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【特集】福島 終わらない問い、つなぐ思い ―原発事故と避難を考える

【特集】福島 終わらない問い、つなぐ思い
――原発事故と避難を考える

2011年3月11日に発生した東日本大震災から13年の月日が経とうとしています。複合して起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故は、放射性物質による汚染を引き起こしました。

自宅が避難指示区域に指定され、避難を強いられた人がいます。放射線による健康被害に関する情報が不確かな中、避難指示区域外の場所から避難する/しないの選択を迫られた人がいます。その土地で続いていくはずだった人々の暮らしを、未来を、壊したのが原発事故でした。

それだけの犠牲を生んだ事故を経験しても、日本は、原発再稼働を推し進めています。
福島の原発事故から、私たちは何を学んだのでしょうか。原発事故が社会に投げかけた「問い」に向き合います。

特集コンテンツ

東日本大震災、そして福島第一原発事故から13年となる今、事故と避難について考えるための記事をお届けします。

「国内避難民」としての福島第一原発事故避難者――区域外避難者の人権保障を問う裁判

 2011年3月の福島第一原発事故後に避難指示区域外から避難した人々の「住まいの権利」を求める裁判が続いています。避難する権利、被ばくを避ける権利、自己決定権――。「国内避難民」として守られるべき存在にも関わらず、避難者の人権がないがしろにされ続けているのはなぜでしょうか。

「村を良くしたい」――福島・飯舘村への“恩返し”をこれからも

 飯舘村出身の佐藤聡太さん(31)は「村があって、祖父母がいて、両親がいて、今の自分がいる」と言います。原発事故後の村の移り変わりと、「聡太くん」のこの13年の歩みをみつめました。

あの日、請戸小学校(福島県浪江町)の子どもたちは山へ向かった――“犠牲者ゼロ”は阪神淡路大震災の教訓から

 福島県の海沿いにある「浪江町立請戸小学校」は、東日本大震災で15m超の津波に襲われました。児童たちは先生たちと近くの山へ避難し、全員の命が助かりました。避難がうまくいった背景には、過去の震災の教訓がありました。東日本大震災当時、同校教頭だった森山道弘さんと一緒に、現在は震災遺構となった校舎を訪れました。

原発事故と避難を考えるために

あらためて知りたい・原発事故と避難

そもそも原発事故では何が起こり、どのような人々が避難を余儀なくされていったのでしょうか。あらためて、原発事故と避難について知るためのQ&Aをまとめました。

Q.そもそも福島の原発事故ではどんなことが起きたの?

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)によって発生した津波は、福島県大熊町と双葉町にまたがる東京電力福島第一原子力発電所(以下、福島第一原発)に到達し、設備が浸水しました。全部で6号機ある原子炉のうち、稼働していた1号機から3号機では冷却装置が停止。その後も度重なる揺れと津波の影響で外部電源を喪失し、非常用電源も使えなくなってしまいました。
冷却装置が使えなくなった原子炉では、炉心が溶け出すメルトダウンが起こり、核燃料のカバーなどが溶け、原子炉をおおう建屋の中に水素がたまりました。そのため、3月12日に1号機、14日に3号機、15日には4号機で水素爆発が起こり、放射性物質が大量に空気中に放出されました。4号機の爆発と前後して、格納容器が損傷したとされる2号機からも放射性物質が放出されたとみられています。
放出された放射性物質は周辺の海や、陸地に広がり堆積していきました。被ばくのおそれがある地域にいた人たちは、住んでいた土地を離れ、長期間の避難を余儀なくされることとなりました。

Q.原発事故により、どのような人たちがどのような経緯で避難していったの?

原発事故により、周辺の12市町村に避難指示が出されました。避難指示区域外から避難した人も含めると、避難をした人々は約16万人にのぼりました。福島県内の他の地域へ避難した人も、県外へ避難した人もいます。避難指示は3月11日以降、3km圏内、20km圏内と拡大していきましたが、高い線量が確認された飯館村は当初の避難指示の範囲から外れており、避難指示が出たのは4月22日でした。
事故と放射能の拡散に関する様々な情報が錯綜する中で避難を迫られた人たちの中には、何度も移動しなければいけなかった人や、着の身着のまま避難した人、より線量が高い地域へ移動してしまった人、避難の過程で亡くなった人もいました。
また、避難指示が出された区域外の近隣地域でも避難を選択する人は多くいましたが、避難指示の有無により、避難した人たちへの補償や対応には大きな差が生じました。 国連はすべて「国内避難民」として適切に保護すべきだと指摘しています。
2012年には原子炉が冷却停止状態であることから、住民の帰還に向けた避難区域の再編が行われ、年間積算線量に応じて避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域が設定されました。
その後、避難指示解除準備区域の一部では避難指示の解除が進み、帰還困難区域内に設けられた特定復興再生拠点区域でも、住民の帰還と居住に向けた避難指示の解除が進められています。その一方、避難を続けている人は多くいますが、避難者への住宅提供は打ち切られていきました。

Q.東日本大震災での福島の被害は原発事故だけだったの?

東日本大震災での福島県の被害は、原発事故だけではありませんでした。災害関連死も含め、震災で亡くなった福島県の方は4,170人を数えます。福島県内で3月11日に観測された震度は、6強でした。これにより、福島第一原発がある太平洋沿岸部の南相馬市や相馬市、浪江町では大きな津波の被害がありました。相馬で観測された津波は9.3mにのぼるとされ、陸地を遡上した津波は40m以上だったとも推定されています。原発設計時の想定をはるかに超える津波が襲った地域では、原発事故の影響で避難を迫られたため、行方不明者の捜索にすぐに取りかかることができませんでした。
また、地震による全壊と半壊の住居は合わせて10万棟近くになります。沿岸部の津波の被害だけでなく、内陸部でも土砂崩れや農業用ダムの決壊によって、亡くなられた方がいます。
地震が起きたその日だけではなく、その後の避難での無理な生活や様々な負担などによる「災害関連死」の数は、他県にくらべて福島県で特に多く記録されています。原発事故だけでなく、地震と津波といういくつもの出来事が複合的に重なり、多くの被害が発生しました。


年表:福島第一原発事故後の経緯

参考)
・ふくしま復興状況ポータルサイト
https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/cat01-more.html
https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/kyoten-kuiki.html
・福島県ホームページ
https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16025c/genan491.html

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