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2022.3.31

参加者レポート(2)東北オンラインスタディツアー2022

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

2022.3.31

#tohoku2022

東北オンラインスタディツアー2022の参加者レポートの2ページ目です。全国各地から参加した中高大学生世代が、それぞれの思いをつづりました。ぜひご覧ください。


岡本 紗輝(愛知県)

私がこのスタディーツアーに参加して感じたことは、何事も、「知る」必要があるということです。私は先日、実際に福島と宮城に行き、震災の現場を見ました。その時に初めて、福島にも津波がきていたことを知りました。これが佐藤あかりさんの言っていた、ニュースの情報が全てじゃないということに繋がりました。私は知らぬ間に、テレビの情報を鵜呑みにし、自分で思い込みをしていのだと気が付きました。「無関心」はこういった点で、人を簡単に傷つけてしまうのだと思いました。だからこそ私は、これからも関心を持ち続けていきたい。それは、どの社会問題にも通ずることなのではないかと思います。
このスタディーツアーの中には、私の知らなかった耳を塞ぎたくなるような、そんな言葉がたくさんありました。これは、実際に震災を体験した人だからこそ発することのできる言葉なのだと思います。そんな3.11をこれからも風化させず、これからも亡くならなくてよかった命が亡くなることのないように、防災にしっかりと取り組んでいきたい。


奥林 優貴(兵庫県)

「昔を振り返る、自分の町を肯定する、そのケアの時間を挟んでから、解体が進むべきだ」福島県富岡町の秋元菜々美さんの言葉だ。その振り返る時間だったり、ケアの期間は、人により様々で、「もう11年」逆に「まだ11年」と思う人もいる。だが、町の整備は復興計画に沿い、着々と進む。語り部の方の話を聴き、そのギャップに胸が苦しくなった。それでも、語ろうとしてくれる人たちがいる。今度は自分の足で訪れて、古里についてのこれまでやこれからの思いを聴きたい。
防災の教訓は絶対に無駄にできない。佐藤敏郎さんの眼差しが訴えていた。「他人事の避難訓練」から脱出する。身近な人を救うには何をすべきなのか、主体的に思考して、ポジティブに方向づける。目の前に山があっても、行動できなかった先生や生徒の姿を想像すると、敏郎さんのアドバイスが、いかに実践的か分かった。
画面越しでもみなさんの声や表情、忘れません。ここから、自分にできること、やっていきます。


笠井 さとか(東京都)

今回のお話を通して、自分の中でキーワードとなったのが「分断」という言葉でした。

大川小学校での佐藤敏郎さんのお話では、「あの」「可哀想な」大川小学校、と客体視して捉えてしまう私たちこそが、分断の張本人であり、それがかえって「自分は大丈夫だろう」という無意識の思い込みに繋がって、過去の犠牲者の経験をないがしろにしてしまうのだということを痛感しました。

秋元菜々美さんが、原発とともに暮らしていた過去を切り離し否定するかのように、どんどん復興開発と称してかつての風景がなくなっていくのに対し、一度立ち止まり、連続した時間軸の上でその町を語り継いでいきたいとお話しされていたのも、人々のルーツである場所が分断されてしまうことへの警鐘なのだと受け取りました。災害は様々な分断を引き起こします。そこで、分断され、見ないようにされているものを見つめ続けようとする姿勢こそが、「自分の」防災に繋がって行くのだと思いました。ありがとうございました。


菊地 愛佳(東京都)

仮設住宅での孤独死を防ぐために、苗木の支援をした

大川小の体育館のすぐ脇には、こんなに緩やかな山があった

原発の排気塔や建屋のある場所、それが故郷なのに

新聞やテレビではほとんど取り上げられない「うちがわの声」。今回、震災を生き抜いてきた方々の「うちがわの声」に耳を傾けて、「被災地」という言葉が私の中で初めて、生きた言葉となった。震災と、東北の風土や私たちの生活とがひとつづきになった。

震災を知らない世代への伝承にあたって最も大切なことは、こうした生活に根差した思いを伝えていくことではないかと感じている。過去から未来へ、連綿と続く人々の営みに思いをはせるには、被害状況や防災への備えだけでは何か足りない。震災で亡くなられた方々や失った場所の「生」の軌跡をたどること、それを未来へ繋げていくことが使命だと思う。

最後に一首詠んで締めくくりたい。

「ひさいち」の語はやはらかき波のごと十余年経てこの身に寄する


金 梨娜(兵庫県)

私は、今回のイベントを通して災害による被害や人々の思いについて深く知ることができました。

そして、地震や災害発生大国である日本で住むうえでは、誰も避けることができないので、対策することで防げたかもしれないということも学びました。

だから、私は被害や犠牲などを少しでもなくすためにまず、知識を得、様々な視点からとらえそこから学んだことを発信するなど、行動する必要がありそれを実行していきたいと思いました。

私は、阪神淡路大震災で大きな被害をうけた地域に住んでいます。

その時期になると、学校などで先生方が、体験談を話してくださりまります。こっちでは、建物の崩壊などの話が多かったですが、東日本大震災での被害とは、状況が違ってくるんだなと、思いました。


清川 美空(大阪府)

まず、今回はオンラインでのスタディツアーを企画、運営いただき誠にありがとうございます。毎年、3月11日が近づくにつれて、メディアを通して震災のことは思い出します。しかし、私自身が思い出しているものは「震災」という事実そのものだったのではないかと今回思いました。つまり、当事者がどのように感じているのか、どのような思いを抱え込んで生きているのかを全然知ろうとしていなかったのではないかと思います。講演のなかで、佐藤敏朗さんは「あの悲劇の大川小学校」というように特別な場所として大川小学校が伝えられるとおっしゃっていました。「大川小学校」で起こった事実そのものを知ろうとしているだけで、当事者や遺族がどのような思いを抱えているのか全然知らなかったことに気づかされました。大川小学校に通った一人ひとりの子どもやその保護者にはそれぞれが抱えている苦しみを知り、寄り添うことがメディアや私たちに求められているのではないかと思いました。


久保 綾美(東京都)

私は、大学1年次から、福島県南相馬市の復興支援活動に参加してきました。しかし、活動は福島県に留まっており、岩手県や宮城県の状況についてはよく知りませんでした。そのため、今回このイベントに参加し、更に視野と知識を広げたいと感じました。登壇者のお話を聞いて感じたことは、自分の無力さでした。まだ知らないことは多くある上、どこかでコロナを理由に支援ができないのは仕方がないと感じている自分がいました。しかし、今回のイベントを機に、支援とは何か、改めて見つめ直すことができました。自分が形にできる支援は微々たるものですが、重要なのはそこではないと考えました。イベント内では、様々な年齢の参加者と議論を行いました。そこで、立派なことをしようとはせず、ひとりでも多くの人が被災地を考え、想い続けることが最も重要なのではないかと感じました。まずは心で繋がり合える、そんな復興を実現したいと強く思う時間になりました。


島崎 恵茉(東京都)

「私は無意識下で東日本大地震の”被災者”の方をエンタメとして消費しているのではないか。」私が東北オンラインスタディーツアーに参加することを決意したきっかけは冒頭の問いの答えを探すためでした。震災以降、メディアはしばしば被災者を”かわいそう”な人だと語り、たとえメディアはそれを意図していなかったとしても、受け手はたいてい被災者は”かわいそう”な人だと認識しているように思えますが、私はその現状に漠然とした違和感を感じていました。

今回スタディーツアーに参加し痛感させられたことは、冒頭の疑問は当事者を思いやった行為でなく、寧ろ当事者の発する声を聞こうとする努力を怠ったが故に生まれた疑問だったということでした。冒頭の問いの答えは今尚考え続けていますが、今回「東日本大地震の経験をハッピーエンドの未来まで結びつける材料にしてほしい。」というお話を伺い、今まで当事者の声に耳を傾けようとしてこなかったことを痛感すると共に、改めて一次情報に触れ続ける大切さを感じました。


 

 
 

2022.3.31

#tohoku2022