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「過去」にできない戦時性暴力―フィリピンのロラたちが伝える声

マニラに残る「サンチャゴ要塞」は日本軍政下、憲兵隊本部が置かれており、600人以上が殺されたとされている。(安田菜津紀撮影)
※本記事には戦時性暴力や拷問などの記述があります。閲覧にはご注意ください。

「少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております」

1995年6月に衆議院で採択された「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」(不戦決議)に先立ち、当時は新進党にいた高市早苗首相は外務委員会でこう述べている。

「戦後」を生きる世代に「反省」は無用なのだろうか。「戦後」という言葉は、どこか戦争による加害を「過去のもの」として切り離す響きがある。しかしその被害は当事者の生活を、貧困で、トラウマで、破壊し続ける。そして加害国が「省みない」ことは、その痛みの存在すら否定する暴力となる。

1941年12月8日、ハワイの真珠湾攻撃からわずか数時間後、日本軍は、当時米国統治下にあったフィリピンへの爆撃を開始。「大東亜共栄圏」を掲げ、「アジアの解放」を謳ってはいたが、その実態は過酷な資源・食糧の収奪と、住民への厳しい抑圧だった。

民衆の不満と怒りは高まり、「フクバラハップ(抗日人民軍)」などのゲリラ組織による激しい抵抗が各地で展開された。1945年9月の「終戦」(※)に至るまでの約3年半にわたる占領と戦闘により、フィリピンでは100万人以上という甚大な数の命が奪われたといわれる。

記録すら残っていない加害は無数にあるだろう。そうした暴力のひとつに、日本軍による組織的な性暴力があった。

(※)1945年9月の「終戦」
国際法上、第二次世界大戦が正式に終結したのは、東京湾の米戦艦ミズーリ号上で日本政府および大本営の代表が公式な降伏文書に調印した1945年9月2日とされている。フィリピン戦線を指揮していた第14方面軍最高指揮官・山下奉文大将が、ルソン島バギオで現地軍の降伏文書に調印したのは同9月3日。

マニラ市街に展示されている戦争の記録。「フィリピン人を殺害する際は、一箇所に集めて処理し、弾薬や人員を浪費しないように配慮すること」などという命令が発せられていた。



「赤い家」での性暴力

フィリピン・マニラ首都圏から車を走らせること約2時間。都会の喧騒を抜けると、地平線まで田園風景が広がる。ルソン島中部、パンパンガ州カンダバ市マパニケ――ここに通い続ける知人とともに、私が初めて村を訪れたのは、2010年のことだった。

人口千人ほどの穏やかな時間が流れる集落で、水牛と一緒に田植えをする人々の姿が、朝日を浴びて浮かび上がる。水田に囲まれた細道を抜け、幹線道路へと出てすぐの曲がり角に、赤く塗られた二階建ての木造建物が、ひっそりとたたずんでいた。玄関をくぐると埃の積もった床は所々抜けており、がらんとした薄暗い空間だけが広がっていた。「赤い家(バハイ・ナ・プラ)」——日本軍の加害の歴史が刻まれている場所のひとつだ。

2010年に撮影した「赤い家(バハイ・ナ・プラ)」。(安田菜津紀撮影)

1944年10月20日、米軍がレイテ島に上陸し、日本軍によるゲリラ討伐は激しさを増していた。同年11月23日朝、日本軍は、抗日ゲリラの拠点のひとつと見なしたマパニケを襲撃した。『撃作命甲第四六号』(※)が発令され、前日に討伐命令が出されていたことが記録にも残されている。

(※)『撃作命甲第四六号』
第14方面軍(尚武集団)直轄の歩兵第9連隊などに下された、ルソン島中部でのゲリラ討伐命令。この記録の存在は、マパニケでの虐殺や性暴力が、前線の暴走だけでなく「軍の組織的な作戦行動」の過程で起きたことを示す重要な物証となっている。

爆撃音とともに飛び起きた村人たちは、日本兵に連行され、強制的に男女別に引き離された。

当時を知る人々の証言によると、小学校に集められた男性たちは、凄惨な拷問を受けた後、至近距離から銃殺され、あるいは教室に押し込まれ建物ごと焼き殺された。

女性や子どもたちは、日本兵が村から略奪した物資を、地主の別荘だった「赤い家」まで運ぶよう強要された。荷物を降ろしても解放されず、そのまま「赤い家」に監禁され、何度もレイプされたという。

2010年、案内されて入った「赤い家」。(安田菜津紀撮影)

「母と一緒に荷物を運ばされ、空腹と疲労で動けないまま、私たちはレイプされたのです。部屋の中、階段の踊り場、建物の外、あらゆる場所でレイプは行われていました」。

2010年の訪問時、私の取材を受けてくれた女性は、当時13歳で被害に遭ったと語った。日本兵たちはほどなくして村を去っていき、後には焼き尽くされた家々だけが残されていたという。

被害女性たちは約50年にわたり沈黙するほかなかった。思い出すことも恐ろしい、生活を壊したくない、“恥”だと思っていた――村に滞在中、そうしたこれまでの逡巡を吐露する女性もいた。

1992年、日本軍「慰安婦」の女性がラジオを通して声をあげたことが発端となり、1996年にはマパニケやその近隣の村の被害女性たちの団体「マラヤ・ロラズ」が発足する。タガログ語で「自由なおばあさんたち」を意味する言葉で、支援者らとともに「日本政府の真摯な謝罪」と、その証としての「補償」を求めてきた。

サンミゲル市に残る、旧日本軍が師団司令部として使用していた屋敷。多くの人々が監禁され拷問を受けた。(安田菜津紀撮影)



証言を次の世代へ

初訪問から16年の月日を経て、2026年4月、再びマパニケを目指した。

村への道中、「赤い家」に立ち寄ると、別の場所かと見まがうほど、外観から様変わりしていた。「赤だった」と言われなければ分からないほど色彩は薄れ、壁の一部は崩れ落ち、草や雑木に浸食されている。立地しているサンイルデフォンソ市は「記念館」として残す意向があるようだが、家や土地は資産家一族の所有物であり、難航しているという。

2026年に訪れた「赤い家」の様子。(安田菜津紀撮影)

「あんなにも崩れてしまっていますが、あのまま放置したくはないんです」

そう語るのは、日本軍がマパニケを襲った当時8歳だった、マリア・クイランタングさんだ。今もマパニケに暮らし、亡くなったロラたちから「マラヤ・ロラズ」の活動を引き継いでいる。

「あの日、私たちは兵士たちに、動物のように監視されていました。田んぼの道は細く、誰かが転ぶと、日本兵に蹴り上げられました」

マリアさん自身は荷物を運ばされてから解放されたものの、のちに女性たちが性暴力を受けていたことを知った。

「ここで起きたような悲劇が二度と繰り返されないように、私たちの証言は、次の世代へと受け継がれるべきものだと思っています」

かつての記憶を語り継ぐ「マラヤ・ロラズ」のマリア・クイランタングさん。(安田菜津紀撮影)



「武器」をかたわらに眠りにつく

1993年、戦時性暴力被害を受けたフィリピンの女性たちが、日本政府に公式な謝罪と賠償を求めて東京地裁へ提訴したが、5年にわたる審理の末、請求棄却の判決が下された。1998年10月、原告のひとりであるルシア・D・ミサさんは、自身の被害について宣誓供述を行った。ルシアさん本人の許可を得て、彼女の身に起きたことを、その供述も踏まえ記述する。

ルシア・D・ミサさん。(安田菜津紀撮影)

1944年10月、ルシアさんが家族と朝食をとっていると、武装した5人の日本兵が突然押し入ってきた。兵士らは姉を家の外へ引きずり出し、抵抗する彼女を惨殺した。山刀を手に抗おうとした父親も、銃剣で何度も刺され、夫を助け起こそうと駆け寄った母親までもが、喉や腹を切り裂かれた。

家族3人の凄惨な死を目の当たりにしたルシアさんは、山間部の駐屯地に連行された。彼女が監禁されたのは、伝統的な高床式住居(バハイ・クボ)の床下だった。そこにはすでに、彼女よりも幼い少女や、17、18歳のフィリピン人女性たちが閉じ込められていた。

監禁されるや否や、ルシアさんは日本兵のひとりに部屋の隅でレイプされた。他の女性たちがいるすぐそばで尊厳を踏みにじられ、「まるで家畜になったように感じた」という。

度重なる性暴力を受ける日々から逃れることができたのは、1945年1月のことだった。行水を終えたルシアさんは、日本兵たちが床上で荷物をまとめ、撤退の準備をしている気配を察知する。裸足のまま脱出して森を駆け抜け、その日の夜に我が家へとたどり着いたが、家族の姿はそこになく、両親と姉の遺体も残されていなかった。

自分が性暴力被害者だと知られれば、男性から軽蔑され、弄ばれるだけではないか……。その恐怖から、ルシアさんは43歳になるまで結婚を避けて生きてきた。

今年(2026年)4月、ルシアさんが夫と暮らす小さな部屋を訪れた。高齢になり、ベッドから自由に動き回ることはできないが、近くに暮らす友人が訪ねてくることが楽しみのひとつだと朗らかに語った。そのベッドの下の暗がりに目を凝らすと、数本の「ナイフ」が置かれていた。枕元にも頑丈そうな木の棒がいくつも置かれている。長年こうして、「武器」をかたわらに眠りについているのだという。「何かあったとき」のために――。

ベッドの下に置かれていた数本のナイフ。(安田菜津紀撮影)

日本軍による性暴力被害当事者・支援者の団体「リラ・ピリピーナ」は、記録されているだけでも180近いケースに関わってきたが、つながってきたロラたちの中で今も存命なのは数名だと、代表のシャロン・シルバさんは語る。戦後は深いトラウマに加え、男性の発言権が強い家族のあり方にも、ロラたちは苦しんできたという。

「暴力のトラウマは被害者本人にとどまらず、世代を超えて連鎖しています。母親の過去を受け入れられず“恥”だと感じる息子たちに、証言を止められ、声を封じられてしまったロラもいました」

「リラ・ピリピーナ」代表のシャロン・シルバさん。(安田菜津紀撮影)



日本政府は誠実で公式な謝罪を

1995年7月、「アジア女性基金」が発足する。民間からの寄付や募金を原資とし、フィリピン政府のタスクフォースの審査を経た上で、女性たちに「償い金」が支払われることとなったが、当初から「国家賠償ではない」ことへの批判が向けられていた。「私たちの最も基本的な要求は、誠実で公的な謝罪です。カメラの前で謝るだけでは不十分で、それには公式な賠償が伴わなければなりません」と、シャロンさんも強調する。

2024年の女性差別撤廃委員会による「第9回日本報告書」総括所見(第34項)では、「戦争犯罪および人道に対する罪には時効を設けない原則」の受け入れが明記された。同委員会は日本政府に対し、「慰安婦」など戦時性暴力被害者の権利を包括的に回復すべく、国際人権法に基づく義務の履行を拡大・強化するよう求め続けている。前年にはフィリピン政府に対しても、「赤い家」の被害者救済を怠ったとして是正を勧告している。

「リラ・ピリピーナ」オフィスに飾られているロラたちの写真。(安田菜津紀撮影)

過去への向き合いが不十分なまま、日本とフィリピン両政府が軍事的な関係性を深めていることに、シャロンさんは警戒感を示す。

2024年7月、自衛隊とフィリピン軍が相互に往来しやすくする「円滑化協定(RAA)」に両政府が署名した。そして今年4~5月に行われたフィリピン軍と米軍の合同軍事演習「バリカタン」では、自衛隊が初めて本格参加し、小泉進次郎防衛大臣が視察する中、ルソン島北部パオアイの海岸で、88式地対艦誘導弾の発射訓練を実施した。

日本では4月、殺傷能力のある武器の輸出を可能にする、いわゆる「5類型」の撤廃が決定された。5月末に来日したマルコス大統領と高市首相は、海上自衛隊の「あぶくま」型護衛艦のフィリピンへの輸出について、協議をさらに進めることで一致したと報じられた。これが殺傷能力のある武器輸出の「第1号案件」となる可能性がある。

「日本政府は自分たちが犯した罪を世界に覚えていてほしくないのです。戦争犯罪の痕跡をすべて取り除くことが、軍事化を進める手段となってしまっています」と、シャロンさんは警鐘を鳴らす。

マニラ首都圏にある「バクララン教会」にはフィリピンの歴史を描いたモザイク画があり、日本軍の加害についても克明に描かれている。(安田菜津紀撮影)

「反省なんかしておりません」という高市首相のかつての言葉は、日本政府の現在に至るまでの態度を象徴しているのかもしれない。

その態度が社会に浸透していることを示唆するようなデータがある。

NHKが2025年に実施した世論調査で、《先の戦争は、アジア近隣諸国に対する日本の侵略戦争だった》かについて、「わからない」と答えた人が全体の48%と、半数近くに上っていた。「そう思わない」も16%を占める。

16年前、マパニケで体験を聞かせてくれたロラは、「私に残された時間はあとわずかです。生きている間にできる限り、この経験を語りついでいきたい」と、「正義の回復」を訴え亡くなっていった。シャロンさんが指摘するように、こうした声に向き合わない日本政府の態度は、さらなる軍事化と地続きのものだ。加害を見つめ、被害へ真摯に応答することは、暴力を繰り返さない未来のために、必要不可欠なはずだ。

日米間の激戦地となったコレヒドール島の予備砲身が、マニラ湾を望む街道沿いに移設されている。(安田菜津紀撮影)

Writerこの記事を書いたのは
Writer
フォトジャーナリスト安田菜津紀Natsuki Yasuda

1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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