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苦しくても息をするように続けていくしかない―三浦美和子さんとジェンダーを語る(vol.2)「私たちはつながっている」特別編
三浦美和子さんの連載『私たちはつながっている』に声を寄せてくださった方々と、三浦さんとともにジェンダーについて語る会を開きました。【前編(vol.1)はこちら】
後半では身近な人との温度差や、福祉現場でのお話をうかがいました。(聞き手、編集 Dialogue for People 伏見和子)
参加者のお名前は匿名とし、個人が特定できないよう、お話の内容を編集した上で掲載しています。


身近な人との温度差
Dialogue for People(D4P)伏見和子(以下、伏見) 引き続き、みなさんのお話をうかがっていけたらと思います。Dさんから、よろしいでしょうか。
参加者Dさん みなさんのお話、自分は普段考えていないことが多くて、すごく聞き入ってしまいました。私の話もみなさんに聞いてもらいたいと思うので、ちょっと切り替えて、話してみます。
私は18歳まで東北のある県で育ちました。大学進学を機に東京に出て数年経ちましたが、母子家庭で一人っ子なので、高校卒業まではほとんどずっと、母親と私の2人で過ごしていました。
母には不安定なところがあり、私自身も今思うとその影響を受けて不安定だった時期がありました。一人暮らしをして物理的に離れたことで、自分にとってあの環境は健康的に過ごせないものだったのかもしれないと思うようになり、それからちょっと意識的に母と距離を取るようになりました。

みなさんのお話の中で子育てのことが出てきましたが、私は子どもについては「すごく持ちたくはないな」と、親の影響もあって思っています。「自分にとって無理なものは無理」と取捨選択をして、自分だけの「王国」をつくって暮らしているようなところがあります。今一緒に暮らしているパートナーは男性ですが、家事の性別役割分担のようなことはまったくありません。
東京に出てきてから、「ジェンダーについて話していい」ということが、すごく衝撃的だった時期が何年かありました。心の、魂のリハビリというか、自分が思っていたことを話していい場所をちょっとずつ見つけていきました。
表現活動や人と出会うことが好きで、今度、自分の出身の県でも美術関係のワークショップをやることになりました。今はユニットを組んでいる友人と共に準備を重ねているのですが、その友人と長い時間を過ごすうちに、ジェンダーやフェミニズムや政治などに関心がなく、そこについてだけ決定的に話し合えないとわかりました。
友人は私と同じ県で育ち、ずっと実家に住んでいるので、ジェンダーや政治の話はタブー視されてきたのだろうと思います。家族との関係についても、友人の家では親が絶対というような印象です。
私は親と自分を切り離して考えるようにしているので、そういう家族との特別なしがらみについて理解できないところがあります。「自分で考えなきゃいけないよ」と思うのですが、それを伝えても、友人は変わらないのかもしれません。
三浦美和子さん(以下、三浦) お話くださり、ありがとうございます。一緒にユニットを組んでいるご友人と政治やジェンダーの話ができない、そこが決定的に違うというお話がありましたが、もしかすると露骨に差別をされたりすることよりも、身近な人との距離感とか温度差の方が、ダメージを受けるのかもしれないと思って聞いていました。
Dさん 政治やジェンダーについても明るく気軽に話したいのですが、話し慣れてない人からすると、「重い話がこれから始まる」と身構えられてしまう時があって、そのスタンスがすごく寂しいなと思っています。

ジェンダーと書くと、人が集まらない
参加者Eさん 私は20代から現在まで、秋田で演劇活動をしています。今、Dさんのお話を聞いていて、表現活動を共にしている人ならジェンダーにも理解があるだろうと思うけどそういうことでもない、というのは肌感覚としてとてもよくわかると思っていました。
私のことを話すと、高校までの演劇部はほとんど女子だけで、仲間と楽しくやっていたのですが、大学や社会人の劇団に関わるようになると、ほとんどが男性中心で、女性は男性を引き立てる役が多いことに気づきました。女性の人生を描いていないのです。そこに強い不満を感じ、女性だけの劇団を立ち上げて、女性を中心としたお芝居を上演し始めました。
ただ、仲間を集める時に「女性がメインの劇団を作るから一緒にやろう」という本音は一言も言いませんでした。今振り返ると、あれはフェミニズムだったと思うのですが、もしそれを表立って言っていたら、仲間も観客も集まらなかっただろうと思います。
劇団を立ち上げた20年前は今よりもずっと男性中心の社会で、みんな普段から家庭や職場でその空気に合わせながら暮らしていましたから、フェミニズムを全面に出した劇団となると、やりづらいだろうと。でも本音を言ったことはなくても、参加している人はみんなうっすら分かってはいるという、まさに三浦さんのエッセイの中にあった「隠れキリシタンのような」状況でした。
その後、私は秋田を出て、今も東京に住んでいます。世の中はずいぶんジェンダーについて語ることのできる空気になりましたが、もし今、秋田でフェミニズムを表に出した演劇をやって観客が見に来るかというと、今もまだ難しいだろうと思います。でもいつか挑戦したいですね。
三浦 「ジェンダー」と書くと、秋田では人が集まらないとよく言われます。たとえば講演会とかイベントをやる時に、そう書くと絶対集まらないから、「みんなが生きやすい社会」のような表現にして、ジェンダーは隠れテーマとしないといけない。
そして、フェミニズムは以前よりももっと厳しい立ち位置にあるような気がします。世代に関わらず、セクシュアリティにも関わらず、ジェンダーやフェミニズムについて「そこまで言わなくても」「行き過ぎだ」という空気があります。
たとえば「秋田美人」について、「女性を見せ物にするような表現ではないか」と指摘をしても、「そんなことはない。これは伝統的な文化なのだから」という反応が女性の側からも出てくることがいまだにあります。でも、その「行き過ぎ」とは、誰から見たものなのだろうかと。
福祉現場で求められた「親のような関わり」
伏見 それぞれがそれぞれの場所で戦っているんだなと感じます。まだまだ話し足りないと思いますが、最後のお一人の方、Gさんよろしくお願いいたします。
参加者Gさん 私が連載第2回を読んで感想を送らせていただいたのは、障害がある女性の困難さについて取り上げられていたからです。私は精神障害当事者で、また精神保健福祉士として、サポートを受けながら支援の現場で働いています。地方の大きめの街に住んでいます。
「地方の女性」や「女性活躍」についてメディアで語られるのを見聞きする度に、目を背けたいほどの違和感がありました。私たちは「地方の女性」にも「活躍してほしい女性」にも含まれていないのだろうかと感じながら、それでも専門職としての倫理に沿ってバランスを取りながら、生きている間少しでも楽に生きられるよう、考えて暮らしています。
私が働く福祉の現場でも、ジェンダー・バイアスがあり、健康な人たちのバイアスよりも濃いのではと感じています。
たとえば、精神疾患を持つ方が社会復帰を目指して通う「精神科デイケア」では、さまざまな治療のためのプログラムが行われています。その一環でグループでイベントを企画することがあるのですが、黙っているとリーダーは男性になるんですね。
それで男性のメンバーたちはすごくやる気が出て、部屋の隅に集まって相談したり、プログラムを通して元気づけられ社会復帰も早くなるのですが、女性のメンバーたちは部屋の反対側に集まっておしゃべりをしていて、両者が交わることはない。そういう光景がありました。傷ついてリハビリをするための場でも、性差はあるんだなと、社会構造が見えたような気がしました。

また、私がいわゆるB型作業所(就労継続支援B型事業所)に就職した際のことですが、「利用者の方々に対して、親のような関わりをしてください」と言われたことがありました。
利用者のことをまるで自分の子どものように考えて、親のように関わってください、という意味だったのですが、家父長制がそのまま福祉現場に温存され、「良い支援」として入り込んでいるように感じました。
そもそも、支援を受けたいと思っている方のお話を聞いていると、家父長制の中で傷ついて困っている方が多いです。そういう方々に対して、家父長制の構造はそのままにしながら、そこに適応できるように支援していくというのはおかしいだろうと思っています。フェミニズムやパターナリズムについて、より声を上げづらい人たちの中に、辛さが濃縮されているような感覚があります。
最初に三浦さんのエッセイを読んでから今日までの間にも、色々と大変なニュースが続いている世の中ですが、エッセイを読んで考えたことが生活の希望になっていました。まだ実現できるかどうかはわかりませんが、私の支援現場でも女性限定のクローズド・グループを開いて話してみたいと、今考えています。
障害があり、ケア労働できないことに悩む
三浦 Gさんからメッセージをいただいた時に、本当にドキッとしたというか、私自身が先ほどの「親のように」という言葉で示されるような家父長的な見方をしていたかもしれないと感じました。
最近、秋田で障害のある女性にお話をうかがったのですが、体を動かすことができない障害で、お子さんがいらっしゃるその方に、今一番の悩みは何か聞いたところ、子育てだとおっしゃったんですね。あとは家事のことだと。自分が以前のようにはできなくなって、夫はあまり家事ができないからと悩んでいました。
ずっとケア労働を背負ってきて、障害によりそれができなくなってもなお、ご自身の障害についても色々苦しいことがあるにも関わらず、一番の悩みはケア労働ができないことだと聞いた時に、Gさんからいただいたメッセージを思い出しました。
いわゆる健常であろうと、障害がある方であろうと、性差を背負っているんだということを実感しました。

Gさん それはたとえば「ケア労働をしなければならない」という考えがその方にあるのかもしれないですし、「ケア労働をしたいと望むことで、社会に適応していると見なされる」という価値観が社会の側にあって、それがその方にも内在しているのかもしれません。
普段支援の現場では、その方自身のできることは何か、今困っていらっしゃることは何かということを性差の前に考えるので、もしそこに性差があったとしても、当然すぎて何も言わなくなっているなということを思いました。
ケア労働をすることで誰かの役に立つというのは、人の生きるモチベーションとしてとても大きなものになると思うのですが、ただそれを誰の助けもなくやらなければならないというのは、背負うものが大きすぎます。
もし私がその方とお会いできるのならたぶん、「誰だって一人で子育てをしているわけではないのではないですか」とお伝えするのかなと思います。
Aさん 今お話をうかがっていて、ジェンダーに関するバイアスがあって、たとえば女性のほうがケアに長けていると思いがちだったり、ケア労働を背負いがちなところがあるのかなと。すべての人は、自分自身も含めて、バイアスを持っていると自覚しながら、何かに関わるようにしていくしかないのかなと考えていました。
伏見 ありがとうございます。三浦さんの連載のタイトルが「私たちはつながっている」なのですが、本当に一人ひとりがつながっていて、今日ここに集まっていただいた方々はその一部なのだと感じました。こうした場をどうやって広げていくかということも考えていけたらと思います。最後に三浦さんから一言いただけるでしょうか。
三浦 ありがとうございます。こうやって話せた次の日っていうのは、逆に結構落ち込んだりすることがあります。ジェンダーのことを安全に話せる場はそんなにないので、こうして話せると励まされつつも、あらためて知る現実の重さに気持ちが落ち込むかもしれません。
私自身もやめたくなったことが何度もあって、実際にエッセイにも書かせていただいたとおり、記者としてこのテーマから離れていた時期もありました。でもやっぱり息をするように続けていくことしかできないし、離れていた時期は苦しかったので、こうやってみなさんがそれぞれの場所で、苦しいことの方が多かったとしてもやっているということを知って、私もみなさんから元気をいただきました。本当にありがとうございました。
伏見 三浦さん、みなさん、今日は長い時間本当にありがとうございました。

※三浦さんの連載『私たちはつながっている』には、これまでに50通を超えるご感想やメッセージをいただきました。その中からいくつかを、ご本人にご許可をいただいた上で掲載します。座談会に参加してくださった方々、そしてメッセージを寄せてくださった多くの方々に、心より感謝いたします。


(2026.7.14 / 聞き手・編集 伏見和子、撮影 星山梨奈)
【プロフィール】
三浦美和子さん(みうら・みわこ)
1976年生まれ、秋田市在住。地方紙記者を経て2023年からフリーの記者。「voice 声」というサイトをつくり、ジェンダー、セクシュアリティ、人権について地方から発信している。
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