イスラエル軍によるガザへの軍事侵攻と凄惨な虐殺が1年以上に渡り続いている。死者は4万3000人を超えたと報じられているが、加えて相当数の人々が、瓦礫の下敷きになるなど、死亡の確認もされていない。実際の犠牲者はさらに多いとみられている。建物の7割近くが破壊され、220~230万人ほどだった人口の約9割の人々が家を追われた。もはや民族の存在の否定だ。
この秋、北海道パレスチナ医療奉仕団を中心とする市民有志が、全国一斉凧揚げアクション KiFAH with Palestine 2024への参加を呼びかけた (Kifahは「Kite Flying Action for HumanRights」の略)。
呼びかけ文では、ガザの人々に対する連帯の意志を表明した上で、イスラエルに対しては即時停戦と、12ヵ月以内にガザ、占領下の東エルサレム、ヨルダン川西岸からイスラエル軍と入植地を撤退させるという国連総会決議の速やかな履行を、そして日本政府に対しては、パレスチナの国家承認と平和的解決への尽力を求めている。
なぜ、「凧」なのか? 第二次インティファーダが起こり、外出禁止が強いられている最中、占領下のパレスチナ人の子どもたちは、自宅の窓から凧を揚げ、占領に抵抗した。そして凧が象徴するのは、「抵抗」だけではない。
2018年2月、私は国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が運営するガザ地区の学校を訪れた。広々とした中庭では、虹色の大きな丸い敷き布に座り、子どもたちが熱心に何か作業を続けていた。手元にはパレスチナと日本の旗の模様が合わさった凧や、色とりどりのメッセージカードが並んでいる。
ガザ地区では2012年から毎年3月、東日本大震災の被災地の復興を願う凧揚げが続けられていたのだ。この日も3月15日の凧揚げに向け、準備が進められている最中だった。
「私たちは爆撃によって家を壊され、街が変わり果ててしまう様子を目の当たりにしてきました。自然災害によってあれだけ多くの街が破壊されるのは、どれほどの苦しみなのかと心が痛みました」
テレビで津波の映像を見ていたという14歳の少女、シャヘドさんは、7年前の衝撃をこう振り返った。気づけば彼女の頬には涙がつたっていた。自然災害と軍事侵攻は成り立ちの異なるものだが、彼女はまっすぐこう語った。
「幼い頃、日本から届けられた文房具や手紙を受け取った時の喜びを忘れません。だから今度は私たちが、何かを日本に伝える番だと思ったんです」
「今でもその時もらった手紙は大切にとってあるの」、とシャヘドさんは微笑む。
ともするとこうしたエピソードは、「日本のために祈ってくれた子どもたちなら守らなければ」という考えに直結しがちだ。けれども人権や人命、人間の尊厳は、「日本のために祈ってくれた」から「与えられる」ものではない。国籍や国境を超え、思いを寄せようと努める彼女たちに、私はどう応答すべきなのかと、学校を後にしてからずっと、考えていた。
そして日本からも全国一斉凧揚げアクションが行われることを周囲の人々に伝えたとき、真っ先に「やろう」と応えてくれた人がいた。福島県大熊町出身の、木村紀夫さんだ。
木村さんの自宅は、東京電力福島第一原子力発電所からわずか3キロ地点に位置していた。2011年3月11日の地震発生当時、小学1年生だった次女の汐凪さんは、小学校での授業を終え、隣の児童館で遊んでいた。木村さんの父、王太朗(わたろう)さんがそこへいったん駆けつけたものの、海側の自宅に引き返していった。その王太朗さんの車に汐凪さんも乗り込み、行方不明となった。翌12日には原発事故により、木村さんも避難を余儀なくされ、捜索の道を絶たれる。その後、王太朗さんと妻の深雪さんが遺体となって発見されたが、汐凪さんの行方は分からないままだった。
それから数年、限られた一時帰宅の時間を使って、木村さんは汐凪さんを探し続けた。2016年11月、中間貯蔵施設予定地の現地調査を行う環境省に依頼し、重機での捜索を開始した。それから1ヵ月もしないうちに、泥だらけのマフラーから、汐凪さんの小さな首の骨が出てきた。
2022年初頭には、沖縄で戦没者の遺骨収集活動を続ける具志堅隆松さんが捜索に加わり、2016年に汐凪さんの遺骨の一部が見つかったのとほぼ同じ場所から、大腿骨が見つかっている。この場やその周辺を、木村さんは「慰霊と伝承の場」として残していきたいと願う。
木村さんが代表理事を務める大熊未来塾が凧揚げへの参加を呼びかけ、11月18日、約10人が参加した。地元住民も数人、この凧揚げを機に帰還困難区域内に「戻って」きた。
木村さんの自宅跡地の目の前には、巨大な防潮堤が建っていた。のぼってみると糸ごと凧が飛んでいってしまうのではと思うほど、強い風が吹きつけてくる。
「活動しながら、福島で起きていることが中々外に伝わらない、と感じてきました。でも自分たちも、ガザについてよく知らなかったと最近痛感していて……」
木村さんはときおり声を詰まらせながら、こう語った。ガザの惨状をニュースを通して知りながら、何もできない自分にもどかしさを抱いていたという。
「大熊未来塾としても、社会の裏で誰かを犠牲にしないということを目的に活動しています。ガザや、日本国内の社会課題のある地域の人々のために、今後も凧揚げができたらと思います」
大熊未来塾は、「誰かの犠牲の上に成り立つ社会」ではなく、「命が大切にされることが当たり前になる未来」を目指し、活動を続けている。
この凧揚げの様子を写真で見たガザの知人からは、「今すぐこの虐殺を止めるためにアクションを続けてほしい」とメッセージが届いた。この海も空もガザとつながっている。「犠牲を前提」とする虐殺や占領の不条理に、どう国際社会が応答し、行動を続けられるかが問われている。
Writerこの記事を書いたのは
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フォトジャーナリスト安田菜津紀Natsuki Yasuda
1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。
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