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”誰もがメディアである”時代、荻上チキさんと学ぶ「メディア論」

SNSやブログなどで、不特定多数の人々に自分の意見やコンテンツを発表できる昨今は、「誰もがメディアである」時代と言えるでしょう。四六時中、あらゆる情報が飛び交う現代社会では、「メディアリテラシーの必要性」が議論されることも少なくありません。しかしそのような文脈で使われる「メディアリテラシー」とは、どういった意味で使われているのでしょうか。

Dialogue for People YouTubeチャンネルの、荻上チキさんによる解説番組『Chiki’s Talk』では、そうした「なんとなく聴いたことがある言葉」の解説や、「知っていると役に立つ概念・理論」などをわかりやすく、丁寧に説明しています。今回紹介する動画では、「メディアリテラシー」という言葉を含む、「メディア論」の様々な理論について学んでいきます。知っているだけで、日々触れる多様な情報を見る目が変わる…そんな面白い理論もたくさん登場しますので、どうぞひとつひとつ、楽しんでご覧頂けましたら幸いです。

「メディアリテラシー」という言葉の誤用
「メディア論」とはどういった学問なのか?
メディアには議題を設定する効果がある
態度や思想・考え方が摸倣されていく
フレーミングが行われないものは存在しない
匿名性が残虐性を増長する

「メディアリテラシー」という言葉の誤用

序文でも触れた「メディアリテラシー」、みなさんはどんな意味で使っているでしょうか?「メディアリテラシーを高めることで、情報の真偽を確かめられるようになる」「SNSなどで、不用意に人を傷つけないようにメディアリテラシーが必要」といった言説を耳にしたことがあるかもしれません。

しかし、それはメディアリテラシーという言葉の「誤用」であるとチキさんは言います。例えば、「SNSなどで人を傷つけないようにする」というのは、マナーやモラルの問題であり、メディアリテラシーとは関係ありません。「リテラシー」とは、「識字能力」「読み解く能力」を意味する言葉であり、メディアリテラシーとは、「メディアそのものが持っている特性や特徴、ある種のクセのようなものを理解する技法・思考法」だと言えるでしょう。

「メディア論」とはどういった学問なのか?

メディア論とは、「メディアとは透明な道具ではない」という考え方に立つ学問です。メディア論という学問を切り拓いたひとり、マーシャル・マクルーハンは、「メディアはメッセージである」という言葉を残しており、これをチキさんは、「メディア“こそ”がメッセージである」と説明します。それはどういうことなのでしょうか?

私たちは往々にして、メディアとは情報を伝えてくれる「透明な箱」だと思いがちです。テレビが面白い話を伝えてくれる、新聞がセンセーショナルなニュースを伝えてくれる、SNSが身近な友達の話題を伝えてくれる――意味を持つのはその箱の中にあるメッセージであり、箱そのものには大した意味がないのだという思い込みです。しかし実際には、「どのような媒体によってメッセージが運ばれてくるか」というメディアの違いによって、すでに様々なメッセージが発せられているのです。例えば日常の中で、「ありがとう」「ごめんね」といった言葉を伝える際に、それが「電話」によるものなのか、「手紙」や「メール」、「LINE」などによるものなのか…情報を伝達する手段の違いによって、伝わり方が変わってきます。要は、メディアの選び方によって、メッセージの中身というものも、様々に変容してしまうということなのです。

また、マクルーハンの注目したメディアの特性にはもうひとつ、「新たなメディアが登場することによって、社会そのものが大きく変わる」というものがあります。たとえば携帯電話の普及により、人々の「待ち合わせ」の文化は大きく変わりました。SNSの登場により、コミュニティの在り方、人間関係の形も様々な影響を受けました。

こうしたメディア論の理論は、登場以来様々に議論されてきており、その豊かな蓄積を学ぶことで、私たちの日常に中にある、多様なメディアとの付き合い方を考え直すきっかけとなることでしょう。

メディアには議題を設定する効果がある

初期のメディア論では、「強力効果論」と呼ばれる、「メディアの影響は多大なるもので、人々に直接的、即効的に影響を及ぼす」という見方が主流でした。しかしその後様々な議論が行われていく中で、「メディアの影響は意外と限定的である」という「限定効果論」という見方も登場しました。そして更には、「ある観点から見ると、やはりメディアは相当に強力な影響を発揮する」という、「強力効果論」をさらにアップデートしたような理論も登場してきます。

メディアの影響とは「強力」なものなのか、「限定的」なものに過ぎないのか、この論争には終わりがないように思えますが、少なくとも、次のように言えるとチキさんは指摘します。「メディアの影響というものは、一定程度強力に発動する条件があり、ある場面においては、その影響力は無視できない。であるならば、その影響力のパターンを正確に読み解いていくのがメディア論の役割だ」ということです。

次の動画で紹介している「議題設定効果」とは、メディア論の中でもひとつの到達点となっている理論です。どういった理論なのかというと、マスメディアは、「これについて話し合いましょう」という論点提示において、非常に強力な効果を発揮するというものです。メディアが「コロナ禍の問題」「森友学園問題」などを取り上げると、その問題に肯定的・否定的、どちらの意見を持つ人であっても、その議論に巻き込まれていく傾向があります。どういったニュースをメディアで取り上げるのか、といった取捨選択は、そうした社会の中で議論されるテーマに大きく影響するのです。

態度や思想・考え方が摸倣されていく

メディアは、単に情報のみを届けるものではありません。身近で触れたり、メディア経由で触れたある種の態度というものは、人々に感染していくことが知られています。そうした効果のことをメディア論では「態度摸倣効果(ミメーシス)」と呼びます。

たとえば、お笑い番組などで、芸人の方が披露した「一発ギャグ」が、日常の様々な場所――学校や飲み会、家族内の会話に浸透していくということがあります。こうした「態度摸倣効果」の影響には、良いものもあれば、好ましくないものも存在します。上述の「一発ギャグ」のように、芸人の方の「いじり」というコミュニケーションが、テレビを通じて様々な人が摸倣するようになると、「お前その服に合ってないな」「その顔事故みたいだな」という、人を見た目で判断したり、それを指摘して構わないというような「ルッキズム=見た目中心主義」が拡大するということも起こりえます。このように、「態度摸倣効果」というものは、「態度」だけではなく、その態度が含んでしまっている様々な「思想」や「考え方」も伝播してしまっているのです。

しかしこうした効果は反対に、社会を良くしていく方向に作用する可能性もあります。最近では、「自分の見た目は自分であるだけで最高である」「人からどう判断されようとも、自分は自分でとても美しい」という、アンチ・ルッキズムの立場に立ったような発言をする著名人の方々が多く登場してきています。そうした態度が摸倣されていくことで、ルッキズムに対する社会の捉え方、考え方というものが変わっていくということもあり得るのです。

フレーミングが行われないものは存在しない

次の動画では、「フレーミング効果」というメディア論の理論を紹介します。「フレーム」とは「枠」のことなので、「フレーミング効果」とは「枠づけをする効果」という意味になります。この理論を理解するために、チキさんはあるたとえ話を紹介します。動画を見ている(記事を読んでいる)あなたが患者で、医師にこのように手術の説明を受けるとします。

▶パターン①「この手術の成功率は95%です」

▶パターン②「この手術は、20人に1人は死にます」

さて、パターン①と②を比べてみると、印象はどうでしょうか?どちらとも、数字の上では同じことを話していますが、表現の仕方や伝え方が変わることによって、その意味合い、受け取り方も変わってきます。このような点に着目をしたのが「フレーミング効果」です。

日々見聞きするニュースでも、「フレーミング効果」は起きています。同じニュースを伝えるにしても、その伝え方や伝える量、注目の仕方によって、情報の受け手の反応は変わってきます。フレームの外から物事を眺めるということは、中々できることではありません。しかしこうした理論を意識することによって、「このニュースはどのようなフレーミングが行われているのかな?」といったことを考えることは可能です。

こうしたフレーミングは、ニュースに限らず、映画やテレビ番組、広告などでも行われており、「そこで切り取られた価値判断」というものは、前述の「態度摸倣効果」のように、無意識のうちに人々に摸倣されていくということが、この理論では述べられています。

匿名性が残虐性を増長する

「なぜ人は残虐になれるのか?」ということをテーマに、これまで多くの社会心理実験が行われてきました。色々な研究者が実験に取り組んできた結果、メディア論で「没個性化」と呼ばれる理論が確立されてきました。

例えば有名な実験に、「電極とボタンを繋いだ装置」を使ったものがあります。その電極の先には、別の被験者が繋がれていると説明されます。その人に繋がっている電極のボタンを押すのは「あなた」です。相手がクイズなどに間違えたら、ボタンを押して電流を流してくださいと説明されます。果たして「あなた」は、躊躇なくボタンを押すことができるでしょうか?

実はそうした実験の際、その実験に参加している教授や指導者に、「ボタンを押してください、大丈夫ですから」と言われ続けると、相手に痛みを覚えさせるものであるにも関わらず、人はボタンを押し続けてしまう…ということがこの実験で明らかになりました。

他にも、苦しむ被験者が目の前にいる状況と、壁を隔てた状況ではどう変わるのか。実験に参加している「あなた」のネームプレートに実名を書くのか、それとも「12345」などといった数字の羅列を記入するのか。そうした違いによっても、「ボタンの押しやすさ」に違いが出るということがわかりました。

つまり、壁で隔てるなど、相手を「自分とは関係のない人」と思える距離を設けたり、自分を「匿名的な存在」として認識する、そして教授などの「大丈夫ですよ」という発言により、「私は言われたから押しているんだ」と、そのボタンを押すことによって生じる責任を権威に預けてしまっているという状況が、「あなた」の個性を奪って――つまり、「没個性化」を生じさせ、残虐な行為も容易に行い得るという結果が検証されたのです。

この「没個性化」は、身近なところではネット上での誹謗中傷など、匿名による残虐性の増長などにも見られます。

以上、様々な「メディア論」の理論を紹介してきましたが、『Chiki’s Talk』では、これからも様々な言葉や理論・概念などをテーマにお届けしていきます。是非下記よりチャンネル登録頂けましたら、最新動画公開時にお知らせいたします。

Dialogue for People 公式YouTubeチャンネルでは、世界情勢や社会問題をテーマにした番組を、様々なスピーカーをお招きしてお届けます。取材報告、本や映画の紹介、多彩なゲストを迎えてのトークなど、豊富なコンテンツを用意しております。ぜひご視聴ください。

(文章 佐藤慧/2020年10月)


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