【取材レポート】伊藤詩織さんの意見陳述全文 ―私たちはどのような社会を実現したいのか?
ジャーナリスト・ドキュメンタリー映像作家の伊藤詩織さんが、衆議院議員の杉田水脈氏に損害賠償を求める訴訟の第1回口頭弁論が、2020年10月21日東京地裁で開かれました。訴状によると、Twitter上の伊藤さんに対する複数の誹謗中傷の書き込みに、杉田氏が「いいね」を押したことが名誉感情侵害に当たるとしています。被告の杉田氏が欠席で不在の中、伊藤さんによる意見陳述が行われました。以下にその全文を掲載します。
陳述要旨
原告 伊藤詩織
国会議員は私たちの法律形成に大きく関わる人です。
私の被害は、民事事件では、一審で「同意がなかった」と判断されました。
他方、刑事事件では、性暴力の被害を刑法の中で認定されるには、同意の有無ではなく「暴行脅迫」が立証されなくてはならず、このため、起訴にまで漕ぎ着けることができませんでした。事件当時、私は酩酊状態で意識、記憶がないまま性行為をされていたため、私自身が被害の証明をすることはできません。私のようなケースは、他の重大犯罪と比べ、今の法制度の下では、法で裁いてもらうことが難しいのだと思い知らされました。
また、今の社会では、被害を届け出た、訴え出た人への風当たりもいまだに厳しいものがあります。
「ハニートラップ」。
「売名行為」。
「被害妄想」。
これらはオンラインで杉田氏が「いいね」と支持していた言葉達です。また、インタビューやツイッターで杉田氏が発言した私に対する批判的な言葉も、私の心に突き刺さっています。
これらはどれも私にとってはセカンドレイプとなる発言です。
また、杉田氏の「いいね」によって第三者の批判的、暴力的な言葉が拡散され、溢れていく様子も恐ろしく感じています。
さらに、私を擁護してくれようとした人に対しても攻撃の矢が向き、杉田氏がそれに対しても「いいね」をしている様子は、発言の矛先を向けられている当事者としてとてもつらく悲しいものでした。これらが法律を変える力のある国会議員からというものだったことに、衝撃、恐怖さえ感じています。
杉田氏は、私の事件について、「自分が母親だったなら叱り飛ばします。そんな娘に育てた覚えはない。恥ずかしい。情けない」と述べました。また最近においては、性暴力被害者支援をめぐって、「女性はいくらでもウソをつける」と発言されました。
杉田氏のこれらの発言は、今まさに被害を告白したいと思っている人を黙らせ、また、親に「助けて」と言いたい人にもそれを言えなくさせてしまうものだと思います。
私の母親は、ネットに溢れる私に対するセカンドレイプ的な言葉をみるたびに私と同じように傷つきました。しかし母は、私が被害を真正面から訴えたことに対して今は誇りに思ってくれています。
このように私たちの家族は、事件後、少しずつ前進をしていけるようになってきました。しかし世間では、私を攻撃する言葉がネットに蔓延しており、私の人格に対し、職場や日常生活で会った人から誤解を受けることが続いています。
杉田氏が今後、同じような過ちを大切な人に対してしないで欲しいと心から願っています。
そして、裁判官の方々には、発言によるこのようなセカンドレイプに対して、私たちのような被害者がはっきりと「NO」と言えるようになるよう、このケースと向き合っていただけたらと思います。以上
今回の被告の杉田水脈氏は、2020年10月22日現在、現職の国会議員であり、民意を代弁し、法制度を構築していく側の立場にある人間です。そのような立場にある人間が、公の場となりえるSNS上の空間で、市民を踏みにじるような発言をし、また、同様の発言に賛意を示す「いいね」を押すということは、誹謗中傷といった点だけではなく、政治家としての職業倫理・社会的役割についても疑問を抱かざるを得ない行為ではないでしょうか。また、同様の被害に遭った人々の声を踏みにじる発言であり、公平で安心できる社会の実現とは逆行する価値観を植え付けかねません。
伊藤さんが今向き合っている裁判は、杉田水脈氏に対するものに留まりません。Twitterなど、SNS上での誹謗中傷に関しては、事実と異なる内容や、明らかに伊藤さんとわかる侮蔑的なイラストを公表することにより、伊藤さんの社会的評価や精神を傷つける二次被害(セカンドレイプ)となりえる発信を行ったとされる漫画家のはすみとしこ氏と、このツイートを「リツイート(以下RT)」した他2名の被告に対しても訴訟を起こしています。今年6月8日の記者会見で、原告訴訟代理人弁護士である山口元一さんは、この件に関して以下のように喩えています。
―RTされた方は、気楽な気持ちでスマートフォンやパソコンをいじっているのかも知れませんが、法律上は、道で誹謗中傷のビラを拾って、それを数百部、数千部とコピーし、各家庭に配って歩くのと同じことをされています。
―SNS上での発言は、ユーザーの方々はあたかも居酒屋で友人と雑談をしているかのような感覚で書き込んでいるのかも知れませんが、実際上の効果も、法律上の取り扱いも、渋谷のスクランブル交差点で拡声器で絶叫しつづけているのとなんら変わるところはありません。
(参照記事:【取材レポート】伊藤詩織さんの記者会見からネット上での誹謗中傷について考える ―言葉を凶器にしないための「Rethink」を―)
1948年12月10日、国連総会により採択された「世界人権宣言」は、それを実現する倫理の進歩や、その社会規範をつくりだす制度なくしては「机上の空論」にしかなりえません。社会が抱える問題を問い制度化していくためには、多くの人々の真摯な議論が必要です。「私たちはどのような社会を実現したいのか?」という、日々の営みの根幹に立ち戻り、より良い選択を行っていけたらと思います。
(文 佐藤慧 ・ 写真 安田菜津紀 / 2020年10月22日)
あわせて読みたい
■ 【取材レポート】伊藤詩織さんの記者会見からネット上での誹謗中傷について考える ―言葉を凶器にしないための「Rethink」を―[2020.6.10/佐藤慧・安田菜津紀]
■ ”誰もがメディアである”時代、荻上チキさんと学ぶ「メディア論」[2020.10.7/佐藤慧]
■ 私には、自分の身体を守る権利がある -シエラレオネ・女性器切除の問題を取材した伊藤詩織さんインタビュー[2020.3.8/安田菜津紀]
Dialogue for Peopleの取材や情報発信などの活動は、皆さまからのご寄付によって成り立っています。取材先の方々の「声」を伝えることを通じ、よりよい未来に向けて、共に歩むメディアを目指して。ご支援・ご協力をよろしくお願いします。