無関心を関心に—境界線を越えた平和な世界を目指すNPOメディア

Articles記事

New

「正義よ、私たちの風となれ」―日本からガザ支援船団に参加した武本匡弘さんインタビュー(高橋真樹さん寄稿)

(提供:武本匡弘さん)
本記事はノンフィクションライターの高橋真樹さんによる寄稿記事です。高橋さんは持続可能性や人権問題をテーマに取材・執筆を続けており、国際協力、核廃絶、パレスチナ難民支援などに携わってこられました。

物資を止められて飢えに苦しむガザの人々に、危険を覚悟で食糧や支援物資を運ぼうとする人たちがいる。

「不屈の船団」を意味するGSF(グローバル・スムード・フロティラ)は、イスラエルの海上封鎖を突破して、支援物資をガザに届けることをめざす国際的な船団だ。合言葉は「正義よ、私たちの風になれ!(Justice, Be Our Wind!)」である。

GSFは、2025年に2度の航海をしている。スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんが参加したことで注目を浴びたが、いずれも公海上でイスラエル軍が拿捕、乗組員は拘束され、暴行を受けた(※)

(※)イスラエルによるガザの海上封鎖は、国際法違反である。国際人道法および海事法では、民間人に不均衡な被害を与える場合、民間人の飢餓を目的または効果とする場合、人道支援物資の搬入を妨げる場合は、海上封鎖を禁止している。

そして26年4月、世界中から集まったおよそ1000人のメンバーは、支援物資を積んで3度目の航海を行った。スペインからの船団がイタリアの船団と合流、数日の航海を経てギリシャで合流する直前の4月29日夜に、イスラエル軍の急襲を受けた。

その船団に、日本から唯一参加した人がいる。プロダイバーで環境活動家の武本匡弘さん(70)だ。シチリア島でイタリアの船団に加わった武本さんは、ヨットの操縦やクルーの育成に長けていたため、船長として活躍した。筆者は数度にわたり連絡を取り、GSFに参加した想いや、イスラエル軍襲撃、このミッションの意義などを伺った。

武本さんへの取材は、出航前の4月17日、襲撃後の5月4日、帰国直後の5月7日に行った。

出航を控えたビアンカ号の乗組員。左から二番目が武本さん(提供:武本匡弘さん)



ガザは遠くの話じゃない

――武本さんは、なぜGSFに参加したのでしょうか?

武本 正義感だけで参加したわけじゃありません。「世界では他にも様々な紛争が起きているのに、なぜパレスチナ支援なのですか?」と質問されます。でも世界中の国がかかわって、これほどひどいことが長年にわたり行われているのは、歴史的にもあまり例がない。日本政府も、イスラエル製の武器を購入するなどという形で関わっています。僕が参加することで、日本に住む人にも他人事ではないよと伝えたかったのです。

ガザで起きていることは「戦争」とか「テロとの戦い」ではありません。人種差別であり、人間のやるべきことじゃない。僕はNPO法人を立ち上げて、気候変動対策のために活動してきました。社会の間違った仕組みが、弱い立場にある人たちを苦しめているという意味で、気候変動もパレスチナ問題も共通しています。個人の行動ではすぐに政治を変えることはできませんが、社会の空気感なら変えることができる。そのために参加しました。

――GSFには、どのような人たちが参加しているのでしょうか?

武本 僕はイタリアのシチリア島から出航しました。主な参加者はヨーロッパからですが、南米や中東、アジアからも来ていました。日本からの参加者は僕だけだったようです。

参加者は、全体で1万4000人以上の応募者から、1000人ほどが選ばれました。職業は、会社員、エンジニア、法律家、医師、調理師、アーティスト、インフルエンサーなど様々です。僕のような船の専門家もいます。それぞれ得意分野を活かして、講習会を準備したり、料理を出したりしていました。

船体に絵を描くアーティスト(提供:武本匡弘さん)



難しかったのは日程が読めないことです。というのも、中古船を買い集めて、整備しながらクルーも養成しなければなりません。同時並行で、イスラエルに拘束された時どうするかといった講習やトレーニングも入念に行われていました。

また、船団はスペイン、イタリア、ギリシャ、トルコからそれぞれ合流するため、天候などの影響で全体の足並みを揃えるのが簡単ではありません。その上、イスラエルに拘束されたらいつ解放されるかわからない。そのため、参加者の多くは仕事を辞めて来ていました。

今回の出航も、計画からまるまる1ヶ月遅れました。僕はだいぶゆとりを持って参加したつもりですが、日程が遅れたのでガザ行きを断念し、ギリシャ合流時に降りることにしました。ところがそのギリシャ沖で襲撃を受けました。


人々が殺されるのを黙って見ていられない

――印象的な出会いを教えてください。

武本 昨年に続き2度目の乗船というイギリス人女性がいました。誰もがやりたがらない裏方の仕事を、せっせとやってくれる人でした。前回拘束された時は、裸にされるなど、屈辱的な扱いを受けたそうです。それでも彼女は、「子どもたちが殺されていることが耐えられないから、今回もガザをめざす」と語っていました。

――共に船に乗ったメンバーはどうでしたか?

武本 僕が船長を務めた「ビアンカ号」には、6人が乗りました。ベッドは3台しかないので、交代で休みます。同乗者は、運営委員をやっているアメリカ人女性、イタリアの若い男性が二人、アメリカ人の弁護士の男性、マレーシア人の船員の男性です。僕が降りた後は、このマレーシア人に船長の仕事を託しています。

イタリア人の青年は機械が好きだったので「彼ならできる」と思い、船の整備を教え込みました。おかげで出航後のトラブルは自分で修理できるようになりました。彼も「人々が殺されていることに黙っていられない」という強い思いがあり、IT関係の仕事を辞めて参加していました。

ビアンカ号のメンバーは、チームワークがすごく良かったんです。最初は45フィート(約13.7メートル)の船を自分たちで動かすことに不安そうでしたが、僕がいつも素人を指導しながら航海していることを話すと、安心してくれました。いろんな人から「キャプテン・マサ! あなたほど、このミッションにぴったりな人はいないよ」と言われました。

出航後のビアンカ号船内(提供:武本匡弘さん)



突然の襲撃と拘束の危機

――4月29日にイスラエル軍の襲撃を受けた時の様子を教えてください。

武本 夜間の航行中でした。200メートルほど前方でピカっと眩しい光がさし、その後「ドン!」と火の手が上がりました。その瞬間、イスラエルの襲撃だと察し舵を切りました。判断を間違えると自分たちも拘束されるので、どのコースを取るべきかとっさに判断して、僚船(仲間の船)を探して全速で逃げました。残念ながら、船足の遅かったヨットのいくつかは、拿捕されてしまいました。

最初の攻撃では、リーダーの乗った指揮船がやられました。次にやられたのが、アルジャジーラの記者が乗った船でした。イスラエルはメディアをターゲットにしているので、優先的に狙われたのでしょう。ドローンで船の識別番号も監視していたので、イスラエル軍にとって襲撃は容易だったはずです。

おだやかな日没。襲撃はこの後のことだった(提供:武本匡弘さん)

夜間航行中、前方で閃光が光る(提供:武本匡弘さん)


――ドローンは出航前から飛んできていたようですね。

武本 ずっと監視されていました。出航後は、さらに大量のドローンが船団を追跡してきました。僕たちのビアンカ号だけでも10機以上追ってきたので、全体では数百機いたと思います。前回の航海では爆発したドローンもあったので、参加者の恐怖の対象となっていました。また、メンバー間では無線ラジオで連絡を取り合っていたのですが、時折、妨害電波によるとみられる大音量の雑音が入ってきました。

重要なことは、この襲撃があったのが、イスラエルから1000キロも離れた国際水域だということです。イスラエルが22隻の船を拿捕し、多くの乗組員を拘束し、激しい暴行を加えたことは、国際法違反であることはもちろんですが、海事法でも間違いなく違法行為です。しかし、6時間もの襲撃中に船団がSOSを出しても、ギリシャの沿岸警備隊は何もしようとしませんでした(※) 。また一部の国を除き、各国はこの出来事を非難していません。イスラエルの犯罪行為を世界が許している。こんなとんでもないことが許されていいのでしょうか?

(※)2026年4月30日、世界拷問防止機構(OMCT)、国際人権連盟(FIDH)、およびギリシャ人権連盟(HLHR)は連名で、イスラエル軍による襲撃とギリシャ当局の不作為を強く非難する共同声明を発表した。

――襲撃を受けて当時約60数隻いた船団のうち、22隻が拿捕され、一時180名が拘束されました。ほとんどの人は翌々日には解放されましたが、リーダー格の2名はイスラエルに連行、現在(26年5月8日時点)まで拘束されています。

武本 解放された人のうち35名が、イスラエル軍から暴力を振るわれ、顔面や手や足、肋骨にひどい打撲や骨折をするなど、大怪我を負いました。一緒に出航の準備をしてきた仲間たちの変わり果てた姿を見て、怒りに震えます。60隻のうち22隻なので、およそ30%の確率で、僕も同じ目に遭う可能性がありました。もしかしたら、死ぬまで残る障害になっていたかもしれません。

暴行を受けて負傷したGSFの乗組員(提供:Global Sumud Flotilla)



また、現在も拘束されているティアゴ・アビラさん(ブラジル人)と、サイフ・アブケシェクさん(パレスチナ系スペイン人)は、イスラエルに連行され、尋問や拷問を受けています。2人は「血塗られたイスラエル政府の提供する食事は手をつけない」と、ハンガーストライキを行っているようで、心配しています。

――ティアゴさんとは個人的にも交流があったそうですね。

武本 彼は前回のGSFの航海でもイスラエル軍に拘束され、ひどい暴力を受けています。2度目なので、もっとひどいことをされているはずです。いま署名を含む救援運動(※)が行われていますが、多くの人に関心を持ってほしいと思います。

(※)拘束者についての詳しい情報はGSFのウェブサイトへ。

出航前のトレーニングで、ティアゴはスピーチやレクチャーを担当していました。参加者は皆、前回イスラエルに捕まった人たちがひどい目に遭わされていることを知っています。また、ドローンがいつ爆発するかもしれないと不安でした。でも彼は明るく振る舞い、かつ冷静にイスラエル軍のやり方を分析、彼の話でみんなが勇気づけられていました。こういう人が本当のリーダーなんだと思いました。

武本さんとティアゴ・アビラさん(提供:武本匡弘さん)

ティアゴ・アビラさんのメッセージ
ティアゴ・アビラさんはイスラエルの刑務所の中から、幼い娘に送った手紙の中でこう述べている。

「僕がいないことで寂しい思いをさせてすまない。でも僕は君を愛しているからこそ、この航海に参加したんだ。ジェノサイドを許すような世界で生きるほど、子どもたちにとって危険なことはないのだから。いつかこのことを、君もきっと理解してくれると信じている」


「武本さんすごい」で終わらせないで

――襲撃後のことも教えてください。

武本 襲撃から逃げて8時間後に、クレタ島の南側の湾の沖合に錨を下ろしましたが、すぐに嵐が来て、その対応にもすごく苦労しました。湾の形が悪く、谷からすごい風が吹いてくるので、船が引きずられて大変だったので。ギリシャの沿岸警備隊や警察がイスラエル軍と通じていて、夜中にアンカーが外されるのではないかという情報もあり、嵐の中、朝まで寝ずに船を見張りました。また、上陸後もギリシャ警察に拘束される可能性があったので、荷物を捨てて、早朝にゴムボートで浜に上陸。その後もクレタ島では隠れるようにして行動しました。

――船団は解散したのでしょうか?

武本 いえ、残った船を再編成して、体制を立て直してガザをめざしています。ガザで待っていてくれる人がいる限り、船を出すんだという心意気です。ただ、襲撃や嵐の影響などで故障船が多く、整備に時間がかかっています。また、イスラエルに連行された2人が人質のようになっているので、今後、いつ船を出せるのかは未定です(5月8日時点)。

もともと、僕はガザまでいけないことがわかっていたので、ギリシャで離脱して、乗り継ぎを繰り返してローマまで辿り着きました。その後、ローマから船の操縦、補修に関する指示を出していました(日本に帰国したのは5月7日)。

ビアンカ号から撮影した船団(提供:武本匡弘さん)

――改めて、GSFの意義をどのように感じていますか?

武本 昨年、グレタさんたちが乗った航海では、拘束された人たちが様々な暴力や屈辱を受けました。それを知りながら、1万4000人が応募し、何ヶ月もの準備期間を経て、1000人が参加する航海を実現させました。それだけでも、この問題がいかに重大なものと受けとめられているかがわかります。そして今回の一連の動きは、ヨーロッパではかなり報道されていました。

――物資を届けられなくても世界に知ってもらうことが大事だと。

武本 いえ、それだけではありません。ティアゴをはじめ、GSFのリーダーたちは、「絶対に届けるんだ」と言い続けていました。もちろん参加者からは「阻止されるのでは?」と心配する声も出ていました。ただ、GSFの前身のプロジェクトで、船で包囲を突破して物資を届けた前例(2008年)があります。「絶対に届けられるかと言ったらYESとは言えないが、前例があり、ガザの人々は支援物資を待っている。だからやるんだ」と言っていました。

――日本にいる人たちに伝えたいことは何でしょうか?

武本 僕が参加することで、日本にいる人にとっても、ガザのことが少しは身近な問題になってくれればいいと思います。「とても自分にはできないよ」とか、「武本さんすごいですね」などと、思って欲しいわけじゃないんです。僕には航海術があって、かつ素人に教えることにも慣れていた。だから、船からガザに支援物資を届けるミッションは、自分にピッタリだと思って参加したんです。

皆さんにもそれぞれ、自分に合った活動があるはずです。何でもいいから、できることをやって欲しい。ガザがこんなことになってしまった理由は、世界が沈黙していたからです。沈黙させないためには、いろんな形で行動を続けるしかない。その努力は、必ず誰かが見ています。決して無駄にはなりません。

船長室から指示を出す武本匡弘さん(提供:武本匡弘さん)



インタビューを終えて

「これが人生最後のミッションになるかもしれない」

そんな思いを抱えてGSFに参加した武本さん。帰国した現在は、夜間に襲撃を受けたショックで、2〜3時間ごとに目が覚めてしまうという。それでも、参加することで得た学びがある。「世界の歴史はこうして動いてきたのかと実感できた。たとえ目に見える成果に結び付かなくても、この行動をどこかで誰かが必ず見てくれている。それが次の時代を切り開く力になる」と武本さんは言う。

世界が暴力の支配に押し潰されようとしているいま、非暴力で抵抗する人々の存在感は増している。

【プロフィール】
武本匡弘(たけもと まさひろ)

1985年ダイビング会社開設。1999年にはNPO法人パパラギ海と自然の教室設立。多数の教育機関で海の環境授業を行ってきた。2015年より気候変動・海洋漂流ゴミ探査・国際交流等を目的にヨットでの太平洋航海プロジェクトを開始。2019年にはプラスチックフリー・ゼロウェイストをコンセプトにしたエコ・ストアー「パパラギ」を藤沢市に開店。NPO法人気候危機対策ネットワーク代表、日本サンゴ礁学会会員、(公財)第五福竜丸平和協会協力会員。著書に『海の中から地球が見える 気候危機と平和の危機』(あけび書房)ほか。

【筆者プロフィール】
高橋真樹(たかはし まさき)

国際NGOピースボートの職員として世界約70カ国を訪れ、国際協力、核廃絶、パレスチナ難民支援などに携わる。2010年からはフリーのジャーナリストとして、国際問題、人権問題、持続可能性などをテーマに取材・執筆を続けている。著書に『僕の村は壁で囲まれた パレスチナに生きる子どもたち』(現代書館)『核兵器をなくすと世界が決めた日』(大月書店)ほか多数。新刊『もしも君の町がガザだったら』(ポプラ社)で、第73回産経児童出版文化賞(大賞)を受賞。


あわせて読みたい・聴きたい


D4Pメールマガジン登録者募集中!

新着コンテンツやイベント情報、メルマガ限定の取材ルポなどをお届けしています。

公式LINEを登録しませんか?

LINEでも、新着コンテンツやイベント情報をまとめて発信しています。

友だち追加

この記事をシェアする