2020年6月、東京では都知事選が目前に迫っていた。といっても、駅前の街頭演説に人だかりを作れるような状況ではない。テレビ討論会も開かれず、かろうじて報じられることといえば、各候補のコロナ対策が主だった。
そんな中、投開票日直前のネット番組に出演した現職の小池百合子氏は、「追悼文」の問題について司会者から問われた。毎年9月、関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者を追悼する式典が墨田区横網町公園で開かれている。それに際し、歴代の知事は追悼文を寄せてきた。マイノリティへの差別発言を繰り返してきた、あの石原慎太郎知事でさえ、だ。
ところが小池知事は、2017年からその送付を取りやめている。加えて式典のために必要な横網町公園の使用許可申請の受理を、都は三度にわたって拒否していた。
これを問われた小池氏は、「大きな災害で犠牲になられた方、それに続いて〝様々な事情〟で犠牲になられた方、これらすべての方々に対しての慰霊という気持ちに変わりはない」とうやむやな回答に終始した。
関東大震災後、朝鮮半島や中国にルーツを持つ人々が命を奪われたのは、「自然災害」による死と大きく異なる。当時、「朝鮮人が井戸に毒を入れている」などのデマに流されたのは市井の人々だけではない。警察をはじめ公権力もその扇動に加わり、虐殺が起きたことが明らかになっている。だからこそ公人が、繰り返さないための意思を示す必要があるはずだ。「虐殺」という言葉は用いず、〝様々な事情〟という、実態をあえてぼやかした言い回しをするところに、彼女の歴史認識の一端が表れていた。
結局都知事選は、開票と同時に当確が報じられるほど、小池氏の圧勝だった。
私はこの日、TBSラジオの都知事選特番に出演していた。スタジオで淡々と読み上げられるその速報を聞きながら、「東京を出ようか」という考えが、一瞬頭をよぎった。この街の首長の態度がああなのだ。もしもまた同じ規模の災害が起きたとき、マイノリティをターゲットにした暴力が起きない保証はどこにもない。
これまでも大災害の度に、「朝鮮人が被災地で犯罪をして回っている」といったデマがネット上で飛び交ってきた。東北では実際に、その「外国人犯罪者」を想定した「自警団」まで作られたこともある。
番組本番中にもかかわらず、いつしか私の意識はスタジオを抜け出し、幼い頃の記憶の中に吸い込まれていた。私は父に手を引かれ、銭湯へと続く夕刻の細道を歩いていた。毎日の通学路でもあるその道を父と歩くのは、どこかわくわくとした気持ちになる。
「今日はこれからね、なっちゃんの小学校に行くんだよ」
「学校? 日曜日なのに? どうしてお父さんが行くの?」
「これはね、大事な用事なんだ」
そっと見上げると、日頃は穏やかな表情を浮かべている父が、妙にしんみりとした顔で前を見据えていた。
私が通う小学校が投票所となる度に、父はこうして私を連れて選挙へと出向いた。たくさんの票を得た人が、この国や東京の「リーダー」になる、という漠然とした理解は私にもあり、だからこそ不思議に思っていた。「普段はずぼらで、母から怒られてばかりの父が、どうしてこんなにも熱心に、投票に通うのだろう」と。ずいぶんと後になってから、母は私にこう語った。
「外国人は投票できないでしょ? 日本国籍を取った後、選挙に行けるのがよほど嬉しかったんだろうね」
父は何を一票に託していたのだろう。その思いを確かめる術はもうない。
けれども父は、身を持って知っていたはずだ。この社会に生きながらも、日本国籍ではないために、投票という手段で直接声を届けることがかなわない人たちがいることを。
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フォトジャーナリスト安田菜津紀Natsuki Yasuda
このライターが書いた記事一覧へ1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。
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