「社会保障の権利性を取り戻す裁判に」―生活保護費引き下げ訴訟から(弁護士・小久保哲郎さんインタビュー)
さまざまな理由から生活に困窮する人々に対し、憲法が定める健康で文化的な最低限度の生活を保障する生活保護制度。国は2013年、「物価下落」を引き合いに、生活保護の基準額を引き下げました。この引き下げが、生存権を保障する憲法25条や生活保護法に違反するとして、29都道府県で1000人を超える原告が国を提訴しています。
大阪府の受給者らが引き下げ処分の取り消しなどを求めた訴訟で、1審大阪地裁は引き下げを「違法」としたものの、大阪高裁は2023年4月、受給者側の訴えを退け、逆転敗訴となりました。原告側は最高裁に上告しました。生活保護の基準額引き下げの背景や一連の訴訟を通して見えてきた課題などについて、大阪訴訟弁護団副団長の弁護士小久保哲郎さんにお話を伺いました。
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社会保障費削減の「突破口」にされた生活保護費引き下げ
――生活扶助基準(生活保護基準のうち生活費部分)、いつごろから、どのくらい引き下げられたのでしょうか。
今回の裁判で対象になっているのは、2013年8月から平均6.5%、最大10%、年額にして670億円の引き下げで、これは史上最大の引き下げです。具体的な引き下げ額は、世帯類型によってまちまちですが、特に多人数世帯の子どものいる世帯で大幅な引き下げとなっています。
引き下げ額の例
・夫婦と子2人の世帯 18万6,000円→16万9,000円 2万3,000円減
・母と子1人の世帯 13万9,000円→13万1,000円 8,000円減
・単身高齢世帯 7万3,000円→7万1,000円 2,000円減
2013年の引き下げからすでに10年がたちますが、2015年には住宅扶助や冬季加算も引き下げられました。2018年にも生活扶助本体や母子加算が引き下げられているので、この10年間ずっと引き下げが続いており、生活保護受給世帯の生活はかなり厳しくなっている状況と言えます。
――なぜ生活保護費の基準が引き下げられてしまったのか。その根拠は何なのでしょうか。
現在、社会保障費が削減されてきていますが、生活保護費がその突破口にされたということだと私は思っています。
生活保護は「ナショナルミニマム」(国家が国民に保障する最低限度の生活水準)と言いますが、いろいろな社会保障の基準の下支えとして、低所得者の生活保障の参照基準になっているので、生活保護費を下げれば社会保障全体も下げることができます。また、生活保護受給世帯はいろいろな偏見がある中で暮らしています。ご高齢だったり、障害があったりして、叩いてもあまり抵抗する力がないとみなされ、生活保護費が削減されたと考えられます。
――声の大きな政治家が率先して生活保護に対するバッシングをしてきたことが思い浮かびます。
2012年に人気お笑いタレントの母親が生活保護を受けていたことが報じられました。これは不正受給でも何でもないんですが、そのことを契機に一部の政治家の方がかなりバッシングを扇動し、その後、現にこの引き下げが行われました。
アメリカやイギリスなどでも、福祉改革の前にはそうした生活保護受給者に対するバッシングから福祉削減路線という動きが実際に行われているので、そういうところに学んだ与党の政治家の方々がバッシングを扇動したのではないかと私は考えてます。
「恣意的」な計算によるデフレ調整
――小久保さんが副団長を務められている大阪の訴訟では、地裁は「違法」と判断しました。
2021年2月、一連の裁判で最初の勝訴判決となったのが大阪地裁の「違法」判断でした。この生活保護費引き下げの根拠とされたのが「デフレ調整」です。物価下落率4.78%のデフレがあったことで、その分、生活保護費を下げるというのが国側の理屈でしたが、このデフレ調整の計算の仕方が非常に恣意的だったのです。
ひとつは、2008年という異常な物価高騰があった年を起点にしていて、そこから考えると物価は下がるのが当然ではないかという点です。もうひとつは、この間、特に物価が下落したのは、生活保護世帯があまり買わないテレビやパソコンなどの教養娯楽耐久消費財でしたが、これを一般世帯以上に買っているというあり得ない数値を元に、過大な引き下げを導いているという点です。そうした点に絞り、大阪地裁は「違法」と判断してくれたということになります。
―― 一方で、今年(2023年)4月14日、大阪高裁が出した判決は受給者側の逆転敗訴でした。
過去の老齢加算訴訟という裁判で最高裁の判決が示した「専門的知見との整合性」を裁判所が審査しないといけない、という規範は、今回の裁判でも全ての裁判所が同じように用いているものです。今回の大阪高裁の判決は「確立した専門的知見との矛盾がない限り、違法とは言えない」と独自の高いハードルを掲げて、そのことによってとても広い、ほとんど無限定の厚生労働大臣の裁量を認め、中身に立ち入らなかったという点が特色です。
国側は裁判の中でも、厚生労働大臣や厚生労働省の職員自体に専門性があるので、わざわざ専門家の意見は聞かなくていいと主張を展開してきました。そして、生活保護基準部会という専門家の審議会の意見を全く聞かずにこの大幅な引き下げを行ったという点が、これまでと全く異なる点ですが、その点についても今言ったような理由で、要は専門家の意見を聞かずに、厚生労働大臣が独自に決めてもいいのだと言ってきました。国側の主張はかなり乱暴だと思うのですが、それを裁判所(大阪高裁)がそのまま丸呑みしてしまったということになります。
生活保護の基準額の改定は、生活保護ができてからずっと外部の専門家の意見を聞いた上で行われてきました。今回の大阪高裁の考え方は、専門家の意見を聞かずに独自にやることが許されかねないという点で、非常に危険な問題のある判断だと思ってます。
誤字までコピペした判決文
――大阪高裁の判決の中には「みんな苦しかったんだから」と回収するような文言がありました。
裁判の中で私たちは、生活保護受給世帯にはこの引き下げによって取り返しがつかない様々な被害があったと具体的に訴えてきました。ですがこの判決文では、リーマンショック後に国民全体がいろいろな痛みを感じた、その国民全体の痛みと同質のものだ、と切り捨てていました。結局「みんな苦しんだのだから生活保護受給者も我慢しろ」という話で、これは、生活保護費の基準を下げていくという自民党の政策と同じような考え方です。
――全国29都道府県で起きている今回の訴訟では、各地で判断が分かれています。
※地裁判決19件のうち引き下げを違法としたのが9件、適法としたのが10件(2023年5月12日現在)。
この裁判は、厚生労働大臣、つまり行政の判断が自民党の政策という政治によってゆがめられたとき、司法が法律に基づいて適正に判断することによって、少数者の人権を救えるのかどうかという、三権分立の根幹が問われている裁判だと思います。その中で司法の職責をきちんと果たした裁判所とそうでない裁判所が今のところ半々に拮抗している状況だと思っています。
――国側は裁判の中でどのような主張をしてきたのでしょうか。
もともとこのデフレ調整は、専門家による生活保護基準部会などでも全く審議されずに、引き下げの予算が発表されて初めて分かり、我々も驚きました。その理屈として国側は、デフレで物価が下がったので生活保護受給者の可処分所得――自由に使えるお金が増えたのが根拠だと主張していました。その意味では、生活保護受給者の可処分所得が本当に(物価下落率の)4.78%増えたのかどうかというところがポイントになります。
原告側が勝訴した判決は「そうとは言えない」としていますが、分が悪い状態になった国側は、「デフレ調整は、可処分所得の実質的増加だけでなく、この間、生活状態が低下してきた一般国民の生活との不均衡・不平等の是正も目的である」と、判断の土俵自体を曖昧模糊とした内容にすり替える戦略に出てきています。その戦略を我々は厳しく批判してきたのですが、大阪高裁はまさしくそこに意図的に乗っかったのではないかと私は思っています。
――この一連の裁判では、別々の裁判所の判決文にもかかわらず、文面が非常に似ていて、誤字まで同じということもありました。小久保さんはその点についてどうお感じになりましたか。
私もずっと判決文を見ていて、最初の名古屋地裁の判決とそっくりだなと思っていました。その中で福岡地裁の判決でNHK受信料の「信」の字が「診」という誤字になっているのが目に付いたんですが、その後の9月の京都地裁、11月の金沢地裁の判決でも同じような言い回しの中で同様にNHK受信料の「信」の字が「診」となっていて、誤字までコピペしているということが分かりました。
「誰の顔を見て判決を書くのか」――裁判所の在り方も問う裁判
――ここまでの一連の裁判で、どのような課題が浮き彫りになったとお考えになりますか。
先ほど、三権分立の根幹が問われている裁判だとお話ししましたが、誤字までコピペしていることなんかはまさしく論外です。最初に原告を負かせるという結論を決めて、前の判決をつまみ食いして起案してるからそういうことになるわけです。裁判所は全体として保守的な傾向があると言われていますが、今回の大阪高裁の判決を見て、裁判所が誰のためにあるのか、誰の顔を見て判決を書いてるのだろうと感じました。
生活保護基準に関する裁判は社会保障政策という国策の根幹を問うものです。また、原発訴訟、外国人訴訟なども、共通の問題を抱えていると思います。原発に関する裁判では、最高裁がこの間、ひどい判決(※)を書きました。その背景には、最高裁の裁判官と大手国際渉外事務所の弁護士との人事交流があり、それが判決内容に影響を与えてるのではないかと言われたりもしています。
※原発事故をめぐる集団訴訟では2022年6月、最高裁が国の賠償責任を否定する判断を示した。
大阪高裁の判決を書いた主任裁判官も弁護士から任官した人で、通じるものがあるのではないかと期待していました。ところがその方も大手渉外事務所出身の方で、やはり生活保護を利用する方や、高齢者や障害者の人たちの事件を日常的に扱ったりは、おそらくしていないと思います。「誰に共感をして判決を書くのか」という点で、裁判所の在り方、裁判官の在り方もこの裁判の中で問われているのではないかと思ってます。
引き下げは受給者だけの問題ではない
――生活保護費の引き下げは「一部の人だけの問題」「私には関係ない」と思う人もいるかと思いますが、実は社会のさまざまな制度に影響してくるお話ですよね。
生活保護は、憲法25条の生存権保障を具体化した法律であり、「ナショナルミニマム」ということでいろいろな低所得者向けの制度とも連動しています。例えば、最低賃金は生活保護よりも上回らないといけないとなっていますし、住民税の非課税基準や、地方税、保育料、国民健康保険料などの減免基準も生活保護基準と連動しています。あらゆる低所得者のための施策が生活保護基準と連動しているので、生活保護基準が下がるとそれと連動して、いろいろな低所得者の方も影響を受けます。その意味では、非常に社会に影響があると言えます。
加えて、やはり(生活保護の基準額引き下げは)社会保障費削減の突破口として使われた面があるので、引き下げの後に介護、年金、医療などについても社会保障を削減する方向で制度改革が続いています。
――生活保護制度に対して「受給額をもっと低くすべき」「最低水準で働く労働者の給料より支給額を低くすべき」という声も聞こえてきます。
最低賃金が生活保護よりも低いとか、年金が生活保護よりも低いとか、本当はそちらの方がおかしいわけですよね。だから生活保護の基準を下げることになると、結局引き下げスパイラルになり、回り回ってその他の人たちの生活も地盤沈下していくことになってしまいます。
そうではなくて、生活保護基準はきちんと守った上で、最低保障年金をつくるとか、最低賃金をもっと上げるとか、ベーシックなサービスについてはヨーロッパのように無償で受けられるようにするとか、そういう社会保障全体を底上げするようなことをみんなが考えられるようになったらいいと思っています。
――あらためて、この裁判を通してどんなことを社会に訴えていきたいでしょうか。
どんなに生活が困っても「生活保護だけは受けたくない」という忌避感がすごくある方がいらっしゃいます。この裁判を通じて、生活保護は権利であり、それが下支えする社会保障もやはり権利なんだということを原告の皆さんと一緒に、社会に対しても訴え、そして裁判所にも理解を得て、もう一度、社会保障の権利性を取り戻せるような裁判にしていきたいなと思っています。
(2023.5.23 / 編集 田中えり )
※本記事は2023年5月12日配信のAmazon Exclusive『JAM THE WORLD – UP CLOSE』、「生活保護費の引き下げをめぐる訴訟」を元に編集したものです。
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