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あの日の「告発」から6年が経ち見つめた今

※この記事には、性被害に関する内容が含まれています

この文章を書くまでに、長い、長い時間がかかりました。

報道写真の月刊誌「DAYS JAPAN」の元編集長でフォトジャーナリストの広河隆一氏による、長年に渡っての性暴力やパワーハラスメントに対する告発が2018年から相次ぎ、2020年12月には外部有識者で構成する検証委員会の報告書が公表されました。 

ところが、被害者の声を伝える文春オンラインに掲載された記事で名誉を毀損されたとして、広河氏が文藝春秋を提訴し、2025年1月22日、東京地裁が同社に55万円の支払いを命じる判決を言い渡しました。

広河氏の主張していた記事の削除や謝罪広告の掲載は認められなかったものの、「部分的にその訴えが認められた」という知らせが届き、私の心の奥底にあった何かが一気に冷え込み、凍りつきました。それからこの文章を書いては消し、消しては書き、を繰り返しました。

なぜなら私自身が過去、広河氏による被害を受けたからです。それを初めて、私自身の名前で綴ります。

週刊文春での最初の告発(2019年1月3日・10日号)は全て匿名で行われました(広河氏が訴訟を起こした記事に先立つものです)。詳細を書くことにはまだ苦痛が伴うため、「どの部分か」ということは明示しませんが、私の声は、この記事の中に含まれています。当時私は、フォトジャーナリストを夢見る、希望にあふれた学生でした。無意識に「自分を守る」ためだったのか、被害を自覚するまでには時間を要しました。

私は書き手や発信者として「完璧」ではありません。果たしてそんな自分が、こんなにセンシティブな話を書いていいものか、逡巡もありました。

それでも今回、こうした文章を書こうと思ったのは、判決が出されたことがもたらす影響を危惧したからです。

広河氏の主張が一部認められたのは、「レイプ」という「記事のタイトル」に対してのものです。この言葉は改正前刑法の「強制性交等罪」に該当する行為を示す、そうした意味のレイプの事実はなく名誉を毀損された――それが広河氏の主張でした。この「レイプ」を被害者がどんな思いで用いたのか、判決では顧みられませんでした。

判決によって、言葉の持つ意味が狭く解釈され、それが当てはまらなければ「大したことがない」かのように伝わるのでは、という危機感を抱きました。まるで当事者の告発自体が虚偽であるかのように誤認するような声、誤認させるような発信も目につきました。

文春記事は、告発者の誰も顔や名前が出せない中、「記事をしっかり信じてもらえるように」と、書き手となったライターさんが自らの名前を出して記したものです。広河氏が提訴した相手は文藝春秋ではありましたが、そんなライターさんが責め立てられているように感じられ、胸が痛みました。何より、提訴の対象になった記事に、必死の思いを届けた方が、これ以上踏みにじられるべきではないと思いました。

私の声を含めた最初の文春記事が世に出た後、「告発者は誰なのか」と噂する声を、ごく近い場所で度々耳にしました。私がフォトジャーナリストとして活動を続けていることをもって、「安田さんは違うでしょ」と語る人がいることも知っていました。悪気なく「被害者であるはずがない」と思うのは、私が強く、元気そうに見えるからかもしれません。

しかし「サバイバー」として生きざるを得なくなったとき、「表で見せている自分」と、家のベッドでひたすらぐったりしている自分とのギャップそのものが、こんなに苦しいものなのかと痛感するばかりでした。今もふいに、性被害に関する何かが目に飛び込んできたとき、パニックに陥ったり、心も体も固まって、冷静な判断ができなくなってしまうことがあります。とりわけ、広河氏本人に関わる文言には。

私は広河氏やDAYS JAPANの全ての「関係者」個々に対して同じ責任を背負わせたり、社会的制裁を科したりすることは望みません。それはかえって、論点や責任の所在をぼやかしてしまうように思います。ただせめて、広河氏本人が自身の責任と向き合い、「業界」の構造そのものが変わっていってほしいと願い、あの記事を通して声をあげることを決めました。

その後の広河氏の向き合い方が不十分であることは言うまでもなく、いまだこの狭い「業界」の中で十分な変化がもたらされていない、と感じています。その点は、下記の記事にもまとめています。

「名取洋之助写真賞歴代受賞者」紹介展示辞退について

一方、あの「告発」を含めて社会に問いかけられてきたものは、少しずつ、制度に反映されてきているとも感じます。私が被害を受けた後、刑法は何度も改正を重ねてきました。

あの時、小さく震えていた私の前に、今の法や制度があり、知識を差し出してくれる人がいたら、私はどんな行動をとっただろう、と考えることがあります。ワンストップセンターに電話をかけたかもしれない、それでも警察には足が向かなかったかもしれない――。今の法にも様々な課題が残っています。けれども多くの人たちの声が集まり、少しずつ、道は広がってきたのだと実感します。

私は他のサバイバーを「代弁」することはできません。それぞれに感じていること、求めていることは違うでしょう。ただせめて、被害が繰り返されない社会構造に近づいていくため、これからも一人のフォトジャーナリストとして、取材や発信を続けていきます。


性犯罪・性暴力被害者のためのワンストップ支援センター


Writerこの記事を書いたのは
Writer
フォトジャーナリスト安田菜津紀Natsuki Yasuda

1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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