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Reports

2022.9.27

「書いて伝える」ということ—私たちの立っている場所と進む方向を見つめるために— / D4Pメディア発信者集中講座2022課題作品 松本歩純

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

2022.9.27

#media2022

私の「伝える」のルーツ

物心ついた時から、私の祖父は「書く人」だった。40年務めた中学校の教員を定年退職してからも、毎日本と紙の束が山積みになった机に向かい、何かを書いている。今も、一家の出来事や地域史、新型コロナウイルスが流行してからの社会など、多岐にわたる事柄を書き綴っている。「ライフワーク」という言葉を聞いたときに思い浮かぶのは、まさにこの祖父の姿だ。そんな姿を見て育った私が、「書く」ということを伝える手段として選ぶようになったのは、とても自然なことだと思う。

でも自分が実際に書いて伝える立場になってみると、それがいかに簡単なことではないかを知る。誰かの声を聴き、自分の思いを整理し、文章に落とし込むというのは、時間も気力も体力も必要なのだ。

そんな行為を長年続けている祖父。何が祖父を、「書いて伝える」という行為に向かわせているのだろうか。
 

始まりは学級通信

1970年代後半から80年代にかけて、中学校が荒廃していた時代。祖父は、そんな時代の中で教師をしていた。教員生活をする中で次第に、「生徒に語り、鼓舞し、奮い立たせるという立場の自分は、本当に生徒の前に立てるほどのものなのか?」と、教師としての力量だけでなく、自身の生き方を問われているように感じたという。

祖父は語る。

「荒れている学校から目を背けてしまうと、今まで自分が声をかけてきた、辛い環境や状況でも精一杯取り組んできた生徒に対して、永久にもうその前に立てなくなるのではないかなという思いがあったんやね」

そうして祖父は、市内でも名だたる「荒れた」中学校へ赴任した。

学級とは、何の縁かわからないけれど集められた集団である。でもその集団で、1年間ある目標に向かって進んで行かなければならない。その時に、一人の嘆きや悲しみや思いをみんなで共有したいと思って学級通信を書き始めた。ほぼ毎日通信を書く教師など見たことのない子どもたちは、祖父に対して初めは値踏みをするような態度で接してきたという。

それでも祖父はこつこつと、日々の出来事の中の誰かの声や行為を拾い上げ、通信に載せた。そしてそれを学級の前で読み、それを読んだ他の生徒の感想を通信に載せるということを繰り返した。その営みを通して、奮闘に対してみんなで拍手をしたり、不正に対して憤ったりして、学級として高まっていくのだという。小学校くらいまでは、子どもたちは素直だからこちらが思った反応になる。でも中学生にもなると、「理屈は分かるけど、そんなことに納得できるか」という意識が出てくる。そんな複雑な思いを含んだ声をも拾いながら、学級をまとめていく醍醐味を感じることができたのが学級通信だった。

かつてはクーデターが起こると真っ先に乗っ取られるのは新聞や放送局だった。それだけ、発信するということは人心を掴み取るには有効ということだ。学級も同じなのだ。
 

忘れられない学級

                    

3年7組。祖父の教師生活の中でも、忘れがたい一年を共にした学級だ。今も残る当時の学級通信『飛翔』を製本したものを片手に、語ってくれたエピソードがある。

祖父は、新学期が始まってすぐ、この学級には給食を食べる時に、誰一人として隣近所のクラスメイトと机を向かい合わせて食べる生徒がいないということに気付いた。男女仲良く向かい合いながら給食を食べるのは、年頃の中学生には気恥ずかしさがあるのだ。しかし、今でこそ新型コロナウイルスの流行で「黙食」が良しとされているが、当時、学級という空間の中で、誰とも話さず通夜のように静かに給食を食べるというのはとても異様だった。

そこでまず祖父は、給食委員の班の生徒たちに働きかけた。班長をはじめ、誰もが最初は躊躇していたが、祖父自身もその班の中に混ざり、一緒に給食を食べることにした。しかし、それを数日続けていると、やはり机をくっつけて食事する班員を見た他のクラスメイトから、「なんや、お前ら好きどうしやなぁ」という冷やかしが入る。祖父はそれを聞いて、こう問いかけた。

「そうは言っとるけど、心の中では羨ましいと思っとるんやろう?」

すると、こんな答えが返ってきた。

「はい!羨ましいです!」

祖父は、冷やかしの裏にある「羨ましい」という素直な気持ちを伝えてくれたことに、とても感動したという。そして、この出来事を学級通信に書いた。気恥ずかしさと羨ましさは学級の誰もが持っていたのだろう。ここから少しずつ学級が変わり始め、1ヵ月後、すべての班が机を向かい合わせて給食を食べるようになった。この出来事を振り返る『飛翔』には、学級の変化に対して、「新しい文化を興すことに考えられないほどの抵抗があった」という祖父の言葉が書き記されている。その抵抗に寄り添い、理解し、伝えることで、少しずつその集団は柔らかくなっていった。その後も祖父は、ことあるごとに学級の中の声を拾い上げ、通信を書き続けた。
 

                   

「書いてそれを広げていくことは、自分たちの立っている位置をみんなで再確認することなんやね。そうして昨日の自分ではない今日の自分を感じて、それを明日への勇気にしていく。その繰り返しが、忙しい中でも書き続けるエネルギーになるし、教員を続けてきて良かったと思う。書くことの力を感じるが故に、自分が生きていることを実感する」
 

一族を繋ぐ通信

教員を定年退職した後も、祖父は書く手を止めない。2006年から続いている『四葉のクローバー』という、私たち親族のためのファミリー通信がある。きっかけは、一族の中で海外に単身赴任することになった者がいたからだ。離れて暮らしていてもつながりが感じられるように、との思いから始まった通信だ。不定期ではあるものの、この15年間、通信が発行されると毎回メールで届けられ、数年に一度印刷されたものが製本される。
 

                  

今までに製本された通信はすでに5巻あり、親族全員一人に一冊ずつ配られている。一家に一冊ではなく、一人ずつに。そうしている背景にはこんな思いがある。

「いずれ私は先にいなくなるので、そうなっても将来的に、残った子どもと孫が支え合って生きていけたらいいなぁと思って、わざわざ製本して一人に一冊ずつ配っとる」

「そして、それぞれがいつか家族を持った時に、自分たちがどこにいて、どこに向かっているのかが確認し合えるような『何か』になったら嬉しいと思って、いまも書き続けとる」
 

私たちの立っている場所と進む方向を見つめる

少しだけ私の人生の先を歩く祖父にとって、「書いて伝える」ということは、道標を作っていくこと、残しておくことなのだと思う。

前に進むときに、方向を指し示すように。
迷ったときに、立ち返る場所になるように。
何かを成すときに、一人ではないと感じられるように。

そのために祖父は、書いて伝えることを続けてきた。
 

                 

「学級の生徒たちにしろ、ファミリーの子どもや孫たちにしろ、私の書いたものを受け取ることで、自分たちの立っている場所がわかるし、結束が高まるという思いになれるもんで、続ける気になれる」

伝えるということは、誰かの声を代弁したり主張したりするためだけではない。自分を見つめ、自分たちを見つめるということだ。そしてそれは、今だけではなく、過去や未来にも繋がる、暮らしの中の営みなのだ。
 

「書いて伝える」ということー私たちの立っている場所と進む方向を見つめるためにー

    ▶︎形式:写真と文章
    ▶︎対象:文章を書いて伝える人、学校で通信を書く人、ファミリー通信の読者(私の親族)
    ▶︎制作:松本歩純


    こちらは、D4Pメディア発信者集中講座2022の参加者課題作品です。全国各地から参加した若者世代(18~25歳)に講座の締めくくりとして、自身の気になるテーマについて、それを他者に伝える作品を提出していただきました。
     

 
 

2022.9.27

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