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加害の歴史を訪れる―各地に残る加害の跡を紹介

加害の歴史を訪れる。フィリピンの街並み、走る乗り物、そして奥の山頂に立つ十字架の風景

旅行先を決めるとき、私たちは何を求めて目的地を選んでいるでしょう。綺麗な景色、美味しい食べ物、人との出会い。
しかし、「ここで、かつて何が起きたのか。」
その問いを持って土地を歩くことがどれだけあるでしょうか。 この企画では、日本が植民地支配やアジア太平洋戦争中に行った加害の歴史を、これまでD4Pが取材で訪れた場所を中心に紹介します。

被害の歴史だけでなく、加害の歴史にも目を向け、記憶すること。そのために旅の途中に少しだけ立ち止まる時間をつくる。そんな訪れ方の提案です。

フィリピン編

加害の歴史を訪れる フィリピン編のメインビジュアル。緑豊かな公園でベンチに座る人々などの風景

第1回目は、フィリピン編です。太平洋戦争中の1941年、日本軍はフィリピン侵攻を開始しました。 1942年には首都マニラを占領し、米比軍との激しい戦闘を行います。戦禍では、軍人だけでなく女性や子どもたち一般市民も多く犠牲になりました。 そこにはマニラ市街戦やバタアン戦、さらに捕虜収容や慰安婦問題など、日本の加害の歴史が存在します。 ここでは、フィリピンにおける日本の加害の歴史が記憶される場所を6つご紹介します。(…フィリピン編を読む


韓国編

加害の歴史を訪れる 韓国編のメインビジュアル。高台からハプチョンの街を見下ろした風景。色とりどりの建物が並ぶ奥には山々が広がっている。

第2回目は、韓国編です。1910年から1945年までの35年間、日本は朝鮮半島を植民地としていました。その残虐な支配は、強制労働や文化抑圧、さらには戦時下の徴兵や日本軍「慰安婦」への動員など、多岐に渡ります。そのすべてが、いまもなお加害の傷跡を深く残しています。 韓国における日本の「加害の歴史」が記憶される場所を5つご紹介します。 (…韓国編を読む


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