「私たち被爆者の声は、プーチン大統領には届いていないのか」―被爆者、国際NGOの視点から今の危機と向き合う
2月24日、ロシアのプーチン大統領は、ウクライナの「非武装化」やウクライナ東部の住民の“保護”を掲げ、同国への侵攻を開始。「現代のロシアは、ソビエトが崩壊した後も、最強の核保有国の1つ」「我が国を攻撃すれば、悲惨な結果になる」と、核兵器を引き合いに出した威嚇ともいえる発言にも及んだ。ロシア軍は19日、核弾頭も搭載可能な大陸間弾道ミサイルなどの発射演習を実施していた。
侵攻はウクライナの首都キエフにまで及んでいるほか、1986年に事故を起こしたチェルノブイリ原子力発電所は既にロシア軍のコントロール下にあると報道されている。この軍事侵攻や威嚇行為を、被爆者や、核兵器をなくすための活動を続けてきた国際NGOはどのようにとらえているのか。被爆証言を続けてきた和田征子(わだ・まさこ)さん、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)国際運営委員の川崎哲(かわさき・あきら)さんに伺った。
和田征子さんは1943年に長崎で生まれ、原爆が投下された当時は1歳10ヶ月だった。直後の筆舌に尽くしがたい被害の記憶がない自分が原爆や戦争について語っていいのか、躊躇することもあったという。けれども被害の実態などを知るほどに、「語らなければならない」との思いを強め、母から聞いた体験などを伝えてきた。
「人を殺し、命を奪うことを前提とした武力の行使は許されるものではありません。今ロシアが掲げているのは“大義”ではなく、“野望”にしかすぎません。世界にある核弾頭1万3,000発のうち、ロシアが最も多く、6,300発近くを保有しています。プーチン大統領は、その核に頼らなければ、“強さ”や“信頼”を示せないとでも思っているのでしょうか」
1985年、当時のソ連のゴルバチョフ書記長とアメリカのレーガン大統領の間で行われた米・ソ首脳会談の共同声明では、「核戦争に勝者はなく、また、核戦争は決して戦われてはならない」という言葉が盛り込まれている。核不拡散条約(NPT)再検討会議の開会予定日だった2022年1月4日(会議は8月に延期)、核保有国5か国が発表した共同声明でも、この言葉が再確認され、核戦争回避が謳われたはずだった。
「あの声明も、誠意がなく、何一つ具体的な実効性のないものでした。核を持つことで力を誇示する核保有国の傲慢さを感じました」と、和田さんは厳しく指摘する。
「核兵器禁止条約ができたとき、長い間叩き続けてきた重い鉄の扉が、ぎいっと音を立ててようやく開いた、という思いだったんです。被爆者は“生きていてよかった”と、本当に喜び合いました。けれどもその扉の内側をのぞいてみると、そこにあったのは巨大な軍事化や、日々開発される新たな兵器でした。被爆者一人ひとりが語り続けてきた小さな声は、プーチン大統領には届いていないのか、あまりにもか細い声だったのか、と暗澹たる思いです。国際社会にも、核兵器の非人道性を改めて知ってほしいと思います」
2月26日、広島と長崎で「ロシアのウクライナ侵攻に抗議する広島・長崎市民有志による緊急アクション」が行われ、市民が声をあげた。
「日本政府を動かすのは、こうした市民の力です。活動を続けていると、“日本はアメリカの核に守られている”という議員の多さに驚かされます。日本から明確にメッセージを出すには、日本も核の傘から出ることが必要でしょう。地道にやってきたことを、まだまだ訴えていきたいと思います」
核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)は24日、「民間人を核兵器によって大量殺戮すると脅すことは、人々を何ら保護することになりません」と、ロシアの軍事侵攻や、核兵器の使用を示唆するようなプーチン大統領の発言を強く非難する声明を発表した。国際運営委員である川崎哲さんは、「広島、長崎が繰り返される可能性が、現実のものとして出てきてしまったことを恐ろしく感じています」と語る。
「ロシアが行ったことは蛮行と非難するほかありません。まず、軍事行動そのものが許されないということは大前提であり、武力の行使、威嚇そのものが原則として国連憲章で禁じられています。その上で、プーチン氏の発言はやや間接的な言い回しの部分もあるものの、核兵器使用の威嚇と受け止めなければなりません」
核兵器禁止条約は、核兵器を使用するとの威嚇行為そのものも禁止している。ロシアは核兵器禁止条約に加わってはいないものの、1996年に国際司法裁判所が出した勧告的意見では、こうした威嚇も「人道法の原則及び規則に、一般的に違反する」と結論付けられており、今回のプーチン大統領の言動も国際法に反すると川崎さんは指摘する。
とりわけネット上では、「ウクライナが核兵器を放棄したから侵攻された」という声が散見されることにも違和感を覚える。
ソ連の一部だったウクライナには、かつて約1,900発の核弾頭が存在した。1991年にソ連が解体となると、ウクライナは残された核をロシアに返還してNPTに加盟すること、アメリカ、イギリス、ロシアはウクライナの主権と安全を保障することで合意した。これが、1994年に結ばれた「ブダペスト覚書」だ。果たしてウクライナの手中に核兵器があれば、侵攻は本当に免れたのだろうか。
「そもそもソ連解体後にウクライナにあった核兵器はロシアの核兵器であり、ウクライナに管理権があったわけではありません。さらに、2014年のクリミア併合や今回の軍事侵攻と、核兵器を持っていないことの因果関係は立証のしようがありません。ウクライナが核兵器を返還したのは90年代半ばであり、その途端に攻め込まれたわけでもありません。
もしもウクライナが核武装の道を選んでいたとしましょう。核兵器は突然持てるわけではなく、それを製造していく過程があります。その中で当然、国際社会は厳しい制裁を行ったり、時には軍事攻撃を仕掛けることもあるでしょう。北朝鮮がまさにそのような例です。北朝鮮は核開発を進めたことで、何度もアメリカの武力攻撃のリスクに晒されてきました。もし今ウクライナに核兵器があれば、危機をエスカレートさせることはあっても、危機を収束させることはありません。“核兵器があったらよかったのに”、というのは空想の世界の話です」
今回の侵攻と核兵器との関係については、ウクライナだけではなく、さらに大きな「構造の問題」としてとらえる必要があると川崎さんは語る。
「背景にあるのは、NATOとロシアの対立です。NATOは様々な支援をウクライナに対して行っており、そのウクライナに軍事侵攻すれば、場合によっては核保有国を含むNATOとの戦争になるかもしれない。ロシアは、それを分かっていながら、無謀にも軍事侵攻を開始しました。核が“抑止”になっていないことは明白です」
また、ロシア軍が現在占拠していると報じられているチェルノブイリ原子力発電所は、ウクライナがソ連の一部だった1986年4月に爆発事故を起こし、半径32キロ圏内が立入禁止区域となった。2016年、事故機を覆う鉄鋼製のシェルターが完成した後も、施設内の放射性廃棄物処理施設で作業が続けられている。また、ウクライナには現在、15基の原発が存在する。これだけ多くの原発が稼働している国への本格的武力侵攻は例がないと川崎さんは指摘する。
「チェルノブイリはもちろん、現在ある原発も戦争の中で大変危険な存在です。例えば通常の攻撃を受けることによって、放射性物質が拡散することになりますし、混乱の中で電源喪失し、コントロールを失うことも考えられます。運転する要員がその場から逃げ出した場合、原発が暴走したり、第三者に危険な物質が渡ったりすることもありえます。核兵器そのものが使用されなかったとしても、様々なシナリオの中で、核の大惨事となる可能性があります」
ロシアでは、政府に拘束されるリスクを冒してでも、多くの市民が路上で「戦争反対」の声をあげている。日本を含め、世界各地で様々な抗議行動が続けられている。今後、国際社会はどのような行動をとるべきだろうか。
「非軍事的な方法で、しかし厳しい制裁措置を含む形で、国際社会が結束して動いていくことが唯一の方法だと思います。ロシアに対して報復的な軍事攻撃をすれば、まさしく世界大戦になるでしょう。経済制裁は効力が不十分との声もありますが、軍事行動で解決できるはずもなく、世界中の市民の声と国際世論で包囲するしかないのです。それが、ロシアを改めて国際法の秩序に立ち返らせるための下支えになるでしょう」
その「国際社会」の中には当然、日本も含まれる。
「日本政府は今の意思表明に加え、岸田首相は広島選出ですし、広島、長崎で起きたことを繰り返してはならないことをもっと強く表明すべきです。核兵器を使うという脅しには、今以上に踏み込んで反論していくことが求められます」
一部には、「戦争反対」の声を、無意味だと揶揄する声がある。けれども核兵器禁止条約が被爆者と市民の地道な活動の結実であるように、声を積み重ねることには大いに意味がある。これから問われてくるのはそれをどう可視化させ、届け続けるかではないだろうか。
(2022.2.26/文 安田菜津紀)
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