「ラグビーだったら、戦争しなくていいんだね」 Dialogue for People理事 谷口真由美インタビュー
2019年10月よりNPOとして活動を発足させたDialogue for People。さまざまな分野で「伝える」活動に取り組む人々が参画しています。それぞれにどのような思いを持って活動しているのか、不定期でインタビューをお届けします。
今回お送りするのは、昨年2019年10月に、弊会副代表、安田菜津紀とともにイラク北部、クルド自治区を訪れた理事の谷口真由美。現地の人々との出会いや、厳しい歴史に触れ、何を感じてきたのか。そしてD4Pとして、今後発信すべきこと、取材者としてあるべき姿勢について語りました。
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穏やかな人々と、ほどよい距離感
―昨年10月、イラク・クルド自治区を一緒に訪れましたが、どんな印象を受けましたか?
イラクにしても、クルドにしても、行く前は自分の中でのイメージが乏しかったと思います。IS(過激派勢力「イスラム国」)が近くまで来たところ、砂漠が広がる地、といった漠然とした思い描き方しかできていませんでした。実際に飛行機の窓から眺めた風景は、川のそばには緑もあり、チグリス川沿いに文明があったところなのだと感じさせてくれました。
滞在したアルビルには、立派なホテルもあり、派手な電飾に彩られたマンションもありました。こうした風景も平和の象徴の一つなのだと思います。あれだけの灯りがあるということは、空爆がないということですから。
―「何もない」というイメージとは違った風景を目にされたと思いますが、人の雰囲気などはどう感じましたか?
街中で出会う人々からは、穏やかな印象を受けました。20年前に訪れた南アフリカのスラム街では、持ち物に常に神経をとがらせたりと、ぴりぴりと張り詰めた感じがありました。アルビルではバザールを訪れ、シリアから来たというお菓子屋さんや洋服の市場を巡りましたが、はしゃぎながらヒョウ柄の服を探している間も、お店の人はなごやかに見守ってくれていました。あまり観光地化されていないことも影響しているのかもしれませんが、べったりでもなく、突き放すでもなく、ちょうどいい距離感は居心地がよかったです。
―実際に現地の人の家に泊ることもあり、目の前で生きた羊をさばいて下さいましたね。
丁寧に扱っていたこともあり、羊がすっと眠るように亡くなったことが印象的でした。作業にあたるご家族も、大きな声を出すでもなく、騒ぐでもなく、日常にある光景なんだと感じました。一人、二人ではできない、常に協力しながらの作業なのだと思います。本来の「いただきます」はこういう感覚だったんだろうな、と思いながら見ていました。
クルド自治区で感じた、ラグビーの可能性
―駐在員の方々が作ったクルド自治区唯一のラグビーチームには、地元のメンバーが少しずつ増えてきているようです。チームを訪問してラグビーボールやジャージを届けたときは喜ばれましたね。ただサッカーに比べると、ラグビーはまだまだ知名度の高いスポーツとはいえないようです。
草ラグビーに近い形でプレーしているチームでしたが、クルドというマイノリティーの中の、さらにマイナーなスポーツに取り組み、手探りでチームを作っているところに、皆さんの熱意を感じました。
―日本のNGOであるJIM-NETが運営する、小児がんの総合支援施設「JIM-NETハウス」で、ラグビーはどんな競技か紹介したりしましたね。
ラグビーは国の代表ではなく、ユニオン(協会)代表です。だからアイルランドなども国家ではなく協会代表として出場しているし、日本代表も国旗ではなく、桜のエンブレムをユニフォームにつけています。そんなお話をしたら、13歳の小児がんの女の子に、「ラグビーなら、国を考えなくていい、戦争しなくていいんだね」と言われたんです。大西鐵之祐先生(元ラグビー日本代表監督)の「ラグビーをするのは戦争をしないためだ」という言葉にも重なります。
クルド人は国を持たない最大の民族と呼ばれていますが、「クルド・ユニオン」としてチームを作れる可能性もあるのではないかと思います。ユニオンは国家、国境とは違った成り立ちなので、クルド人のように国をまたがって生きる人々でもチームができるかもしれないんです。こうしてチームができれば、もしかすると世界の政治の線の引き方を変えることにもなるかもしれません。
クルド自治区の「広島通り」
―13歳の女の子の「戦争をしなくていいんだね」という言葉には実感がこもっていますね。今回の訪問では、サダム・フセイン政権が、クルド人を標的に化学兵器を使用したハラブジャも訪れました。1988年の攻撃で、5,000人近い人々の命が奪われた街です。
ハラブジャでは「Heroshima Street(広島通り)」と現地の人々が名付けた通りが印象的でした。自分たちの街と同じように、大量破壊兵器などで壊滅状態になった街を思い、8月には広島や長崎のために祈りを捧げて下さっていると伺いました。ここを通る人たちは毎日のように、「広島」の地名を目にするのでしょう。
一方、少なくとも私はハラブジャのことをほとんど知りませんでした。そんな思いの至らなさを恥ずかしく感じました。「そんな風に日本のことを思ってくれてありがとう」ではなく、「知らなくてごめんなさい」、という気持ちになりました。これほどまでに日本を思ってくれている彼らと、それを分かっていなかった私たちの非対称性…知識がなかった自分を情けないと思いました。
―ハラブジャで起きた悲劇など、虐殺や紛争がニュースで伝えられるとき、どうしても人々の声が「数」に置き換えられがちです。
こうした地で起きていることは、「何万人が亡くなりました」と数で伝えられるだけになってしまう。でももし、自分が大変な目に遭ったとき、その「何万人」に入れられて語られたいか、と考えます。私は数ではない、私は一人一人の「一」だ、と。
安易な線引きではなく、紙一重であることを自覚する
―イラクに限らず、隣国でクルド勢力が事実上の自治を行う地域でも、多くのIS関係者が拘束されています。以前取材した、10代でISに参加したというインドネシアの女性は、「イスラム教に傾倒していったのは失恋したことがきっかけ。インドネシアに残っていたところで、両親が私の人生をコントロールして終わっていたはずよ」と複雑な心境を語りました。もちろんISが重ねてきた非道な行為は決して容認できませんが、ともすると自分自身も何かのきっかけで「加害者」になりえる可能性を考えずにはいられませんでした。
これまでD4Pで発信してきたIS関係者の取材を見ると、こうなる前にこの人たちにも人生があっただろうことを考えてしまいます。インドネシアの女性の話を聞くと、彼女たちと私たちの間にはっきりと線が引けるだろうか、今日の私が明日のあの子になるかもしれない、それがどこでどう崩れるかなんて分からない、と思うんです。人間は皆、紙一重のところで生きているんだ、と。
―取材した元IS戦闘員の男性たちの中には、「シリア内戦に無関心ではいられなかった」と語った人もいました。
ISに参加していった人々も、ある意味「無関心」ではなかったからこそ、揺さぶられて参加した一面もあるでしょう。社会は「一歩踏み出せ」「前へ進め」とたたみかけてくる。その方向が正しいか正しくないかは誰が決めるのでしょう。「前へ前へ」といわれても、踏み出すための受け皿は十分なのだろうか。アクセルを踏んだはいいけれど、運転の仕方を教えていなければクラッシュしてしまうでしょう。
出会う人々と、心のピントを合わせていく
―こうして多くの傷や問題を抱える場所に伺う時、取材者としての姿勢が問われますね。
目の前の人と視線を合わせるというのは、カメラのレンズのピントを合わせるのと同じなのだと思います。その人にフォーカスし、心のピントが合わないと、取材はできないと思います。
D4Pは、辛い状況を目にして、自分自身も傷つきながらも、現地に赴いて取材したり、音楽を紡いだりしている集団だと思っています。大切なのは当たり前のように現地にずけずけと入っていかないこと、「取材だから」という一言では済ませてはいけないということです。
―D4Pの活動には現地パートナーの協力が欠かせず、そのような方々に適正な対価を支払うためにも、サポーターの方々にご寄付を募っています。
例えば現地で取材に協力して下さる方へ、最大限の敬意として対価を払うのは大切なことだと思っています。不当に値切ったりすることで、単に自分たちの身が危険になるだけではなく、どこかで搾取が生まれてしまいます。思いがあっても安易にただ乗りしてはいけない、相手の仕事に尊敬の念があるかどうかが問われてくるのだと思います。
―D4Pの発信では、過激な映像や言葉の競い合いにならないよう心がけてきました。
TVやネットでは、「強い絵」、キャッチ―なものを使いたがる場面もあります。それは刺激の強い香辛料と一緒で、「もっと辛い物を」とどんどん感性が磨滅、麻痺していってしまう。
「面白いだろ」という過剰なテロップや音楽でひきつけようとする映像を目にする度に、私の感情を先回りしないでほしい、と思うんです。その目立つ映像が、本当に意味のあるものなのだろうか、と。大切なのはそいうものを使わなくても訴えかける力があるかどうか。受け手に考える余地を残す方が今、ずっと難しいのだと思います。
同じ目線で喜怒哀楽がありながら、俯瞰もできる、そんなバランスとピントの合わせ方がより問われてきます。取材者が現場で感じた痛みを「痛いんです!」とただ声高に伝えるのではなく、どこまで抑制しながら、他者の苦しみも一緒に分かち合い、共感してもらうのか。
人間は多面的で、ずっと同じ表情をしているわけではありません。厳しい状況の中でも子どもたちが笑っている写真を見ると、「人間としての人生がある」ことを思い起こさせてくれます。彼ら、彼女たちにも同じように感情があるのだと実感すると、そんな人々が日常を取り戻す作業をしなければ、と改めて考えるきっかけとなるのではないでしょうか。
(2020.2/聞き手・写真 安田菜津紀)
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