川崎市のヘイトスピーチ禁止条例成立から1年。条例も法律も「声」から生まれる。
川崎市にある市の交流施設「川崎市ふれあい館」に在日コリアンを脅迫するハガキを送ったほか、川崎市内の小中学校に爆破を予告する脅迫状を送ったなどとして、威力業務妨害の罪に問われた川崎市役所の元職員に対し、2020年12月3日、横浜地方裁判所川崎支部は懲役1年の実刑判決を言い渡しました。その後、元職員側は控訴せず、刑が確定しました。
川崎市では昨年12月に、全国で初めて刑事罰付きのヘイトスピーチ禁止条例が全会派賛成で成立し、今年7月に全面施行されています。条例が導入されたことによって、ヘイト、差別の問題はどこまで解決したのでしょうか。ヘイトスピーチの現状と解決に向けた課題について、弁護士の師岡康子さんに伺いました。
―実刑判決となった、川崎市の元職員が起こした事件、どのようなものだったのでしょうか?
2020年1月、ふれあい館宛に「在日韓国朝鮮人をこの世から抹殺しよう」などと書かれた年賀ハガキが届き、1月27日には、川崎市の事務所に「ふれあい館を爆破する、在日韓国人をこの世から抹殺しよう」などと書かれたハガキが送られてきました。
―明らかなヘイトクライム(※)と言えると思います。送られた側は命の危険を感じるような状況だったと思いますが、その後、どのような影響があったのでしょうか?
(※)ヘイトクライムについては下記記事を参照ください。
前年の1、2月に比べて、特に子どもたちの利用者数が3,500人と、およそ3割近くも減ってしまったそうです。「爆破」とまで言われてしまい、当然子どもたちは恐ろしい思いをします。「自分たちは殺されてしまうの?」と、怯えた声で子どもに聞かれたことが、館長の崔江以子(ちぇ・かんいぢゃ)さんたちは忘れることができないとおっしゃっていました。
―私自身も「ふれあい館」には度々お邪魔しています。地域の方々にとって、どんな意味を持つ場所なのでしょうか?
「ふれあい館」は地域における差別をなくすために、日本人と外国ルーツの人たちが共に生きていけるような場として、恐らく全国で唯一自治体が公費で設置した施設で、条例も作られています。子どもたちや在日1世の方々などの居場所でもあり、地域の方々と交流する様々な文化活動を行っているところでもあります。
私が大変印象的だったのは、町内会長さんが「ふれあい館」を「地域の宝」だとおっしゃって、脅迫年賀状が届いた後、1日も欠かさずに自主的にふれあい館周辺の見回りをして下さっていたことです。それだけ大事にされている場なのだと思います。
―「ふれあい館」の館長で、2016年に施行された「ヘイトスピーチ解消法」や、川崎市のヘイトスピーチ禁止条例が制定されるきっかけを作った方でもある、崔江以子さんは、判決が言い渡された12月3日に会見でこうおっしゃっています。
裁判の意見陳述でも述べましたが、被告人の行為は単なる一過性の威力業務妨害に留まらず、在日コリアンの存在そのものを否定するヘイトスピーチであり、差別を動機とするヘイトクライムです。
この判決で人権被害の回復が出来るかどうかはまだ判断がつきませんが、司法が示した重い判断を受けて、私たち「ふれあい館」は、利用者や職員の人権被害からの回復に努めていきたいと思います。
もうすぐ成立から1年を迎える「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」(ヘイトスピーチ禁止条例)の推進にあたって、差別のない、差別を生まない土壌作りを進めると福田市長は態度を示しています。
「ふれあい館」は差別を生まない土壌づくりの担い手として、より一層責任を持って川崎市と取り組んでいきたいと思っています。
―崔さんのお話をどのように受け止めていますか?
崔さんがおっしゃっているのは、犯罪が重く処罰されたことが一定の抑止にはなるものの、取り返しのつかない被害が生じているということだと思います。例えば、脅迫があって以来、「ふれあい館」に来られなくなってしまった外国ルーツのお子さんや家族もいます。そうした方々が、コロナの影響で経済的に苦しくなっても、縁が切れてしまっていると支援を届けることができなくなってしまったことを崔さんは嘆いていました。
また、最も大きいのは、在日コリアンだからこそヘイトクライムの標的となってしまった、という点だと思います。今回の犯罪が処罰されても、この社会で子どもたちが在日として生きているだけで、「殺せ」と言われる存在だということが心に植え付けられてしまいました。そこからの絶望をどうやってこれから取り返していくことができるのか、非常に重い課題が残されています。それは本来崔さんたちが努力することではなく、差別を作っている社会の側の責任だと思います。
―犯行に及んだ男性に対し、執行猶予なしの実刑1年ということになりました。判決や判決文自体を、どのように受け止めていますか?
私自身は実刑判決になるとまでは予想していませんでした。威力業務妨害罪といっても、直接の暴力ではなくて文書を送ったという犯罪形態です。加えて初犯であり、70歳という年齢で、ご家族が監督するとおっしゃっていたので、通常ですとなかなか実刑にはならない事件なんです。今回、こうした判決になったということは、実質的にヘイトクライムについて、特にふれあい館に対する取り返しがつかない深刻な被害などについても考慮に入れて、判決を出したのだと推察はできます。
ただ、差別的な動機であったことを被告人本人も公判では認めていましたし、検察官も差別的であることを論告求刑の時にも指摘し、裁判官も厳しく批判していたので、その点を明確に判決文で書いていただければより良かったとは思っています。
これは裁判官個人の問題というよりも、日本の法制度には、差別的な動機であったらそれを重く処罰するという「ヘイトクライムを裁く制度」がなく、ヘイトクライムは特別な対策が必要だと、国がしっかりと打ち出していないことが問題だと思います。
―日本ではヘイトクラクライムに対する法体系がいまだ乏しい状況ですが、海外ではどのような取り組みがあるのでしょうか?
イギリスではヘイトクライムの規定自体が刑法に盛り込んであります。アメリカでもヘイトクライムを重く処罰する連邦法ができましたが、その前から、ヘイトクライム統計法がつくられ、ヘイトクライムについて調査し、国が取り組むための法律や制度ができました。
―この事件の判決を受けて、市の側からの反応はいかがでしょうか?
市長は「断じて許されない」「再発を防止する」とコメントしました。また、1月に「ふれあい館」にハガキが送られてきた直後には、市長が「これは明確に差別に基づく犯罪だ」と批判をしています。
―2016年に、政府は「ヘイトスピーチ解消法」を施行しましたが、これは刑罰などがない「理念法」でした。2020年7月、川崎市では全国初となる刑事罰付きのヘイトスピーチ禁止条例が施行されました。
刑事罰付きの条例が施行されたことで、川崎駅前などでのヘイト街宣自体が止まったわけではありません。ただその街宣の内容が、条例が定める禁止条項にあたらないように、非常に抑えたトーンになっています。また条例によって、川崎市の職員が毎回、予告街宣の現場に来るようになりました。主催側は市の職員を大変に意識していますし、露骨な表現がほとんどなくなったというのは、成果といえると思います。
ただし、「ヘイトスピーチ解消法」2条(※)の定義にあたる言動は繰り返されており、市が批判することが求められています。
―この条例では、ネット上の書き込みについては刑事罰の対象にしていません。崔江以子さんは、ネット上の330件ほどの書き込みが自身に対するヘイトスピーチにあたるとして、川崎市に削除を要請していました。これに対する川崎市の対応をどのようにとらえていますか?
私は崔さんの代理人として川崎市と交渉をしてきました。条例での罰則の対象は非常に限定されたもので、基本的に路上でのもの、口頭でのものです。ネット上の差別書き込みについては、禁止規定の対象にはなっていません。
「ヘイトスピーチ解消法」2条の定義にあたるものは、市民からの申出等を受けて、専門家による「差別防止対策等審査会」に諮問して審査を経て削除要請をする、また公表をするということになっています。
ただ、崔さんが最初に申請を行ったのは今年の5月だったのですが、それから半年ほどかけて、ようやく1割弱が削除要請された、というのが現状です。そもそも審査会の諮問の前に、330件の書き込みの9割以上を市が「足切り」してしまっていることが問題です。
諮問していない書き込みについて、“これはヘイトスピーチではない”と市が認定したのではないことは明示されていますが、事実上、“あとは自分で対処しなさい”と被害が放置されてしまっており、被害者の救済として不十分です。
―ネット上の被害は、一刻も早く削除されることが被害者の救済につながると思います。具体的にどう改善していくべきでしょうか?
救済範囲の狭さについては、東京都や大阪市の条例と同じように、市民から申し出があった場合、明らかに該当しないものを除き、全て第三者機関に諮問するのを原則とすべきです。
対処のスピードについてはまず、審査の「頻度」の問題があります。川崎市では、審査会の5人の委員が、月1度の会議で審査を行っている状況なので、どうしても判断が遅くなってしまいます。そこに関わる人を増やすことが改善の対策案のひとつです。
もうひとつ考えられるのは、ネットモニタリングという形です。兵庫県尼崎市などが実施しているネットモニタリング制度では、対応マニュアルを作り、それに照らして明らかにヘイトスピーチに該当するものに関しては、第三者機関の審査以外のチェック手続きを経て、マニュアルに基づいて市が削除要請をしていくということを行っています。
実は元々ヘイトスピーチ禁止条例ができる前に、川崎市はネットモニタリングを始めていたんですよね。ですが条例制定後は、ネットリサーチでピックアップしたものも含めて全て審査会にかけるという運用にしたので、当然時間がかかり、それで大量足切りをすることにしてしまったのではないかと思います。今の運用の仕方ですと、条例が出来たことによって逆に被害者の迅速な救済が出来ないことになってしまいます。市議会でも運用の改善を求める声があがっているので、今後の議論に期待したいと思います。
―相模原市でも市民団体が罰則付き条例を求めています。ヘイトクライムをなくすために、今どんな点が課題なのでしょうか?
罰則つきの禁止条項などがなければ、悪意を持ち、職業的にヘイトスピーチを繰り返している人を止めることはできません。それが止められなければ、マイノリティの人たちの日常生活が脅かされ続けます。こうした被害を、罰則をつけてでも止めなければいけないというのが、日本も加盟している人種差別撤廃条約で求められています。
―改めて、ヘイトクライムはどれほどの深刻な被害をもたらす行為なのでしょうか?
生まれながらの、あるいはほとんど変えることが難しい属性を理由にターゲットにされるということは、この社会で生きていくことはできるのだろうかという恐怖、絶望感をもたらすものです。在日の方々が国籍を変えざるをえなかったり、民族性を一生隠して生きようとしたり、沈黙を強いられたり、自死までされる方もいるような、非常に大きな苦痛をもたらすものです。
その人たちを攻撃してもいいのだ、という差別が蔓延することで、その人たちが実際に暴力を振るわれたり、虐殺の対象にされたり、戦争にまでつながっていく危険性があります。社会全体を壊していくほどの深刻な害悪がある、というのは、国際的な共通認識になっています。
―言葉の暴力が身体的な暴力に比べて軽い、ということはないですよね。むしろこうした言葉の暴力を放置し続けることによって、やがては身体的な、あるいは更なる集団的な暴力に繋がってしまう可能性があると思います。私たちひとりひとりに出来ることは何でしょうか?
ひとりひとりが声をあげて共に行動することによって、これまでヘイトデモを実際に止めたり、解消法ができたり、ということがありました。条例も法律もこうした行動によってできていくので、皆で声をあげてつながっていくことが大切だと思います。
―ありがとうございました。「表現の自由」は「差別する自由」ではないということを認識した上で、手を携えることができればと思います。
※ 「ヘイトスピーチ解消法」2条
この法律において「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」とは、専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの(以下この条において「本邦外出身者」という。)に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動をいう。
●「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」の実効性ある迅速な執行を求める署名活動がオンラインでも行われています。
(聞き手:安田菜津紀 / 2020年12月9日)
(書き起こし協力:西田朋世)
※この記事はJ-WAVE「JAM THE WORLD」2020年12月9日放送「UP CLOSE」のコーナーを元にしています。
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