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安田菜津紀に対する差別裁判の高裁勝訴判決について——解説:「差別的な表現を用いた侮辱」とは

date2024.3.6

categoryお知らせ

本記事は裁判詳細をお伝えするため一部に差別文言を掲載しております。ご注意ください。

Dialogue for People副代表/フォトジャーナリストの安田菜津紀へのインターネット上での差別書き込みについて、2021年12月8日に提訴、その後の控訴審の判決が、2024年2月21日に言い渡されました。結果としては、その投稿は「差別的な表現を用いた侮辱」であるという一審判決を維持、という形にて判決が下されました。被告はついに最後まで法廷に姿を表しませんでした。本記事ではこの訴訟・判決の意義や課題についてご紹介します。

本件のあらまし

2020年、Dialogue for Peopleの公式サイトに、安田の執筆した記事『もうひとつの「遺書」、外国人登録原票』を掲載したところ、それに関連してTwitter上で差別コメントが投稿されました。この記事は、朝鮮半島にルーツを持ち、元は韓国籍、後に日本国籍を取得した安田の父について書いたものです。

その記事には大きな反響がありました。温かい言葉をかけて下さった方もいれば、差別を上塗りする言葉を吐きかけてくるSNS上の書き込みもありました。本訴訟の対象となる、西日本在住の男性(年齢不詳)による投稿(以下、本件投稿)は下記のものです。

《在日特権とかチョン共が日本に何をしてきたとか学んだことあるか?嫌韓流、今こそ韓国に謝ろう、反日韓国人撃退マニュアルとか読んでみろ チョン共が何をして、なぜ日本人から嫌われてるかがよく分かるわい お前の父親が出自を隠した理由は推測できるわ》

一審判決は上記の内容を「差別的な表現」だと認めたうえで、慰謝料の算定に関しても、《差別的な表現を用いた上で在日コリアン二世である原告の父親のみならず、その子である原告をも韓国にルーツを有することを理由に「お前」などと指称して侮辱するものであり、本件投稿によって原告が受けた精神的苦痛を軽視することはできない》とし、被告に33万円の支払いを命じました。

当該判決では、下記のように「差別」そのものの暴力性にも触れています。下記に判決文の一部を引用します。

差別的言動解消法の前文において「不当な差別的言動は許されない」とされ、また、人種差別撤廃条約4条において「締約国は〔中略〕差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束する」と定められていることなどに照らせば、上記のような差別的な表現を用いて原告を侮辱する本件投稿は、社会通念上ゆるされる限度を超える侮辱行為であると認められる。

「差別」という文言を判決に使用することに消極的な日本の司法において、上記は「侮辱」という範囲内に押しとどめるものではあるものの、本件投稿そのものは「ヘイト投稿」であり、「差別的な表現を用いた」ものであるという判決となっています。

ところが、一度も法廷に姿を表さなかった被告は控訴し、それに合わせて原告(安田側)もより踏み込んだ判決を期待して付帯控訴を行いました。

控訴審の判決とその評価

控訴審において原告側(安田)は、一審判決では認められなかった点として、本件投稿が下記、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(ヘイトスピーチ解消法/差別的言動解消法)」の第二条による「差別的言動」であると、主張してきました。

第二条 この法律において「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」とは、専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの(以下この条において「本邦外出身者」という。)に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動をいう。

一審判決が上記を認めなかった理由としては、《原告を地域社会から排除することを扇動するような表現であるとまではいえないし、また、実際に原告が地域社会から排除されたと認めるに足りる証拠もない》などとしています。

控訴審では、原告(安田側)は「具体的に地域社会から排除されたこと等は同条にいう差別的言動に該当するための要件ではない」とし、改めて当該投稿が「差別的言動」であると主張しましたが、高裁判決では《差別的言動解消法はいわゆる理念法であって直接の裁判規範性を有しない》《解釈指針として検討の対象になるにすぎない》——つまり、本訴訟(民法709条所定の不法行為に基づく損害賠償請求権)においては、ヘイトスピーチ解消法/差別的言動解消法は、「参照するもの」に過ぎず、それをもって本件投稿の違法性を問うものではないとしています。

高裁判決では上記をもって裁判所の判断としており、本件投稿がヘイトスピーチ解消法/差別的言動解消法第2条で定義されている「差別的言動」にあたるか否か、という判断は行っていません。そのため、「(同条の差別的言動であるため)差別されない権利を侵害するから違法である」という原告(安田側)の主張は検討されませんでした。

そのほか、いくつか論点はありましたが、冒頭で述べたとおり、高裁判決は地裁判決を維持するものとなりました。

判決後記者会見の様子。(田中えり撮影)

「差別的な表現を用いた侮辱」とは何か?

本件判決にて述べられている「差別的な表現を用いた侮辱」とは何でしょう? それは結局のところ、「差別」であり、決して許されることのない、人権侵害なのではないでしょうか。

原告(安田側)は、「名誉感情侵害」と「差別的言動」を下記のように主張しました。

「名誉感情侵害」——個人の努力によってされた人格形成についての誇りに対する誹謗であり侵害である。

「差別的言動」——本邦外出身者は、個人の努力ではどうすることもできない、生まれながらの属性に基づき攻撃され差別されその尊厳を奪われて「一般的かつ包括的な人格権」を侵害されるのであって、上記の名誉感情侵害とは異なる。

ところが高裁判決では《両者の相違は、その精神的利益が個人の努力によって生み出されたものであるか否かにあるとするものであるが、そのように解する根拠を見いだすことができず、被控訴人独自の理論と言わざるを得ない》とし、もしそうした要件を「差別的言動」の根拠とするのであれば、「個人の容貌」や「親の資産状態」なども個々人の努力ではいかんともしがたいものであり、それらに対する否定的言説も「差別的言動」ということになるが、一般的には「名誉感情侵害」であるなどと解釈しました。

しかし、本当に上記は比べることのできるものなのでしょうか? 本邦外出身者に対する差別というものは、日本社会の歴史的文脈を抜きにしては語れないものです。

1910年、日本は朝鮮半島を植民地としました。 当時の植民地政策により生活の手段を失った人々の中には、日本への渡航を余儀なくされた方々も大勢いました。また、日中戦争後の戦時体制下では、労働力として多くの朝鮮人が動員され、過酷な労働に従事させられていきます。

日本の敗戦後、多くの朝鮮人は帰国を望みましたが、当時の朝鮮半島の社会事情や、財産の持ち出し制限などにより、帰国をためらう人々もいました。朝鮮半島出身者は、日本の植民地時代には「日本人」とされていたものの、1952年のサンフランシスコ講和条約の発効に伴い、日本国籍を剥奪され「朝鮮籍」というカテゴリーで外国人登録法の適用を受けることになります。

その後朝鮮半島は南北ふたつの国に引き裂かれ、1965年、日本は南側の韓国とのみ国交を結びました。その際に韓国籍を取得した人もいれば、「朝鮮人」「朝鮮籍」のままでいることを選んだ人たちもいます。

93年より、「朝鮮籍」 の人々も 「特別永住者」の対象となり、現在「在日コリアン」 は、韓国籍・朝鮮籍を含めて約40万人が「特別永住者」として日本社会で生活しています。中には日本国籍を取得する人々もいます。ところが、そうしたルーツを持つ人々へのヘイトスピーチ・ヘイトクライムは未だ払拭されておらず、実際に放火事件なども起きています。

そうした歴史的背景を無視したまま、高裁判決では「一概に(差別的言動が)名誉感情毀損よりも深刻であるということはできない」としています。

差別というものが、深く社会を分断し、排除を助長、ジェノサイドへと繋がる危険性のあるものだということは、昨今の世界情勢を見ても明らかでしょう。

いまだ司法における「差別」という言葉は、「表現の自由」より価値の低いものと見られているのではないでしょうか。しかし、「表現の自由」とは本来、権力の濫用を法で縛り、自由・人権を保障するために保障される権利であり、決して「誰をどのように傷つけてもいい自由」ではありません。そして差別というものは、その矛先を向けられた人々の「表現の自由」を奪うものでもあります。

原告(安田側)は、より明確に「差別」というものが考慮される判決を求め、最高裁への上告を検討しています。私たちは次世代にどのような社会を手渡したいのでしょうか。出自やルーツによって差別・排除される社会ではなく、誰もが尊厳を守られる社会こそ、今を生きる大人たちが育んでいかなければならないものではないでしょうか。

最後に、本裁判を支えて下さる多くのみなさまに改めて感謝を申し上げます。より良い社会の実現に向けて、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

(2024.3.5 / 佐藤慧)

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