“違う存在”だった私が見つけた「ホーム」―イスラエルに生きるアラブ・パレスチナ女性が語る「共生」の意味
「今年はクリスマスを祝うことはできません。ガザで、あんなことが起きている中で……」
イスラエル北部、ナザレの正教受胎告知教会の関係者が、言葉少なに私たちに告げる。2023年12月25日、教会は沈黙の中にあった。時折、地元の人が顔を出しては、ろうそくを灯し、静かに祈りを捧げていく。例年飾られる巨大なクリスマスツリーは組み立てられることなく、カバーに覆われたままだった。敷地内には代わりに小さなツリーが飾られ、「PEACE」「JUSTICE」といった文字が、アラビア語やヘブライ語で散りばめられていた。
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正教受胎告知教会の傍らに置かれた、カバーをかけたままのツリー。(安田菜津紀撮影)
ナザレは8万人近い人口の多くをアラブ・パレスチナ人が占め、イスラエル内の「アラブの中心地」とも言われている。そのうち30%ほどがキリスト教徒とされ、歴史ある教会が立ち並ぶ観光地としても知られるが、スーク(市場)を行きかう人はまばらだった。
イスラエルでは、ガザへの「連帯」を示すようなSNS投稿が、「扇動」などと見なされ、逮捕者が相次いでいる。イスラエル企業で働いていた男性は、SNSのアイコンを、ガザの犠牲者を悼む意味をこめて真っ黒にしただけで「ハマス支持」と見なされ、勤め先から解雇されたと語った。「何のコメントも添えず、ただアイコンの色を変えただけです。どんな投稿に“いいね”を押したかまで監視されていると思うと、何もできなくなってしまう」とため息をつく。
人々から「言葉を発する選択肢」を奪えば、その内にある痛みは可視化されない。この張り詰めた状況下にありながら、なお「共生」の道を探る女性たちの元を訪ねた。
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人気のないナザレの市場で。(安田菜津紀撮影)
広範囲に及ぶ戦争の影響
ナザレから北東に向け車を30分ほど走らせると、工場が立ち並ぶ村の一角にたどり着く。コフル・カナ村に加工場と事務所を構える「ガレリアのシンディアナ」(以下、シンディアナ)は、ユダヤ女性とアラブ・パレスチナ女性が中心となって運営する非営利団体だ。
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シンディアナの加工場・事務所。(安田菜津紀撮影)
特に、イスラエルにおいて平等な機会を得られないアラブ・コミュニティの女性たちを雇用し、彼女たちが継続して働ける場を築いてきた。事務所で出迎えてくれた共同創始者のハダス・ラハブさんは、長らく平和活動家としても活動してきたユダヤ系イスラエル女性だ。
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右がハダスさん、左がナディアさん。(安田菜津紀撮影)
パレスチナの人々にとって、オリーブの木は土地との関りの象徴であり、実から絞られるオイルは、食用から美容品に至るまで、生活の隅々に浸透している。シンディアナではオリーブオイルなどのフェアトレードを手がけ、投資やインフラ、水源へのアクセスなどの面で、構造的に不平等な状況に置かれたアラブ・パレスチナ農家や工場などを支えてきた。仙台に拠点を置く日本の団体「パレスチナ・オリーブ」も、シンディアナと長年、食品などの取引を続けている。品質にこだわったオリーブオイルは、国際コンペでも数々の賞を受賞してきた。現在は伝統工芸品やオリーブ石鹸、はちみつなども扱っている。
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シンディアナが手がけるオリーブオイル。(安田菜津紀撮影)
昨年より続くガザへの侵攻以来、シンディアナの取り組みに落とされた影は色濃いままだ。
オリーブ畑と搾油所を営むナサル・ドラウシェさんは、父の代からシンディアナとの取引を続けている。「せっかくいいオリーブを作っても、いい搾油所がない」と、父が自らの畑のために工場を作り、その後を継いだ。ところが「10月7日」以降、例年ヨルダン川西岸からオリーブの収穫にやってくる労働者たちが、検問を超える許可を得られずにいる。
「人手が足りず、他の農家の畑では、収穫しきれなかったオリーブの実が枝に残ったままだと言います。私たちの工場も、オリーブオイルの生産量は昨年の20%にまで落ち込んでしまいました……」
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搾油所を案内してくれたナセルさん。(安田菜津紀撮影)
「ユダヤ人優位」ではないコミュニティ
占領によって疲弊し続ける西岸から、「10月7日」以前は約15万人がイスラエル側に「出稼ぎ」にきていたとされるが、彼らは軒並み失業状態に追い込まれた。
「シンディアナに関わってきた私たちの関係性は、今起きていることを乗り越えるのに十分な強さがあります。残念なことに、こうした戦争も、複雑な政治的状況も、初めて直面するものではありませんから。ただ、私たちに限らず、経済的な打撃は非常に深刻です」
そう語るのは、シンディアナのビジターセンターで責任者を務めてきた、ナディア・ジオールさんだ。
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インタビューに応じてくれたナディアさん。(安田菜津紀撮影)
「ヨルダン川西岸のパレスチナ人農家たちのオリーブオイルも、果たしてこの状況下で取引ができるのか、危機的な状況にありました。今年は何とか運び入れることができましたが、来年はどうなるのか、不透明です」
シンディアナは政府の支援などは受けず、製品の販売で活動を支えてきたが、オリーブオイルの注文数も減る一方だという。
「西岸で手工芸品を手がけていた女性たちとの取引は止まってしまっています。戦争によって影響を受けている人たちはあまりに広範です」
ビジターセンターも「10月7日」以降、来客がなくなり、ナディアさんもシンディアナでの職を失うことになる。私たちを迎え入れてくれたのは、「ボランティアスタッフとして」だという。
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来訪者のないビジターセンター。(安田菜津紀撮影)
ナディアさんはイスラエル国籍のアラブ・パレスチナ女性だ。1948年のイスラエル建国の過程で故郷を追われた人たちの中には、西岸地区やガザに身を寄せた方もいれば、現在でいうイスラエル領内に避難した人たちもいた。ナディアさんの家族は、後者だった。こうしてイスラエル人に「された」アラブ・パレスチナ人たちは、居住の制限を受け、職業選択の幅も狭められてきた。
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シンディアナのビジターセンター入り口、「民主主義なくしてフェアトレードなし」のスローガン。(安田菜津紀撮影)
ナディアさんのアイデンティティは、複雑な旅をたどってきた。イスラエル国籍者ではあるものの、マジョリティのユダヤ・コミュニティからは「違う存在」と見なされる。17歳の時、「広い世界」を求めナディアさんは一人、家を後にした。未婚のアラブ女性が単身で旅をするのは「普通ではない」と見なされる中で、背中を押してくれたのは、母だった。
ところがその後、イスラエル国籍を持たないアラブ人たちからも、「他者」と見なされる経験を重ねることになる。「“中間”に浮かびながら、ずっと自分の“ホーム”、居場所を求めてきた」というナディアさんが、シンディアナに出会ったのは7年前のことだった。
「アラブの村で、アラビア語を話すユダヤ女性が働いている、と聞いたとき、最初は奇妙に思えました。なぜなら私は日ごろから、アラブ系イスラエル人として、ユダヤ人と働くため、自分を合わせる努力をすることに慣れていたからです」
共同創始者のハダスさんは、自然な形でナディアさんたちとアラビア語で会話をする。「ユダヤ人優位」ではないコミュニティが、そこには築かれていた。
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スタッフ同士でランチの準備。オリーブオイルをたっぷりつかい、ザータルをパンに乗せて焼く「マナキーシュ」を作る。(安田菜津紀撮影)
「シンディアナでは、自分にとって安心できる言語、つまり私の母語であるアラビア語で自分を表現できますが、これはシンディアナの外では普通ではありません。外に出れば、私たちは、誰もが理解できる、“怪しまれない言語”で話すように努力しなければなりません。特に緊張感が漂う戦時中の今日、公共の場でアラビア語を話す私たちを、よく思わない人もいます」
絶望の深淵に落ちていくわけにはいかない
バックグラウンドの異なる者同士が共に働き、その価値を家庭に、コミュニティに、徐々に外へと広げたい、とナディアさんは願ってきた。ところが――。
「10月7日」朝、イスラエル南部に暮らす甥が、泣きながらナディアさんに電話をかけてきた。「爆撃されていて空襲警報が鳴っている。一人でどうしていいか分からない」。時間が経つごとにじわじわと、事の甚大さがナディアさんにも伝わってきた。
「ガザ周辺で何が起こっているのかを理解するのに、そしてパレスチナ系イスラエル人として自分がどのように感じているのかを理解するのに、一週間かかりました。私たちに向けられた視線は、常に私たちに“どっち側なのか”と問うてきているようでした」
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ヨルダン川西岸・ラマッラーに掲げられたバナー。「私たちは“数”ではない」という言葉とともにガザで犠牲となった子どもたちの遺影が並んでいる。(安田菜津紀撮影)
ナディアさんはこれまで、非暴力コミュニケーションのファシリテーターとしても活動をしてきた。「絶望の深淵に落ちていくわけにはいかない」――引き裂かれるような思いを抱きながらも、そう自分に言い聞かせ、行動を起こす。
ナディアさんがまず取り組んだのは、南部から避難してきた人々の中でも、ユダヤ人とアラブ人のカップルや家族、あるいはアフリカから逃れて来た難民など、住居を自ら探すことが困難な人々の支援だった。
その後、ナディアさんは分かち合いの場としてのオンラインスペースを開設する。ユダヤ人とアラブ人、しばらくしてからは他のルーツ・国籍の人々にも場を開き、今でも毎週開催しているという。
「私は参加者に、怒りや痛みといった感情を、他の人を責めたり攻撃したりせずに表現する方法、同じ空間で他者の話に耳を傾ける方法を教えています。たとえ意見が違っても、耳を傾けることはできるのです。この戦時中に、Zoomでの対話の場を持つことは簡単なことではありませんが、それを続けられていることを嬉しく思います」
そんなナディアさんにとって「共生」とは?と問うと、彼女はまっすぐにこう語る。
「イスラエル国内のアラブの村にあるこの小さな場所に、ユダヤ人とアラブ人が毎日やって来て、毎朝喜びを持って一緒に働くという事実です。一緒に座って、一緒に食事をして――そしてそれを強制ではなく、自然な方法で行うことです」
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シンディアナの加工場で働く女性たち。(安田菜津紀撮影)
歴然とそこにある差別を無視し、単に「平和がいいよね」「仲よくしよう」と呼びかけるだけでは、その構造をかえって追認することになってしまう。シンディアナが月日をかけて築いてきた「共生」とは、その不平等を覆す草の根の取り組みだった。
現在の極めてセンシティブな状況下にあるナディアさんが、カメラの前で発言すること自体、覚悟を要することだったはずだ。「外部のサポートが、異なる集団同士の橋を架ける」とナディアさんは強調する。だからこそ、このように思いを発信するのは大切なことなのだと。
各地でイスラエルによる虐殺や占領に加担する商品のボイコット運動が呼びかけられており、歴史を振り返っても、不買運動は不条理に抗う上で重要な役割を果たしてきた。日頃何気なく行う「購買」という行動は、どのような社会を支持したいかという投票行動にもなりえるのだ。だからこそ、シンディアナのように「共生」「平等」といった理念を掲げ続けてきた取り組みを支えることも、「架け橋」を築く上で重要な行動ではないだろうか。
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ナザレの正教受胎告知教会に飾られたツリー。(安田菜津紀撮影)
(2024.1.23 / 安田菜津紀)
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