2020年10月25日(日)、福島県大熊町の木村紀夫さんが主催する大熊未来塾の第4回が実施されました。テーマは「どうする福一原発」。福一原発とは、東京電力福島第一原子力発電所の略称として使われている言葉です。経済産業省資源エネルギー庁の木野正登(きの・まさと)さんをゲストに迎えて、事故を起こした福一原発の現状と今後について、語り合う時間となりました。木野さんは、2011年3月20日に初めて福島県を訪れたそうです。以来9年半、福島に携わり続け、現在は、福一原発の廃炉に関する仕事を行っています。
今考えたい3つのこと
今回の配信では、木村さんが福一原発を視察した時の写真と共に、内部で見てきたことを語ってくださいました。
▶︎ 福島第一原発内部の現状について詳しく知りたい方は、佐藤慧、安田菜津紀が取材したこちらの記事をご覧ください。
今回の配信を通じて、「考えたい」と私が思ったことが3つあります。
1つ目は、原発の安全神話についてです。福一原発事故を報じる際に、「想定外」という言葉が多く用いられました。原発では「絶対」事故は起きないと思われていたのです。
2つ目は「トイレなきマンション」に例えられることもある、原子力発電のあり方についてです。原子力発電を行うと、「核のごみ」(原発から出る高レベル放射性廃棄物)が出ます。「核のごみ」は、原発で使った核燃料からプルトニウムなどを取り出す再処理の過程で出る廃液をガラスなどで固めた物などを指します。使用済み核燃料の最終的な処分の仕方が決まらないまま、稼働され、事故が起きてしまったことと、中間貯蔵施設について考えます。
3つ目は、これからのエネルギー供給についてです。原発事故前は、原子力によるエネルギー供給が全体の11.2%を占めていました(*1)。現在日本国内では、徐々に原発の再稼働が始まっています。日本のエネルギー供給の今後について考える時が来ていると感じます。
*1 資源エネルギー庁(2020)「2020—日本が抱えているエネルギー問題(前編)」
「絶対」はないということ
木野さんは、「福一原発事故を契機に、原子力について大学で学んだ自分自身にも、事故は起こらないだろうという安全神話があったことに気づかされました」と語ります。
福一原発事故の前にも、世界で原発の事故はありました。1979年のスリーマイル島原発事故や、1986年のチェルノブイリ原発事故です。「チェルノブイリ原発事故は、『日本の原発とは仕組みが違う』と専門的な説明を聞くと、『そうか、日本の原発ではこういうことは起きないんだな』と思っていました。スリーマイル島原発事故は、原子力発電の仕組みというよりは、ヒューマンエラーで起きたものです。日本はしっかりやっているから大丈夫だと思って、危機感を抱くことはありませんでした」と、木野さんは打ち明けます。木村さんは、「原発の近くに暮らしてきた私も、事故はチェルノブイリだから起きたという認識でした。事故は日本ではありえない、と思っていました」と話します。
「事故を起こした原発とは型が違うから」「日本ではきちんと管理されているから」といって、日本の原発にも潜在的に含まれる事故のリスクから目を背け続けた結果、「津波の想定の甘さ」というヒューマンエラーが原因のひとつとなり、福島第一原発事故が起こってしまったと考えることもできます。今、日本国内で、事故後に作られた新たな基準のもと、福一原発とは仕組みが異なる原発が再稼働されています。「絶対事故は起こらない」ということはない、という福一原発の教訓を基に、改めて原発の在り方を話し合う必要があるのではないでしょうか。
「トイレなきマンション」の原発政策
中間貯蔵施設とは、福島県内の除染に伴い発生した除去土壌を貯蔵する施設です。現在、東京電力福島第一原子力発電所を取り囲む形で、大熊町・双葉町におかれています。1400万㎥という膨大な量の土や廃棄物を運び込む計画で、2020年10月時点で6~7割が埋まっています。しかし、最終処分の方法や最終処分場の決定は進んでいないのが現状です。木野さんは「最後の処分をどうするのかという点まで考えていなかったツケが回ってきていると思います」と話します。
原発事故による放射性廃棄物の問題は、日本特有の問題ですが、「核のごみ」の最終処分は、世界各国が直面する課題です。原子力発電を今後も続けるのであれば、「核のごみ」問題は避けて通れません。
▶︎ 関連ニュース
2020年11月、「核のごみ」の最終処分場の選定のための文献調査(3段階中1段階目)が北海道の寿都町と神恵内村で始まりました。処分を実施するNUMO=原子力発電環境整備機構は、2年程度かけて地質に関する学会や国の研究機関からの報告書や学術論文などを集めて、付近に活断層や火山がないかなどを調べることにしています。(参考:「核のごみ」最終処分場選定 文献調査 北海道の2自治体で開始/NHK NEWS WEB)
木村さんは、「このような現状の中での再稼働は、自分にとっては考えられない」と話します。「私は、家族を津波で亡くしました。特に次女はなかなか見つからない中で、海ではなく、陸の上から見つかりました。次女が津波で亡くなったのか、置き去りにされてしまったことが原因で亡くなったのか、今となっては判断できません。どちらの可能性もあります。もしかしたら、次の日に探していれば、生きていたかもしれません。原発が事故を起こすとそういう状況を生んでしまうんです」
▶︎ 木村さんの次女・汐凪さんについては、こちらの記事をご覧ください。
誰に責任があるのか曖昧な原発事故によって捜索ができなかった、という拭えない後悔をする人が今後出ないようにするためにも、原発の運用と安全性について再考する必要があるのではないでしょうか。
これからのエネルギーを考える
木野さんは「エネルギーは必要だが、他の選択肢はないのか」と問いかけます。「原子力発電は、事故が起こらない状態であれば、比較的安いエネルギーです。電気を安く作るという経済性の問題があるからこそ、原発を止められないと考えられます」。つまり、原子力によるエネルギー供給を停止し、他のエネルギーで代替するとなると、電気料金が高くなることが想定されるのです。これについて、木村さんは「個人的な考えですが、電気料金は高くてもいいんじゃないでしょうか。電気が贅沢なものになれば、節電にもつながるかもしれません」と語りました。私たち一人ひとりが、どのようなエネルギーによる電力供給がよいのかを考え、議論することが必要だと感じました。
一人ひとりが向き合う
原発の仕組みや安全性について深く考えるには、専門的な知識が必要な部分もあるのは事実です。でも「私は専門家じゃないから分からない」と諦めるのではなく、「核のごみ」問題や日本のエネルギー政策に一人ひとりが関心を持つことが大切ではないでしょうか。仮に原発を減らしたら電力が足りなくなるというのなら、どのように消費電力を減らしていくか、生活のちょっとした工夫で変えていくという選択肢があってもいいかもしれません。
東京電力福島第一原発事故を、「福島」の問題で片付けず、日本、ひいては世界のエネルギー問題や原発のあり方を含めた視点から一人ひとりが見つめ直すことが、事故から10年たった今、求められているのかもしれません。
(2021.1.29/文 Dialogue for Peopleインターン 塚原千智 ・ 校正 佐藤慧)
塚原千智(つかはら・ちさと)
Dialogue for peopleインターン。2016年、安田菜津紀と行く東北スタディツアーに参加。以後、東北に数回足を運び、現在は大学のサークル活動の一環で、大熊町での聞き書き活動も行う。
あわせて読みたい
■ 原発廃炉の今 ―僕たちは未来に何を残すのか?― [2020.12.27/佐藤慧]
■ 【取材レポート】大熊未来塾 ~もうひとつの福島再生を考える~[2020.6.12/佐藤慧]
■ 東北スタディツアー2019
■ オンライン東北スタディツアー2021(募集終了)
Dialogue for Peopleの取材や情報発信などの活動は、皆さまからのご寄付によって成り立っています。取材先の方々の「声」を伝えることを通じ、よりよい未来に向けて、共に歩むメディアを目指して。ご支援・ご協力をよろしくお願いします。