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Youth次世代に向けて

この講座を通して感じたこと / D4Pメディア発信者集中講座2022課題作品 砂山風磨

 社会や政治の問題を、自分事として考え始めるきっかけとなるような発信のあり方を模索したい。これが、私の本講座に応募する動機だった。そこには、意志に反してそうしたテーマの受信を避けている自分自身への気づきがあった。情報は間違いなく受け手の世界への解像度を高め、よりよい社会を実現する原動力となる。得たい情報を選択できるようになったこの時代に、見たいものしか見ない人間の本能的性質を乗り越えるような発信のあり方の模索は、急務であると感じていた。

 2日間の講座は、メディアを志した自分にとって、非常に貴重なものだった。伝えることの葛藤と現実、そして思い。登壇者の皆さんの一言一句が自分の心に深く響いてくるのを感じた。この社会には、どんなセントリズムが存在するか。見えないことは解決できない。『情報』の格差が『支援』の格差に直結する。『公正』であるべきだが『中立』ではありえない。理論や講師の方々の物語を通し、取材発信の意義、そしてあるべき姿について理解を深めるきっかけを頂いたように思う。

 それと同時に、ナラティブ(語り)の力に感動する自分がいた。登壇者の物語の共有・追体験を経て、差別や社会の不条理といった現実に否応なしに向き合わせてくれる。事実を知ると視野が広がる。『知っている』から『知らない』には戻れない。ここに、発信の意義がある事を私は疑わない。見たいものしか見ない人間の性質を乗り越えて届ける発信のあり方。ナラティブ(語り)は一つの答えではないかと感じさせられた。

 講座を終えてまず私が取り組んだのは、講義でとったメモを全て清書するということだった。学びを最大化したい。丸一日かけて取り組んだ。

 次に取り組むべきは参加者課題だった。自身の気になるテーマにつき、それを他者に「伝える」作品を制作する。ところが、何日経っても始められない。考え始めようとしない。気づけば講座の内容を振り返りながら課題に取り組むということを避けている自分がいた。

 講座を振り返るということは、そこでの感情を再生するということを意味する。私は、それを拒んでいたように思う。講演の侵襲性は恐ろしい。差別や社会の不条理といった現実から、自分の心を守るためとはいえ、やっぱり目を逸らそうとしている自分がいる。重いテーマだから?無関係のように思えるから?そもそも日々の生活で心に余裕がないから?せっかくナラティブ(語り)の力で社会の現実と向き合うことができたのに。

 気づいたことは、見たいものしか見ない人間の本能的性質を乗り越えて届ける発信がそう簡単でないということだ。まずは、発信した情報の受信を選んでもらうこと。次に、受信の後には目を逸らさずに向き合い続けてもらうこと。この二つのハードルを乗り越えなければならない。考え続けたいと思う。時期が来れば、取り組みたい。
『こんな自分自身に届く発信のあり方とは?』

「この講座を通して感じたこと」

    ▶︎形式:文章
    ▶︎対象:本講座の参加者
    ▶︎制作:砂山風磨


    こちらは、D4Pメディア発信者集中講座2022の参加者課題作品です。全国各地から参加した若者世代(18~25歳)に講座の締めくくりとして、自身の気になるテーマについて、それを他者に伝える作品を提出していただきました。

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