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今なぜスポーツのセーフガーディングを学ぶのか―国際ボクシング殿堂入りした藤岡奈穂子さんインタビュー

2023年、後楽園で開かれた引退式で。(安田菜津紀撮影)

2025年12月5日、藤岡奈穂子さんが国際ボクシングの殿堂入りとなったことが発表された。殿堂入りの初代には、モハメド・アリらも名を連ねる。

この2年ほど、藤岡さんの指導の元、ボクシングのトレーニングを続けている。私の体は私が決める――いわば自己決定の一つとして、大事にしている時間だ。経緯はいささか複雑なのだが、はじまりは「家族の縁」だった。

私の父は家族と一切の縁を絶ったまま、私が中学2年生の時に亡くなっている。近年、古い書類をかき集めて家族の歩みをたどってみたところ、戦後間もない頃、祖父がプロボクサーとして活動していた記録を見つけたのだ。

ボクシングとは無縁の人生を送ってきたため、知識が全くない状態から調べていくうちに、藤岡奈穂子さんの映像をネット上で目にし、衝撃を受けた。

2023年9月に引退式を行った藤岡さんは現在、トレーナーとして活動しながら、大学院でスポーツ・マネージメントについて学んでいる。殿堂入りの知らせを受けたときの思いについては、こう語る。

「元々、日本で評価してもらおうとは思っていなくて、世界で評価してもらうために海外で試合をしてきました。現役中はその評価の実感はありませんでしたが、“知っていてくれたんだ”と嬉しかったです」

都内のジムでボクシング指導をする藤岡さん。(安田菜津紀撮影)

日本で評価してもらおうとは思っていなかった――。日本社会にその土壌が乏しいことは、現役中も痛感していた。世界チャンピオンとして、5階級制覇という実績を重ねてきた藤岡さんだが、「ボクシングは男性の競技」といわんばかりに、日本での女子ボクシングの扱いは、男子との格差が歴然とある。対して、アメリカやメキシコで試合をしていれば、「選手として扱われる」という当然の敬意を肌で感じた。

2024年5月、井上尚弥選手が東京ドームでの試合で、ルイス・ネリ選手に勝利をおさめた。メディアでは《日本人初の世界5階級制覇へ》という文言が躍った。しかしその「世界5階級制覇」は、2017年の時点で藤岡さんが達成している。

こうした問題提起をすると、「女子ボクシングは男子に比べて競技人口が少ないから」という言葉がすぐに飛んでくるが、それは実績を「なかったこと」にし、透明化していい理由にはならないはずだ。

スポーツにおけるこうしたジェンダー格差の問題は、ボクシングに限ったものではない。長らく「男性のもの」のように扱われてきた競技に関しては、中身よりも「美しすぎる〇〇」のように、容姿を強調し、表層だけを消費していく記事などがなお目立つ。こうしてアスリート自身が積み上げてきたものが、報道上は無効化されてしまうのだ。

2025年5月、初代シュートボクシング日本女子フライ級チャンピオンの髙橋藍さんと、都内でウェディングパーティーを開催した。しかし同性婚は法制化されておらず、「結婚の自由をすべての人に」訴訟が続いている。

2025年5月、都内で開かれたウェディングパーティーで髙橋さんと。(佐藤慧撮影)

藤岡さんはこれから、スポーツにおけるセーフガーディング(子どもたちがスポーツを安心、安全に楽しむ権利とその環境を守るための取り組み)の研究を進めたいと考えている。そこには、自身のマイノリティ性と向き合ってきたことが関係しているという。

「自分にとってはスポーツが、逃げ場所だったんですよね。そこが唯一の安心できる場所だった。たとえば家庭環境に問題を抱えている子どもたちでも、スポーツが第三の居場所になるかもしれない。でもそこで差別やハラスメントがあったら、その子は居場所がどこにもなくなってしまいますよね」

今も体罰や部活内のいじめのニュースは絶えない。

「個人の“道徳心”に任せるって、さじ加減も違うし、すごく不安定ですよね。荻上チキさんの『いじめを生む教室』(※)からも多くの学びを得ましたし、安全な環境や仕組みそのものを作るのはどうすればいいのかを深めていこうと思っています」

(※)荻上チキ著 『いじめを生む教室 子どもを守るために知っておきたいデータと知識』

現在は「スポーツハラスメントZERO協会」の賛同人にも名を連ねている。将来的には子どもたちがスポーツを通じて学びを得られるアカデミーを作りたいと考えている。

川崎市・桜本の多文化共生施設「ふれあい館」に集う在日コリアンのハルモニたちにも、ボクシングの楽しさを知ってもらおうとミットとグローブを持参した。(安田菜津紀撮影)

スポーツ選手のセカンドキャリアも問題だ。とりわけ女子選手は引退後、「トレーナーになりたい」「ボクシングが好きだから関わり続けたい」という意思があったとしても、国内では選択肢自体が極めて限られ、競技そのものから遠のかざるをえない場合が多い。大学院に進み次の道を目指すことも、「こういう道筋がある、というのを自分が示すことができたら」と語る。

「世界チャンピオンになったとき、自分にはボクシングしかなくて、不安になったんですよ。肩書に押しつぶされるかもしれない、足元すくわれるんじゃないか、と。でも今は学んでいるという足場があるので、殿堂入りの知らせがあっても、動じることはなかったですね」

国際ボクシング殿堂の表彰は2026年6月、米国ニューヨーク州カナストータで行われることになっている。

「“ちゃんと世界は見ていてくれる”という、次に続く人の光になれたらと思っています」

Writerこの記事を書いたのは
Writer
フォトジャーナリスト安田菜津紀Natsuki Yasuda

1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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