「砂漠の真ん中のユニスと出会った」 D4Pメディア発信者集中講座2021課題作品 中野ちさと
date2021.11.9
categoryD4Pメディア発信者集中講座2021
仮設住宅が並ぶ殺風景の平地を夕日がオレンジ色に染めている。大きな通りには自転車に乗った影たちが「また明日」と言うように夕日に向かっていく。私が彼のことを知るきっかけとなった一枚だ。週に2、3回更新されるインスタグラムのストーリーで、今日も彼が生きている証を目に焼き付ける。
出会いは突然訪れる。SNSを漁っていると、とあるアカウントにたどり着いた。ヨルダンのザータリ難民キャンプに住むシリア人ジャーナリスト・ユニスだ。彼の投稿の中で夕日に照らされたキャンプや子供たちが真っ直ぐにこちらを見つめる瞳の美しさに惹かれた。彼は質問箱を設けてザータリ難民キャンプについて質問を募集していたので、いくつかの質問を投げてみることに。きっと相手にされることなく埋もれてしまうだろう、と半ば諦めていたがダイレクトメッセージで返事をしてくれた。「会ったこともない人とSNSで繋がることは危険だ」と繰り返し教えられてきたことが頭をよぎったが、彼の生きることに対する切実な何かが私を引き止めた。
見た目は30歳くらいの男性で、2013年から家族とザータリ難民キャンプに住んでいるシリア人ジャーナリスト。ユニスのプロフィールについて知っているのはこの程度。それも事実であるかどうかは、断言することができない。連絡を取り始めた当初はキャンプで困難がありながらも、故郷や家族に対する愛や夢を語る強い人だという印象を受けた。「夢は平和なところで仕事を見つけ、家族と共にテントではなく家に住むこと。裕福になりたいわけではない。ただこの地球に住む人と同じ人間になりたい」と。一方で時々、弱々しい言葉で今にもこの世界から消えてしまいそうな投稿をする。「この世界で生活するよりも死んだ方がずっと楽だ」「私が死んでも世界で気にかける人はいない」「私の夢が叶うことはない」そんな投稿が上がる日は、彼の命を繋ぎ止める何かが今日も切れないことをただ願う。無理に励ましの言葉をかけることもお門違いのように思えて、ただ今日1日をどう過ごしたのかと聞くことしか私にはできない。彼に生きてほしいと思うことは、傲慢すぎるのだろうか。
ある日「明日死ぬと分かったら何をする?」と質問を投げられた。私は返答に詰まり、結局「分からない」と返してしまった。すると「私にも分からない。でも、もしも明日死ぬとわかったなら、私は天国に行くために何だってする」と返事が来た。
天国。
一体彼の思い描く天国はどんなところなのだろう。天国に行くために、神様が我々人間に求めるものは一体何なのだろう。彼の望む世界を想像してみても、やはり私はまだ彼にはいかないでほしいと思う。彼の命を「見捨てられた命」としてカウントしたくはない。望む人生を全うできた尊い命として記憶されてほしい。
十分な支援がないまま難民キャンプの状態は日を追うごとに悪化しているという。特に冬に向かうにつれて厳しさを増しているそうだ。私が今直接できることは限られているが、いつか厳しい冬を超えた先に直接会える日が訪れることを祈るようになった。砂漠の真ん中のユニスと出会えたように国や人種、宗教、暮らす環境が異なる人とも繋がることができる。ニュースで報じられる「数」は、一つ一つ尊い命であることを忘れずにいたい。
(中野ちさと)
「砂漠の真ん中のユニスと出会った」
「難民」と聞くと自分とは交わらない、遠い話のように思えてしまいます。しかし、SNSを通じて国境を超え、コミュニケーションを取ることが可能な今、誰かの叫びや声はすぐそこにあるのです。祖国を離れ、職を失い、月に20ドルUNHCRの支援を受けながら難民キャンプで生活を送るユニス。砂漠の真ん中で暮らす彼の声は、地理的には遠いけれど、耳を傾けるべき声がすぐそこにあることに気付かされる出会いでした。ユニスとの出会いを誰かに共有することで、難民問題に対する無関心から一歩踏み出すきっかけになれたら、と執筆しました。
▶︎形式:文章
▶︎対象:年齢を問わずSNSを使う人
- こちらは、D4Pメディア発信者集中講座2021の参加者課題作品です。全国各地から参加した若者世代(18~25歳)に講座の締めくくりとして、自身の気になるテーマについて、それを他者に伝える作品を提出していただきました。