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エッセイ

2023.8.12

夏休みにかんがえる「戦争」のこと

2023.8.12

エッセイ

● ステップ2:あしを運んでみる

1つ目のステップでは、「よむこと」を通して戦争について考えてきました。その次に、もう一歩ふみこんで考えるなら、どんなことができるでしょうか。2つ目のステップでは、時間のある夏休みだからこそ訪れたい、「戦争」について考えられる7つの場所をご紹介します。

実際にあしを運び、自分の目で見て、耳で聞いて、手でれたとき、どんなことが頭に浮かんできますか?

戦没画学生慰霊美術館せんぼつががくせいいれいびじゅつかん 無言館むごんかん(長野)

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一度始まればなかなか終わらないのが戦争です。中国やアメリカとの戦争が長引くなかで、兵士が足りなくなった1943年、日本は、大学や専門学校で勉強をしていた学生たちも戦場で戦わせることにしました。「学徒出陣がくとしゅつじん」といいます。

その中には、美術学校びじゅつがっこう、あるいは自分で絵を学び、「絵描きになりたい」と思っていた若者たちがいました。長野の山の中にひっそりとたたずむ「無言館」には、「もっと絵を描きたい」と思いながら、戦争のために命を落とした学生たちがのこした絵が展示されています。館長の窪島誠一郎さんは、”無念館むねんかん“と言われることもあるけれど、絵に描かれているのは決して悲しみや苦しみではなく、「ひとつの命が生きた“青春せいしゅん”」だと語ります。

みなさんの中にも、絵を描くのが大好きな人がいるかもしれません。絵を描くことが大好きだった、戦争で亡くなっていった若者たちはどんな人だったのでしょうか。どんな家族がいて、何がお気に入りだったのか。戦争で失われてしまったものは何なのか。作品に触れて浮かんでくる心の声に、そっと耳を傾けてみてください。

戦没画学生慰霊美術館 無言館
〒386-1213 長野県上田市古安曽字山王山3462
TEL: 0268-37-1650
HP: http://mugonkan.jp
開館時間:9時~17時
※最終入館は閉館30分前まで
休館日:火曜日

浦添西海岸うらぞえにしかいがん(沖縄)

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沖縄県名護市の浦添西海岸。突き出た奇妙きみょうな岩が亀のこうらに見えることから「カーミージー(亀瀬)の海」として地域の人びとに愛されています。沖の方まで浅瀬あさせが続き、豊かなサンゴしょうに恵まれたこの海には、生きもの観察にぴったり。いそ遊びやシュノーケリングをしてみれば、きっとワクワクするような出会いが待っているはずです。

しかし今、この美しい「カーミージーの海」が危機にひんしています。浦添西海岸の一部を埋め立ててリゾートにしてしまおうという計画が進んでいるからです。さらに、その土地に、アメリカ軍の港を作ろうという計画もあります。

沖縄琉球大学農学部助教の亀山統一かめやまのりかずさんは、「この自然を守り抜かなければ、沖縄の原風景げんふうけいは永遠に失われてしまいます」と話します。

何十万年も、人間が生まれるずっとずっと前から育まれてきた豊かな海に飛び込んだとき、少し想像してみてください。生命の輝く海が、コンクリートで固められ、未来の戦争に使われてしまうかもしれないということを。

③ウトロ平和祈念館へいわきねんかん(京都)

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京都府宇治市きょうとふうじしウトロ。戦時中、ここに飛行場をつくるため、日本政府により朝鮮人の労働者ろうどうしゃたちが集められました。当時の朝鮮半島では戦後も混乱がつづいており、帰国することができず、日本に住み続けた人々もいました。そのように、朝鮮半島にルーツを持ち、日本で暮らす人々を「在日ざいにちコリアン」といいます。マイノリティ(少数派)として差別をうけてきたウトロの人々は、きれいな水が飲めない、家を勝手に売られるなどさまざまな差別さべつ貧困ひんこんに苦しみました。

そんな中、日本政府に向けて、ウトロの住民たちと一緒に、よりよい生活を求めた日本人もいました。たくさんの人のうったえにより、国際社会こくさいしゃかいにも声がとどき、韓国政府からもウトロの支援がとどきました。これは戦争によってへだてられた朝鮮半島と日本のかけ橋となる、大きな一歩でした。

こうしたウトロの歴史を残し、未来へとつなぐために昨年つくられたのが、ウトロ平和祈念館です。祈念館には、ウトロの歴史や現在の暮らしを知るための写真や、生活で使ってきた道具など、たくさんの資料がおいてあります。ぜひ夏休みに訪れて、ウトロの「過去」「今」を知り、そして「未来」へ向けたメッセージを受け取ってみてください。そこから戦争がもたらしたものとは何か、「ともに生きる」とはどういうことか、考えてみてください。

ウトロ平和祈念館
〒611-0043 宇治市伊勢田町ウトロ51-43
TEL: 0774-26-9222
FAX: 0774-41-7276
E-MAIL: info@utoro.jp
HP: https://www.utoro.jp/
開館時間: 10時~16時
休館日: 火・水・木曜日
年末年始(12月28日~1月4日)盆休み(8月14日~8月16日)

 

平和記念公園へいわきねんこうえん(広島)

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1945年8月6日午前8時15分。
広島に世界で初めての原子爆弾が投下され、この爆発で熱線を浴びた人のほとんどが、その瞬間か数日のうちに亡くなり、建物は爆風で倒壊とうかいしたり吹き飛ばされたりしました。

平和記念公園とは、その爆弾が落とされた場所から近い、広島市の中心部にある、世界の平和を願って建てられた公園です。

最近では、2023年5月に広島で行われた主要7カ国首脳会議しゅのうかいぎ(G7サミット)の中で、現在ロシアから核兵器使用の威嚇いかくを受けているウクライナを含む首脳9人が、この公園を訪れました。

園内には、世界遺産せかいいさんに登録されている原爆ドームや、原爆投下当時の広島の様子を展示した広島平和記念資料館、強制労働きょうせいろうどうなどにより広島で被爆した韓国人の慰霊いれいとして建てられた韓国人原爆犠牲者慰霊碑などを見ることができます。

平和記念公園
〒730-0811広島市中区中島町1及び大手町1-10
TEL:082-504-2390
HP: https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/hiroshima-park/7480.html

 

原子力災害考証館げんしりょくさいがいこうしょうかんfurusato

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2011年3月11日。東日本大震災によって発生した津波により、東京電力福島とうきょうでんりょくふくしま第1原発事故げんぱつじこがおこりました。この事故により通常よりも高い放射線物質が観測され、人体や環境かんきょうに大きな被害をもたらしました。

原子力災害考証館furusatoは、この事故現場から50kmの場所につくられました。ここでは「原子力災害げんしりょくさいがい」について考えて、学ぶための資料や写真が展示されています。そしてこの中には、当時小学1年生だった木村汐凪(ゆうな)さんの写真や遺品もあります。汐凪さんは、東京電力福島第一原子力発電所からわずかしかはなれていない、福島県大熊町おおくままちの自宅そばで、津波の被害にい、行方不明になりました。しかし、原発事故の影響で大熊町には「全町避難ぜんちょうひなん」が命じられ、ご家族はすぐに汐凪さんの遺体いたいを探すことができませんでした。それから数年間、「一時帰宅いちじきたく」の時間を使って少しずつ、少しずつ、汐凪さんの遺体を探し続けました。そこで見つかった遺品などが、この資料館に残されているのです。

「原子力災害」による被害により、たくさんの犠牲がでました。ですが、その被害の影響や対策については、国からの説明は十分とはいえません。国の政策によって、たくさんの住民が振り回されてきました。ここまで学んできた戦争と、この「原子力災害」、同じような問題点も見えてこないでしょうか?

原子力災害考証館furusato
〒972-8321 福島県いわき市常磐湯本町三函208
開館時間: 10時~16時
休館日: 不定休
EMAIL: furusatondm@gmail.com
HP: https://furusatondm.mystrikingly.com/

 

⑥平和のいしじ(沖縄)

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平和の礎(沖縄の方言で「いしじ」)は太平洋戦争・沖縄戦終結50周年に合わせてつくられました。沖縄戦などで亡くなったおよそ24万人の名前がきざまれています。ここには国籍こくせき、軍人、民間人の区別はありません。
そして平和の礎がある平和祈念公園では、毎年6月23日の沖縄慰霊の日に、全沖縄戦没者追悼式ついとうしきが行われます。そこでは、平和の礎に刻まれている名前をひとつひとつ読み上げる取り組みが続けられています。亡くなった「数」ではなく、そこに「生きたあかし」として。

平和の礎にあしを運び、命の尊さや平和への願いに想いをはせてみてください。

平和の礎
〒901-0333 沖縄県糸満市字摩文仁444番地
TEL: 098-997-2765
FAX: 098-997-2767
EMAIL: heiwakinenzaidan@heiwa-irei-okinawa.jp
HP: https://heiwa-irei-okinawa.jp/facility/heiwanoishiji/

 

東京大空襲とうきょうだいくうしゅう戦災資料せんさいしりょうセンター(東京)

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1945年3月10日、アメリカにより東京に大規模だいきぼ爆撃ばくげきが行われた東京大空襲とうきょうだいくうしゅう。東京の下町一帯したまちいったいは焼け野原になり、約10万人もの人々が命をうばわれました。戦時中に東京が受けた空襲くうしゅうはどのようなものだったのか、その犠牲になった人々や、生き残った人々の体験を伝え続けている場所が東京・江東区にある「東京大空襲・戦災資料センター」です。

センターでは被災品や被災写真・被災地図、焼夷弾しょういだん灯火管制とうかかんせいの再現模型、体験者の記録・証言などの展示があり、体験者のお話を聞く機会も提供しています。

戦争が続くウクライナや、パレスチナのガザ地区など、世界では今も空襲や空爆、ミサイルによる攻撃が行われ、多くの人々が傷つき、命をうばわれています。約80年前の東京大空襲の記録から、今も続く空襲について考えてみませんか。

実は、D4Pでは、このセンターについての記事はまだありません。ぜひみなさんが訪れて、どのような場所なのかを見てきてください。

東京大空襲・戦災資料センター
〒136-0073 東京都江東区北砂1丁目5-4
TEL: 03-5857-5631
HP: https://tokyo-sensai.net/
開館時間:10時30分~午後4時まで
休館日 月曜日(月曜日が祝日または振替休日の場合は原則開館し、火曜日に休館)
年末年始(12月28日から1月4日)
※3月9日・10日は曜日にかかわらず開館します

 

次のステップでは、自分が学んだことや感じたことを「伝える」ということについて考えていきます。

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「ステップ3:だれかに伝えてみる」

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2023.8.12

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