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ナクバは終わらない―そして私たちはここに在り続ける(モハンメド・H・サレムさん寄稿)

イスラエルによる国際法違反の占領や虐殺は続いています。1948年5月15日のイスラエル建国以前から、多くのパレスチナ人が故郷を追われてきました。毎年5月15日は「ナクバの日」とされ、悲劇を記憶し、帰還の権利を主張する日とされています。ガザ地区出身のD4P現地取材パートナー、モハンメド・H・サレムさんによる寄稿記事です。
モハンメド・H・サレム(Mohammed H Salem)
パレスチナ・ガザ地区出身の写真家。様々な写真エージェンシーと協働するほか、プラットフォーム「Untold Palestine」の共同創設者の一人でもある。その作品は、国内外の多くの雑誌やメディアで発表されている。また、フリーランスとして「アルジャジーラ・イングリッシュ」とも提携している。
ナクバは、記念日で埋め尽くされたカレンダーの中の、単に過ぎ去りし記憶ではありません。年に一度だけ思い出され、また忘却の引き出しにしまわれるような出来事でもありません。古い白黒写真でも、恐る恐る囁かれる昔話でもないのです。ナクバとは、ひとつの人生そのものの収奪であり、来る日も来る日も行われ続けている強奪なのです。
5月15日、私たちは歴史を記念するわけではありません。むしろ、ぱっくりと開いた傷口を呼び覚ますのです。その傷には、癒えるための十分な時間が与えられたことはありません。なぜなら、その傷を切り裂いた手が、今もなおその上に押し当てられ、傷口を広げ、毎朝再び血を流させているからです。
過去の記憶ではなく現在進行形の痛み
ナクバは1948年に始まったのではありません。年月が経てば終わるものでもありません。ナクバは現在進行形の状態であり、家が破壊されるたび、母親が悲嘆に暮れるたび、子どもが名前や学校、おもちゃを奪われるたびに更新され続けています。それは単なる過去の物語ではなく、現在の状況であり、もし世界が沈黙を続けるならば、未来の姿にもなり得るものなのです。
私たちはナクバの子どもたちであり、同時にその目撃者でもあります。私たちは、生活の最も小さな細部に至るまで、ナクバを抱えて生きています。古い家々のような響きを持つ私たちの言葉の中に、家族の名前のように代々受け継がれてきた錆びた鍵の中に、そして、まだ終わっていないからという理由で語り継がれている祖母たちの物語の中に。
私たちがナクバについて語るとき、それは単に土地を失ったことだけを意味するのではなく、魂そのものが根こそぎにされたことを語っているのです。地図から消し去られても、心の中には今も深く根を張っている村々のことを。年長者たちの描写を通してしか知らない道や、私たちが自分自身を知る以上に、私たちの名前を知っているオリーブの木々のことを。
ナクバをさらに残酷なものにしているのは、それが現在も起き続けているという事実です。私たちは、世界が今起きていることを目撃しながらも、何もしないことを選ぶのを見ています。私たちの苦しみが、ただ流れていくニュースの見出しに矮小化され、身近な人々の死がニュースの単なる数字や政治的議論の材料として消費されています。そこに生きる人間にとって、人生そのものが崩壊していくことであるにもかかわらず。
ガザで、ヨルダン川西岸で、そして遠く離れた亡命先で、ナクバは形を変えて繰り返されますが、その痛みは同じです。家が爆撃されるたび、そこにナクバがあります。人が故郷を追われるたび、そこにナクバがあります。私たちが「人間であること」を証明するよう求められるたび、そこにナクバがあるのです。

現在はイスラエル領ネゲブ砂漠でベエルシェバとして知られる地、ビール・アッ=サバのアル=シャララ村にあった、家族が本来所有していた家と土地の権利書を孫に見せるダイファラー・アブ・アル=グサイーンさん。(モハンメドさん撮影/2022年)
「私たちはここにいる」という抵抗
それでもなお、私たちは消え去ってはいません。
これこそが、いまだ十分には語られていない物語です。あらゆる困難にもかかわらず、私たちはまだここにいます。私たちは書き、写真を撮り、物語を語り、そして存在し続けています。私たちは痛みから意味を、喪失から記憶を、そして灰の中から新しい命を創り出すのです。
おそらくそれこそが、彼らが私たちの物語を恐れる理由でしょう。物語は死なないからです。今日撮られた写真が、明日は証拠となり、証言となり、決して封じ込めることのできない叫びをあげるかもしれないからです。
写真家として、私は悲劇の中に美しさを探すのではなく、そのむき出しの顔の中にある真実を探し求めています。恐怖、強さ、亀裂、そして回復力という、すべてをさらけ出すその瞬間を。私は、触れることのできないものを捉え、言葉では表現できないものを、写真を通して伝えようとしています。
そして、カメラを向けるたびに、私は自分が単に記録しているのではなく、抵抗しているのだと実感します。なぜなら、現在進行形のナクバを前にして記録することは、生存の一形態だからです。それは、私たちを消し去ろうとするあらゆる試みに抗い、「私たちはここにいる」と宣言することを可能にします。
ナクバとは、私たちが失ったものだけでなく、私たちが必死に守り抜こうとしているものでもあります。私たちの言葉、記憶、物語、そして夢でさえも。そう、夢です……。なぜなら、あらゆる不条理の中でも、私たちはまだ夢を抱いているからです。
私たちは、単に物理的な場所に戻ることだけでなく、本来あるべき生活に戻ることを夢見ています。脅かされることのない家へ、爆撃されることのない空へ、始まる前に奪われることのない未来へと。
この夢は、世界にとってはささいなものに見えるかもしれません。しかし私たちにとっては、先送りされ続けてきた奇跡なのです。

先人たちが生きた証として、曾祖母の「トーブ(伝統的な民族衣装)」を大切に抱えるアヤット・ジアダさん(27、右)。(モハンメドさん撮影/2022年)
「生き延びる」「生きる」ことの境界線
そして今日という日に、私たちは束の間の同情も、口にされた後すぐに忘れ去られるような連帯の言葉も求めません。私たちはもっと誠実なものを求めます。この痛みが、その真の姿のままに見つめられること。この真実が、ありのままに認められること。そして私たちが、ただ「生き延びる(survive)」だけでなく、「生きる(live)」権利を与えられることです。
なぜなら、「生きる」ことと「生き延びる」ことの違いこそが、すべてだからです。
生き延びるとは、今日、死から逃れることを意味しますが、生きるとは、明日を持つことを意味します。そして私たちは、一時的に生き延びることにはもう疲れたのです。私たちは、十全な人生を求めています。恐怖もなく、包囲もなく、次の大惨事を絶えず待ち続けることもない人生を。

ガザのパレスチナ難民の家を彩る、ナクバ当時の伝統的なパレスチナの衣装「トーブ」や、年代物の道具、装飾品の数々。ガザには200万人以上のパレスチナ人が暮らしており、その75%が難民である。(モハンメドさん撮影/2022年)
「複雑な問題」ではなく「明白な犯罪」
ナクバは私たちに多くのことを教えてくれました。おそらく、私たちが決して自ら学ぼうとはしなかったことも。喪失が自らのアイデンティティの一部になり得ること、そして立ち直る力(レジリエンス)は選択肢ではなく、必須要件であることを教えてくれました。四方八方から包囲されているときでさえ、人生を愛することを教えてくれました。
しかし同時に、世界は公平ではなく、真実だけでは必ずしも十分ではないということも教えてくれました。
それでもなお、私たちは進み続けます。
私たちが進み続けるのは、立ち止まる余裕などないからです。私たちが語るすべての物語の裏には、まだ語られていない別の物語があるからです。私たちが撮るすべての写真は、消えゆく瞬間を救い出そうとする試みだからです。
ナクバの記念日に、私たちは単に過去を悼むために立ち止まるのではありません。私たちは現在を理解するために過去を調査し、それが未来に繰り返されるのを防ごうとするのです。なぜなら、ナクバについて最も危険なことは、それが過去に起きたということだけでなく、それが今でも起こり得るということだからです。
そしておそらく、今日問われなければならない問いはこれです。
「世界がそれを『複雑な問題』と呼ぶのをやめ、その真の姿、つまり『明白な犯罪』と認識するまでに、悲劇はあと何回繰り返されなければならないのか?」
私たちは、壮大な言葉や大げさなスローガンを求めているわけではありません。私たちは、最もシンプルな形での正義を求めているのです。子どもが恐怖なしに成長する権利、母親が子どもを失う心配をせずに眠る権利、そして人間がただ人間であるための無条件の権利を。
究極的に、ナクバは私たちだけの物語ではありません。それは全人類に対する試練なのです。それはひとつの問いを投げかけます。世界は、苦しみを目にしたときに行動できるのか? それとも、悲劇が繰り返されるのを見過ごしながら歴史を書き綴る、沈黙の目撃者であり続けることを選ぶのか?

アン・ナカブ(現在のネゲブ砂漠)のビール・アッ=サバに暮らしていたベドウィンの祖先から伝わる伝統楽器「ラバーブ」を手にするサラー・ディバリさん(50)。この楽器は、1948年に故郷を追われた亡き父が、逃れる際に持ち出したものである。(モハンメドさん撮影/2022年)
気づき、記憶し、抵抗する
私たちは自分たちの物語を語り続けます。
私たちは書き続け、写真を撮り続け、物事をありのままの名前で呼び続けます。私たちは、どれほど時間が経とうとも、物語は最終的に聞き届けられると信じ続けます。そして、彼らがどれほど隠そうとも、写真は見られ続けるのだと。
ナクバは終わりではなく、現在進行形の始まりなのです。気づき、記憶し、そして抵抗することの始まりです。それは武器によってではなく、そこに留まり続けるという意志によって行われる抵抗なのです。
私たちは、単に悲劇の物語を語る人間ではなく、あらゆる痛みと困難の中で生きている人間なのです。私たちは残されたものを守るために戦い、耐え忍ぶしか選択肢がないときには、耐え抜きます。
私たちは、故郷を胸に抱き、最も過酷な場所に希望を植え付けながら、重苦しい年月を生きてきました。私たちの物語は弱さの物語ではなく、不屈の物語です。
起きたすべてのこと、そして今も起き続けているすべてのことにもかかわらず、私たちはまだここにいます――抵抗し、夢を抱き、そして前に進み続けています。まるで人生そのものが、決して破られてはならない約束であるかのように。
そして、私たちはここに在り続けます。

1948年のナクバでパレスチナ難民が追放された、かつての家の古い鍵を握りしめるガザのパレスチナ人の少女。(モハンメドさん撮影/2022年)
(文 モハンメド・H・サレム/翻訳・編集 佐藤慧)
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