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Reports

2021.11.9

「“⽇常”への変化とSNS」 D4Pメディア発信者集中講座2021課題作品 ⾦滉基

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

2021.11.9

#media2021


 

——「あ、マスクつけるの忘れてた!」
35℃を超える猛暑でもマスクは欠かせない。
私はどちらかというとマスクは嫌いな方ではない。ただ、それは寒い季節の話。
いくら私でも“普通の”夏であれば、つけることはない。
ただ、汗が噴き出す夏にも、欠かせないものになってしまった。

2019年から始まり、今日に至るまでも猛威を振るい続ける新型コロナウイルス。
ウイルスそのものが脅威であることは紛れもない事実だ。
何人もの命を奪い、残されたしまった愛する人を悲しみの底へと追いやった。

しかし、ウイルスは人命を奪っただけではない。
当たり前を壊し、“日常”を大きく変えた。マスクの着用はその典型的な例だろう。
以前までは“非日常”であると思っていたものさえ、時間が流れるにつれ、人はいつしか徐々に“日常”のなかに溶け込ます。

そしてこのような“非日常”が“日常”へと姿を変えるのは“慣れた”時である。
 

 

——「許せない!あり得ない!」
今日も私の心の中には、抗いの言葉が響き渡る。
Twitter上で目にした在日コリアンへのヘイト。
「祖国へ帰れ」「在日いらない」
幸いにも、直接的な言葉として浴びせられた経験はない。
しかし、それよりも恐ろしいのは、匿名であること、場所に関係なく浴びうること、隣に座る人かもしれないということ。もちろんこれらが全てではない。

そして何よりも恐ろしいのは、幾度となく浴びせられた言葉が私たちを“慣れ”させてしまっているかもしれないということである。
“慣れ“は、非日常的なものを徐々に“日常”へと変える働きをする。
現実世界での直接的な冷たい視線のみならず、SNS上においても目にする排外的な言葉によって、どこにいてもヘイトと接し得る状況が生じる。それが結果的に“慣れ”へと繋がり、ヘイトが“日常”となり得るのである。
 

 

このような“慣れ”が、在日コリアンに限った話ではないことは、容易に想像ができるだろう。多くの人がSNSにおける繋がりを持ち、自由に発信することが可能になった現代。離れていても誰とでも意思疎通を取ることができる、人類の大発明ともいえよう。

しかしそれらは、不特定多数の人々を傷つける攻撃性を持つ“武器”へと変わり得る危険性を孕む。
このような文言は、SNSを扱う際の負の面を指摘する常套句として繰り返し叫ばれてきた。
しかし、このような批判があるなかで“武器”は消え去っただろうか。
“正義”の名の下に、匿名の仮面を被った者たちがその“武器”を振りかざす有り様は変わっていないだろう。

そして、危害が加えられる。
 

 

しかし私は諦めることはない。
非日常が“日常”になることに対し抗い続け、声をあげることが“慣れ”への唯一の抵抗であると考える。
なぜなら、“日常”へと変化する波は、絶えず私たちのもとへ流れてきているからである。

そして、沈黙するということは、消極的な同意にもなる。
閉塞的な社会に一石投じることが自分自身の、そして周りの人々を変えることになるだろう。
その点で、SNSでの発信は大きな意味を持つのではないだろうか。

SNSは意見を戦わせる場にも、心の拠り所にもなるからである。
 

 

今まで、SNS上における“加害者”と“抵抗者”という構図で話を進めてきた。
もちろん、発信したもの全てを、“加害”と“抵抗”とに二分できるわけではない。人はそれぞれ自分の立場があり、加害者”と“抵抗者”というのはその人を形成するアイデンティティの一部でしかないのである。
しかし、だからと言って“武器”を振りかざすことが許されてはならないだろう。

「誰かを傷つけるかもしれない」
どのような立場からの発信であっても、自身の発信が誰かの“慣れ”を作り出さないためにも、必要なのはこのような“想像力”である。

無関係な人なんていない。
だってそれは私たち、そしてあなたが住む世界で起きていることだから。

(⾦滉基)

「“⽇常”への変化と SNS」

    私は、コロナ禍でのマスク生活を例に挙げ、非日常的なものが「日常」へと変わっていく様を、自身のルーツがSNSにおいて攻撃された経験をもとに写真を添えて作品を作りました。
    併せて、その「日常」が「慣れ」から始まるということも伝えました。
    その「慣れ」が、自分が攻撃されていることすら「日常」であると錯覚してしまったというのが私の経験です。そこで、社会へ疑問を投げかけることが「慣れ」への抵抗であるとし、特にSNSでの発信が「慣れ」に加担しないよう、他者に対する「想像力」を働かせるべきだというメッセージを込めました。

 

    • ▶︎形式: 写真・文章
    ▶︎対象:日本においてSNSを使用する全ての人(狭めるとすればSNS利用が活発であると思われる若年層)

 


    こちらは、D4Pメディア発信者集中講座2021の参加者課題作品です。全国各地から参加した若者世代(18~25歳)に講座の締めくくりとして、自身の気になるテーマについて、それを他者に伝える作品を提出していただきました。
     

 
 

2021.11.9

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