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2021.2.24

自然の速度に合わせて生きる―初代ザンビア副大統領の哲学

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

2021.2.24

Report #Sato #Zambia

ザンビア北部、チンサリという街で、「Imiti Ikula Empanga(イミティ・イクラ・エンパンガ)」という現地のNGOを取材したのは、今から10年以上も昔のことになる。そのNGOは、急激に進む森林減少に対して、農村の在り方や教育、植林などを通し、自然を取り戻していこうという活動を行っている。その後ザンビアを訪問する度に、その活動を取材し、ときに一緒に作業に参加させて頂いた。活動の指揮を執るのはチルフィア・カプウェプウェさん。彼女はザンビアの植民地解放闘争の活動家、そして初代ザンビア副大統領となったサイモン・カプウェプウェ氏の娘でもある。

10年前、ザンビアの環境問題に関する取材を日本に持ち帰ってきても、「それと日本にどんな関係があるの?」と、なかなか発表に結びつかなかった記憶がある。しかし環境保全の重要性、限りある資源・エネルギーとどう向き合っていくかといったことは、どこか一国や一地域の問題ではなく、「地球規模で考えていくべき問題」だという意識は、今後ますます高まっていくだろう。あらためて、サイモン氏からチルフィアさん、そして次世代へと繋がる「自然との共生の哲学」を振り返ってみたい。
 

種子は次世代へと恵みを繋いでいく希望。

銅はいずれ枯渇する

アフリカ南部、ザンビア共和国。日本の2倍の国土に、人口1,800万弱と、広大な土地に比べ人口は少なく、人の住まない土地には、野生動物たちの闊歩する大自然が広がっている。チルフィアさんはこれまで、外交官として長年ナミビアや中国で働いてきたが、2000年代初頭に帰国した際、その自然が急激に姿を消していることに驚いたという。特に、成木になるまで何十年もかかる木々の減少が著しい。

チルフィアさんは、故郷チンサリに帰ると、そうした自然を守るためのNGO、「Imiti Ikula Empanga」を設立した。その名は地元のベンバ語の格言に由来している。日本語にすると、「今日育つ木々が、明日の森をつくる」といった意味になる。これは単に森のことを指しているだけではなく、今日を生きる若い世代が、次世代を築いていくという意味でもあると、チルフィアさんは教えてくれた。
 

自身でも毎日畑仕事を行うチルフィアさん。

チンサリは、ザンビアの初代大統領ケネス・カウンダ氏、そしてチルフィアさんの父であり、初代副大統領であるサイモン・カプウェプウェ氏の故郷でもある。サイモン氏はザンビア独立当時(1964年)から、ザンビアの農業国としての可能性を見つめていたが、カウンダ氏は、世界最大級の銅鉱床こそがザンビアの強みであるとし、その輸出に頼るモノカルチャー経済を推し進めていった。

1972年、次第に独裁色を強めるカウンダ氏は、自身の政党以外の活動を禁止、一党独裁政治を行うようになる。カウンダ氏と対立を深めていたサイモン氏は、「銅はいずれ枯渇する、しかし豊かな大地は、共に生きていけばなくならない」という言葉を残し、政界を去った。自然を一方的に搾取する構造が、いずれこの国のバランスを崩してしまう危険性を見抜いていたのだ。
 

「哲学者」という愛称で呼ばれていた故・サイモン氏の肖像。

急激に姿を消した森

政権はその後、人口増による食糧需要の急増に備え、トウモロコシ(メイズ)の栽培を推進、化学肥料購入の助成金制度などを導入していった。もともとキャッサバをメインに多様な農作物を生産していたチンサリでも、トウモロコシの栽培が主流となっていった。

しかしその後、銅の国際取引価格が急落、経済状況が悪化してくると、化学肥料の価格も高騰し、肥料を買えなくなった農村では、トウモロコシの栽培をあきらめるようになっていく。しかし、長年化学肥料を用い、トウモロコシだけを育てていた土地では、かつてのように多様な農産物を育てることが難しくなっていた。自分たちの食糧ですら自給自足出来なくなった農村では、新たな現金収入を「森」に求めることとなる。

アフリカ東南部の多くの地域では、「木炭」が家庭における主要なエネルギー源となっている。比較的森林が豊富で価格の安いザンビアの木炭は、国境を越えて近隣諸国に持ち運ばれ、高値で売られていくことになった。

ザンビアの森林は国の法律によって守られており、違法な伐採、国外への売却は取り締まられている。が、それは表向きであり、現金収入を必要とする農民たちは、背に腹を変えられるわけがなく、政府の取り締まりに怯えながらも森林の伐採を続けた。国境では賄賂が蔓延り、金さえ払えば木炭の密輸も黙認された。
 

木炭のために伐採された森。

ドラム缶ほどの大きさの木炭一袋で300円。それが国境を越えてタンザニア、ケニアに至ると1500円ほどになる。遥かナイジェリアなどの北西アフリカ、海を越えてサウジアラビアに行くと5000円以上になる(いずれも2010~14年当時)と、違法に木炭を販売するトラックドライバーが教えてくれた。木炭を作るに適した木は生長が遅く、80年から、ときに200年かけて成木となるものもある。しかし、その伐採には5分とかからない。森が減ると、地下水の流れが変わり、小川が細くなった。すると小川の周辺の生態系が変わり、草花や虫が減った。虫が姿を消すと、果樹も弱り、森はますます枯れていった。チンサリの森は、急激に姿を消していった。
 

自然の速度に合わせて生きる

そんな地域で活動を開始したのが、Imiti Ikula Empangaだった。罰則による取締りでは森は守れない。農民たちは生きる手段を探しており、森を打算的に消費していく以外の新たな道を求めている。チルフィアさんたちが求める新しい道、それは昔からの知恵を復興させようというものだった。

もともとトウモロコシの単一栽培を始める前までは、この地では沢山の種類の野菜や果物が栽培されており、特に主食のキャッサバは、肥料も要らずに元気に育つ。燃料には木炭を使わず、森を歩いてみつける枯れ木や小さな枝を使って火を起こした。
 

収穫できたキャッサバを見せてくれる村長。

多くの種類の作物を育てることにより、冷害や雨の少ない年でも、安定して食料を確保出来る。地域内でマーケットを形成することで収入も安定する。さらに、農村の新たな収入源を確保するため、養蜂や、淡水魚の育成にも着手した。牛乳から作った発酵飲料は立派な商品にもなる。様々な苗木を育て、新しい食物の栽培にも力を入れている。
 

淡水魚を養殖するための池。

地域の小学校では、20年、30年後を見越して、生徒ひとりひとりが1本の松の木を与えられ、毎朝水をあげている。森の育成がいかに大変か、いかに大切なものかを実感してもらう教育だ。森が切られると、小川の水が枯れてくる―こうした因果関係もきっちりと説明することで、みなで一致して持続可能な社会を作ろうとしている。

チンサリの丘の上では、故サイモン氏の墓標が村を見下ろしている。政治の世界から引退したあと、彼はこの地の森作りに尽力してきたのだ。かつて嘲笑された彼の哲学は、いまやこの地で多くの作物を実らせている。

齢70を迎えるチルフィア氏は、いまも精力的に農村を周り、明日の森をつくる木々を育てている。「木々を伐採して木炭をつくることが悪いわけではありません。自然が成長・回復する速度に、人間が合わせることが必要なのです。みんなでここに豊かな自然を取り戻したい。父は丘の上から見ていますから」。
 

チンサリの子どもたち。

(2021.2.24/写真・文 佐藤慧)


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