「米軍出ていけ」はヘイトスピーチか―沖縄でのヘイトスピーチ規制条例制定を考える
本記事では「ヘイトスピーチ」「ヘイトクライム」の概念の説明上、差別的な発言を引用している箇所があります。
2020年11月、沖縄のヘイトスピーチ規制条例制定を考える「ヘイトスピーチ・セミナー」が「沖縄カウンターズ」の主催で開催され、日本国内のヘイトスピーチの現状や課題について、師岡康子弁護士が那覇市のタイムスホールで講演した。
沖縄カウンターズは、毎週水曜日に那覇市役所前に集い、ヘイト街宣を阻止してきた。セミナーでは、「チャイニーズは歩く生物兵器」など繰り返される街宣に加え、中国から来た観光客が執拗に追い回されるなどの被害が生じていることがメンバーから報告された。
「そういったことを、カウンターの人たちが止めているというのはとても心強いことだと思います。ただ、本来は国や地方公共団体、公的機関が差別をなくす取り組みをすべきです」と師岡さんは強調する。
ヘイトスピーチは「罵倒」「憎悪」ではない
ヘイトスピーチは言葉だけを直訳すると“憎悪表現”となるため、 “罵倒”、“攻撃的な言葉”、“憎しみを煽る言葉”と当初は誤解されがちだった。「ヘイトスピーチというのは、“罵倒”とか“憎悪”とかいう話ではなく、不当な差別言動なんだというところがこの問題を語る出発点になります」。
▶ 「ヘイトスピーチ解消法」2条
この法律において「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」とは、専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの(以下この条において「本邦外出身者」という。)に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動をいう。
ヘイトスピーチは、単に「聞き流せばいい」「気にしなければいい」では済まない根深さがある。矛先を向けられる人々の日常生活の安心、安全を揺るがすものだからだ。
「例えばデモや街宣に出くわさないように、その日程を調べたりする、そうしなければ子どもを連れて一緒に出かけることができない、ということが起きています。2017年に発表された法務省による調査結果でも、韓国・朝鮮・中国籍の人の半数近くが、インターネットを利用する時に、差別的な書き込みを見てしまい、利用を控えたことがあると報告されています」
ヘイトスピーチは言動による差別ではあるものの、それだけを切り離してとらえられるものではないという。出自やルーツを元にした入店拒否やアパートなどの入居拒否、更には職場内での不当な扱いにいたるまで、日本国籍者以外の人々が強いられてきた差別は多岐に渡る。こうしてある属性を持った人々、マイノリティが生活全般で攻撃される中の一部、言動によるものがヘイトスピーチなのだ。「ヘイト街宣は体を張って止めることができるかもしれません。けれどもそれだけでは、日常の中で起きている職場や入居時などの差別はなくなりません」と、師岡さんは改めて法規制の必要性を訴える。
事件や災害の度に広がる「デマ」
ここで少し歴史を振り返ってみたい。1923年に起きた関東大震災後、朝鮮半島や中国にルーツを持つ人々に対して、虐殺が繰り返された。この時、命を奪われた人々の状況は「自然災害」による死と大きく異なっていた。「朝鮮人が暴動を起こしている」「井戸に毒を入れた」「放火した」などのデマが蔓延し、外国にルーツを持つ人々に暴力の矛先が向けられていったのだ。そしてこれは、決して「過去」にはできない問題だ。
2011年、東日本大震災後も、「外国人が窃盗団を組んで遺体から遺品を盗んでいる」などデマが拡散され、自警団が組まれたところもあった。「当時警察は、そうした事実はない、と否定していたのですが、東北学院大学の調査によると、当時9割近くの方がこうしたデマを信じてしまった、という結果もあります」。
何か大きな事件や事故などがあった際、同様のデマは絶えない。2016年7月、神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、元職員であった植松聖氏が19人を殺害、26人の入所者と職員に重軽傷を負わせる事件が起きた。この時も「犯人は在日だ」などのデマが、直後から独り歩きした。
こうしたデマは言葉の暴力は、ネット上だけの問題に留まらない。アメリカの公民権団体は、トランプ大統領就任後、ヘイトクライムが急増したことを報告している。「被害当事者にとって深刻な事態であることはもちろん、差別や暴力の蔓延が、社会自体を壊してしまうことが問題です」と、ヘイトスピーチは一部の個人の問題ではなく、社会全体のものであると師岡さんは指摘する。
▶(荻上チキ)Chiki’s Talk_006_流言の仕組み~新型コロナウイルスの事例から~
沖縄で暮らす人々の多様化
日本では2019年4月から改正入管法が施行され、外国人労働者の受け入れを拡大してきた。出入国在留管理庁の在留外国人統計などによると、2019年末時点の沖縄の在留外国人は21,220人、人口比では1.46%と、全国平均の2.3%を下回っている。
ただ、2019年に3,195人増加しており、増加率は全国2位だった。最も多かったのは技能実習生などをはじめベトナム出身者、次いで中国、ネパール、アメリカ(米軍関係者を除く)となっている。国籍、出自などによる差別にどのように対処していくのかは、喫緊の課題だ。
「米軍は出ていけ」はヘイトスピーチではない
沖縄でのヘイトスピーチ問題でしばしば議論となるのが「米軍は出ていけ」や「ヤンキー・ゴー・ホーム」は果たしてヘイトスピーチにあたるのか、という点だ。
2016年にできたヘイトスピーチ解消法の2条では、ヘイトスピーチを「本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動」としている。「“米軍は出ていけ”というのは、その人がアメリカ人だから“出ていけ”ということではないので、最初からこの定義には当てはまりません」と師岡さんは語る。
実はこの点について、ヘイトスピーチ解消法を提案した自民党、公明党の議員から、それぞれこうした答弁がなされている。
▶矢倉克夫議員(公明党)の説明
定義に沿って更に補足させていただきますと、二条は「本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として」と書いています。まさにその人の出身がどこかとか、そういうことを理由にした言動。今の米軍というものに対しては、これは出身云々というものにもそもそも当たらない。まさに米軍というものの存在に対しての評価を前提にしたこれは議論でありますし、政策として日米安保その他をどういうふうに捉えるのか、それはまさに政治的言論として御発言をされているものでもありますので、そういう点からもこれには当たらないという趣旨であります。
(2016年4月参議院法務委員会)
▶西田昌司議員(自民党)
法案の中に、米軍の問題というのが立法事実として初めから含まれていません。いわゆる沖縄の基地などの前でされている活動というのは、これは政治的なそれぞれの活動であると、政治的な政策であったり、その政策に対する批判であったりだと思います。当然、そういうことは憲法上許される表現の自由の一番大事なところでありますから、我々自身がこの法案を作るときに一番気を付けたのは、まさにそうした様々な自由、表現の自由、それから思想、信条の自由、そうしたものが制約を受けない、その受けない中でどうやって実際に行われているヘイト事例を排除していくかということに腐心をしたわけでございます。 したがいまして、仁比議員が御質問されましたそういういわゆる米軍に対する排撃というのは元々入っておりませんし、政治的なそういう活動に対してこの法律が使われることもあり得ないという認識であります。
(2016年4月参議院法務委員会)
「西田議員が指摘をしている通り、そもそもこのヘイトスピーチ解消法の問題の定義に、米軍の問題は立法事実として含まれていません。在日コリアンや中国人に対するヘイトデモや街宣が年に数百件も繰り返されている現状を踏まえて提案された法案なので、米軍に対する批判というのは、最初からこの法律を作るための前提事実になっていません。
また、沖縄の米軍基地前での活動というのは政治的な活動であり、憲法上許される表現、というのも大事なところです。この法案で重要だったのは、そうした表現の自由というのを制約させずに守りつつ、ヘイト事例を排除していくことでした。ですので、政治的な活動、表現の自由に対してこの法案が使われることはありえない、とはっきりさせています。逆に、この説明があまり広がっていないのは問題ではないかと思います」。
▶参考:ヘイトスピーチ解消法
「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」に係る参考情報(その2)
(法務省人権擁護局内「ヘイトスピーチ対策プロジェクトチーム」)
「ただ、“ヤンキー・ゴー・ホーム”の“ヤンキー”というのは、アメリカ人一般っていう意味でも使いますよね。この言葉を誰に向けるのかによって、これはヘイトスピーチにもなり得るものです。アメリカのルーツを持つ子どもに対して、出自を理由に「出ていけ」と侮蔑すれば、それは日本社会におけるマイノリティに対してのヘイトスピーチに当たるということは言わざるをえません。ただ、例えばこの言葉を『米軍撤退せよ』という意味で使った場合には、当然ヘイトスピーチにはあたりません。文脈で判断しなければいけない問題です」。
待ったなしの法整備
日本も加入している人種差別撤廃条約は、差別を禁止し終了させるため、教育・啓発・交流活動、被害者の救済、ヘイトスピーチ・ヘイトクライムへの処罰など、総合的な政策を取らなければならないことが条文に記されているが、日本政府は長らく、日本には法律を作るほどの差別はない、という立場だった。
2016年にようやく「ヘイトスピーチ解消法」が施行されたものの、これは刑罰などがない「理念法」だ。それでも、法律の意味は重要だったと師岡さんは語る。
「法律を作って対処しなければならないことを国が認めて、ヘイトスピーチは差別であり、表現の自由ではなく、許されないもの、社会に深刻な亀裂を生じさせるものだということをはっきりさせたものなんですよね。それまでは“ヘイトスピーチがそもそも何か分からない”というところが議論を混迷させてきたところがありました」
ただ、現状ではまだ具体的な対策には欠ける。ヘイトスピーチが許されないものだとしながらも、禁止条項はなく、制裁もない。教育啓発のための計画や予算、専門家や当事者を含めた第三者機関を設置、被害者がその都度、裁判を起こさなくてもいいような救済機関、ヘイトクライム対策といった包括的な対策を国連は求めているものの、ヘイトスピーチ解消法ではそこまでに踏み込めていない。
こうした中で神奈川県川崎市では、2019年12月に、全国で初めて刑事罰付きのヘイトスピーチ禁止条例が、全会派賛成で成立し、2020年7月に全面施行された。
「意思があれば差別をなくしていける、という大きな第一歩でした。沖縄県には人権施策の基本となる人権条例自体がないため、条例を作るとすれば、あらゆる差別に対して取り組むための基本的な条項と、すぐに止めなければならないヘイトスピーチに対する禁止条項の両方が必要ではないかと思います。川崎市の条例もそのような構成となっています」。
現在、新型コロナウイルスに基づく差別に対する条例が、すでに20以上の自治体で作られている。また、自民党は感染者や家族に対する差別の解消に向けた議員立法をまとめている。「差別の禁止法整備について、本気で取り組めば数カ月でできることが示されたと思います。ヘイトスピーチは何年にもわたって繰り返しひどい被害をもたらしているものです。“条例作りは時間がかかるよね”で終わらせず、川崎市のものを参考にしながら、すぐにでも作ってほしいと思います」。
(2021/写真・記事 安田菜津紀)
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