※本記事では訴訟の内容をお伝えするために、差別文言を記載している箇所がありますのでご注意ください。
2023年6月19日、ルーツをたどる記事に対して投稿された差別書き込みを巡る裁判で、被告男性に賠償命令が出されました。書き込みが「差別的な表現」であるとして、東京地裁は33万円の支払いを命じています。
提訴から1年半、書き込みを受けてからは2年半、課題の残る判決ではあるものの、まずは「ほっとしている」というのが正直なところです。今回判決の出た1件と、昨年(2022年)5月に和解の成立(不本意な形となりました――後述します)した1件、それらの経緯を振り返っていきます。
尊厳を芯からえぐる「差別」の言葉
2020年12月、Dialogue for People公式サイトに、父のルーツをたどった記事、『もうひとつの「遺書」、外国人登録原票』を掲載しました。父は、私が中学2年生の時に亡くなっています。その後、家族の戸籍を手にし、父が在日コリアンだったことを初めて知りました。
「なぜ、父は自身の出自を語らなかったのか?」
――その疑問の答えを探そうと、古い書類をかき集め、父の家族にゆかりのある場所を巡り、在日コリアンの歴史をたどってきました。それは根深い差別構造を前に、ルーツについて「語りたくても語れない」社会があることに、気づかされていく旅でもありました。
今回判決が下された西日本在住の男性Aは、その記事に対して下記のように書き込みました。
《在日特権とかチョン共が日本に何をしてきたとか学んだことあるか?嫌韓流、今こそ韓国に謝ろう、反日韓国人撃退マニュアルとか読んでみろ チョン共が何をして、なぜ日本人から嫌われてるかがよく分かるわい お前の父親が出自を隠した理由は推測できるわ》
この裁判を始めるにあたって大切にしてきた前提は、「表現の自由は差別の自由ではない」ということでした。言葉による暴力の中でも、「差別の言葉」というのは、“この社会に自分自身が存在してはいけないのではないか”という暗示として、尊厳を芯からえぐります。
ところがまず、匿名の相手を特定するだけでも、SNSのプラットフォーム、そしてプロバイダーと、1件あたり2度の裁判を起こさなければなりませんでした。ようやくその「誰か」が分かっても、包括的に差別を禁止する法律のない日本では、「差別」という文言が判決に盛り込まれるかどうかも未知数でした。差別被害の深刻さを伝えるのに、こんなにも肩に力を入れなければならない社会が、すでにあるのだと痛感し続けた2年半でした。
今回の判決では、差別が人格権を侵害する独立した違法要素となりえることも示唆しつつ、上記の書き込みについては、それに当たらないと判断され、「差別的な表現」の「侮辱行為」という範疇に留められています。
ただ、ヘイトスピーチ解消法や人種差別撤廃条約の文言に触れながら、明確に「差別的な表現」であることを認め、賠償額にもそれが考慮されていることが伺えます。私自身は「大切な一歩」として、この判決をとらえています。
加害者が自身の加害に向き合う枠組みを
また、判決が出されたものとは別の、もうひとつのケースについては、少し異なる事情があります。同じく西日本在住の男性Bは、私のルーツの記事に下記のようなコメントを書き込みました。
《密入国では?犯罪ですよね?逃げずに返信しなさい。》
提訴にあたり、私自身は「差別」を明確に認める判決を積み重ねたいと思っていました。ところが裁判所側は、非常に強く「和解」を勧めてきました。せめて、その中身を意味あるものにしたいと考え、被告にカウンセリング機関が提供する「加害者プログラム」の受講を義務付ける和解案を提出しました。ところが被告は和解成立後、事前の通達もなく、プログラムが不成立となった場合の「違約金」を振り込んできたため、 結局受講には至りませんでした。
加害者が加害を繰り返さないための措置を、民事訴訟において、自助努力で作り上げるには限界があります。せめて刑事事件化するような深刻な書き込みに関しては、加害者がその行為に向き合うプログラムの受講を義務付けるなど、社会の枠組みが必要でしょう。
法整備の遅れは命に関わる
裁判を通して何を伝えられるか、ということを今回の訴訟の中で常に考えてきました。国連から長らく勧告されてきた、「政府から独立した人権救済機関」の設立が実現していれば、自ら裁判を背負わなくても、迅速な救済がなされるかもしれません。国内人権機関の創設について、自由権規約委員会から最初に勧告が出されたのは1998年、20年以上も前のことです。ここで二の足を踏み続けることは、泣き寝入りせざるをえない人々の存在に背を向け続けることでもあるでしょう。
また、「包括的に差別を禁止する法律」ができていれば、明確に差別を違法とする判決が出やすくなるかもしれません。ところが、とりわけ今国会の法整備の状況を見ていると、むしろ「差別」という文言を、なるべく使わず、なるべく認めないという方向に舵を切っているのではないかと、非常に危機感を覚えます。
差別とは、マジョリティとマイノリティの不平等や、力の不均衡の中で起きる人権侵害です。それを忘れ去ったかのように、「足を踏んでいる側」と「踏まれている側」を、「どっちもどっち」と並列で語ってしまうと、問題の本質を見誤るのではないでしょうか。
「差別のない社会づくり」を、個々人の自助努力、自己責任として丸投げするのではなく、法整備の遅れは命に関わるという前提に立ち、根本から制度を組み直すことが必要だと思います。
最後に、私に限らず、様々な差別に抗う活動をしている方々によく浴びせられる「被害者ビジネス」という言葉について、明確に否定しておきたいと思います。第一に、被害を受ける側にはそれを回復する権利があり、「賠償を受け取る」ということは否定されるべきものではありません。そして第二に、弁護士に依頼し、匿名の書き込み者を特定し、本裁判に進み、場合によっては意見書も出すというプロセスを考えると、むしろ労力や費用の面では、負担の方が圧倒的に多くなるという現実があるからです。
「被害者ビジネス」というレッテルを貼れば、それ以上「社会の側」の問題として考えずに済むのかもしれません。こうして暴力が見過ごされ、被害を「語りたくても語れない」という沈黙が積み重なっていく社会は、果たして望ましいものでしょうか。
この裁判が、社会の枠組みを半歩でも前に進める一助となれば嬉しく思います。
(2023.6.20 / 文・安田菜津紀)
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