For a better world, beyond any borders.境界線を越えた、平和な世界を目指して

Top>News>原発廃炉の今 ―僕たちは未来に何を残すのか?―

News

取材レポート

2020.12.27

原発廃炉の今 ―僕たちは未来に何を残すのか?―

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

田中 えり Eri Tanaka

田中 えりEri Tanaka

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

田中 えり Eri Tanaka

田中 えりEri Tanaka

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

田中 えり Eri Tanaka

田中 えりEri Tanaka

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

田中 えり Eri Tanaka

田中 えりEri Tanaka

2020.12.27

取材レポート #災害・防災 #東北 #安田菜津紀 #佐藤慧

2020年12月10日、廃炉作業の続く東京電力福島第一原子力発電所を視察した。僕たちが同行したのは経済産業省資源エネルギー庁、廃炉・汚染水対策官の木野正登(きの・まさと)さん。木野さんは廃炉事業に携わる傍ら、中々報じられることもない原発敷地内の様子を、より多くの人に正確に知ってほしいという思いから、数人単位のグループを案内する視察ツアーを続けている。ツアーを始めたのは今年からと、新型コロナウイルスの渦中でのことだったが、それでもすでに全国各地から訪れた80組以上の人々を案内しているという。今回の記事では、その視察の模様を改めて振り返ってみたい。
 

5号機の原子炉格納容器内。

不可視の脅威に晒された土地

いつ雫が落ちてきてもおかしくない、どんよりとした空模様だった。木野さんと合流した福島県沿岸の街、富岡町は、ソメイヨシノの桜のトンネルが有名な観光名所となっているが、東日本大震災後、東京電力福島第一原子力発電所(以下福島第一原発)の事故の影響により、一部の地域が避難指示解除されたものの、いまだ町内全域の避難指示解除は実現していない。

レンタカーから木野さんの車に移り、福島第一原発を目指す。富岡町を北に抜けると、この数年何度も足を運んでいる大熊町へと差し掛かる。大熊町は、震災後初めてこの地を訪れた僕にとって、木村紀夫さんの娘、汐凪(ゆうな)さんの眠る地だった。

2011年3月11日地震発生当時、小学1年生だった汐凪さんは、小学校での授業を終え、隣の児童館で遊んでいた。木村さんの父、王太朗(わたろう)さんが児童館へ駆け付けたが、いったん海の側の自宅に引き返すという王太郎さんの車に汐凪さんも乗り込み、そのまま行方不明となった。翌12日には原発事故により木村さんも避難を余儀なくされ捜索を断念。その後王太朗さんと妻の深雪さんが遺体となって発見されたが、汐凪さんの遺体は見つからなかった。

それから数年、限られた一時帰宅の時間を使って汐凪さんの遺骨を探し続ける木村さんが、泥だらけのマフラーから、小さな首の骨を見つけたのは、2016年11月のことだった。それからさらに4年という月日が流れているが、いまだ大部分の遺骨は見つかっていない。


東日本大震災により被災した街々は、程度の差はあれ、それぞれに困難は抱えつつもインフラ整備が進み、新たな街の中心部が形成されつつある。しかし津波被害だけではなく、「放射線」という目に見えない脅威に晒された地域は、そうした時の流れから打ち捨てられたかのように、ただ、朽ちて行く家屋と生い茂る緑だけが、その年月の重みを物語っていた。 

大熊町。立入の規制されている駅前の街中をキツネが歩いていた。

「きちんと知って、考えて欲しい」

午前10時半頃、福島第一原発の敷地内駐車場に車を止め、事務棟へと歩いて行く。7階建ての建物の壁には、その巨大な壁面とは不釣り合いなほど小さな窓が2つ備え付けられているだけだった。「放射線の影響を極力減らすように、このような構造になっています」と、木野さんが説明する。

ちなみに持ち込める荷物は限られており、財布、身分証、メモ帳、ペン、ボイスレコーダー以外のものは置いて来た。カメラも持ち込めなかったが、経済産業省の所有する小型のデジカメを借りて撮影することは可能だ。基本的には、どこを撮影しても構わないとのことだが、セキュリティ上外部に公開できないものもあり、写真は視察後に全てチェックされ、外に持ち出せない写真は削除される。

ちなみに木野さんのガイドによる視察ではなく、東京電力のメディアセンターを通じた「取材」であれば、自分たちの機材も持ち込めるということだが、「原発賛成・反対といった二項対立ではなく、まずはここにある現実をきちんと知って、考えて欲しい」というスタンスで視察ツアーを続ける木野さんに連れてきて頂くことに、大切な意味があると思いこちらを選択した。

▶木村紀夫さんと木野正登さんによる対談はこちら
大熊Zoom配信第4回「どうする、福一原発?」 (大熊未来塾~もうひとつの福島再生を考える~)

  

視察準備

入構するにはまず、空港の出入国審査場のようなゲートを通る。そこで事前申請していた書類と身分証明書を照合し、右手中指の静脈を登録する。その後ふたつのゲートをくぐり、無事入構。その時点ではまだ、コロナ対策の自前のマスクをしているだけで、普段着の状態だ。ちなみにゲートには他にも東京電力による視察ツアーで訪れた人々が入れ代わり立ち代わりやってくる。こうした視察ツアーは毎日行われており、年間2万人ほどが訪れているという(一般公募は行っていない)。

先へ進むと、ロッカーの立ち並ぶ巨大な空間が現れる。作業員の方々がここで着替えをし、現場へと向かうらしい。僕たちもこの部屋に備え付けられた棚から、手袋(布製×1、ビニール製×2)、靴下×3、カバーオール(上下の繋がった白いつなぎ)×1、帽子、ポケットのついたチョッキなどを一通り揃える。壁一面が靴箱になっている長い廊下を通り、途中で靴を脱ぐ。

その後ホールボディカウンターによる検査を受け、体内に存在する放射性物質の数値を計測する。これは主に内部被曝の検査に用いる機器で、入構直後の状態と視察後の数値を見比べることで、吸引などによる内部被ばくの危険性がないかを確かめるものだ。この棟には作業員の休憩所や食堂も備え付けられており、作業員の方々はシフト制で24時間絶え間なく出入りを繰り返している。医師、救急車も非常時に備え常に待機している。作業員のほとんどは男性だが、放射線量管理など、バックヤードの職場には女性もいるようだ。

検査後、個人線量計(積算線量計)が何百と並ぶ部屋で、それぞれの計器を受け取る。3時間程度の視察による被ばく量は約40マイクロシーベルト(以下μSv)程度だという。厚生労働省の定める基準として、一般的な人が浴びてもよいとされる「人工放射線量」の基準は 1ミリシーベルト(以下mSv)=1,000μSv/年以下、福島第一原発の作業員のための独自基準では20mSv=20,000μSv/年以下なので、それと比べると非常に微量であることがわかる。もちろん、低線量被ばくの影響については未解明の部分も多いため、こうした数値について、自分の頭できちんと考えることも必要だ。ちなみに胸部X線 CT スキャンの1回あたりの被ばく量は約7mSvということだ。

▶ベクレル(Bq)とシーベルト(Sv)
人体が放射性物質の出す「放射線」にさらされることを「被ばく」という。「放射線」を示す単位としてはベクレル(Bq)とシーベルト(Sv)が用いられるが、放射性物質が「放射線を出す」能力を示す単位がBq、そうした放射線により人体がどれぐらい影響を受けるかと示す単位がSvとなる。たとえ同じ「1Bq」の放射性物質でも、その種類によって人体が影響を受ける量=Svは大きく異なる。環境省の資料によると、日本で暮らす人間が「自然放射線」により被ばくする量は、約2.1mSv。

(環境省 「第2章 放射線による被ばく 2.5 身の回りの放射線」)

3.11以前は線量計を持っている人など稀だっただろう。写真は筆者の私物。

「ALPS」処理水

施設の用意する長靴を履き、サージカルマスクや防塵マスク(全面のガスマスクのようなもの)、ヘルメットを受け取り外に出る。チョッキには入構許可証と個人線量計を入れるポケットが着いており、男性は胸部、女性は腹部(子宮)での線量を測るようになっている。

車を待つ間、木野さんにより汚染水処理についてお話を伺う。木野さんが手にしている透明のボトルには、多核種除去設備「ALPS(アルプス)」により処理された汚染水、「ALPS処理水」が入っている。見た目は無色透明だ。処理する前の高濃度汚染水は、1リットルにつき、セシウム137が1,900万Bq、ストロンチウム90が700万Bq含まれている。これを「ALPS」で処理することで、セシウムは「N.D.(不検出=0.13Bq未満)」となり、ストロンチウム90も「N.D.(0.07Bq未満)」となる。一方、62種類の放射性物質を取り除くことができる「ALPS」でも、トリチウムと呼ばれる水素の「放射性同位体」は一切取り除くことはできない。木野さんが手に持つボトルの中には33万Bqのトリチウムが入っているという。

そのボトルにガンマ線を測定する線量計を近づける。トリチウムはベータ線しか発さないため、この線量計では検知できない。これはセシウムなど、他の放射性核種が入っているか否かを確かめる実験だ。同時に取り出したのが「ラジウムボール」、ラジウム温泉を楽しむための入浴剤だ。一般に売られているものだが、これもラジウム線という放射線を微量に放出している。ちなみにその実験を行った屋外の空間線量は0.16μSv/hだった。

さっそく線量計で測ってみると、ラジウムボールは約2μSv/hの放射線を放っている。一方、「ALPS処理水」に機器を近づけても空間線量以上には反応しない。「ALPS」で処理することによって、「人体に有害なガンマ線を検出できないレベルまで高濃度汚染水の放射性物質を除去することができる」ということがこの実験でわかる。

ただ、これはあくまでガンマ線を計測する実験であり、前述のとおりボトルの中のトリチウムは33万Bqという放射線を放出しているはずだ。しかしトリチウムのベータ線は非常に弱く、わずか紙1枚でも遮ることができ、空気中でも5mm、水中や人体組織内では0.005mmしか進むことができないという。トリチウムは水素の仲間であり、地球上のどこにでも存在していること、半減期は12年で、口から体内に入っても溜まることなく排出されること、そうした基礎的情報は僕も耳にしたことがある。とはいえ、こうした説明を聞いても、やはり目に見えないものというのはどこか不気味だ。

そもそも僕は、放射性物質というものを正しく理解するほどの知識を持っていない。そうした知識を社会全体で意識的に獲得していかない以上、放射線と健康リスクに関する議論は、ただ「信じる」か「信じないか」という感情論、もしくは思考停止に陥らざるを得ないのではないか。
 

線量計を「ALPS処理水」に近づける木野さん(右)。

放射性廃棄物はどこへ?

いよいよ本格的に構内を見て回ることになるのだが、原発1~4号機を見下ろせる高台に向かう道中には、無数の巨大なタンクが並んでいる。「ALPS処理水」の入ったタンクだ。

「現在(2020年12月10日)1,050基、124万トンの処理水が溜まっています。1基につき1,000~1,300トン保管できます(小さいもので700トン、大きいもので2,900トンのタンクがある)。処理水は最終的には海洋放出により処理されることになりますが、この処理水を保存している“タンクそのもの”をどのように処理するのかということは、まだまだ非常に難しい問題です。タンクの金属自体が放射性廃棄物になってしまうんですね。これらを最終的にどのように処分するのかといったことは、当面の問題に対処することで精いっぱいで、まだ少しずつしか議論が進んでいません」

2013年の8月には、現在は使われていない「ボルト締めのフランジ型タンク」から300トンの高濃度汚染水が漏れるという事故が発生した。そのため地面に染み込んだ高濃度汚染水を回収すべく、1,000トン以上の土を掘削し、その汚染土は別途タンクに保管されている。

周囲のタンクに入っているのは「ALPS処理水」だが、処理をするといっても、放射性物質が無に帰するわけではない。「ALPS」のフィルターには高濃度の放射性物質が溜まり続けることになり、このフィルターの処理も簡単なことではない。現在1,400体(個体の数で数える―1体は畳1畳分ほどの大きさ)のフィルターが構内で保管されているが、これも月に1体のペースで増えて行く。現状、構内で保管し、コンクリートで遮蔽している状態だが、最終的にどのように処理するかは見通しが立っていない。

増え続ける処理水に対し、タンクを増設することで、2020年末までに137万トンの容量を確保する見通しだ。2020年12月10日現在の容量にプラス13万トンということだが、処理水は年に5~6万トンのペースで増え続けている。2022年の夏~秋ごろには増設したタンクも満杯になる。ちなみにタンク建造費はひとつ1億円だという。

※敷地内にはタンク増設可能な未使用地があり、処理水の海洋放出に踏み切るにはまだ若干の猶予が残されているとの指摘もある。

12月17日時点で、敷地内には1,061基のタンクが並んでいる。

80メートル先のメルトダウン

車を止め、1~4号機を見わたせる高台へ登る。さすがに線量は高く、0.1mSv/h(100μSv/h)という数値が、備え付けられた電光掲示板に表示されている。構内視察の被ばく上限が100μSvなので、ここに1時間立っているだけで、その上限を超えてしまうことになる。しかしそれでも、最大2Sv/h(2,000mSv/h)の放射線を放っている1号機から、わずか80メートル程度離れるだけでこれほど線量が下がるということに理解が追い付かない。放射線の強さは「距離の2乗に反比例(※)」し、また、空気が遮蔽物として機能するという知識はあっても、目の前に今まさに廃炉作業中の原発がそびえたっていると、線量の「見えなさ」というものがどれだけやっかいなものか、改めて痛感する。

(※)距離の2乗に反比例
当然ながら、逆算(放射性物質に近づく)してこの法則をあてはめたら無限に細分化された直線上で無限に2乗が繰り返されてしまうので、これは放射性物質からある程度離れている場合に成り立つ法則となる。

福一原発の敷地と原子炉の配置図。

1号機は、今でも鉄骨が剥き出しとなったままだ。その右、建屋が壊れていないのが2号機、かまぼこ状の屋根が新規に取り付けられているのが3号機で、その奥に見えるのが4号機だ。爆発したのは1・3・4号機、一方「メルトダウン(※)」したのは1・2・3号機となる。5・6号機はやや離れたところに立地しており、津波による被害は受けたが電源喪失は免れた。

(※)メルトダウン
核燃料が水から露出すると、冷却されずに過熱して溶け始める。経済産業省原子力安全・保安院は、溶けた燃料が原子炉下部に落ちることを「メルトダウン」と定義。

事故後3号機で発生したメルトダウンにより水素が発生、3・4号機は排気筒で繋がっており、そこから水素が流入し、3・4号機の建屋はともに爆発することになる。一方2号機は、メルトダウンは起こしたものの爆発していない。1号機の建屋が爆発したときの衝撃で、2号機の最上階にあるパネルが偶然開き圧力が低下、爆発を免れたのだという。
 

正面に見えるのが1号機。奥にはすぐ側に海が見える。

廃炉のための3つの作業

廃炉作業は、「使用済み核燃料の取り出し」「燃料デブリの取り出し」「汚染水対策」と、大きく3つに分けることができる。まずは「使用済み核燃料の取り出し」の状況を説明頂いた。

4号機はメルトダウンを起こしていないため、線量も低く作業も比較的順調に進んだ。2014年12月には、使用済燃料プールにあった1,535体の核燃料を建屋外に取り出し終えている。現在作業が行われているのは3号機だ。2019年4月から使用済燃料プールからの燃料取り出し作業が開始されており、566体の燃料の内、434体が既に取り出されている(2020年12月10日時点)。計画では2021年3月までに全て取り出し終えるという。
 

燃料取り出しの続く3号機。

難関が1・2号機だ。2号機はメルトダウンしているため、内部の線量が非常に高く、現在でも最上階の部分で140mSv/hという状況のため、とても人間が近づくことはできない。現在の計画では2024年度から核燃料の取り出し作業を開始する見込みだ。

1号機は最も状況が酷く、事故から10年近く経った今も上層部に瓦礫が積もっている。その瓦礫の真下が使用済み燃料プールのため、まずはその瓦礫を撤去することから始めなければならない。瓦礫の撤去のために、まずは周囲を覆う「カバー」を建設する必要があり、作業開始は最速でも2027年度からとなる。つまり、核燃料を取り出す「準備」自体にまだ7年近くかかるということだ。

次は「燃料デブリの取り出し」の状況について説明を伺う。1~3号機の燃料デブリ(※)の合計は880トンに上るが、再来年から取り出しを計画しているのは試験的に採取する「数グラム」に過ぎない。デブリの取り出しには、原子炉の外から狭い隙間を通して伸ばす「ロボットアーム」が必要不可欠だが、現存するロボットアームでは「数グラム」の重さにしか耐えられないのだ。これを数百グラム、数キログラムと、より重いデブリを取り出せるようなロボットアームを開発できなければ、880トンものデブリを取り出すには気の遠くなるような年月を要することになる。

(※)燃料デブリ
事故により原子炉が過熱、溶融した核燃料が溶け落ち、原子炉の構造物など、他の金属やコンクリートなど、様々な物質と溶け合ったものが冷えて固まったもの。ひとことで「燃料デブリ」といっても、その大きさや構成物は千差万別であり、それが作業をより困難なものとしている。

最後の「汚染水対策」だが、主な対策として、各号機の敷地を囲むように地下に「凍土壁」がめぐらされている。地下水が敷地内に入ってしまうと汚染されてしまうため、新たな地下水の流入を防ぐ対策が不可欠なのだ。周囲1.5キロメートルをぐるりと囲む銀色のパイプには、マイナス30度の冷媒(塩化カルシウム)が流れている。そのパイプには1メートル間隔で地下30メートルのパイプが垂直に伸びており、これにより地中の水分が氷結し、氷の塊が成長、隣の氷柱と結合し、巨大な氷の壁が地中に築かれるのだ。

「以前は1日約540トンの汚染水が発生していましたが、凍土壁を含めた様々なこうした汚染水対策により、今は1日あたり130トンに抑えられています。1/4まで減らすことはできたのですが、凍土壁の構造上、敷地内部に降る雨など、完全に汚染水の発生を防ぐことはできません」
 

原発のコスト

1・2号機、3・4号機、5・6号機はともにふたつでひとつの中央操作室により管理されている。人員コスト削減のための設計だが、平常時はそれでよくとも、事故が発生すると途端に人員不足となるという欠点もある。経済的コストと安全面のリスクというものは、常にどこかでせめぎ合っているものかもしれないが、事故の与える影響を考えると、そうしたコスト削減についても見直すことが必要だろう。

経済産業省資源エネルギー庁のウェブサイトには『資源エネルギー庁がお答えします!~原発についてよくある3つの質問』というコーナーがあるが、そこで下記のような質問に答えている。

Q3.福島第一原発の事故処理や、「核のゴミ」の問題など、原発はコストがかさむと思います。本当に「安い」と言えるのでしょうか。

「事故の処理費用が今の予測よりも増えれば、原発のコストも変わるのではないか?」などの指摘もあります。2015年におこなったコスト計算では、そのような場合も想定し、「廃炉」「賠償」「除染」「中間貯蔵」といった事故処理費用などのコストが増えると原発のコストはどのように変わるかという分析もおこなっています。具体的には、仮に福島原発事故の処理費用が10兆円増加した場合でも、発電コストへの影響は、キロアットアワー当たり0.1~0.3円の増加という計算になるのです。

(資源エネルギー庁がお答えします!~原発についてよくある3つの質問)
※「キロアットアワー」は原文ママ、おそらく「キロワットアワー」の誤り

すべてのコストを盛り込んで計算しても、事故処理の費用がさらに増えてしまった場合でも、「それでも原発はなお安い」ということがこのページには書かれているが、100年単位の事業となる最終処分の仕方すら決まっていなかったり、現在の技術では取り出す見通しの立っていない燃料デブリがあったりしながら、本当に正確な試算ができるものなのだろうか。また、当然ながらこうした試算には数値化することのできない「悲しみ」や「郷愁」「命」などは含まれていない。

福島第一原発事故後、試算の客観性と透明性は向上したものの、発電原価に不確実性の高い社会的費用が加算されるようになったこと、また、福島第一原発事故後の客観的データが乏しいこと、原子力政策の方向性が不透明なことから、試算値の不確実性はむしろ高まった。

『発電コスト試算の経緯―原子力発電の経済性をめぐる議論―』
(国立国会図書館調査及び立法考査局)

「事故後福島第一原発でも、安全面改善のための投資が行われました。そのコストはやはり相当な額にのぼります。海外では再生可能エネルギーの導入が進んでいますが、それはそちらの方が単純にコストが安いという理由もあるんですね。日本の場合はまだそこに十分な開発・投資をしてこなかったぶん、再生可能エネルギーの方が割高なんですよね。これがもっと普及し、メリットが大きくなれば、日本でも再生可能エネルギーの導入が進むのではないかと思います」

菅義偉首相は所信表明演説で「温室効果ガス排出量を2050年までに実質ゼロとする」と宣言、それにより日本の基本的なエネルギー政策の方針となる「エネルギー基本計画」が抜本的に見直されようとしている。果たして30年後の日本では、どのようなエネルギーが主流となっているのだろう。


 

磐城飛行場跡地

その後、この敷地が「磐城飛行場」の跡地だったことを示す石碑にも案内して頂いたが、今回の記事では割愛するので下記を参照頂きたい。ちなみにその場所は「G(グリーン)ゾーン」と呼ばれる区域内で、サージカルマスクとヘルメットの着用が義務付けられている。ゾーンはその他に、防塵マスク(全面/半面)とカバーオールの着用が必要な「Y(イエロー)ゾーン」、その上にさらにアノラックと呼ばれる服を着こみ、全面マスクの着用が必要な「R(レッド)ゾーン」に分けられている。ちなみに先ほど1~4号機を臨んだ高台は、そうした装備の要らない最も安全な場所となっている。「放射線の強さではなく、放射性物質の“舞い上がり方”によるんですよね。粉塵を吸い込み内部被ばくをするということを避けるための装備なんです」。


 

原子炉の中心へ

この日の締め括りは5号機原子炉格納容器内の視察となる。これは通常の東京電力による視察ツアーでは滅多に行けない貴重な体験ということで、実際に原子炉の真上、そして真下の制御棒のある空間にお連れ頂く。入り組んだ廊下を進み、計器類がびっしりと並んだ壁のすき間を歩いて行く。奥の区域に進むたびに長靴を履き替えた。長靴から抜いた足は、決して元のゾーンに降ろしてはいけない。わずかな粉塵をも外に出さないためだ。幾重ものこうしたゲートや防火扉を越えていくと、やがて体育館のように天井の高い空間に出る。

「5号機は2~4号機と同じタイプの原子炉なので、ここを見れば他の号機の参考になると思います。1・3・4号機で吹き飛んだのはこの最上階のフロアですね」
 

5号機の最上階のフロア。左奥に見える金属製のパネルが2号機で開いたもの。

天井を見上げると耐荷重100トンと書かれた巨大なクレーンがぶら下がっている。1号機の上に積み重なっていた瓦礫は、このクレーンの残骸とのことだ。「では原子炉の真上に行ってみましょう」と、腰の高さぐらいの仕切り板についた扉を開け、巨大な円状の鉄板の上へと歩を進める。「ここが原子炉の真上です」。
 

5号機の原子炉の真上に立つ。

真上とはいっても、何重もの蓋で区切られているため、原子炉稼働中であってもここは安全だという。そしてその横には「燃料プール」がある。実際に原子炉を動かすには、このプールに眠っている燃料を引き上げ原子炉に移すのだが、すべて水中作業で行わなければ、使用済み燃料のものすごい放射線で人が被ばくをしてしまう。水中に揺らめく核燃料は、とてもそんな凶暴な放射線を発するものには見えない。

それぞれ15センチ角で長さ4メートル、ここには1,500~1,600本の核燃料が保管されている。その大半は使用済み核燃料だ。プールの深さは12メートルなので、燃料上端からは8メートルの水で遮られている。この水が放射線を遮蔽しているのだ。この状態でここに立つと約1μSv/h程度だが、もし水がなかったら数百~数千Sv/hの放射線を浴びることとなり、その瞬間即死する。

「使用前の燃料というのはほとんど放射線を出さないので、仮に抱きついたとしても問題ありません。使用済みの方がはるかに放射線を出すので、抱きついたら死んでしまいます」
 

冷却中の核燃料。大半は使用済みのものであり、高熱を放っている。

5号機(2~4号機も同型)は535体の核燃料を炉心に入れ稼働させる。1年に1度、そのうちの約1/4の燃料を交換するので、4年ですべての燃料が入れ替わることになる。4年を経過した使用済み燃料はこのプールで保管され、その後福島第一原発の敷地内にある「共用プール」に移送される。しかし共用プールでの保管可能数は7,000体と限りがあるため、古い燃料は、順次金属製の容器に詰められ「乾式貯蔵」という形で別所に保管されることになる。しかし「乾式貯蔵」を行うには、約18年という長い期間、水中で冷却しなければならない。
 

「高レベル放射性廃棄物」の処分

その後、蒸気を逃がすサプレッションチャンバー、炉心の真下に位置する制御棒のある空間にも案内頂いた。さすがに装備もカバーオールに全面防塵マスク、ビニール手袋も布手袋の上に二重に装着するという厳重なものに変わる。これまで「知識」としては知っていた原発というものが、人間の生み出したとてつもなく巨大で精密な「機械」であるということが、改めて実感として得られたように思う。
 

炉心の真下、制御棒の並ぶ空間。1~3号機では発熱した核燃料がこれらの制御棒も突き抜け、さらに底部も溶かし、燃料デブリとして固まっている。

構内では、度々作業員の方々とすれ違う。そのたびに「お疲れ様です」という挨拶に加え、「ご安全に」という声かけを耳にする。これまで見て来たような状況の中、何か事故が起これば真っ先に命の危険に晒されるのは作業員の方々だ。僕たちの日常生活を支えるエネルギーのために起きた事故で、今も24時間365日、廃炉作業に従事する人々がいることには感謝の念しかない。それと同時に、エネルギーの選択ということにあまりにも無自覚なまま生きて来た自分自身を恥じ入ってしまう。

原子力はかつて、「夢のエネルギー」と言われていた。「核燃料サイクル(※)」さえ完成すれば、無限のエネルギーを得られると思われていた。しかし、2016年12月、そのサイクルのかなめとなる高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉が決まり、その計画は破綻することになる。廃炉が決まったところで、すぐに「もう止めます」と放り投げられるわけではない。こうした原子炉で発生する「高レベル放射性廃棄物」の処分は、世界共通の課題として今も各地で議論が続いている。

(※)核燃料サイクル
使用済み核燃料から、核分裂していないウランや新たに生まれたプルトニウムなどを燃料源として回収、再び原子力発電の燃料に使う構想。しかし仮にこの構想が実現しても「高レベル放射性廃棄物」は生成され続ける。

世界で初めて、かつ唯一の最終処分地として知られるのは、フィンランドのオルキルオトという、人口9,000人程度の小さな島だ。フィンランドで処分地選定が始まったのは1983年、国会に承認されたのは2001年のこと。精密調査後、2015年に最終処分施設の建設が許可され、翌2016年から建設が始まっている。2020年代に操業を開始し、処分が完了するのは2120年の予定だという。今地球上に生きている人々の中で、この処分完了を見届けることのできる人間はほとんどいないだろう。
 

僕たちは未来に何を残すのか?

電気があるのは、あたりまえのことではない。今の社会の形も、けっして完成されたベストなものではない。とかくコストの問題となりがちだが、そもそも「多少危険があっても安いエネルギー」を選ぶのか、「多少高くてもできる限り安全なエネルギー」を選ぶのかといった問題は、科学技術ではなく思想の問題だ。どのようなエネルギー源を選択していくのか。どのようなライフスタイルを選択していくのか。未来は今の選択にかかっている。

人類が初めて手にしたエネルギーは「火」だったと言われている。その後労働力としての家畜を得、水車や風車など、自然の力を利用する方法を発明していく。16世紀には石炭が利用されるようになり、1765年、ワットが蒸気機関を発明、産業革命へと続いていく。1859年、アメリカで石油の採掘技術が発明される。1950年代には中東・アフリカ地域で巨大な油田が発見され、石油は瞬く間に他のエネルギー源に代わり広がっていった。世界初の原子力発電所は、1954年にソビエトで操業を開始したオブニンスク原子力発電所だった。

なぜ人類は、そして日本社会は原発を選んできたのか。僕たち市民はそこから何を得、何を失ってきたのか。そうしたことを考えていかなければ、誰かに判断を任せたまま、無自覚にまた加害者となり、犠牲者となってしまうのではないだろうか。木野さんに福島第一原発をご案内頂いたことで、僕の頭の中には未整理の疑問が次々と湧き上がってきている。

「知らない」ことは恥ではない。けれど「知らない」と気づけたのなら、少しずつでも学んでいけるはずだ。今の世界はあまりにも複雑すぎて、全ての構造を把握している人間など存在しないだろう。しかし、せめて生きていく上で必要不可欠な「エネルギー」について、もっと理解を深め考えることは、誰しもに必要なことではないだろうか。今この瞬間に原発政策を止めたとしても、これから(少なくとも)100年以上の長期に渡り、日本社会は「廃炉」と向き合い続けなければいけないのだから。
 

大熊町、帰還困難区域内に咲く菜の花。

(文 佐藤慧 写真 安田菜津紀・佐藤慧・経済産業省資源エネルギー庁/2020年12月)

 


あわせて読みたい・知りたい

2020年冬特集「それぞれの声が社会をつくる」
民主主義のバージョンアップ ―分極化した島に橋を架ける―[2020.12.24/佐藤慧]
かつての特攻訓練場は、福島第一原発の敷地となった  「捨石塚」が伝えるものとは [2020.7.30/安田菜津紀]
 


「それぞれの声が社会をつくる」

Dialogue for Peopleの取材、情報発信の活動は、皆さまからのご寄付によって成り立っています。2020年冬は「それぞれの声が社会をつくる」と題し、民主主義のアップデートをテーマとした特集を実施中です。一人一人の声を「伝える」ことから「共感」を育み、「対話」を生み出すこの取り組みを支えるため、あたたかなご支援・ご協力をよろしくお願いします。

2020.12.27

取材レポート #災害・防災 #東北 #安田菜津紀 #佐藤慧