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Feature特集

「村を良くしたい」―福島・飯舘村への“恩返し”をこれからも

2024年1月中旬、埼玉県内のマンションの一室。

ソファに腰を下ろし、すっかり慣れた手つきで赤ちゃんにミルクをあげる新米パパがいた。

佐藤聡太さん(31)=福島県飯舘いいたて村出身。生後4ヵ月のちいさな我が子を愛おしそうに見つめる。

その優しい目元は、大学時代の「聡太くん」と変わらない。聡太くんは、私(筆者=福島県浪江町出身)の大学時代のひとつ後輩。第一子が生まれたと聞き、この日、赤ちゃんに会いにお家にお邪魔した。

同じ福島出身ということもあり、親しくなった聡太くんと私。出会って10年以上になるが、昨年(2023)年の夏、聡太くんの地元・飯舘村を初めて一緒に訪れた。

2024年1月、自宅で子どもにミルクをあげる聡太くん。(田中えり撮影)

毎年、友人を連れて地元・飯舘村へ

2023年8月上旬。よく晴れた夏の日の朝、聡太くんは福島県飯舘村へ向かっていた。

飯舘村は、福島県の沿岸地域・浜通りに含まれ、村面積の実に4分の3を山林が占める。「緑豊か」という表現がぴったりな場所だ。阿武隈山系北部に位置し、高原地帯特有の涼しい気候で知られる。

大学院時代の友人らとJR福島駅に集合。そこから車で1時間ほど移動すれば、聡太くんが幼少期を過ごした飯舘村に到着する。

聡太くんは小学2年生まで福島市で過ごした後、父の実家がある飯舘村に家族で移った。田んぼや畑、小川に囲まれた豊かな自然の中で、父方の祖父母と両親、兄と弟の7人家族で育った。

福島市から飯舘村へ引っ越す前も、毎年のお盆やお正月は飯舘の祖父母宅に1週間ほど泊まっていたという。

「幼い頃で一番記憶に残っているのが……」。聡太くんが、飯舘村での思い出を楽しげに教えてくれた。

「家の近くに橋があるんです。川にはヤマメとかがいて。5歳下の弟はまだ生まれる前だったから、兄ちゃんとふたり。川で魚を見ながら、じいちゃんが仕事から車で帰ってくるのを待ってた。それで、じいちゃんが帰ってきたら、その車に兄ちゃんと乗って帰るっていう」

聡太くんの祖父母は農家。家で食べるお米も野菜も「たいていのもの」は祖父母が作っていた。

2008年4月。福島市内の高校に進学した聡太くんは、市内で下宿生活を送った。私立の進学コースに入り「本当に毎日勉強しまくった」。睡眠時間を削り、朝から夜中まで、親が心配するほど勉強していたという。

「農村を良くしたい」

勉強漬けの毎日を送っていた高校2年生のある夏の日のこと。

週末、飯舘の家でいつも通り勉強机に向かって課題を進めていると、祖父母が農作業をする姿が目に入った。畑仕事をするふたりを見て、直感的にこう思った。

「じいちゃん、ばあちゃんの力になりたい。農村を良くしたい」

どうしたら村を良くできるだろう――。そう考えるようになった聡太くんは「村長になれば実現できるはず」と思いついた。後日、担任の先生に「将来は村長になる」と宣言した。

夢の実現のため、大学では農村環境や地域づくりについて学ぼうと農学部を選択した。

2011年3月。高校の卒業式を終え、進学先の大学も決まり「あとは遊ぶだけ」と思っていた頃だった。「あの地震」と「原発事故」が起きた。

大学入学を翌月に控え、原発事故が

3月11日、午後2時46分。聡太くんは母親と弟と、飯舘村にあるラーメン店にいた。「ラーメンを食べ終わって、アイスクリームを食べていました。店の窓ガラスがブワンブワンって揺れて、机の下に隠れて。外に出ると、車は縦揺れでしたね」。

三陸沖を震源とするこの地震は、宮城県北部で最大震度7を観測。飯舘村も震度6弱を観測し、大きな揺れに襲われた。

「農家だったから食べ物は困らなかった。家の外で炭でご飯を炊いて食べたり。友だちにご飯とかおにぎり持って行ったりしてました」

3月12日から15日にかけて、東京電力福島第一原発では水素爆発が起きた。飯舘村は、この原発から近いところで30キロほどの距離。村では近隣の被災者らを受け入れ、避難所が設置された。

原発事故直後、避難指示は原発から半径2キロ、3キロ、10キロ、そして20キロ圏内へと拡大していったが、飯舘村は含まれていなかった。だが実際には、風向きの影響で飯舘村にも多くの放射性物質が飛散していた。

事故から約1ヵ月後の4月22日、政府は飯舘村を「計画的避難区域」に設定。住民説明会などを経て、実際に避難がほぼ完了したのは、事故から約3ヵ月後、6月に入ってからだった。

聡太くんは当時をこう振り返る。

「原発事故があった後は、『やばいぞ』ってなって、親戚のところにじいちゃん、ばあちゃんも一緒に避難しました。4月からは僕の進学先の大学があった(栃木県)宇都宮市に来て、その後は、家族は村が用意した福島市内の避難施設に移っていきました」

「原発が爆発して、『人体に影響が〜』とか聞くようになって。飯舘の体育館で東電の説明会みたいなのがあって、それをテレビのニュースか何かで見たんですけど、知ってる女の子が『私は妊娠できるんですか』って怒ってたんです。それが印象に残ってますね」

2012年7月、聡太くんが大学2年生のとき。村の避難区域は「帰還困難区域」、「居住制限区域」、「避難指示解除準備区域」に再編された。全村避難は長期化していった。

広報いいたて 平成24年3月号、平成29年4月号、平成30年4月号、令和3年3月号、令和5年5月号を基に作成。

「ふくしま復興情報ポータルサイト」避難区域の変遷について-解説- https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/cat01-more.htmlを基に作成。

飯舘に人が集まる場、花園をつくりたい

聡太くんと、友人たちを乗せた車は、飯舘村に入った。聡太くんの弟、奨悟くんが運転してくれている。

この日飯舘村を訪れた目的のひとつは、聡太くんが大学院時代に友人たちと作った花壇の手入れ。この花壇の地主は、飯舘村で長年農業を営む大久保金一さん(83)だ。

聡太くんは宇都宮市内の大学を卒業後、都内の大学院に進学した。ゼミの先生が原発事故後から飯舘村で活動していた縁が重なり、大久保さんと出会ったという。

「自分の土地を使って、多くの人が飯舘村に来たくなるような花園を作りたい」――。

当時、村全域への避難指示は続いていたが、大久保さんの想いを知った聡太くんや友人たちは何度も村へと足を運んだ。大久保さんとともにスイセンやバラを植え、奥行き約20メートル、幅10メートル弱の「いいたて花壇」が完成した。花壇は、聡太くんたちのアイディアで飯舘村の形になった。

2017年3月末、飯舘村の避難指示が「帰還困難区域」を除いて解除された。聡太くんは大学院を修了し、社会人になった。

それからも毎年、友人たちと一緒に大久保さんの元を訪ねている。

2023年8月、友人たちと飯舘村を訪れた聡太くん(右から3人目)。(田中えり撮影)

穏やかな暮らしが原発事故で……

県道12号原町川俣線を車で走る。田んぼがひろがる景色の先に、木造の大きな建造物が見えた。看板には「いいたて村の道の駅 までい館」とある。2017年、村の避難指示が一部で解除された年にオープンした施設だ。村の復興や再生の拠点としてその役割を果たしている。近くでは、たくさんのひまわりが咲きそろい、風に揺れていた。

ほどなくして、大久保さんも道の駅にやってきた。駐車場に車を停め、聡太くんたちの姿を見つけると、大久保さんはにこっと笑った。

道の駅で少し休憩し、近況を報告し合い、大久保さんの家へ向かった。

大久保さんの家のほど近くで。(田中えり撮影)

大久保さんは1940年生まれ。戦後、まだ子どもだった大久保さんの親が飯舘村で土地を開墾した。大久保さんはその土地を守り、田んぼを広げていったが、1971年に国の減反政策が始まった。そこで葉たばこの栽培を始めたが、それも生産過剰とされ続けることが難しくなり、次に始めたのが花き栽培だった。リンドウやカスミソウ、トルコキキョウなどを育てて出荷するようになった。

そうして、母・コトさんとふたりで穏やかに暮らしていた2011年3月、原発事故が起きた。福島市内の仮設住宅などに身を寄せたが、育てていた花たちが気がかりで、頻繁に自宅に戻っては手入れする生活を続けたという。

2017年3月末、大久保さんの自宅のある場所も避難指示が解除された。大久保さんは飯舘村での生活を本格的に再開させた。

大久保さんの家のすぐ目の前には畑や花壇が広がっている。大久保さんは、鮮やかな黄色のひまわりの花びらに、大切そうに手をやった。「ひまわりはね、東から西に陽を求めて花が回る。そのいわれで『ひまわり』って言うんだよ」。優しい声で、そう教えてくれた。

聡太くんたちが作った「いいたて花壇」には、すっかり草が生い茂っていた。

「これはすごいね」「よし、やるか」

みんなはテキパキと作業に取り掛かった。汗が吹き出すほどの暑さの中、黙々と草を抜く。セミの元気な鳴き声が遠くから、近くから、あちこちから聴こえてきた。

休憩を取りつつ、1時間ほどの作業で、雑草はほとんどなくなった。大久保さんは嬉しそうだ。聡太くんも、他のみんなの表情にも達成感がにじむ。

花壇の草むしりを終え、大久保さん(中央)を囲んで記念撮影。(田中えり撮影)

「村を良くしたい」――変わらぬ思い

現在、聡太くんは埼玉県内で暮らしながらも、飯舘村とのつながりを持ち続けている。大久保さんの元を訪ねる毎年のツアーでは、他にも村の施設などを友人たちに案内し、村の現状を伝えている。

ほかにも、村で鳥獣被害が深刻化していると聞けば、自ら狩猟免許を取って村に足を運ぶなど、自分にできることを考え、行動に移している。

「村を良くしたいっていうのが今も大きな目標。(自分が)村長にならなくても、村が、日本の農村が良くなればいい。全ての村を良くすることはできないから、飯舘村を良くして、そのやり方が日本の農村に広がっていくっていうのができたらいいな、って」

聡太くんにとって「良い」村とはどんな姿を指すのだろう。

ゆっくり間を置いて考えてから、こう答えた。

「循環している状態かな。人が足りなくて耕作放棄地になっているところも、担い手がつけば続いていく。農村がうまく回って、問題がない状態にしたい。じいちゃん、ばあちゃんを見ていて、『助けたい』……というか、『力になりたい』『支えたい』と思ったから」

悲しむより、喜べるアイデアを

2023年5月、飯舘村内で唯一避難指示が続いていた帰還困難区域、長泥地区の一部(特定復興再生拠点区域)で避難指示が解除された。

村の人口は原発事故前は約6,000人。現在、村に住民登録があるのは約4,700人(2024年1月末時点)、村内で暮らすのは約1,500人(2024年2月1日現在)だ。

聡太くんの両親、祖父母は、現在は福島市と飯舘村の家を行き来して生活している。

「事故から10年以上が経って、今フェーズは変わってきている。ほかの土地で10数年生活して、今、成人を迎える子どもたちは、人生の半分以上は他の場所で生活している。移住者も増えてますしね」

建ち並んでいた家がなくなって更地になっていたり、新しい建物ができたり。村の変化や「復興」の様子を、聡太くんは冷静に見つめている。

「正直、施設とかいっぱい新しいの建ってるなぁって思いますよ。自分にとって思い入れのないものが村に建っていって、それは悲しいけど、でも家族で行ってみようとか、それで新しい思い出ができたりするから。悲しみはあるけど、それより喜べるアイデアを出したいなと思います」

大久保さんの家の庭で咲いていたバラ。(田中えり撮影)

飯舘村がなかったら今の自分はいない

飯舘村と関わり続ける理由を尋ねると、「『楽しい』がそこにあるから」と力強い答えが返ってきた。「それが原動力というか。飯舘村にみんなを連れていくツアーも、基本好きな人を誘っている。友だちとご飯に行く、遊びに行くの延長線上にありますね」。

飯舘村は、聡太くんにとって「恩返しをする場所」だという。

「飯舘村があって、祖父母がいて、両親がいて、今の自分がいる。飯舘村がなかったら、今の俺はいない。受けた恩は返さないといけないから」

自分を育ててくれた家族、そして地域への深い愛情が伝わってきた。

そして今度は聡太くんがいのちを育てる番になった。

「この子のいる場所が太陽のように明るくなりますように」。聡太くんは我が子の豊かな未来を願っている。

笑ったり、泣いたり、「あー、うー」とおしゃべりしたり。表情がころころと変わる赤ちゃん。聡太くんも、その場にいる私も、自然と笑顔になる。

この子にとって明るく、安心できる場所が、誰からも、何からも奪われない人生でありますように。

聡太くんの腕の中でいつの間にか眠りについた赤ちゃんに、そう祈りを込めた。

聡太くんにだっこされる赤ちゃんの手。(田中えり撮影)

参考資料
令和2年度飯舘村民自分史づくりプロジェクト『飯舘村に生きて 20人の足跡③』「大久保金一さん」(発行:飯舘村)

(2024.2.29 / 田中えり)


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