
韓国での尹錫悦(ユン・ソンニョル)氏による「非常戒厳」の宣布から、1年が経ちました。この戒厳によって、朝鮮半島の南北分断の問題も浮き彫りになりました。朝鮮半島の問題を歴史的視点から考察している徐台教さんに、国内の分断や南北朝鮮の関係についてうかがいました。

非常戒厳令の衝撃と市民による抵抗
――今日(2025年12月3日)は、韓国で非常戒厳令が出された日からちょうど1年です。この日に特に注目した動きはありましたか?
今日、私が国会の周辺で取材した人たちには、非常戒厳の解除から1年をお祝いする雰囲気がありました。
非常戒厳令の舞台は国会でしたから、国会のあたりで展示などもやっていました。
国会の正門を入ったところに、「民主主義最後の堡塁 大韓民国国会」と刻まれた石碑が置かれています。「堡塁」は砦のことです。これは2025年7月に、国会議員が集まって設置したものです。
今日はその石碑の隣に、巨大なガベル(議長が使う木槌)が置かれ、道行く人が何人も写真を撮っていました。

――今日はお祝いするようなムードがあったのですね。1年前の非常戒厳令の宣布は非常に衝撃的でした。その第一報を受けたときはどのように感じましたか?
嘘だろうと思いました。おそらく韓国の人は99%が嘘だと思ったのではないでしょうか。韓国は政治への風刺が根付いていますから、戒厳令の話も誰かの風刺だろうと考えたのです。
ところがどうやら本当らしいということで、慌ててテレビを点けました。
すぐに国会に行きたいという気持ちもありましたが、そのときは非常戒厳令の宣布文を全訳することを選びました。日本のメディアは細かいことは書かないと経験上わかっていましたから。
ですが、自分もそこに行くべきだったのではないか、宣布文の翻訳は後でもよかったのかと、実は今もずっと悩んでいます。
あの日、結構な数の人たちがすぐに国会に向かいました。日本の記者で国会の敷地内にまで入ったのは2人だけだったので、私も行っておけばよかったのかなと。
――日本語メディアでは詳報が非常に乏しかったので、翻訳してくださったことはとてもありがたかったです。翻訳を終えてから国会前に駆けつけたそうですが、特に市民の動きをどう見ていましたか?
「市民が命を懸けて馬鹿らしい」というようなことを言う人を日本で多く見かけましたが、軍人が約1,500人、警察も約1,500人が国会周辺に投入された状況で、そこに市民がいなかったら非常戒厳は成功してしまっていましたよね。
市民が果たした役割には、2つの意味があります。
ひとつは、実際に市民が国会に来たことで、目撃者となったことです。スマートフォンを用いリアルタイムで発信を行い、非常戒厳の様子が韓国社会でよりクリアに共有されました。
もうひとつは、国会を封鎖するために戒厳軍として国会に投入された兵士たちが、市民が抵抗している姿を見て、自分たちが間違っているのではないかと思い始めたことです。
市民の動きだけではなく、軍の中にも市民への暴力をやめるなど自制した軍の現場司令官がいましたし、国会議員の秘書官と国会職員は力を合わせバリケードを作りました。このような動きの全てがいい方向に重なって、間一髪で非常戒厳が解除されました。
――日本の一部の政治家からは、韓国の状況を指して、「だから日本にも緊急事態条項が必要なんだ」というような声が上がりました。このような発言についてはどのように考えますか?
どの方向を向いているのかな、と思います。
普通だったら、権力の特例を設けることは危険だからがんじがらめにすべきだと思うはずなのですが、韓国の状況を見て緊急事態条項が必要だというのは、論理として全く合っていないですよね。
政府が市民を弾圧する暴力の歴史
――尹錫悦氏の非常戒厳令の宣布と南北分断の関係はどのように捉えていますか?
宣布文では、北朝鮮に操られている「反国家団体」が国会を乗っ取っていることが、非常戒厳の建前とされていました。この「反国家団体」とは野党のことです。
後になってから「不正選挙があった」などいろいろな理由がつけられましたが、非常戒厳の宣布をしたときに言われた理由は「共産勢力の脅威から自由大韓民国を守る」というものでした。
なぜかというと、これが韓国で一番説得力を持つ論理だからです。
――尹氏のものも含め、韓国では戒厳令が過去に17回宣布されています。これまでの戒厳令についても教えてください。
韓国で最初に出された戒厳令は、自分に反対する者に「アカ」つまり共産主義者だとレッテルを貼る装置でした。
韓国政府が樹立した翌年、1949年10月21日に1回目の戒厳令が宣布されました。麗水(よす)という都市で軍が反乱を起こした際に宣布され、約1万人の住民が政府に殺されました。麗水・順天事件と呼ばれます。
この軍の反乱は、韓国政府樹立と同年に起こった済州島四・三事件への抗議として起こりました。
済州島四・三事件では、南側の単独選挙に反対した南朝鮮労働党という地域政党の人たちが反乱を起こし、それを鎮圧する過程で済州島の人口20万のうち約3万人が亡くなりました。その90%以上は政府による虐殺でした。
南北対立、つまり資本主義と共産主義の体制の対立がある中で、少しでも政府に不満を持つ者に「共産主義」というレッテルを貼り、生殺与奪を時の権力者が握るための装置として戒厳令は出発したのです。
その後も戒厳令は、時の権力者により、社会を統制し反対勢力を弾圧するための「伝家の宝刀」のように使われてきました。
尹錫悦氏は執拗に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にドローンを飛ばし、戦争を誘発することで、「戦時」という非常戒厳の要件を満たそうとしたとされます。
政治的に対立する勢力を除去するため南北の衝突さえ辞さない姿勢は、完全に常軌を逸していますが、最も本質的に戒厳を利用したケースとして歴史に残るでしょう。

――政府による市民の弾圧には、日本の治安維持法を継承する形で作られた国家保安法の影響があるとご指摘されていますね。国家保安法はその成立過程で、共産主義者だけに適用されると主張されていたそうですが、実際はどうなのでしょうか。
実際は恣意的に運用されてきました。今の日本でも、スパイ防止法は「スパイだけに適用される」と言われることがありますが、権力者は法律をそのように運用しません。
1948年8月の韓国政府樹立と、同年9月の朝鮮民主主義人民共和国政府の樹立以来、今日までずっと南北が分断したまま対立関係にあります。
韓国のことわざに「鼻にかけたら鼻輪、耳にかけたら耳輪」というものがあり、伸び縮みしてどうとでも適用できるものを指します。
国家保安法はそのように恣意的に運用できる法律です。昔だったら、「国家保安法があるのはおかしい」と記事に書いただけで、北側のスパイと疑われて拷問を受けることになります。
そういうことが、1970年代には在日コリアンに対して非常に多く行われました。
そのように疑われるとなると怖くなって、少しでも北朝鮮に利するようなことを書いてしまった場合には「もしかしたらやりすぎてしまったかも」と心に引っかかるものがあります。
これが、いわゆる自己検閲です。国家保安法という法律があることによって、自由な思考が制限されていくのです。
昔はこの法律を適用されることによって亡くなった人がたくさんいて、肉体的な苦痛の記憶として継承されています。
そういう恐怖装置が韓国には今も存在していて、文在寅(ムン・ジェイン)氏など、いわゆる進歩派と言われるような人もこれをなくそうとはしません。
権力装置であり、南北の対立が続いてもいますから、なくす名分が得られないのです。
――国家保安法や戒厳令のように市民の弾圧の根拠になり得るようなものと、日本の植民地支配の構造とは、どのようにつながっているのでしょうか?
暴力によるつながりです。
日本軍や日本の植民地支配における暴力性が、悪い意味で継承されているということは、よく指摘されます。
たとえば、1961年から1979年まで大統領だった朴正煕(パク・チョンヒ)は日本軍出身です。
最初の戒厳のときに指揮官だった金白一(キム・ベギル)という人は満州軍の出身で、満州軍時代に中国の村に対してやっていたことを、戒厳のときには政府に反対する住民に対してやったというようなことがありました。
暴力というのは、受け継がれる、感染していくようなところがあります。
韓国における「保守」と「進歩」の関係
――私たちが韓国で取材をしたときは、尹錫悦氏の弾劾に賛成する市民運動がある一方で、その対極にある極右集会にもたくさんの人が集まっていました。こうした社会の断絶状態をどのようにご覧になっていますか?
韓国は、保守と進歩の両陣営の断絶がどんどんひどくなっています。その決定版が非常戒厳だったということもできます。
尹錫悦氏は、当時の野党(今の与党)が国政を麻痺させたと主張しました。この主張は恣意的な理解として退けるにしても、実際に陣営間の対立がものすごかったのは事実です。
対立があってもきちんと対話ができればいいのですが、ここ数年、韓国政治はその意味では機能していませんでした。
ですが、韓国の市民の約7割が尹錫悦氏の非常戒厳を法律違反だと考えていて、憲法裁判所は全員一致で憲法違反と判断しました。
そういう中でも、非常戒厳から1年経った今も野党第一党(戒厳時に与党だった「国民の力」)が尹錫悦氏を批判しないことによって、さらに分断が広がってしまっています。
1年経ったら落ち着くのかと思ったら全くそうではなく、時間がかかるのだなと思っています。
――断絶の一つの表れとして、中国系の人たちをターゲットにしたヘイト行進があるそうですね。
韓国の若者男性が極右化しているということは、よくメディアが取り上げていて、今の韓国で一番ホットな話題です。
韓国の一線級の社会学者や政治学者が、他の世代と比べて若者が飛び抜けて極右化していることはないという分析をしています。既存の二大政党を共に支持しない世代に「極右」のレッテルを貼るな、ということです。
ですが、若者男性が特に極右化しているわけではなくとも、極右自体が広がっているのは事実です。
今の韓国において極右というものをどう規定するかというと、民主主義を否定することが一番の特徴だと、学術的には言われています。
そうすると、有権者全体のうち約14%を極右と規定できるというのが、ハンギョレ新聞と韓国政党学会の調査で明らかになっています。
さらに他の極右の要素、たとえば外国人排斥の主張も持つなど「超極右」という人は有権者の約4%だそうです。
ただ、保守政党の「国民の力」の支持層は4割が極右ではないかと言われています。

――保守対進歩というと、一般的には「保守対リベラル」と言い換えることもあるかと思いますが、韓国では両者はどのように使い分けられているのでしょうか?
それは複雑で難しい問題です。
たとえば1945年だったら、左派といえば社会主義者・共産主義者で、右派といえば資本主義者・自由主義者と、簡単に区別できました。
今は、その区別が当てはまらなくなっています。
今では多くの場合、「進歩=革新(派)」というと、民主主義や民主化運動を担った勢力を念頭に置いています。
では「保守」は民主主義を否定する陣営かというと、そうではなくて、反共の流れを汲んでいるひとつの陣営と見ることになります。
今の李在明(イ・ジェミョン)大統領は、進歩派と言われることがありますが、自分では中道保守と位置付けています。
大統領選でも中道保守だと言って、それで当選しました。資本主義に対しては非常に開かれた人物で、経済格差を是正するような政策は作ろうとしないタイプです。
保守と言われる政党「国民の力」も、同様に新自由主義です。
現在の与党「共に民主党」と野党「国民の力」とで国会の約93%の議席を占めていますが、欧州基準ではどちらの政党も右派と位置付けられます。
自殺率や出生率、格差など、いろいろな社会指標で韓国の状況はずっと悪くなっています。
労働災害で亡くなる人も多く、年間2,000人以上が亡くなるとんでもない状況がずっと続いています。
ですから、韓国における進歩と保守というのは、ただの呼び名でしかなく、先進的な人と守旧派という対立の関係を表しているわけではありません。
――そうなると、進歩と保守の違いはどこにあるのでしょうか?
一番わかりやすいのが、北朝鮮に対する態度の違いです。
進歩は対話をする、保守は圧力をかけるというのが、わかりやすい区別です。
保守の尹錫悦氏は、大統領に就任してからずっと、北朝鮮を吸収統一すると主張したり、北朝鮮に向けてドローンやビラを飛ばしたりしていました。
そうして戦争の状況を作り出して、非常戒厳の根拠にしようとしたわけです。
過去の保守政権も、ここまでのことはしませんでしたが、北朝鮮に対して圧力をかけるようなことをしていました。
保守は政権運営がやや権威主義的だということも、進歩政党の政権との違いとして少しありますが、その進歩政権が必ずしも左派ではないという、二重三重のややこしい状況があります。
今後の南北関係をどのように築いていくか
――尹政権では北朝鮮を「主敵」と位置付けていました。李在明氏が大統領になったことで、南北の交流は進むと考えられるでしょうか?
難しいと思います。
北朝鮮もひとつのれっきとした存在です。
韓国が望むことが実現するかどうかは、北朝鮮の人たちが決めることです。南北関係というのは常に相手がいる話ですから。
今、北朝鮮の金正恩氏は韓国を敵と見なして、「統一の相手ではない」「同じ民族ではない」というスタンスを2年前からとり続けています。
李在明氏はそれを何とか覆そうとしていますが、今は全く手立てがありません。「針の穴でも開けたい」と言ったほど、今の南北は断絶しています。
――今後の南北のあり方は、何をめざしていけばいいと思いますか?
最も避けるべきなのは戦争です。
過去には戦争によって、南北で人口の1割が亡くなりました。北側では人口の15%以上が亡くなったという統計もあります。
戦争になればどちらも壊滅的な打撃を受けますから、まずはそれを避けなければなりません。
今の南北は、お互いに相手を国として認めていません。いずれ統一するまでの間は特殊な関係だと、一応合意しています。
それをもう一段階進めて、お互いを尊重する2つの国家として関係を再構築するべきではないかと思います。ここ数年、韓国ではそういう意見が出ています。
過去には北側が攻め込んできて多くの犠牲者を出していますから、その北朝鮮を国として認めるかという点で、韓国内では反対の声もあるだろうと思います。
それも飲み込んで、新しい関係としてやり直す段階なのかなと感じています。
国家保安法の第2条に出てくる「反国家団体」というのは、北朝鮮のことです。「反国家団体」が今の韓国における北朝鮮の位置付けということです。
しかし一方で、南北の関係がいいときは、協力の相手でもあるわけですよね。
ですから韓国にとっての北朝鮮は、いずれ統一する対象でありつつ敵でもあるという、二重の状況になっています。
その矛盾を解消する必要があります。
もし南北の分断が解消されれば、国家保安法もなくなるかもしれませんが、それは到底見込めません。
南北がお互いを国として認めて国家保安法をなくし、自己検閲をしなければならないような社会を変えることで、もっと暮らしやすい社会になるのではないか。そのように考える人がいます。
様々なことを南北分断に還元するのか、それとも南北分断の影響は限定的だと考えるのか、その捉え方は様々です。
それでも一つ確実なことは、南北分断が韓国の一番奥底に影響を及ぼしているという事実です。

――それに対して一つの道筋を提起するのが、徐台教さんの新しい本『分断八〇年――韓国民主主義と南北統一の限界』だと思います。この本でどんなことを伝えたいのか、改めて教えていただけますか?
絶対的な前提として、朝鮮半島で戦争は二度と起きてはいけません。
実は今、南北の連絡チャンネルは一つもありません。
2025年になって何度も北側の兵士が、南北の軍事境界線を越えてきました。
南北の軍事境界線には看板が立っていますが、老朽化して境界がわからなくなっているところがたくさんあります。
ですから「越えてきた」というのは、韓国から見たらそうなのだとしても、北側の兵士にとっては越えていないのかもしれません。
それが繰り返されて、いつか局地戦になってしまうかもしれないし、事故が起きてしまうかもしれない。
そうならないために境界線をちゃんと決めようと、李在明大統領が北側に軍事会談を提案しましたが、北側はまだ何も答えていません。
南北が平和に統一することが理想なのでしょうが、それが叶わないのなら、その前々々段階くらいのところで妥協点を見つける、そういう時期に来ているのではないかと思います。
ただ実際は、南北関係は、韓国では一番興味を持たれない話です。
韓国は自国のことで精一杯で、北朝鮮のことを考えている余裕がないわけです。まさか非常戒厳で民主主義がひっくり返されるとは思わなかった。
世論調査でも、南北関係への関心が年々下がっていることがわかります。
一番望ましいのは、広い市民社会と政府と専門家による議論によって、北朝鮮との関係を考えていくプロセスです。
ですが、さきほどお話ししたように社会の分断が激しい中で、そのような議論は望めません。袋小路に入っているようで、先は暗く感じます。
ドラマや音楽などの文化面では韓国は一見盛り上がっていますが、蓋を開けたら本当に危ないところに来ているということを伝えたいと思っています。
※本記事は2025年12月3日に配信したRadio Dialogue「韓国・非常戒厳から1年」を元に編集したものです。
(2026.2.12 / 聞き手 安田菜津紀、 編集 堀川優奈、伏見和子)
【プロフィール】
徐台教さん(そ てぎょ)群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年から韓国に住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。独自メディア『コリア・フォーカス』と共に、Yahoo!ニュースをはじめ日本メディアへの寄稿、出演多数。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。25年9月、朝鮮半島の南北分断の歴史とその現代的な影響を捉える単著『分断八〇年 韓国民主主義と南北統一の限界』(集英社クリエイティブ)を上梓。
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