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窓の外の若葉について考えている D4Pメディア発信者集中講座2021講座レポート 美平真聲

 今回の講座の中で、一番印象的だったのは、初回の荻上チキさんが仰った、”メディア論におけるメディアとは人と人の間のコミュニケーションの媒体であるものであり、全てはメディアである”という部分だ。

 これがひどくしっかりと自分の腑に落ちたのは、人々の行動もメディアだと私は常々考えているからだ。だから、この文章を書くこともメディアであり、私がどういう人間か、文章の中身だけではなく、課題に対して、今自分が置かれている状況において、どのように対応しているかもメディアで、そこには正解や不正解はない。その代わり、私がどういう人間であるかを他者に伝えることはする。

 この講座を受講している期間中に、具合を崩していた祖母の容態が悪化し、亡くなった。葬儀が終わった今も、落ち着かなくて、とりあえず書けそうなことを書く。

 こんな状態でいることも、私と彼女の関係や私の感情の働き方を語るメディアなのだろうと思う。

 今回の講座を通して、私は私というメディアであることから逃れられない限り、自らをメディアとして、行動や態度で語ることに意識的であろうと改めて思った。例えば、何をどこで消費するのか。どのように自分の持ちうる財や能力や権力を使うのか。

 自分が実際にメディアを生業とするのかはまだ定かではないものの、私は、私というメディアを通して誰かの考えに一石を投じる存在でありたい。社会は大きく変わりつつあり、いろんな問題が山積みである。多くの問題はその構造が似通っているし、相互に影響し合うものがあると私は捉えている。例えば環境問題は環境の問題だけではなく、経済の問題でもあり、政治の問題でもあり、社会構造の問題でもある。そして社会問題は、一見大きな他人事のように思われても、全ての人の日常に必ず接点がある。だから、誰かが今社会で起きていることに向き合ったり、考えを深めていったりするときに、たとえそれがささやかなものであったとしても、変化の波紋を呼ぶ一石で日々ありたい。

 そこまでは今までに繰り返し考えてきたことであり、容易く辿り着けるのに、今はそこより先に思考が上手く回らない。論理だけではなく自分の琴線を確かめながらするような思考に、かなしみと受容による疲弊からか思うように浸れない日々が続いている。

 そんな時間を過ごしている今の自分にとっては、日々の中で、できる限りのベストな選択を重ねて、自分の信念に基づき、真摯に行動することが自分にとっての発信なのかもしれないと思う。そうすることが、いつか自分が、なにかを能動的に発信していこうとするときに、人々とつながることを助けてくれると信じて。

 祖母が体調を崩してから、私は彼女の回復を願い、信じ続けた。そして、谷川俊太郎さんの”これが私の優しさです”という詩についてずっと考えていた。

窓の外の若葉について考えていいですか
そのむこうの青空について考えても?
永遠と虚無について考えていいですか
あなたが死にかけているときに
あなたが死にかけているときに
あなたについて考えないでいいですか
あなたから遠く遠くはなれて
生きている恋人のことを考えても?
それがあなたを考えることにつながる
とそう信じてもいいですか
それほど強くなっていいですか
あなたのおかげで
「これが私の優しさです」 谷川俊太郎

引用:谷川俊太郎 (1993). これが私の優しさです 集英社

 私は彼女がベッドに横たわり、苦しそうな呼吸を繰り返すのと同じ瞬間に、窓の外の若葉について考え、その向こうの青空について考えていた。彼女から離れた場所で、永遠と虚無について考えていた。彼女が危篤のとき、泣きながらも仕事も勉強をやめなかった。彼女を悼みながらも、私は親族の中で排他的であったり、差別的な発言が聞こえる度に、誰にも取り合われない抵抗をした。彼女だけを考えることができたらよかったのに、(これはおそらく幸せなことではあるものの)いつのまにかわたしの世界はずっとずっと広がっていて、わたしは拒否することもなく彼女以外のことも考えてしまう。それがわたしの強さや優しさなのかはわからない。けれど、それが彼女のおかげである、ということだけは事実だと思う。

 私はそういう人間で、今は、そういう人間というメディアであろうと思う。

(美平真聲)


    こちらは、D4Pメディア発信者集中講座2021の参加者課題作品です。全国各地から参加した若者世代(18~25歳)に講座の締めくくりとして、自身の気になるテーマについて、それを他者に伝える作品を提出していただきました。

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