「難民」という言葉を聞くと、みなさんはどのような人々を思い浮かべるだろうか。近年だと、地中海を渡り、ヨーロッパ各国を目指す中東からの避難民の姿を思い浮かべる人が多いかもしれない。ここ数年、イラク、シリアの人々の取材をすることが多いが、今現在置かれている過酷な状況を聞かせてもらうだけではなく、かつての平穏だった日々の話を聞かせてもらうことが多々ある。空気の澄んだ朝、近所のパン屋さんと交わす何気ない挨拶。子どもたちを学校に見送り、市場で井戸端会議をするお母さんたち。地平線の見える草原でサッカーをする子どもたちや、日没とともにシーシャ(水たばこ)と椅子を玄関先に持ち出し、談笑したり、ドミノに興じる男性たち。中東らしい細い三日月の下で奏でる伝統の弦楽器。食べきれないほどお皿に盛りつけられる香ばしい食卓。そこには「日常」があり、その当時誰もが、いずれ自分が「難民」になるなんて思いもしなかったという。
イラク北部、クルディスタンで水たばこを嗜む男性たち。難民となった人々から、よくそんなありきたりの平穏な日常の話を聞いた。
SUGIZOさんが難民の方々と会いたいとヨルダンにやってきたのは2016年の3月のことだった。以前から難民関係の取材をしていた僕は、共通の友人であるラジオDJの武村貴世子さんを通じてSUGIZOさんとお話させて頂いたことがあり、その訪問に同行させてもらえることとなった。著名なミュージシャンとしてではなく、あくまでひとりの人間として、難民という境遇に陥ったそれぞれの人と会いたいというSUGIZOさんは、楽器も持たず、単身現地にやってきた。しかし日本を発つ直前、難民キャンプ側からの要望で、ぜひ演奏をして欲しいということとなり、現地で楽器を用意しなければということとなった。SUGIZOさんは、ヨルダンに暮らしていた成田英幸さんに急遽ヴァイオリンを借り、僕は当時ヨルダンでシリア人難民支援を続けていたシリア支援団体『サダーカ』の田村雅文さんの家に転がっていたアコースティックギターを貸して頂いた。現在JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)の現地職員としてイラクに駐在している斉藤亮平さんがキーボードを担当することとなり、ここに難民キャンプの演奏をメインとする特殊なバンド、『ババガヌージュ』が誕生したのである。ちなみにババガヌージュとは中東料理の一種の茄子のペーストで、SUGIZOさんが好んで食べたことからその名をバンド名へと拝借した。
衣食住という、人間が生活を営むための最低限のものですら満足に揃っていない難民キャンプの日々の中で、果たして音楽というものはどのように受け入れられるのだろうか。元々NGOでアフリカはザンビアの奥地でコミュニティ支援活動をしていたことのある僕は、このライヴが、単に外部からやってきた人間のエゴになってしまわないかと心配だった。音楽は確かに素晴らしい。人間の営みには欠かせない大切な文化だと思っている。しかし、未来の生活がまるで見えない人々にとって、それは本当に必要なものなのだろうか。その時間、お金を使って、何か他の支援をしたほうが役に立つのではないか。様々な思いが脳裏をよぎる。
荒野の中に突如現れる平然と並んだプレハブがアズラック難民キャンプだ。
ババガヌージュ初のライヴ会場となったのは、アズラック難民キャンプという、シリアの戦乱から逃れてきた人々が暮らすキャンプの、野外集会場のようなところだった。撮影も兼ねていた僕は、ギターと一緒にカメラも肩にかけて演奏に臨んだ。キーボードに備え付けのスピーカー以外、ギターもヴァイオリンも生音での演奏だった。「生音でも音が遠くまで届くように」と、SUGIZOさんはいつものスタイルよりもヴァイオリンを縦に構える。
わずか数曲の演奏だったが、曲が終わるごとに、演奏よりも遥かに大きな声援が沸き上がる。踊りだす人々、人をかきわけて最前列までやってくる子どもたち。ライヴが終わっても人々は去らず、僕らが言葉を介さないことも気にせず話しかけてくる。歌を歌いだす男性もいる。手振り、身振りとその瞳から、この時間、空間を心から楽しんでくれたことが伝わってくる。そうだ、彼らも僕と変わらないのだ。「難民だから」、「生活が苦しいから」と、勝手な線引きをしていたのは僕のほうではないか。音楽が好きな人間は、いつだって音楽が必要なのだ。もちろん、それを誰にでも押し付けるわけにはいかない。音楽を聴きたくない人もいれば、外からやってくる人間に気分を害する人もいるだろう。でも少なくともここは、無理やり人を集めた場ではない。音楽を聴きたい人(日本人を見たいという好奇心もあったかもしれないが)が、自分たちで選んでやってきているのだ。だとしたら、音楽の可能性を疑ったりせず、ともに心から楽しんで演奏するのが、僕らにできる最大のことだろう。
柵で区切られたステージに流れ込みそうな子どもたちとSUGIZOさん。
その後訪れた家族のテントでは、シリアでアラビア語教師をしていたムハンマドさんの伝統楽器と、SUGIZOさんとのセッションが始まった。どんなメロディでも即座に返すSUGIZOさんの感性と技術に、ムハンマドさんは嬉しさと驚きの入り混じった表情を浮かべる。言葉も交わさずに心が通じていくふたりの様子を見ていると、改めて音楽の「境界線を越える力」に感動する。「今の生活では満足にお茶も出せないけれど、いつかシリアに戻ったらおいしいコーヒーをご馳走したい。シリアが平和になったら、絶対遊びに来てくれよ」。そう約束を交わし、キャンプを後にした。現在、少しずつシリアへの帰還が進んでいるが、依然として状況は不安定だ。いつかその約束を果たせるときが来ることを心から楽しみにしている(その後のライヴの様子はこちらのレポートを参照してください)。キャンプ内でのアレンジをしてくれたUNHCRや、調整にあたってくれた国連UNHCR協会のみなさん、現地でそれぞれの活動を続ける友人たち。多くの人の力を借りて実現した夢のような時間だった。
SUGIZOさんとのセッションを楽しむムハンマドさん。
短い滞在だったが、ほかにも戦争負傷者の方を訪ねたり、都市部に暮らす難民の方々のお話を伺ったりと、戦争の生み出した過酷な現実も多く目にしてきた。人間というものは、なぜ愚かにも日常というものを自ら破壊してしまうのだろう。それを一部の権力を持つ人間や、無限の成長を求める経済システムのせいにすることは簡単だが、きっとそれだけでは問題は解決しないと思う。人間はいつの間にか、「奪い合う」ことに慣れすぎてしまってはいないだろうか。それをあまりにも当然のことと思い、日常を破壊され、難民となる人々がこの世界にいることを、どこか「仕方のないこと」だと思っている自分がいないだろうか。「奪い合う」ことよりも、「分かち合う」ことに喜びと希望を見いだせるようになれば、世界の構造は自ずと変わっていくのではないか。言語も文化も、国籍も、あらゆる境界線を越えて響く音楽は、そんな未来が存在しうることを語り続けているように思えてならない。
子どもたちに境界線など関係ない。憎しみによる断裂ではなく、喜びによる邂逅が明日をつくるのではないか。
(2019.7.13/写真・文 佐藤慧)
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現在、SUGIZO氏、NPO法人JIM-NET、認定NPO法人国境なき子どもたち、Dialogue for People協働による「BABAGANOUJ PROJECT 2019 中東音楽交流」のご支援を募集しております!詳しくはこちらをご覧ください!!
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