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「法律はかざりか」―権利への政治介入、コピペ判決、生活保護引き下げ巡り問われる国と司法のあり方

最高裁弁論前の原告と弁護団。(佐藤慧撮影)

「私の最後のたたかいとして今日ここに来ました」

80歳になる小寺アイ子さんの声は、法廷の最後尾で傍聴していた私には少し震えているようにも聞こえた。ただでさえ最高裁判所の構造は、要塞のように権威的だ。小寺さんを見下ろす位置に座る裁判官5人の中で、女性はひとりしかおらず、対する国側の代理人も、スーツ姿の男性がずらりと並ぶ。

それでも毅然と陳述するその姿に、裁判官は幾度も頷き、耳を傾けていた。生活保護基準引き下げを巡る「いのちのとりで裁判」は、5月27日、大阪・愛知訴訟の最高裁弁論の日を迎えた。小寺さんは大阪訴訟の原告の一人だ。



「ただ生かされているだけ」

小寺さんは2000年からカラオケ喫茶を営んでいた。2012年には初孫が生まれ、仕事の休憩の合間にお風呂に入れた。孫はその後、4人に増え、お店の常連客とのかかわりと並んで、小寺さんの生きがいだった。

ところが病を患い、2013年、生活保護を受けることになる。店は手放さざるを得なかった。難病指定されている病気の影響で、体温調整が上手くできないため、エアコンに頼らざるをえず、電気代はかさむ。歩くとすぐに息があがってしまうが、それでも店々を回って安い食材を買い、作り置きで節約をした。服は貰いものを使い、部屋が寒ければエアコンの温度を極力上げず、それを着こんだ。風呂は3日に1回ほどに抑えていた。

ところが度重なる保護費減額の上、体力が落ち、作り置きもできなくなると、食費が以前にも増してのしかかるようになった。

「‟生活保護を受けている人は、毎日白米だけ食べていればいい”、と聞いたことがあります。でも私は、人間らしく生きるためには、栄養のある食事をしたり、家族や友人と過ごすことが必要だと思います」

かつての常連客との交流を続けることはおろか、入院の見舞いや、葬儀にも顔を出せなかった。孫のために続けてきた「1日100円貯金」もできなくなり、生きる支えにしてきたものが、次々と日常から消し去られた。

小寺さんは絞り出すようにこう言う。

「今の私は、ただ‟生かされているだけ”です」

小寺さんの代理人である脇山美春弁護士は、小寺さんの陳述に先立って、「(困窮によって)小寺さんは大事なものを手放しながら生きてきた。生活保護基準引き下げによって、必死に守ってきたものをさらに手放すことになった」と指摘し、これが「健康で文化的な最低限度の生活」なのかと疑問を呈した。

弁論後の集会で発言する小寺さん(写真左)と脇山弁護士。(安田菜津紀撮影)



引き下げ前に起きていた政治家による生活保護バッシング

小寺さんが生活保護を利用し始めたのは、国が生活保護基準を大幅に引き下げていく時期と重なる。とりわけ安倍政権下の2013~15年にかけ、生活扶助基準(生活保護基準のうち生活費部分)が平均6.5%、世帯によっては10%という過去最大の引き下げが行われている。

生活保護につながったとしても、まともな生活が営めないではないか――。「いのちのとりで裁判」は、この引き下げが、生存権を保障する憲法25条や生活保護法に違反するとして、29都道府県で、千人を超える原告によって提起されていった。

大幅な引き下げの背景には、「生活保護を恥と思わないのが問題」(片山さつき議員)など、一部政治家らがバッシングを扇動してきた実態がある。

2012年3月に発足し、生活保護費削減を打ち出した自民党の「プロジェクトチーム」の座長も務め、保護費削減を主導してきた世耕弘成氏は、生活保護利用者の「フルスペックの人権」の制限も厭わない発言(※)をしていた。

(※)『週刊東洋経済(2012年7月7日号)』の紙面にて、世耕弘成氏は生活保護制度について「フルスペックの人権」と発言し、生活保護受給者の権利を全面的に認めることへの疑問を呈している。世耕氏は、税金で支えられる生活には権利制限が必要だと主張したが、受給者の権利を軽視する発言として批判を浴びた。

ちなみに今、「米のために奔走している」姿が連日報じられている小泉進次郎農水大臣も当時、同「プロジェクトチーム」のメンバーだったことはあまり知られていない。

政権復帰を目論んでいた自民党は、実際に2012年末の衆院選で、保護費の1割削減を公約に掲げ、その意に沿うような引き下げがなされていく。しかしこうした「政治的介入」のあり方自体を、問わなければならないだろう。

現に2024年2月、三重県・津地裁で言い渡された原告勝訴の判決では、竹内浩史裁判長(当時)が「(厚労省の決定は)自由民主党が発表していた生活保護費を10%削減するとの方針ないし選挙公約に忖度」と、厳しく指摘している。

かつて厚生省(当時)で勤務していた尾藤廣喜弁護士は、社会局保護課で上司から手渡された小山進次郎著『生活保護法の解釈と運用』を当時徹底的に叩きこまれたという。法廷でもその記載の一部を引用した。小山氏は厚生省で年金局長、保険局長などを歴任し、現行の生活保護法の立法にも深く携わった(当時は保護課長)人物だ。生活保護法8条について、書籍(改訂増補版)にはこうある。

保護の基準を法文上明確に規定することができないとすれば、その決定に対し国民の声を反映させるために特別の審議会を設けようという意見が極めて強力に衆参両院から述べられた…厚生省当局としては、保護の基準は飽く迄合理的な基礎資料によって算定されるべく、その決定に当り政治的色彩の混入することは厳に避けられるべきこと、及び合理的な基礎資料は社会事業審議会に部会を設け実際の運用に当りその趣旨を生かすことを言明して了解を得た次第」

この「政治的色彩が混入することは厳に避けるべきである」等と真逆のことが起きてきたと尾藤弁護士は指摘した。

弁論後の記者会見で発言する尾藤弁護士(写真右)。(安田菜津紀撮影)



餓死した男性が遺した言葉

小久保哲郎弁護士は、「法律はかざりか」という投げかけから陳述を始めた。これは辞退届によって生活保護を廃止されてから約2ヵ月後に餓死に至った、北九州市・小倉北の52歳の男性が書き残した言葉だった。

2007年5月25日の日記にはこうある。

「小倉北の職員、これで満足か。」「市民のために仕事せんか。法律はかざりか。」

6月5日午前3時にはこんな言葉を残している。

「ハラ減った。オニギリ食べたーい。25日米食ってない」

ミイラ化した男性が発見されたのは、この日記から1ヵ月以上経った7月10日だった。

「法律はかざりか」という男性の言葉は、「法治国家と法律家への痛烈な批判」だと小久保弁護士は語った。

実は大阪訴訟は、高裁で逆転敗訴している。詳細については後述するが、判決文では、「生活環境の悪化による苦痛は、リーマンショック後の経済状況の悪化の中で…国民の多くが感じた苦痛と同質のもの」と、原告の訴えを切り捨てたのだ。

「大臣が依拠すべきは、国民感情ではなく法律のはずです」と小久保弁護士は強調した。

弁論後の集会で発言する小久保弁護士。(安田菜津紀撮影)



生活保護は「恩恵」なのか

しかし国側代理人は「何が健康で文化的な生活かの判断含め、(厚労大臣に)極めて広範な裁量権を認めている」「現実の生活条件を無視して著しく低い保護基準を設定するなど憲法および生活保護法の趣旨目的に反することが明らかでない限り違法ではない」といった主張を繰り返した。これも後述するが、58年前の朝日訴訟(※)に沿う内容だ。

(※)1957年に朝日茂氏が生活保護費の基準が生存権を侵害すると訴えた行政訴訟で、最高裁判所は原告死亡により訴訟終了としたが、傍論(判決の結論に直接関係しない、裁判官の補足的な意見や見解)として「健康で文化的な最低限度の生活の判断は厚生大臣の広範な裁量に委ねられる」という見解を示し、これがその後の生活保護行政に大きな影響を与えた。

こうした国側代理人の主張について、脇山弁護士は弁論後の集会で、「生活保護利用者が死なない程度の保護費が支給されていればいいだろう、という主張」だと厳しく指摘した。

「いのちのとりで裁判全国アクション」共同代表で、つくろい東京ファンドの稲葉剛さんも、集会でこう語っている。

「国は戦争の空襲被害に関して受忍論(※)を唱え、戦争によって全ての国民が被害を被ったのだから我慢しろ、ということを言ってきましたが、(いのちのとりで裁判での国の主張も)酷似しているように思いました。みなが困っているのだから生活保護利用者も黙っていろと言いたいのでしょうか」

(※)1980年、当時の厚生大臣の諮問機関が「戦争という非常事態のもとで、国民が何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、すべての国民がひとしく受忍しなければならない」などとし、その「受忍論」を背景に、空襲被害者らは補償の対象からはじき出されてきた。

「生活保護が権利なのか恩恵なのかが問われている裁判だと思います。国は“恩恵”であると言いたいのでしょう。“恩恵”なのだからこの程度の引き下げで我慢しろと。だからこそ黙らないぞということを確認していきたい」



引き下げ根拠の偽装や恣意性

国が生活保護基準引き下げの根拠だと主張してきたのは、「デフレ調整」と「ゆがみ調整」だった。

2008~11年に物価下落率4.78%のデフレがあり、その「調整」として生活保護費を下げる、というのが国側の理屈だった。しかしここに、「物価偽装」と指摘されるほどの恣意性があった。

まず、国が起点としている2008年は、異常な物価高騰の年だ。その「異常」な年を基準にすれば、物価は下がるのは当然だろう。中でも特に物価が下落したのは、生活保護世帯があまり購入しないテレビやパソコンなどの教養娯楽耐久財だった。これを生活保護世帯が、一般世帯以上に買っているという、実態からかけ離れた「算出」が根拠とされた。

しかも基準の引き下げは、専門家の審議会である生活保護基準部会に意見を聞くこともなく行われている。制度ができて以降、これまでの基準額の改定は常に専門家の意見を聞いた上で行われてきたにもかかわらず、だ。

こうした点を突かれてきた国側は、「デフレ調整は、可処分所得の実質的増加だけでなく、生活状態が低下してきた一般国民の生活との不均衡・不平等の是正も目的である」と主張の土俵自体を後付けでずらしてきている。

「ゆがみ調整」は、所得下位10%層の消費実態と生活扶助基準を比較し、その間にある「ゆがみ」を「是正」したという言い分だ。しかし生活保護の捕捉率は2割程度とも言われる。つまり、それ以外の世帯は、受給要件を満たしていても保護が利用できておらず、最低生活費以下の生活を強いられているのだ。これはバッシングによって生活保護に忌避感を植えつけた政治家からの影響と無関係ではないだろう。

こうした比較そのものが不適切であることは明らかなはずだが、さらに国は、生活保護基準部会の検証を経た改定率を、無断で「2分の1」にする処理まで加えていたことが、後に発覚する。これにより、本来増額されるはずが、減額に転じられてしまった世帯もあったのだ。

弁論後に参議院議員会館で行われた集会には、オンライン合わせて400人以上の参加があった。(安田菜津紀撮影)



判断過程無視は「生かすも殺すも厚労大臣次第になってしまう」

引き下げによって困窮世帯がさらに追い込まれている実態はもちろん、これが決定されていくプロセスそのものが問われなければならないのではないか。大阪高裁の判断枠組みそのものの誤りについて、法廷で問うたのは伊藤建弁護士だった。

朝日訴訟では、保護基準の低さの違憲違法性、つまり生活保護基準策定の「結果」が主な争点だったが、その後、判例が積み重ねられ、「判断過程」そのものの審査へと基準が変わっていったという。

2012年2月、都内在住の70歳以上の生活保護利用者が、生活保護の老齢加算廃止の取り消しを求めた訴訟の上告が棄却された。この判断自体には、人権、福祉の観点から批判の声があがったが、判決にはこうあった。

「最低限度の生活は抽象的かつ相対的な概念(中略)これを保護基準において具体化するにあたっては、高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断が必要」

「(老齢加算の削減、廃止という)厚生労働大臣の判断に、最低限度の生活の具体化に係る判断の過程及び手続きにおける過誤、欠落の有無等の観点からみて裁量権の範囲の逸脱又はその濫用があると認められる場合(中略)生活保護法3条、8条2項の規定に違反し、違法となるものというべきである」

つまり、裁量権の行使の仕方そのものが適切でなければならず、「判断過程」と「専門的知見との整合性」を裁判所が審査するべき、という規範が示されたのだ。

朝日訴訟の「何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、厚生大臣の専門技術的な裁量に委ねられる」とした、最高裁判決傍論多数意見からは前進ともいえた。

院内集会で、参加者らが一斉にプラカードを掲げ、まっとうな判決を求めた。(安田菜津紀撮影)

国も従前、この判断枠組みにより審査されるべきとの立場だったが、敗訴が続くと、「(老齢加算訴訟と本件は)異なる事案」と主張を変遷させた。

また大阪高裁の判決は、「確立した専門的知見との矛盾がない限り違法とは言えない」という、国側さえ主張していない高いハードルを掲げ、ほぼ無限定に厚生労働大臣の裁量を認めてしまった。つまり、「専門家の意見を聞かずとも厚生労働大臣が独自に判断をして何ら問題ない」ということになる。

こうした判決などが「(朝日訴訟最高裁判決が出された)58年前にさかのぼらせるもの」と伊藤弁護士は指摘し、法廷でも「これは歴史の分岐点。私たちは後戻りしてはならない」と強調した。弁論後の集会でも、「プロセスの点検を裁判所がしないとなれば、生かすも殺すも厚労大臣次第になってしまう」と警鐘を鳴らしている。



「生活保護の人は遊んでいる」はデマ

集会では、各地の原告たちも、会場やオンラインで発言していった。神奈川原告団の一人である髙橋史帆さんは、近年の物価高がさらに生活に追い打ちをかけていることを訴えた。

「この2年ほどの物価の上昇で、いかに栄養失調にならないか、食事をすることしか考えられなくなりました。生活保護の人は遊んでいる、というデマがありますが、信じている人がいたら、これだけ苦しんでいることを伝えてほしい」

生きる喜びとなるものを「諦めること」「手放すこと」でしか暮らしを維持できないのであれば、それは果たして「健康で文化的な最低限度の生活」だろうか。

集会で発言した髙橋さん(写真左)。(安田菜津紀撮影)



発覚したコピペ判決、問われる司法

「いのちのとりで裁判」を巡っては、司法の杜撰な態度も問われてきた。2021年5月の福岡地裁判決、同年9月の京都地裁判決、同年11月の金沢地裁判決、これら三つの判決文すべてにおいて、NHK受信料の「信」の字が「診」という誤字になっていた。つまり、判決文がコピペされていたのだ。

一方、全国的に見れば、原告の勝訴判決が件数としては上回っている。29地裁での31件中19件が、高裁判決では、12件のうち7件が減額を違法としている。

大阪高裁の判決とは対照的に、名古屋高裁判決は、自治体に保護費減額処分の取消しを命じた上、国に初めて慰謝料(国家賠償)の支払いを命じる画期的なものだった。割れた2つの判決に最高裁が判断を示すのは、6月27日の予定だ。



Writerこの記事を書いたのは
Writer
フォトジャーナリスト安田菜津紀Natsuki Yasuda

1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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