょう。
住民投票とは、ある一定の地域において、有権者である住民が直接意思を示す投票方法ですが、県単位で行われるものを「県民投票」と呼びます。これは通常の選挙のような「人を選ぶ」ものではなく、「コトを問う」ものです。しかしこの場合、住民投票を実施するための条例をつくるところから始めなければなりません。
住民の発意で条例を制定(または改廃)するには、地方自治法第74条の規定に基づき、有権者の1/50以上の署名とともに、地方公共団体の長に「直接請求」を行わなければなりません。その条例案が議会で審議・可決されることではじめて条例が成立します。
この「条例をつくらなければならない」ということが、住民投票の実現に際してまず、大きな壁として立ちはだかります。他の国の例では、一定数の署名が集まればほぼ自動的に住民投票が実現するというところもありますが、日本の場合、議会の可決が必要であるということが、これを非常に難しくしています。日本各地で、これまでにも住民投票条例をつくろうという動きがありましたが、その8割以上は条例案の段階で議会に否決され、実現に至っていません。
―結果として必要数の1.78倍もの署名が集まり「直接請求」が行われましたが、署名を集めるプロセスというのはどのようなものだったのでしょうか。
まずは「受任者」を集めなければなりません。受任者とは、請求代表者の委任を受けて署名を集める人のことを指しますが、受任者は自分の住まいの市町村内でしか署名を集められないので、基本的には全市町村に受任者がいることが望ましいです。もちろん、私を含め請求代表者の3人は、県内すべての市町村で署名を集めることが可能ですが、数万もの署名を少人数で集めることは現実的ではありません。
他のこうした運動の例を見てみると、「説明会」を開き、参加された方に受任者となって頂くようお願いする形が多いのですが、私たちの場合はそういう形にはしたくなかった。一方的にお願いするのではなく、「こういう問題があるよね」とみんなで考える中で、「じゃあ自分も受任者になります」と、自発的に運動に参加して欲しかったんですね。
そのため「説明会」という形ではなく、東海第二原発の再稼働や県民投票をどう考えるか、お互いに対話できる場としての「カフェ」や「フェス」を開催し、言葉を交わし、考えるきっかけをつくるといった活動を行ってきました。カフェは9ヵ月間で計75回開催し、延べ1,240名にご参加頂きました。フェスはより大規模な対話を行う場として、県内の主要9駅でシール投票を行ったり、1,000名以上が参加するオンラインイベントを開催したりといったことを行ってきました。
その結果、署名開始までには3,555名の方に受任者として登録して頂き、その後署名活動中にも次々と受任者が増えて行くこととなりました。ただこの数は当初の想定よりは少なく、もしかしたら「反原発」というようなわかりやすいメッセージを打ち出して、「再稼働を止めるにはもう住民投票しかありません!」という形で呼びかけていたら、もっと増えていたかもしれません。ですが、もしそういった形の運動であれば、私は参加していなかったと思います。
―そうした署名を集める準備をしたうえで、「いつからいつまで」署名を集めるか、期限、時期を考えていくことになるわけですよね。
いつ署名集めを開始するかは任意で決められますが、期間は2ヵ月と法律で決まっています。なので開始日を決めると自動的に終了日も決まることになります。本当は今年3月の議会へ間に合うように、昨年の10月頃から署名集めを行おうと思っていたのですが、その時点ではまだまだ運動そのものが人々に浸透しておらず、3ヵ月後ろ倒しにして、6月議会を目指し、年明けからの署名集めとすることにしました。
しかしいざ署名集めを開始した頃から、新型コロナウイルスの感染が日本全土で拡大し始めたんですね。この時は本当に悩みました。県内で感染者が出たらどうするのか、街頭署名や戸別訪問は行うのか…そうしたあらゆることに対して、「どうするのか」ということをあらかじめ考えておかなければいけません。感染予防に努めながら、いかに署名収集を継続するか。議論を重ね、独自のルールを周知し、徹底した対策を講じることで、最終的には必要数の1.78倍、86,703筆の署名を本請求時に添えることができました。
―実際に署名が必要数を越えたときはどのような思いでしたか?
実際には重複などで無効になるものもあるので、最低でも必要数より1割ぐらいは多くないと安心できません。また、こうして署名を集めるのは「これだけ多くの声が条例を求めているんだ」ということを裏付けるためのものですので、ギリギリの達成となるとインパクトも弱いですよね。必要数を越えたときも、安心したというよりは、「最悪の事態は免れた」という思いの方が強かったです。これで次に進めるぞと。
結論ありきの議会
―その後実際に条例案を提出し審議が行われたわけですが、ちぐはぐな答弁・反対意見が多く見受けられました。
まず前提として、議会で可決されるのは非常に難しいことだという認識はありました。とはいえ、他の地域での住民投票条例案が、これまでにどういった理由で否決されてきたのかということは、徹底的に研究・分析し、今回の条例案に盛り込んでいたので、たとえ否決されるにしても、どのような論理で来るのだろうかというところには注目していました。ところが、出て来た反論というものが、なんとも支離滅裂なものだったわけです。
なかでも「議論がされないまま、拙速に本条例案を制定することは妥当ではない」という意見には驚きました。議論をせずにおいて「議論がなされていないこと」を否決の理由とするのは、ある意味くつがえすことのできない「最強の論理」です。端的に議会の不作為を示すものでしかありません。
他にも、「安全性の検証や避難計画の策定が終わっておらず、県民への情報提供ができる状況にない」という反対意見があったかと思えば、他方では「県民投票の期日が知事に委ねられており、投票日がいつになるか不明である」ということを反対の理由として述べています。つまり「県民投票を“今”おこなうのは難しいから不可」という意見と、「“いつ”やるかわからないから不可」という、相互に矛盾した反対意見が出ているのです。
こうした意見が出て来た背景には、「否決ありき」で審査を行っているという問題があるでしょう。6月18日に連合審査会が開かれ、そこで本条例案の審査が行われたのですが、「その日の内に採決をする」という審査スケジュールに、そもそも無理があります。そのためある党では、審査会の日の朝に党の態度を決定したと報道されていました。実際に審査の場で議論をするのではなく、「審査の前」に否決理由を書いているんですね。そのため審議中の質問に関しては、なんとか理由をこじつけようという、ちぐはぐな答弁が繰り返されることとなりました。
議会「だけ」ではないと問うために
―結果的に県民投票は実現しなかったわけですが、こうした住民投票という方法そのものに対する反対意見も存在します。例えば、「住民投票を行うということは、二元代表制(※)を否定するものである」という意見も耳にします。
(※)二元代表制
地方自治体において、首長と議会議員をともに住民が直接選挙で選ぶという制度。
難しいところですよね。こうした「住民投票」を求める方の多くは、そこで問われる問題、争点そのものに対して意見を届けたいという方が多いと思います。例えば原発の問題などですと、行政主導で政策決定が為されることに対して、「拒否権」として住民投票を使いたいという方々がいます。一方で、「どのような争点であれ、市民の意見を直接反映させていくことが大切だ」という立ち位置から、住民投票を制度化したいという意識をお持ちの方もいます。
ただ、住民投票というシステムが、必ずしも争点そのものに対する正確な民意を測ることができるのかというと、そうではないこともあるんですね。たとえばその投票を行うタイミングの政権の支持率などが、強く投票行動に影響することもあります。つまり問われている内容とは無関係に、「現状に不満があるから反対(または賛成)」という理由で結果が出てしまうということもあり得るわけです。
また、市民の側からではなく、行政の側が主導して住民投票を行おうという場合には、それが「信任投票」の役割を果たしてしまうこともあります。1回目でダメなら2回目、それでもダメなら3回目という…。「民意を得た」と納得するまで繰り返され、そうした「お墨付き」として機能してしまう場合もあるということです。
住民投票という制度ひとつとってみても、このように様々な違いがありますし、そもそも投票に至る前に、きちんと信頼できる情報に基づいた、適切な議論を重ねていけるかどうかという、そうした視点も織り交ぜていく必要がありますよね。
私は、「住民投票こそが最適の手段である」と言うつもりはありません。議会批判などもするので誤解されることもあるのですが、議会は議会で重要な役割があります。議会を住民投票に置き換えようと主張しているわけではないんですね。ただ、「議会だけ」「選挙だけ」だと思い込んでいませんか?と問いたいのです。他にも民意を形成し、政策に生かしていく方法は様々にあるわけで、それを適宜組み合わせていくことが大切ですよねと、そうした投げかけを行っていきたいと思っています。
民主主義のバージョンアップ
―丁寧に民意を練っていくという風潮は、今後広がっていくと思いますか?
どうなっていくのかは分かりませんが、少なくとも「広がってほしいし、広げたい」とは思っています。目の前のことだけを見ていると悲観的になってしまいますが、世界的に見れば、「話し合い」を重視した熟議民主主義や、情報技術を活用した参加民主主義などの実践が増えてきています。
話し合う代表者を選ぶ際に、「くじ引き制度」を導入する国も増えてきています。「陪審員制度」のように、無作為に抽出した市民が政策を議論するという制度が、一定の成果を上げています。司法の世界で行われていることを、立法の世界でも行おうという試みですね。
たとえばアイルランドでは、無作為抽出による66人の市民と33人の政治家による「憲法会議」が行われ、そこでの提言に基づいて国民投票が実施されて、2015年に同性婚が可能となりました。その後、やはり無作為抽出の市民99人による「市民議会」が発足し、その提言に基づく2018年の国民投票で、人工妊娠中絶が解禁されています。最近ではフランスやイギリスでも、気候変動問題への対応を協議する「市民議会」が開催されており、今後ますます広がっていくのではないでしょうか。
無作為抽出制度の良いところは、意思決定の場に「社会の縮図」を実現できることです。年齢や性別など、それぞれの属性の割合に比例して議席を割り当てることができますし、当然、世襲などの問題もなくなる。そして、政党政治の弊害である公認権や党議拘束、支持母体などにしばられず議論ができるようになります。
もちろん、こうした制度も「完璧」ではありません。選挙による代表者の議会や、論理的には全ての有権者が参加できる住民投票など、さまざまな制度と組み合わせることではじめて、民主主義をバージョンアップしていけるのだと思います。
―そうした民主主義のバージョンアップにはどのような障壁があるのでしょうか?
やはり大きな問題となるのは、使い古された言葉ですが、「分極化」ですよね。みんなそれぞれ自分の見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞いている結果、それぞれが独立した「島」の住人になってしまい、話し合いの場にもつけないということが起きています。
そういう意味では、私もファシリテーターとして無力感を感じることがあります。みんながテーブルに着いた状態であれば、対話を促し、相互理解・相互尊重を育むこともできるはずだという実感はあるのですが、そもそもテーブルに着くことを拒否するとか、テーブル自体が存在しないとなると…。そこにすごく難しさを感じています。「テーブルに着いてもらうための働きかけ」、あるいは「テーブルを整えるための働きかけ」というものが、今後より一層必要とされてくるのではないでしょうか。
たとえばSNSなどでは、放っておくと自分の見たいものしか目にしないようになってしまうため、そこに違った意見も表示されるようなアルゴリズムを取り入れるということも実験されています。そのようなことをしてでも「異質なものに触れる」という機会を増やしていかない限り、ますます分極化が進んでしまうのではないかと思います。
前述の「くじ引き制度」は、そうした点でも、異質な人がテーブルに着くようにするための優れた制度でもあるんですよね。「この問題、話し合いたい人集まってください!」と希望者を募ると、やはり偏った人が集まってしまう。そうではなくて、きちんと日当や交通費、託児の保障なども行いながら、無作為抽出による市民が話し合いをすることで、色々な意見が出てくる場をつくれるわけです。
現在はコロナ禍などの影響もあり、「たとえ権威主義体制でも、災害や社会不安を抑え込めて、それなりにみんな幸せに暮らせるならいいじゃないか」と、「ライトな独裁」のようなものを求める声というものも耳にします。そうした現状を鑑みると、「話し合いで合意を織り上げていく」ということに対して悲観的になってしまいますが、それでもやはり長期的に見ると、それぞれの「島」に橋を架けていこう、みんなで社会について考えていこうという方向に進んでいくのだと思います。茨城での活動はこうした結果となりましたが、たとえ歩幅が小さくとも、民主主義のバージョンアップというバトンは、必ず未来へ受け継がれていくと信じています。
【プロフィール】
徳田太郎(とくだ・たろう)
1972年、茨城県生まれ。ファシリテーター、元いばらき原発県民投票の会共同代表。現在、市民シンクタンク「VOICE and VOTE」代表。法政大学大学院公共政策研究科修士課程修了、修士(公共政策学)。2003年にファシリテーターとして独立、参加と熟議をテーマに、全国各地の地域づくりや福祉活動などの支援・促進を続ける。NPO法人日本ファシリテーション協会では事務局長、会長、災害復興支援室長を経て現在フェロー。その他、Be-Nature Schoolファシリテーション講座講師、東邦大学・文京学院大学非常勤講師。主な論文に「対話と熟議を育む」(石井大一朗・霜浦森平編著『はじめての地域づくり実践講座』北樹出版、2018年)、「東海第二原発と県民投票:潰された条例、残る希望」(『世界』2020年11月号、岩波書店)。▶VOICE and VOTE https://www.facebook.com/VOICEnVOTE
【近日刊行予定の徳田さんの著書】
▶佐藤嘉幸・徳田太郎著『いばらき原発県民投票:議会審議を検証する』(読書人ブックレット、2021年2月刊)
▶徳田太郎・鈴木まり子著『ソーシャル・ファシリテーション: 「ともに社会をつくる関係」を育む技法』(北樹出版、2021年2月刊)
特典つき先行予約受付中 https://peraichi.com/landing_pages/view/socialfacilitation
(インタビュー・写真 佐藤慧)
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