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「どこか、安心して暮らせる場所を」―境界線に分断される命 ベラルーシ国境からの声

date2021.11.24

writer佐藤慧

category取材レポート

11月初頭、ベラルーシ国内のポーランド国境付近に、数千人の“移民・難民”が押し寄せているとのニュースが駆け巡った。その多くがイラクやシリアからやってきたクルド人だという。11月21日、現地時間午後6時、今もその国境線上の森で身動きが取れずにいるという男性に話を伺った。

ベラルーシ・ポーランド国境の森で野営を続ける人々(匿名の当事者提供)。

“ジャングル”をさまよう人々

「どこか明確な場所を目指していたわけではありません」と、27歳の男性、セルヴァス氏(仮名)は語った。彼はイラク北部、クルド自治区からやって来たという。クルド自治区とは、イラク北部で自治権を与えられている領域で、主にクルド人と呼ばれる人々が暮らしている。クルド人は、第一次世界大戦後、列強により引かれた恣意的な国境線により分断され、トルコ・シリア・イラク・イラン、そしてアルメニアなどでマイノリティとして暮らしている。数多くの戦乱や弾圧を経験し、ここ数年はIS(武装勢力いわゆる“イスラム国”)との戦いで疲弊し続けてきた。

そうした不安定な情勢が、少し落ち着いてきたかに見えた矢先に襲い掛かったのがコロナ禍だった。厳しい移動制限や経済の低迷により、自治区の歳入を支える原油の価格が急落、もとより輸入品に頼っていたクルド自治区では、生活必需品や電気・ガスの値段が高騰した。2020年末、イラク中央銀行は、イラク・ディナールの対ドル公定レートの引き下げを行うなどの措置を講じたが、負のスパイラルは市民生活を直撃し、先行きの見えない市民の中には、リスクを覚悟で新天地を目指す人々も現れ始めた。

「収入が、月に300ドル程度、けれど支出は毎月最低でも500ドルはかかるんです」。セルヴァス氏は、時折接続が不安定になるスマートフォン越しにそう嘆いた。「9月頭にクルド自治区からドバイへと飛びました。その翌日ベラルーシの首都、ミンスクへと飛んだのです。無事に入国したら、夜まで空港で待ち、タクシーで“ジャングル”へと向かいました」

彼のいう“ジャングル”とは、ベラルーシとポーランドの国境地帯にある森のことだ。そこで数千人の移民・難民希望者が、ポーランドやリトアニアなど、「EU加盟国」への越境を望み、寒空の下足止めをくらっているのだ。

「家族連れが多いです。子どもも、お年寄りもいます。みな何度も、国境を行ったり来たりしています」

こうした厳しい状況に、ベラルーシ政府は帰国を希望する人々に対する帰国支援を行うと発表、現在、イラク政府の用意した特別機で数百名の人々が帰国したとされている。セルヴァス氏と共にいた人々の中にも、帰国を選んだ人もいるというが、いまだ大部分は着の身着のままで過ごしている。

幼い子どもも多い。中には乳幼児の姿もある(匿名の当事者提供)。

私たちはまるでサッカーボールのよう

セルヴァス氏自身、何度も越境を試みた。初めにトライしたのはポーランドへと抜ける道だった。しかしその途中、ベラルーシ警察に捕まり、金品を奪われ暴行された挙句、リトアニアと接する国境へと連行された。ここからリトアニアへと出ていけ、ということらしい。セルヴァス氏は、国境沿いに走る小川を、裸になり泳いで渡った。すると駆け付けてきたリトアニアの治安部隊に捕まり、酷い暴行を受けることになる。

結局ベラルーシへと追い返されたセルヴァス氏は、またもベラルーシ警察に捕まり、今度は電線を利用した鞭で何度も殴られたという。再度リトアニアへと突き返され、同じように暴行を受けてベラルーシへ……。こんなことがもう4度に渡って繰り返されているという。

「まだ私はいい方です。20回、30回とそのような目にあっている方もいますから……」

おなじく“ジャングル”にいたある男性は、家族を連れて森をさまよっていた。既に12回、セルヴァス氏と同様に国境線上を行ったりきたりしているという。警察に暴行を受けたという腕や膝は、黒紫色に腫れあがっていた。彼はイラク北部のモスルという街にいたときに、執拗に武装勢力に脅迫を受けており、実際に叔父は誘拐され、殺されている。一時はドイツへと逃れ難民申請を行っていたが、8ヶ月後に不受理の結果を受け、クルド自治区へと送還された。今回ベラルーシからヨーロッパに行けるルートがあるという噂を聞き、旅行業者(とはいうものの、その多くは法外な値段を要求する悪徳業者)の手配で“ジャングル”へとやってきたという。

セルヴァス氏は、ベラルーシ政府が支給している缶詰でかろうじて命を繋いでいるというが、すでに気温は氷点下となる季節だ。毛布1枚ではとても体を温めることもできずに、体調も日々悪化している。森で一緒に過ごした知人も、先日持病の糖尿病の薬が底をつき、ある朝冷たくなっていたという。

「私たちはまるで、ベラルーシとリトアニアの間にあるサッカーボールのようです……」と、セルヴァス氏はいう。「どこか、安心して暮らせる場所を求めるということが、それだけ大それたことなのでしょうか」。

リトアニアとの国境沿いを走る川(匿名の当事者提供)。

人間を生きた盾とする戦争

ベラルーシといえば、オリンピックで来日した選手の亡命について記憶されている方も多いだろう。陸上選手のクリスチナ・チマノウスカヤ氏が、ベラルーシのスポーツ当局を批判するような投稿をインスタグラムに投稿したところ、ベラルーシ当局は彼女を羽田空港へ強制連行、しかしクリスチナ氏は本国への送還を拒否し、ポーランドに亡命を希望、受け入れられることとなった。

ベラルーシは「ヨーロッパ最後の独裁国家」と呼ばれることもあり、昨年8月の大統領選で再選を果たしたルカシェンコ大統領は、既に6期、通算27年間その椅子に座り続けている。それに対し不正選挙を訴える市民と政府との間で衝突が発生、10万人を超える大規模な市民デモへと発展したが、結局再選挙実施などはされなかった。

参考記事:香港のフォトジャーナリストから見た、ベラルーシのデモの姿とは

このような現状に対し、ベラルーシは今年6月、EUから包括的な制裁措置を受けることとなった。そうした背景から、ポーランドのモラウィエツキ首相は「これ(移民の扇動)はEUに混乱を引き起こすために行われており、人間を生きた盾とする新たなタイプの戦争」だと述べており、軍事衝突に発展する危険性も指摘している。

移民に対する精神的な壁が、実際に強固な壁となる

移民・難民の扇動という政治的な意図が見え隠れする一方、故郷を追われた人々の人権をどのように守っていくかということは、全世界的な課題でもある。

2015年、シリア戦争の激化や武装勢力の台頭、アフリカ諸国情勢の不安定化などを背景に、100万人を超える移民・難民がヨーロッパへと押し寄せた。こうした社会的・政治的な状況は「欧州難民危機(European refugee crisis)」と呼ばれている。

そうした人々の取材を進めて行くと、たとえばシリアからヨーロッパを目指す人々のルートには、いくつかのパターンがあることがわかる。代表的なルートのひとつが、シリアの北に接しているトルコへと抜け、地中海からゴムボートで対岸のギリシャへ渡るという道だった。2015年9月2日、トルコの海岸にアラン・クルディ君という小さな男の子の遺体が打ち上げられたことは、世界中で報道された。しかしこのルートは海難事故の相次ぐ危険な道であり、関係者によると、特に波の荒れる冬季には「95%の人が命を落とす」とも言う。

参考記事:アラン・クルディくんの写真が伝えるメッセージ(シリア)

移民・難民に対する反応はヨーロッパ各国、さらにはその国内でも賛成・反対と様々に議論されていくことになるが、その重要なキーワードとなるのが「シェンゲン協定」と「ダブリン規約」だ。

「シェンゲン協定」とは、本来必要とされる出入国審査を、加盟国間の移動(国境の往来)では不必要だと認める協定で、1985年に締結された。その後加盟国が増え、現在では26ヵ国が加盟している。

もうひとつの「ダブリン規約」とは、EU加盟国といくつかの非加盟国で定められている規約で、欧州に逃れてきた難民に対し、「どの国が難民申請に対応するか」ということを定めたものである。現在の規約では、同規約加盟国への難民申請を望む難民は、原則「最初に入った国」で難民申請をしなければならないことになっている。

たとえば、北アフリカからの難民が欧州を目指すルートの中に、「地中海中央ルート」と呼ばれる道程があるが、それはアフリカ北部のリビアから船に乗り、地中海を越えてイタリア半島を目指すというものだ。多くの難民は、その後それぞれドイツや北欧諸国など、比較的難民の受け入れ態勢の整っている国を目指す人々が多いが、「ダブリン規約」がある以上、「最初にイタリアに上陸した難民は、イタリアで難民申請を行わなければならない」ことになる。これはヨーロッパ各国での二重申請を防ぐ意味合いや、可能な限り迅速に難民申請に対処することを目的につくられた規約だが、当然ながら、加盟国の中でも、「域外と接する国」に多くの申請者が集中することになる。そうした国々の中には、物理的な「壁」を求める声も多い。

シリア北東部、トルコ国境沿いの小学校。非常時には国境線に近いというだけで危険地帯となる。

ベラルーシからの移民・難民を大きな不安要素と捉えるポーランドは、非常事態宣言を発令し、国境沿いに有刺鉄線の柵を設置している。この柵を将来的には強固な「壁」とする法案もすでに可決されている。同じく「域外」と接するギリシャでは、トルコとの国境に高さ5メートル、長さ40キロの壁が築かれており、移民に対する精神的な壁が、実際に強固な壁となりそびえたつ様子は世界のあちこちで見受けられる。

国境線上の壁というと、「ベルリンの壁」を連想される方もいるかもしれない。ベルリンの壁は、1989年11月9日、記者会見の不用意な発言をきっかけに、多くの市民が国境ゲートに殺到、翌日には自然発生的に破壊されていくことになる。28年間に渡り、人々の自由な行き来を遮ってきた国境線は、一晩にして事実上消滅することになる。そこには、恣意的に引かれた境界線に対する人々の憤りがあったことだろう。

「壁」は、再び世界のあちこちに築かれてしまうのだろうか。「一番恐ろしいのは、物理的な壁ではなく、誰かを排除しようとする心の中の壁なのよ」と、四方を封鎖されたガザ地区に生きる友人の言葉が脳裏をよぎる。

「日本にもできることはあります」と、イラクの取材パートナー、バルザン氏はいう。「移民・難民希望者へと門戸を開くのです。なにも危険な海や森を越えてどこかを目指さなくとも、領事館で申請を行い、直接日本に飛んでいくことができたら、これだけ多くの人が命を落とすことはなかったでしょう。中には、安全面や経済的な理由の他に、より良い教育を受けたかったり、理想とする職に就きたかったりという理由で国外を目指す人々もいます。けれど、現在私たちクルド人の置かれている状況では、合法的にそうしたビザを取得することが極めて難しいのです。そうした人々も、もし合法的に他の国々へ移住することができるのであれば、そうした道を選ぶはずです。生まれた場所により様々な可能性が阻まれたり、人権が無視されることがあって良いのでしょうか」。

経済格差や安全保障、人権、自然環境破壊など、現代を覆う問題の多くは、すでに一国で解決するには大きすぎる。改めて国民国家の枠組みや、国境という概念、移動の自由や、世界的な人権保護のシステム、安全保障などについて、考えていかなければならないときではないだろうか。

ヨルダンにあるザータリ難民キャンプは、すでに設立から9年を越え、約8万人のシリア人難民が暮らしている。

(2021.11.24/写真〔提供の記載のあるもの以外〕・文 佐藤慧)


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