「報復」に次ぐ「報復」。今、この瞬間にも続いている殺人行為。「希望」の前に立ちはだかる“壁”。本記事はパレスチナ、ガザ地区在住の取材パートナー、Amalさんによる現場からのメッセージです。
Amalさん
パレスチナガザ地区・D4P現地取材パートナー
私の家の隣のモスクが攻撃されています。窓から見える所にあるビルも……。とても恐ろしいことが起きています。ロケット弾が着弾するごとに家中が激しく揺れます。
現在イスラエル軍が、エルサレムのシェイクジャラ地区(※)に住む人々を強制退去させようと襲っています。その横暴な行為に、ガザ地区の人々も、通りに出て怒りをあらわにしています。エルサレムで起きている出来事を、なんとかして止めなければなりません。そしてここガザ地区も、5月10日から攻撃に晒されています。
(※)エルサレムのシェイクジャラ地区
イスラエル建国により土地を追われたパレスチナ人が住んでいる地域。1967年以降、イスラエル軍は今に至るまで「入植」という名の占領行為を続けており、そこに暮らす人々の立ち退きを強いている。
▼イスラエル軍によるガザ市爆撃の様子(2021.5.12)
(※下記動画には爆撃の様子・音声が含まれています。ご視聴の際にはご注意下さい。)
Contents 目次
どうせ死ぬなら家族と一緒に
私たちは「イード」の準備をしていました。「イード」とは、ラマダンと呼ばれる断食が明けた後の祝祭です。そこに突然、爆撃が始まったのです。海にはイスラエル海軍もやってきているようです。人々は通りや店々から姿を消し、それぞれの家へと避難しました。しかし残念ながら、「安全な場所」などガザ地区にはありません。それでも人々は、「どうせ死ぬなら家族と一緒に家で死にたい」と、家路を急ぐのです。
私の家も、まるで大地震に襲われたかのように、繰り返し揺れ続けています。爆発音が鳴りやまず、4ヵ月になる私の赤ん坊は、何度も目を覚ましては泣き叫びました。
ビーチサイドの眺めのいい家は、私にとって自慢の家でした。ところが、こうして攻撃が始まると、いつイスラエル海軍の攻撃に晒されるかと、気が気ではありません。夜の間中続いた爆撃は、日が昇っても収まりません。爆発音が聞こえてくる度に、「次は私の家かもしれない」と、恐ろしくなります。
家の周囲の建物3つが、攻撃を受けました。私にできることといえば、赤ん坊を抱きしめ、人々の安全の祈ることだけです。
希望を奪われた人々と、共にあってほしい
今日本で、「難民」に対する扱いが変わるかもしれないと聞きました。入管法改定案のことです。私は現在、故郷を追われた「難民」として閉鎖されたガザ地区で暮らしています。職も無く、危険で、貧困率も高く、汚染された地です。電力も限られています。
「難民」とは、どのような人々のことを言うのでしょうか。「難民」とは、酷い環境の中、希望を奪われた人々のことだと私は思います。
もし、私を含め、そうした「難民」と呼ばれる人々が希望を取り戻そうと思ったら、どこかより安全で、可能性に満ちた場所を目指さなければなりません。酷い環境を抜け出て、私たちを受け入れてくれる、より人権の守られる国や地域へと向かうしかないのではないでしょうか。
日本がそうした難民を受け入れず、私たちと「希望」の間に立ちはだかる“壁”とならないことを望みます。
「難民」と呼ばれる人々は、悲しみのうちに故郷を去るのです。なぜならその故郷では、「希望」が打ち砕かれるほかないからです。あらゆるものを後に残し、文化も、言語や習慣も違う国(例えば日本)へと向かうのです。故郷を去り、新たな場所で生活を築き「希望」を取り戻すことは、とても大変なことなのです。
どうか、そうした居場所を失い、希望を奪われた人々が、困難を乗り越え、傷を癒せるよう、共に在り続けて下さい。
止まらない爆撃音の中で
夕ご飯を食べている間に、近所の13階建てのビルが崩れ落ちました。ガザに生きる全ての人々が、その延々と続く爆撃音を耳にしたことでしょう。他のビルも攻撃目標となっているようです。人々は深夜に避難を始めました。
この犯罪行為が、今すぐ終わることを祈っています。私はこのメッセージを、止まらない爆撃音の中で書いています。爆発と粉塵で、空は灰色に染まっています。
(2021.5.13 / 文 Amal 翻訳・写真 佐藤慧)
5月14日 アマルさんからの追加メッセージ
昨晩は恐ろしい夜でした!イスラエル軍は停戦を断り、陸海空から残忍な攻撃を仕掛けているのです!私たちは弾丸の飛び交う中で身動きも取れません。家の窓から見える海からは、イスラエル海軍が砲撃してきます。
私たちは少しでも身の安全を考え、家の中でも東側(海とは反対側)の部屋で寝ることにしました。どこが一番家の中で安全かと探していますが、残念ながら安全な場所などどこにもないのです!それでも私たちは、命を落とさないように全力を尽くしています。
本当のところ、もし私が死んでしまったら、誰が私の赤ちゃんにミルクを与えるのか、心配でならないのです。彼(赤ちゃん)は現在4ヵ月になりますが、哺乳瓶での授乳は嫌がり、直接おっぱいをあげないと母乳を飲みません。今日も、なんとか哺乳瓶での授乳に慣れてもらおうと試してみたのですが、彼は飲もうとしません!
私たちの住居は6階建てのアパートです。夫はいつでも避難できるように荷物をまとめておくようにと言いました。もしイスラエル軍が私たちの建物や近所のビルを攻撃してきたら、すぐにでもどこかへ逃げ出さなければなりません。
準備したバッグには、私たちのパスポート、IDカード、赤ちゃんの予防接種ノート、大学の卒業証書、住居の契約書、UNRWAカード(難民カード)、そして子どものケア用品と、家族の写真を詰め込みました(長年の戦争のせいで、その家族とは離れ離れです)。本当はもっともっと、持って逃げたいものはたくさんあります。けれど、すべてのものと思い出を持っていくわけには行きません。この手には赤ん坊を抱いているのですから……。
(翻訳:佐藤慧)
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