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「日本のジャーナリストのみなさん、諦めないで」―「抵抗の都」で生まれた独立メディアからの声

2023年3月中旬――クルド自治区の山々は、鮮やかな緑に覆われていた。瑞々しい谷間を抜け、街の中心地に近づくにつれ、高層ビルや大型ショッピングモールが目立つようになる。80年代には住居の建設場所や高さも制限され、「成長」が許されなかった主要都市スレイマニアも、今や自治区内屈指の都会となった。ここは文学や詩など、文化の拠点であるのと同時に、サダム・フセイン政権時代の1991年、その支配に抗う民衆蜂起が起きた「抵抗の都」としても知られている。

「市民」のためのメディアをつくる

「自治区ができる前、サダムたちの気に食わないものを書けば絞首刑、という時代でした。“表現の自由”など存在するはずもなく、この社会のリーダーはただひとり、この社会に轟く声は彼の声のみ、という状況だったのです。自分の考えや意見を印刷して世に出すために残された道は、山を拠点にゲリラ活動を続けるペシュメルガ(クルドの武装組織――現在は自治区の治安部隊)に加わり、彼らの雑誌に寄稿することぐらいでした」

当時をこう振り返るのは、独立系メディア「アウェーナ」を率いてきたアソス・ハルディさん(60)だ。アソスさん自身もサダム政権時代、ペシュメルガに加わり、組織内のメディア部門に属しながら8年間を山で過ごした。

アソス・ハルディさん。スレイマニアの中心街で。

イラク北部にクルド自治区が築かれるのは、1991年の湾岸戦争後だが、そこに至るまでには、おびただしい数の命が奪われてきた。1988年3月16日には、イラン国境に面するハラブジャに化学兵器が投下され、当時の街の人口の1割を超える、約5千人が亡くなったとされている。

「サダムが率いるバース党は、クルド人の存在そのものを認めようとしない、レイシズムに基づいた政党でした。同様の兵器が使われたのはハラブジャだけではありません」

そうアソスさんが語るように、クルド人を標的とした「アンファール作戦」と呼ばれる攻撃は、約7ヵ月の間に5千以上の村々を破壊し、犠牲になった人々は18万人にものぼるとされている。

2023年3月16日、ハラブジャへの攻撃から35年という日。犠牲者の名前が刻まれた墓地の前で。

アソスさんは「アウェーナ」設立前、イラク初の独立系新聞といわれる「ハウラティ」に初期メンバーとして携わっていた。「ハウラティ」はクルド語で「市民」という意味だ。「ここでいう市民とは、言語や宗教、民族や肌の色にとらわれず、あらゆる人々のことです」とアソスさんは強調する。

自治区が制定されてからは、一定程度「言論の自由」が認められていたものの、海外からの投資が相次ぐ中、政党や公権力には汚職も蔓延していく。ところが、そうした腐敗を公正な形で指摘するメディアは存在しないに等しかった。直接的であれ間接的であれ、あらゆるメディアが政党などの支配や影響を受けていたのだ。

アソスさんは様々な媒体で、政治をテーマに、ときに政権を批判するような記事を寄稿していたが、掲載を見送られてしまうこともしばしばだった。そんなときに、印刷所のオーナーのアイデアから始まったのが「ハウラティ」だった。それはアソスさんと同じく、ジャーナリズムが抑圧される状況にジレンマを抱えていた若手のライターたちが、自分たちの手でメディアを作ろうという試みだった。

「ハウラティ(市民)の名の通り、市民の権利について書き、民主主義を作り上げることに参加していこう」――そんな志を抱いて立ち上がったものの、サダム政権のプロパガンダメディアしか流通してこなかった社会には、ジャーナリズムの知識やノウハウの蓄積が、まったくといっていいほど存在しなかった。

「アンファール作戦」の「成果」を伝える当時の新聞。チャンチャマルのアンファール・ミュージアムで。

「未来の自由」を代償にしてはならない

海外メディアがスレイマニアを訪れる度、彼らから手ほどきを受け、「ジャーナリズムとは何か」を学び、試行錯誤を重ねた。

アメリカによるイラク侵攻でフセイン政権が倒れた2003年には、ハウラティは発行部数2万5千部を誇る、クルド自治区有数の新聞に成長していた。ところが、組織の拡大は次第に摩擦を生み、経営陣と編集スタッフの間で意見がすれ違うようになる。

アソスさんはその後ハウラティを離れ、2006年、数人のメンバーと共に、タブロイド紙「アウェーナ」の発行を開始。「アウェーナ」はクルド語で「鏡」の意味であり、「真実を映し出す」という決意がこの名に込められた。政治権力からの独立はもちろん、特定の人物による独占状態が生まれないよう、個人が持ち得る資本の比率も要綱で制限されている。

しかし政治的な圧力のみがジャーナリズムの障壁ではない。根深く残る保守的な価値観に基づく攻撃が、アソスさんの家族に及ぶこともあった。大学教授でもあるアソスさんの妹は、研究者としてジェンダー問題に取り組み、LGBTに関する調査も行ってきた。彼女やアソスさんのもとには脅迫めいた文言が届き、SNSやネットには彼女らに関するフェイクニュースが溢れ返った。

「例えばイラクでは、保守的なコミュニティとの軋轢が起きた場合、メディアは保守政党に妥協し、事態を収めようとすることがしばしばあります。けれどその代償は、“私たちの未来の自由”なのです。既存の世俗政党が内輪争いに明け暮れ、金や権力に腐心している間に、それに対する怒りが、不寛容な宗派政党の成長を許し、保守的な傾向を強めているとも感じます」

スレイマニアのカフェで取材に応じるアソスさん。

全ての人権は言論の自由を土壌とする

アメリカによる侵攻から今年(2023年)で20年という月日が経つ。「あからさまな検閲は今はない」としながらも、現在の言論や報道の自由度を、100点満点中「30点」と、アソスさんは厳しく評価する。

「ここでは今も、誰を罰して誰を捕まえるのか、政治家たちの意のままに物事が決まっていきます。不当に拘束され、“刑期”を終えてなお、釈放されずにいるジャーナリストたちもいるんです」

法的な枠組み自体が不十分なうえ、裁判官たちも政治権力から独立して判断しているとは言い難い状況だという。

そして、アソスさん自身にも、直接的な身の危険が及んだ。

2011年のある日、同僚たちはすでに帰宅し、アソスさんはひとり事務所に残っていた。夜7時近くなり、施錠して通りに出ると、ラマダン最終日ということもあってか、周囲に人影はなかった。少し離れた道端で、携帯電話で何かを話している男性がいたが、アソスさんは特段気に留めることもなかったという。ところがその男性がアソスさんの後をつけて、突然頭部を複数回殴りつけてきたのだ。偶然、別の2人組が通りがかったために事なきを得たものの、6ヵ所の傷を30針以上縫う怪我を負った。犯行に及んだ人物は今も特定されていないが、「当時は政府高官の汚職問題を追っていた」という。

脅威となるのは身体的な暴力だけではない。権力者にとって不都合な記事を書く度に、「あいつは密かに特定政党とつながっている」「金をもらってやっている」などといったデマも拡散され、「簡単な仕事ではない」と、アソスさんは噛みしめるように語る。

こうした圧力に屈しないためには、どのようにすればいいのだろうか? そんな質問に、アソスさんは「プロフェッショナルであること」と即答する。

「我々ジャーナリストの仕事は、政治・文化・宗教、あらゆる分野で起きていることへの認識を広め、自分の人生を選び取っていくための必要な情報を提供していくことです。つまり、人間につながる全てに関わる仕事なんです」

「人間の力を信じるなら、言論の自由を信じる必要があります。全ての人権は言論の自由を土壌とするからです。言論の自由を守ることを怠ることは、すなわち、人間が人間であることを諦めることなのです」

そしてこうも付け加える。「ただし、ヘイトスピーチは論外です。言論の自由とは、他者を侵害する自由ではありません。ヘイトスピーチは、明確な侵害行為です」。

夜のスレイマニアの街を見下ろして。

自由や人権のための最後のフロントライン

イラク戦争から20年経った今も、世界では武力による犠牲が絶えない。日本でも防衛予算を大幅に増やすことが掲げられている。

「戦争による利益のために大衆を刺激する」動きに対し、アソスさんはこう警鐘を鳴らす。

「自身の感情や怒りだけにとらわれないこと、民衆の怒りから利益を得ようとする人間に追随しないこと――。常に再考することが重要です。今見えているものが世界の全てではない、他の側面もあるのだと、メディアも発信する必要があるでしょう。メディアにはそうした力があるからこそ、権力は抑圧し、支配しようとするのです。物事の多面性に気づかせないために」

アソスさんに、今の日本で起きていることを伝えてみた。高市早苗氏による「停波発言」や、放送法の解釈を巡る問題について一通り説明すると、「あれだけの大戦を経験しながら、数十年のうちに世界の大国になった進歩的な国、と理解していたのだが……」と、驚いた様子だった。

「独立したメディアは、自由や人権を支持する人々にとって、最後のフロントラインになり得るものです。日本のジャーナリストのみなさん、どうか諦めないで。未来を信じて下さい。未来は自由から生まれるものです」

2017年1月、「イスラム国」との戦闘が続く、ペシュメルガの前線近くで。

一時は海外からの投資が相次ぎ、年々成長を続けてきたクルド自治区だったが、過激派勢力「イスラム国」の脅威や、隣国との緊張関係などを背景に、経済危機に直面している。

独立メディアが次々と人員削減に追われているのを後目に、政党の息がかかったテレビ局などは世界中に支局を構えている。独立メディアに扮しながら、実態は政党や政府高官の影響下にある「シャドーメディア」も生きながらえている。

「フェアなメディア同士の市場競争がない」中で、アウェーナは2018年にタブロイド紙の発行を中断し、ウェブ記事のみのメディアとなった。コロナ禍前に事務所も閉じ、5人しかいないスタッフは、それぞれの場所から仕事を続けている。ウェブ広告や国際NGOからのファンドなどに頼っているが、現実は厳しい。

「一時は閉鎖も考えましたが、アウェーナの名前は残そうと、今は思っています。将来、もしかしたら状況が変わっているかもしれないという可能性にかけて――」

アソスさんは、ジャーナリストの国際会議やワークショップなどにも積極的に参加し、知見を深めてきた。「権力からの独立」というテーマは、状況は違えど各国メディアが常に抱えてきた課題のひとつだろう。もちろん、日本もだ。だからこそ国境を越えたメディア同士の連帯が、ますます求められてくるのではないだろうか。

(2023.3.18 / 写真・文 安田菜津紀)

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