描いた女性狙撃兵たちは「自分たちと無縁の存在ではない」―『同志少女よ、敵を撃て』作者、逢坂冬馬さんインタビュー
4月6日、2022年本屋大賞の受賞作が発表され、逢坂冬馬(あいさか・とうま)さんのデビュー作『同志少女よ、敵を撃て』が大賞に選ばれました。昨年8月に発表されたアガサクリスティー賞では、史上初めて選考委員全員が満点をつけ受賞。その後、直木賞の候補に選出されるなど、今注目を集めている作品です。第二次世界大戦中の、旧ソ連とドイツによる独ソ戦を舞台に、実在した女性狙撃部隊をモデルにして、彼女たちが見つめた戦争とその過酷さを描いています。
作品に込めた思い、そしてロシアによるウクライナ侵攻に思うことなどを、逢坂さんに伺いました。
――小説の舞台になった独ソ戦は、犠牲者3,000万人とも言われています。この厳しい戦争を戦った女性狙撃部隊をモデルに小説を書こうと思われたのはなぜだったのでしょうか。
少なくとも第二次大戦下で組織的に女性兵士を投入していたのはソ連だけなのですが、それほどまでに歴史上突出した存在でありながら、あまり日本の小説の世界では語られない存在でした。語られない存在であるからこそ、語りたいという思いがありました。
――主人公セラフィマをはじめ狙撃兵たちの中には、最初、訓練のために連れてこられた牛を撃つこともできなかった女性もいました。ところがその後、スナイパーとして数十人というドイツ兵を殺害していき、高揚して「戦果」を誇るような場面もありました。こうした繊細な内面の変化に焦点を当てて描こうと思われたのはなぜだったのでしょう。
完成した狙撃兵を最初に提示してしまうと、人を日常的に射殺していく人間として描くことになるので、読者にとって無縁の存在と受け止められてしまうのではと思いました。そうではなく、自分たちと関わりのある存在として描くためにはどうしたらいいのかということを構想していたときに読んだのが、中央女性狙撃兵訓練学校という、旧ソ連に実際にあった学校についての資料でした。その名のとおり女性の狙撃兵だけを専門に育てていた学校で、これに着想を得ました。
そこで訓練を受ける子たちは銃を扱っていたとしても、最初から兵士として完成された内面を持っているわけではありません。読者の視点になってもらうためにも、普通の感情移入可能な価値観を持った主人公として描いていきました。
学校での訓練を経ていざ戦地に行くと、葛藤がありながらも、内面を変革しなければ適合できない状況に置かれます。だからどんどん戦場の論理というものに適合した人間ができあがっていく。こうして段階を踏んで人間の変化を描くことによって、読者と、狙撃兵として描かれる主人公たちを身近な存在にしたいという思惑がありました。
戦争を通じて内面が変わってしまうというのは、描きにくい惨禍でもあったので、そこを描こうと思った次第です。
――具体的にはどういった文献などを手がかりに描いたのでしょうか。
もっとも参考になったのは、この小説の原点でもあるスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさんの「戦争は女の顔をしていない」です。冒頭から女性狙撃兵の話で、徐々に戦争に適合していく人間や、適合してはいるけれど普通の人間の感性をまだ維持している人たちの平時と戦時の境界線上にいるような価値観などが、非常に克明に描かれています。
突如として完成された兵士が出現するのではなく、いろんなものが段階的に変わっていく。そういったものを、あの回想の集大成である本から読み取ることができました。
――逢坂さんご自身のおじいさまの体験に触れたことも大きかったと伺いました。
祖父は1925年に生まれ、海軍機関学校を出て、戦地に行く前に広島の軍港で終戦を迎えたそうです。前はこのぐらいのことしか知らなかったのですが、2005年に戦後60年ということもあり、実際に体験を聞いてみたんです。
軍港だから空襲も受けているし、凄惨な場面も見てきた。祖父の語りから感じたのは、軍隊に行く前と帰ってきてから、あるいは戦争を経験する前と後で、人間の価値観、感性がかなり変化してしまい、それはもう元に戻らないということです。それがこの小説を書く上で、非常に大きな影響を残しています。
戦争体験ではなく、戦争を語る
――小説では、兵士としての任を解かれて、日常に放り出されて途方にくれたり、心身に不調をきたしてしまったりする様など、実際の戦禍が収まった後のことも描いています。
そこには、小説の構造としての意味合いと、現実の戦争をどう捉えるかという2つの問題があるかと思います。
小説の構造としては、読者のテンションだけを考えると、戦争が終わったところでスパッと終わった方が話は早いんです。でも、それでは絶対だめだという思いがあった。なぜかというと、それは戦争を語りきったことにならないからです。
特に兵士にとっての戦争体験というのは、戦後にまたある種の苦しみが始まる。そこで何を苦しみ、そこからいかにして救われていくのかということまでを描かなければ、それは戦争を語ったのではなく、ただ戦争体験を書いたということに留まると思います。
もう1つの問題として、現実の戦争を描くとき、どうしても同じような間違いが見られるということがあります。戦場における報道は関心を集めやすい。しかし、いったん停戦が成立して派手な戦闘がなくなると、そこには注目されなくなってしまう。
日本でも、戦争における精神的な後遺障害に対して、ほとんどまったくと言っていいほど顧みられることがなかったように、戦中とはまた違う苦しみが生み出されても、そこには注目されない。戦争が終わった後も人生は続いていくし、戦争が生み出した苦痛は、戦闘終了をもって終結するわけではないことを伝えたかったのだと思います。
――その中でも女性たちの声がひときわ置き去りになりがちです。
第二次大戦までの戦争において、前線で戦ってきた女性兵士が少なかったことも背景にはありますが、大抵、戦争を物語で描くと、いわゆる「男たちの物語」になってしまう。主人公が誰であるかということのみならず、戦時下の女性の役割がどうなっていくのかということが、あまり注目されていないのではないかと思います。
例えば、女性が前線に出ていなかった国として、ドイツのことに触れていますが、女性は勤労より家にいろと主張していたナチスドイツが、なぜか軍需産業にはひたすらに女性の労働力を投入しはじめたりする。こういったところには、やはり光が当たらない。まだまだ見えてない事象、今回は描けなかったことも含めて、戦争というものから発生するジェンダーの問題は、フィクションでも十分に語られていないと思いました。
――戦時下の性暴力についても描写があります。日本も含め、十分にこうした問題が検証されてきたとはいえません。
それについては若干書いた範疇を超えている面もありますが、例えば「戦場の性」という本がこの小説を書く上でも参考になりました。ドイツ国防軍によるソ連での性犯罪は、前線での乱脈な性犯罪そのものから、スタリグラード編で少し描いた、占領下におけるある種の擬似的な恋愛の形を取るようなものに至るまで、いろいろなものがありました。ところがそれは、ドイツ側からだけではなく、ソ連の側からもあまり追及されなかったんです。ソ連赤軍によるベルリンなどでの性犯罪も、やはりいろいろな事情があって語られない。
もちろんそれは、あまりにも多大な精神的苦痛があり、それらを語り継ぐには辛すぎたということもあると思うんです。それにしても、事態の重大さのわりに語り継がれない。それは戦争に勝利した側から語るにしても、敗北した物語として語るにしても、ものすごく嫌なもとして扱われるからでしょう。
日本の場合、加害者としての性暴力は、語る語らない以前になかったことにしたいという思惑があまりにも強すぎるし、ソ連赤軍の満州における性犯罪は、酷いことがあった、と語られても、実は日本人がその赤軍に女性を差し出していたということが、最近やっと本になったばかりです。(※参考:平井美帆著『ソ連兵へ差し出された娘たち』)こうして敗北した側からしても、非常に惨めなものとして扱われるので、できればなかったことにしたい、という思惑が働いていると僕は思いました。
――本屋大賞受賞式で、この小説に対する「誤読」への懸念にも触れられていました。
誤読を防ぐためのキャラクターの配置など、自分なりにいろいろやったつもりです。ただ、これだけの人が読めば、誤読も必ず含まれることは覚悟しなければならないと思います。
授賞式の質疑応答の中であえてはっきり言ったのは、祖国を守るために武器をとって勇ましく戦え、という話をしているのではない、ということです。今、そういう戦争になってしまったからこそ、明確にそのことは伝えたかった。戦わないことを選んだ人たちも小説には出てきますし、それが間違っていたわけではありません。
遠い昔のことではなく、今に続く問題
――小説の中で主人公セラフィマが、「ロシアとウクライナの友情は永遠に続いていくだろうか」と自らに問いかけるようなシーンがありました。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻をどう受け止めていますか。
あの一文を入れたことが結果的に、ものすごい作用を小説にもたらしてしまったと思っています。執筆の段階では、クリミア半島がロシアに併合された2014年以降のウクライナとロシアの関係を念頭に置いているんですね。
2014年以降の関係の悪化を知っている読者からすれば、その友情が永遠には続かなかったことも、その起点となったのはクリミア半島だということも分かるわけです。つまり、ここで描かれた物語というのは、遠い昔のことではなく、今に続く問題なんだということを、読者の問題意識の中に提示するためにこのパラグラフを書きました。
逆に、2014年以降のロシア・ウクライナ関係から見ると信じられないかもしれませんが、戦後はソ連崩壊後も含めて、友好国としての関係の方がずっと長かったということを伝える意図もありました。
ただ、まさか2022年にもなってロシアがウクライナに侵攻して、国家と国家の全面戦争が始まるなんて予想だにしていませんでした。作品が望まない運命を背負ってしまったと受け止めています。
――ロシアでは報道に対し、非常に厳しい制限が課せられています。戦争とメディアの関係についてはどう見ていますか。
シリアでの戦争のあたりから、戦争とジャーナリズムというものの関わり方がだいぶ変わってきたように思いました。戦争報道の重要性は今でも変わってないと思いますが、以前はいわゆる戦場カメラマンと言われる人たちや特派員の人たちが実際にそこに行って、現地で撮って、それを持ち帰ってニュースにする以外に、ほぼアプローチの方法がありませんでした。
ところがシリアでの戦争あたりから、現場における撮影が飛躍的に市民の手によってなされるようになりました。映像の量はものすごく増えていますが、そこにありとあらゆる思惑が働き、偽造する機会も増えたわけです。提示される情報に対して、本当に慎重に意図を見極めなければならないと思っています。
ウクライナへの軍事侵攻で、当然ながら最も悪質なのはロシア政府による情報操作だと思います。驚くべきことにロシア軍は、東部で住民を保護しながら食料を供給している英雄的な軍隊だということに、ロシアのメディアの中ではなっています。
ただ自分たちが受け取っている情報は、ロシアの意図、あるいはそのプロパガンダ、情報統制から逃れているという前提で見てしまうので、かえってある種の工作に慣れてしまってはいないかという懸念はあります。例えば、ロシア軍が死者の数を大幅に過少に見積もっているということはよく言われますが、よく考えればウクライナ軍がどれだけの損耗を計上しているかも、まったく公開されてもいない。そういった情報の偏りには気をつけたいと思っています。
もう一つ、ウクライナがずっと注目されている間も、シリアやアフガニスタン、イエメン、パレスチナ、あるいやミャンマーでは、絶えず注目されない戦争や軍事独裁政権による苦難がある。なぜここまでの偏りが生じてしまうのかということも、併せて問題意識として持っています。
――本屋大賞は、全国の書店員が今いちばん売りたい本として選んだ本です。読んだ方に、どんなことを考えてもらいたいと思っていますか。
構想の段階から一貫して考えていたのは、読者が自分から切り離して考えることが可能な作りにはしたくない、自分のことのように考えてもらえるように作りたい、ということです。
狙撃兵は特にそうかもしれませんが、人を殺した数は強く可視化されてしまう。そのため、自分とは全く無縁の存在に思えてしまいますが、実はそうではないということを、作品としては問題提起したかった。自分がそこにいたら、戦場と呼ばれる場所に身を置いたら、自分は行動しただろうか、ということを考えながら読んでいただければと思っています。そこから先は、お任せします。
この本を読み、そして逢坂さんのお話を伺ってから、主人公たちが直面した数えきれない不条理を思い返しました。それは、苛烈な戦禍そのものだけではありません。そこには、女性たちが「対等な人間」ではなく、社会の「道具」として扱われる根深い構造が、事あるごとに浮き彫りになる様が描かれていました。
主人公セラフィマは、何のために戦うのかと問われ、「女性を守るために」と答えました。私はシリア北東部で、同じことを答えた、セラフィマと同年代、つまり10代後半のクルド部隊の女性兵士に出会ったことがあります。
今のウクライナで、シリアで、ミャンマーで、アフガニスタンで、セラフィマの時代から80年近くが経った今も、彼女たちが直面した不条理にさらされ続ける人々がいること、それは海の向こうの断絶した世界で起きていることではなく、私たちの足元と地続きであることを忘れずにいたいと思います。
(2022.5.2 / 聞き手 安田菜津紀)
(書き起こし協力 市川啓太)
※この記事は2022年4月15日(金)配信 Amazon Exclusive「JAM THE WORLD – UP CLOSE」を元にしています。
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