防災は、「恐怖」を「希望」に変えるもの -大川小学校で起きたこと、“せめて”教訓に
2011年3月11日、宮城県石巻市の大川小学校では、東日本大震災の大津波により、全校児童108人中、74人と教職員10人が犠牲となりました。地震発生から約50分もの間、子どもたちは校庭での待機を続け、その後「三角地帯」と呼ばれる近くの橋のたもとに向かう間に津波に巻き込まれたとみられています。ところが、二転三転する学校や市教委などからの説明では、真相は十分に明らかにされず、2014年3月10日、一部のご遺族が市と県に訴訟を起こしました。2019年10月11日、市と県の上告が退けられ、震災前の学校の防災体制に不備があったとした仙台高裁判決が確定しました。
六年生だった次女、みずほさんを亡くされた佐藤敏郎さんは、当時、隣町女川町の中学校の教員でした。震災から4年後の2015年、佐藤さんは教員を辞め、現在は「小さな命の意味を考える会」代表として、全国の学校、企業などで講演を行い、大川小学校で起きた出来事についての検証、伝承、そして想いを共有する活動を続けています。これまでどんな思いで活動を続けきたのか、東日本大震災から9年という月日が経つ、2020年3月11日、東北放送のスタジオに佐藤さんをお迎えし、番組を通してお話を伺いました。
各々で迎えた3月11日
安田:佐藤さんとのご縁は昨年の夏、毎年続けている高校生の東北スタディツアーで大川小学校をご案内頂いたことでした。今日は2020年3月11日、東日本大震災から9年です。私自身は「節目」という言葉を安易に使わないようにしていますが、想いの馳せ方もそれぞれ違うことと思います。今日という日を、佐藤さんはどこで、どんな風に、過ごされたのでしょうか?
佐藤:私の場合は娘の命日なので、午前中はお墓参りに行き、午後は2時46分前後に大川小学校に集まって手を合わせる。そんな一日でした。ただ、いつもは住職さんに来てもらって慰霊祭のようなことをするのですが、今年は新型コロナウイルスの関係でそれがなくなりました。なので、思い思いの時間に行って、手を合わせました。
安田:新型コロナウイルスの影響で、いろんなイベントが中止になり、例年に比べると東北を訪れる人たちが少ないと思うんです。ただ今日、岩手県陸前高田市でお話を伺うと、だからこそ震災後初めてゆっくりと、各々のペースで3月11日が過ごせたという声もあったんです。
佐藤:実は私、大川小学校の遺族会の役員として、本来であれば慰霊祭の閉会の挨拶をする予定でした。そういう意味では、それぞれの家庭で、あるいは個人個人で過ごせた日だったように思います。もしかすると、こうあってもいい日なのかもしれません。
大川小学校に「朝の会」が戻ってきた
佐藤:私は元教員ということもあって、今、全国で子どもの教育支援活動を行う「カタリバ」というNPOに所属しています。これも新型コロナウイルスの影響なのですが、一斉休校で学校に集まれない子どもたちのために、カタリバがインターネットを通して学校のような居場所づくりをしているんです。そこではまず、オンラインの「朝の会」があります。ここに全国から何十人も集まってきて、日中どんなプログラムがあるかなどをお話します。「帰りの会」では、今日はどうだったとかを語り合います。
安田:通常の学校のリズムを刻んでいるようですね。
佐藤:私は「朝の会」と「帰りの会」に顔を出すのですが、今日の朝の会は大川小学校からお届けしたんです。色んな学年の子が見てくれるんですが、小学生が多かったかもしれません。親子で見てくれた子もいました。
そこでは三つのことを特に伝えたいと思っていました。一つは、津波の凄まじさです。こんな高いところまで来るんだ、こんなところも破壊するんだ、と。コンクリートの渡り廊下までねじり倒されていたり、二階の天井まで津波が来ていたりすることも伝えました。二つ目は、ここは学校だったということ。黒板があります、オルガンもあります、ここで歌ったんだ、ここで遊んだんだ、ここで本を読んだんだ…それを昔の写真を見せながらお話をしました。三つめは、一緒に考えましょう、ということです。「かわいそうだ」「すごい」の、その先です。
安田:「大変だな」「頑張ってください」だけではなく、そこから何を学ぶかということですよね。
佐藤:そういうことを伝えられたらいいな、と思っていました。オンラインであっても、実際にこんな高いところに泥の跡があるんだ、ということを見たことによって、「すごい怖い」から始まって、徐々に「命ってどうやって守ればいいのか考えた」とか、「学校は休みになっちゃったけど、生きてるっていうことの意味を考えた」と様々な声があがっていきました。9年前の今日は、あそこで授業が行われていたわけです。だからそれ以来、9年ぶりですよね。あの教室で、「授業を始めます」、ということができたのは。
安田:「授業が戻ってきた」と…。私も昨年、大川小学校に一緒にお邪魔させて頂きましたが、廊下に子どもたちの名札がくっきりと残っていたりするんですよね…。
佐藤:二階の天井まで津波が来ているので、窓ガラスもなく、今でも雨風がどんどん当たるんですよね。でも不思議なことに、名前のシールは全校生徒の分、きれいに残っているんですよ。
安田:一方で、二階の教室の中に入ると、二階の教室の床が盛り上がっている。最初は何が起きた跡なのか、すぐにつかめませんでした。下から津波が突き上げてきたということですよね。
佐藤:しかもあの時の津波は、水だけが来たのではなくて、瓦礫や砂浜にあった松の木、いろんなものが一緒に押し寄せてきて、渦を巻いてぶつかっている…。
安田:それでもそこには確かに、子どもたちが生きた証があり、そして、日常があった…。
未来の教訓のために子どもを産んだわけではない
安田:次女のみずほさんは当時小学校六年生、まさに卒業の直前でしたね。3月はもう、中学校に入る準備もしていた頃ですよね。
佐藤:みずほからみれば、お父さんもお母さんも中学校の先生、お兄さんもお姉さんも大川中学校の出身なわけですよね。もう3月は、「中学校に入ったら、こんな感じだぞ」という話でもちきりでした。あの3月11日は、みずほの大川中学校の制服が出来上がった日なんです。それを取りに行って、夜は着て見せることになっていたんです。
安田:みずほさんはどんなお子さんだったんだろう、と私も佐藤さんのお話を伺いながらいつも想像します。先ほどスタジオでは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「ムスタング」をお送りしました。みずほさんの大好きだった曲だそうですね。
佐藤:そう、アジカンとか、BUMP(BUMP OF CHICKEN)とか、お姉ちゃんの真似して聞いていた時期だったんですね。
安田:どんな音楽が好きだったのか、ということから、人となりを少し垣間見ることができると思うんです。こうして様々な思い出がよみがえる一方で、例えばあの日のこと、あの日からのこと、苦しい思いも振り返りながらのご活動だと思います。なぜ、それでも、語ることを止めずに、外から来た私たちのような人間を案内して下さるのでしょうか?
佐藤:私は最初の1、2年、大川小学校に近づきたくなかった一人でした。でも、ただかわいそうだ、ただ大変だ、だけになってしまうのは違うと思ったんです。あの場所を訪れた人が、「随分寂しい学校ですね」と言ったことがありました。「なんでこんな寂しいところに学校建てるんだ」って。確かに今は何も建っていないところに、壊れた校舎がぽつんと建っているだけです。でも、ここには町があって、生活があって、命があったんです。子どもたちがこの校舎で走り回っていたっていうことをまず知ってもらいたいな、と思うようになりました。あの日までの日常とか風景、それを伝えたいし、忘れたくない。それがしっかり伝われば、今、この校舎がなぜ残っているのか、そしてなぜこんなに壊れてしまったのかに思いが至るんじゃないかと思います。
安田:学校にお邪魔してみると、子どもたちの生きた証が確かに残っているんですよね。震災前のこうした日常を写真でご説明をされるだけではなく、大川小学校の校歌と一緒にお伝えしていらっしゃいますね。
佐藤:大川小学校の校歌のタイトルが「未来を拓く」なんですよね。子どもたちの描いた壁画の真ん中にも、この言葉が書いてあるんです。そこは壊れませんでした。この学校は悲惨な場所かもしれないけれども、少しでも未来を拓ける場所になればと思っています。今日は、オンラインの「朝の会」で、子どもたちにお願いをしました。「大川小学校は、どんな場所?」と聞かれたら、「あそこは未来を拓く場所なんだ」って答えてほしいな、と。それはあの日の事実、あの日の命に蓋をすることではないと思うんです。向き合った、あるいは知ったその先に、未来は見えてくるはずだと私は思っていますね。
安田:今おっしゃったように、未来を拓いていくそのためには、あの日何が起きたのか、それがしっかりと検証された上で、そこから見えてくる教訓って何だろう、と階段を上らなければいけないと思うんです。
佐藤:せめて、ですね。「せめて」って、遺族はよく言うんですよ。「未来の教訓のために子どもを産んで育てたわけではない」と。でも、子どもたちはもう、帰ってこない。だから「せめて教訓にしてくれなければ、無駄になってしまうよね」、という話をよくします。あの時、避難のための時間も情報も手段も、全部あったはずなんです。時間は50分もあったし、すぐそばに、しょっちゅう上っていた山もあった。
安田:子どもたちがシイタケ栽培などをしていた裏山ですよね。
佐藤:だからあの日も、「上ろう」と言った子もいたし、途中まで走っていった子もいたんです。山が命を救うわけじゃないんですよ。命を救うのは「山に上る」っていう行動・判断、ですよね。
情報も、避難経路も、ハザードマップも、避難訓練も、それを作ったり決めたりするのは、戸棚にマニュアルを入れるためではないわけですよね。教育委員会に提出するためではないですよね。やっぱり子どもの命を守るためなんです。子どもを救いたくない先生はいません。学校の先生って、“たまたまそこに居合わせた大人”じゃないんですよ。
安田:大川小学校では、学校の管理下で子どもたちが亡くなってしまった…。おそらく、親御さんたちの中でも、「学校にいればきっと大丈夫」と思っていた方もいらっしゃったと思います。
佐藤:学校管理下、つまり「学校にいた」ということは、救えたであろう、守れたであろう条件の一つですよね。でも、私は教員でもあったので、もしかしたら“学校だから”が足かせになったのではないか、と思うことがあります。構造的に、“学校の陥りがちな状況”ってあるんですよね。
安田:たとえば、決断の際の応用が利かなかったり、足並みをそろえようとすることがかえって適切な行動を抑制してしまったり、ということでしょうか?
佐藤:学校現場が忙しすぎるということが言われていますが、忙しくなると、考えなくなってしまうことがある。考えなくなるから、マニュアルに縛られたり、マニュアルでしか動かなくなる、という悪循環になりがちです。そういった中で、命を守るはずのマニュアルが、提出することが目的化して、計画のための計画になってしまう。その先に、あの時の校庭が見えてくるんですよね。
安田:“机上の空論”というより、“棚の中の空論”にしないために、必要な実践は何か、ということですよね。
“未来を拓く”ための防災とは
佐藤:震災以降も、いろんな防災教育、防災学習がありますが、必要以上に恐怖をあおることになっているんじゃないかと思うことがあるんです。でも、人は恐怖をあおられると、途中で考えるのをやめますよね。東日本大震災も、高い確率ですごい地震が来る、津波が来るっていわれていました。だから私たちも、ハザードマップを作って、避難訓練もやっていましたけれど、私はその中に、娘を入れていなかったです。娘が津波にのまれるなんて、誰も考えたくない。だから、「ここまでは来ないだろう」ってみんな考えていた。バイアスがあったんです。でも、自然は誰に対しても平等に来るわけですよ。東京の地震も、富士山の噴火も、南海トラフも来るんです。
安田:災害は津波とは限らないわけですよね。
佐藤:いろんな災害、事故があります。でも、「防災って何のためにあるか」というと、「助かる」ためですよね。山に上って逃げたら、みんなでよかったねって、喜び合えるんです。みんなが助かって、“ハッピーエンド”になる、その未来まで想定しきること。そのために、知ること、行動すること、が「防災」なんじゃないかと思います。「恐怖を、希望に変える。それが防災だ」と。「防災」がなければ、恐怖は恐怖のままなんですよ。
大切なのは他人事ではなく、自分事にすることですよね。“ハッピーエンド”の未来に向かうために、私や娘のことが、1ミリでもいいからきっかけになればと思っています。
安田:昨年大川小学校にお邪魔した時に、強く印象に残っているのが「“なるべく”でもなく、“できる限り”でもなく、学校で子どもたちが亡くなるということは、“絶対に”あってはいけない」という佐藤さんの言葉でした。それは、学校関係者だけでなく、すべての大人に向けられた言葉だと思います。
佐藤:一人一人ができることは絶対にあるんですよね。ささやかかもしれないけれど、確かにあると思うんです。
安田:今日、佐藤さんがお話ししてくださった言葉に、無関係な人はいないと思います。「恐怖」を「希望」に変えるために、今日は「節目」ではなく、「未来をどんな風に拓いていきたいか」を、ひとりひとりが考える日にしていくことができればと思います。
(聞き手:安田菜津紀/2020年3月18日)
(インタビュー書き起こし:渡辺加代子)
※佐藤さんは東北放送で毎週日曜日の夜11時から放送している、「佐藤敏郎のOnagawa Now! 大人のたまり場」のパーソナリティーも務めています。
※この記事はJ-WAVE「JAM THE WORLD」2020年3月11日放送「UP CLOSE」のコーナーを元にしています。
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