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2020.10.17

診察室の扉を開けたら、予想外の出会いが待っていた話

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

2020.10.17

Essay #Yasuda #care&health


 

6年ほど前のこと。鬱で夫が倒れてしまったことがあった。

家から出ることもままならない彼に、今自分がかけている言葉が、やっていることが正しいことなのか、私自身も日に日に分からなくなってしまっていた。

悩みを抱えている本人はもちろん、それを支えようとする人もまた、孤独になりやすいと聞いたことがある。

悩んだ末に、義父が知っている精神科に伺うことになった。

といっても、「精神科に行こう」と声をかけること自体にためらいがあった。精神医療や精神障害に対する世間の目は、まだ偏見も根深い。それがそのまま、通う本人の負い目にもなってしまうだろう。実際、夫に「行こう」と声をかけた時、「僕はおかしくなったと思われるのかな」と彼は肩を落としていた。

静かな山道を抜け、向かったのは森の中にある小さなクリニック。豊かな自然の中にひっそりたたずむ、村の小さな「分校」のような木造の建物だった。

木の引き戸を開けると、まず目に飛び込んできたのは、手書きの看板だった。

「セラピードッグがいます」

小さいポメラニアンみたいな、ぽわぽわしたわんちゃんがいるのだろうか、とこの時は想像していた。

こじんまりとした待合室で、夫よりも私の方が落ち着かない様子だったと思う。

名前が呼ばれ、やはり木の引き戸の扉を開け、奥の診察室のカーテンを開けると、一瞬、体が固まった。

真っ先に、真っ黒い大きな塊が目に飛び込んできたからだ。

そこには、巨大なドーベルマンが、のそっとベッドの上に寝そべっていたのだ。

…3度見した末、ようやく入室。

ドーベルマンの横の椅子には、ちょっとそのワンちゃんに顔が似ている中年くらいの先生が一人座っていた。ワンちゃんに驚かれるのは慣れているのだろう。たじろぐ私たちをよそに、診療が始まった。

夫が診療を受けている間中、私はそんなワンちゃん(後にあすかちゃんという名前だということが判明)の視線が気になって仕方がなかった。けれどもそれのことで、シリアスなことにずっと気を張らずに済んだのかもしれない。

夫がこれまでのことを一通り話し終えると、先生がゆっくりと話し始めた。

「これまで、仕事の上に少しの休息を乗せる生活をしていましたね。今度からは休息という土台の上に仕事があるような生活にしていってみるのがいいのではと思います」

その後、何を話したのか、記憶が少し曖昧だけれど、薬の話は特にせず、夫とその先生が握手して診療が終わった。

もちろん、薬を否定したいわけではない。でも、薬を使うには、あの時先生が言っていたように「土台」づくりも必要なのでは、と思う。

私は夫の生きる力を信じていた。でも、誰か「第三者」のような目で、「大丈夫」とその信じる思いを後押ししてもらうことで、不安を消したかったのだと思う。

私も椅子から立とうとしたとき、突然、それまで寝そべっていたあすかちゃんがのそっと起き上がり、ぬうっとこちらに寄ってきた。

そして少しぎょっとしている私の目を見ながら、ぼんっと私の肩に手を置いた。それも、二度も。「大丈夫、大丈夫だから」といわんばかりに。

…痛かった。笑

でも、あの手はあったかかった。あすかちゃんには私の心の内が、お見通しだったのかもしれない。

そんなエピソードを思い出したのは、想田和弘監督の最新作『精神0』を観てからだった。

この映画では82歳で精神科医を引退することになった山本昌知さんと、妻の芳子さんとの日々が映し出されている。

昌知さんは医師として、きっと多くの人たちの尊敬を長年集めてきた人なのだと思う。けれども映画の中で感じる昌知さんは、いい意味で「偉人」という風格を感じさせない人だった。

「病ではなく、人を見る」という姿勢を大切にしながら、「君はこうすべきだ」というべき論を押し付けるのではなく、常に目の前の「あなた」の声に耳を傾ける。

もちろん、長年こうして患者さんたちに向き合きあってきたことは、並大抵のことではない。きっと多くの人にとって、その存在は「生命線」だったのだと思う。

ただ、目の前の「あなた」をこうして見つめる、という昌知さんの姿勢は本来、私たちにもできるはずなのだ。できるはずなのに、なぜできていない積み重ねが、「生きづらさ」を生むのかもしれない。

この『精神0』を観てから、夫が倒れた時のことだけではなく、高校時代のことも思い返すことがあった。

ある時ふと思い立ち、一人で初めて父、兄の墓参りに行ったことがあった。駅から随分離れた、自然豊かな丘の上だった。

ぼおっとしながら、このまま消えてしまおうか、という思いが頭をよぎった。しばらく墓の前で佇んでいるとき、「おーい」と、後ろから声がした。

墓地まで送ってくれたタクシーの運転手さんだった。「帰り、困ってるんだろう?すぐ下のバス停までだったら送っていけるから、乗っていきな」。

あの時、半分頭が真っ白だったので、十分にお礼を伝えられたかも分からない。

そしてたどり着いた最寄り駅の前に、小さなラーメン屋さんがあった。

お腹が空いている感覚はなかったものの、なぜか吸い寄せられるようにふらりと入った。カウンタ―だけの店内に、客は私だけだった。

麺がちょっとちぢれた醤油ラーメンを食べてお店を出るとき、片言の日本語を話す店主さんが満面の笑みで、「どうも!また来るために!」と手を振ってくれた。

「また来るために」の言葉の響きが温かくて、今でも心に刻まれている。

そして私はその日の夜、家へと帰った。

こうして、人の命を救うのは、特別な「ヒーロー」ではないのだと思う。身近な人の存在は大切だけれど、心の支えになるのは身近な人だけとも限らない。見知らぬ人のささやかな優しさに救われる瞬間があることそ、私は今日も、この社会で呼吸していけるのだと思う。

その小さな優しさを、私も積み重ねていきたい。

 

友人でLGBTアクティビストの東小雪さんと始めた、YouTubeトーク番組『生きづらいあなたへ』。「しんどい」「明日が不安」という気持ちをまず持ち寄れる場を築いていきたい、と思っています。第一回は「生きづらさを感じるときに何をして過ごしてる?」、第二回は「居場所を見出せない、そんなときには?」がテーマです。ぜひご覧下さい。

(第1回前編)ご視聴はこちらから↓

(第2回前編)ご視聴はこちらから↓

 

(写真・文 安田菜津紀 / 2020年5月)
※本記事はCOMEMOの記事を一部加筆修正し、転載したものです。

 


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