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インタビュー

2023.12.27

難民認定と出身国による差別ーアフガニスタンからの退避者は今

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

田中 えり Eri Tanaka

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安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

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佐藤 慧 Kei Sato

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田中 えり Eri Tanaka

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安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

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佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

田中 えり Eri Tanaka

田中 えりEri Tanaka

2023.12.27

インタビュー #人権 #難民 #佐藤慧

日本も共同議長国を務めた「グローバル難民フォーラム」は、難民として故郷を追われた人々の直面する問題や、各国の受け入れ状況などについて話し合う世界最大規模の会合です。先日12月15日、スイス、ジュネーブにて閉会しましたが、問題は山積しています。特に、世界各国と比較しても難民認定率が極端に低い日本は、むしろ難民の「排除」を推し進めているのではないかという懸念の声も、支援の現場からは継続的に発せられています。

今回の記事では、そうした日本の難民受け入れの現状や、出身国やルーツによって処遇に違いが出てくる構造的な問題、そしてタリバン復権によりアフガニスタンから日本に逃れてきた人々の置かれている状況、今後の制度改革の課題などについて、千葉大学社会科学研究院教授の小川玲子さんと考えていきます。

小川玲子さん。(本人提供)

 

日本の難民受け入れの状況

――今年は改定入管法が可決成立し、今月12月からは「補完的保護」という仕組みの運用が始まっています。この制度は「難民に準じて迫害を受ける恐れのある人などの在留を、補完的に認める」という仕組みなのですが、改定前よりも、むしろ保護対象の範囲が狭まるのではという懸念やシミュレーションも出ています。そうした中で、日本は「グローバル難民フォーラム」の共同議長国を務めたわけですが、果たして日本の難民受け入れの状況というのはどのようなものなのでしょうか?

そうですね、2021年の難民認定者数は74名、そして2022年の難民認定者数は202名と、数字だけを見ると3倍弱も増加しているように一見思えます。ところが、この202名という人数の中には147名のアフガニスタン人が含まれているんですね。その中には、在アフガニスタン日本大使館の現地職員だった方が100名以上含まれています。こうした人々は、2021年8月のタリバンによる政変を受けて日本大使館が閉鎖したため、その後日本政府が日本に退避させた方々です。つまり日本政府の責任において庇護する必要のある人たちですね。こうしたアフガニスタンから退避されて来られた方々を除くと、2022年の難民認定者数は55名に過ぎません。前年と比べても、「増加した」とは言えないと思いますし、認定の在り方に関しても、大きな変化があったとは言えないでしょう。

 

いわゆる「灰色の利益」が与えられていない

――日本の難民認定率がここまで低い背景には、どのような要因が考えられますか?

いくつかの理由があると思います。まずひとつ、大きな問題点としてあげられるのが、審査する側の問題です。審査する側は、申請者が「難民かどうか」を判断していくわけですが、その解釈の幅が非常に狭いということがあります。いわゆる「灰色の利益」が与えられていない状況なのです。

「灰色の利益」とは何か――。難民申請をされる方々というのは、命からがら国境を超えて、ようやく他国に辿り着くわけですよね。その後の難民申請の際に、たとえば「拷問された」という事実を伝えようと思っても、その立証は簡単ではありません。ですが、立証が難しいからといって「虚偽の証言」であるとは言えません。そうした事実が「存在しない」という十分な理由がなければ、申請者が供述する事実は存在する、つまり「供述は本当だ」と信用することを「灰色の利益」と言います。

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)でも、申請者の話が全体として一貫しており、自然かつ合理的であると審判官が判断した場合には、疑念の要素が多少あっても申請者の主張内容は不利益に扱われるべきではない、としています。

ところが、そうした「信憑性評価」を行う審判官が、「どのような理由で難民が生まれているのか」「どういう社会状況なのか」というようなことを十分に理解していない場合が多く、申請者の供述に対しても、一面的な理解で判断を下してしまうということがあると思います。そういった世界の状況に対する想像力の欠如・理解不足も相まって、信憑性評価の基準が非常に狭く作られているということが、日本の難民認定率の低さの要因のひとつだと言えるでしょう。

制度の問題に加えてもうひとつ、申請時のサポートの問題もあります。難民申請をする方は、当然ですが、「難民申請のプロ」ではないですよね。もちろん申請書は多言語表記になっていますが、たったひとりで国家を相手に自分が難民であることの立証責任を負うというのはとても大変なことです。弁護士などの支援を受けることができれば、難民申請の質もあがり、認定率も向上するのではないかと思います。

 
――審査に関する話が出ましたが、難民申請を行うと、便宜上「一次審査」、そして「二次審査」とあり、「一次審査」には弁護士など、代理人の同席が許されていないことも大きな問題ではないかと思います。

また「二次審査」になると、難民審査参与員と呼ばれる方々が「識者」として加わりますが、この難民審査参与員の問題も多く指摘されています。小川さん自身も難民審査参与員として活動されていますが、今年の入管法改定の議論の中で、特定の参与員の所属するチームが、「全体の4分の1の審査」を担っていたことが問題視されています。中には「出身国情報はほとんど見ないで判断する」という趣旨の発言をした参与員もいました。このような実態に関してはどのようにお考えでしょうか?

難民審査参与員の加わる二次審査では、3人1組で審査を行います。私が所属していた班では、ほかのおふたりがこの分野のベテランだったということもあり、非常に判断の難しい案件が割り振られていました。そのため、それぞれの申請者ごとに百数十ページにおよぶ資料が事前に送られてきて、申請者の口頭意見陳述の日までにそれらを読み込み、下調べをして、どこを重点的に聞き取るかなど、様々な準備を必要とします。相当な時間が必要なので、問題が指摘されている参与員の班の対応件数の多さには、非常に驚きました。

私たちの班では、非常に慎重に検討した結果、「難民として認定すべき」という意見書も書いています。入管法改定をめぐる議論の中で、まるで「申請者の中には難民がいない」かのように伝えられていったことは、とても残念に思いました。

また、大量の申請に対応するための「臨時班」をつくったという話でしたが、もし「臨時班」をつくるのであれば、たとえば特定の地域の専門家や、ある分野のプロフェッショナルを集めるというような形で、より丁寧な審判を行うということも考えられると思うんですね。ジェンダーや性暴力、宗教などに関する専門家の同席が必要とされるケースもあるのではないでしょうか。

上記のように複雑なケースに対応する「臨時班」はむしろ必要かと思いますが、今回の議論の過程で明らかとなった「臨時班」というのは、どうもそうした形ではないようで、非常に残念でしたし、透明性に欠ける運営ではないかと思いました。

 

日本へ避難するアフガニスタンの人々の背景

――小川さんはアフガニスタンから避難されてきた方々の支援などにも関わってらっしゃいますが、日本に避難してくるアフガニスタンの人々というのは、そもそもどのような背景を持った方々なのでしょうか?

2021年8月15日以降に日本に避難されてこられた方々が数百名いると言われていますが、3つのグループに大別できると思います。

1番目のグループは、「政府退避者」と呼べるかと思いますが、在アフガニスタン日本大使館の現地職員、JICA現地職員、それからODAのコンサルタント事業などの現地職員の方々のことで、日本政府の外交や国際協力をフロントラインで担ってこられたローカルスタッフの方々ですね。日本政府がアレンジをする形で日本に退避されてこられた人々です。

2番目が「留学生」になります。日本政府はこれまでに約1,400人、文科省とJICAの奨学金を通じてアフガニスタンからの留学生を受け入れています。特にJICAの奨学金を受けた方々に関しては、「アフガニスタンのガバナンスを強化するために専門知識を学んでもらう」という目的のもと、アフガニスタンの中央官庁で働いていた方々が、日本の大学で修士号や博士号を取得するというものでした。この方たちは帰国して日本に留学していた期間と同等の期間を、アフガニスタン政府の一員として働かなければならないというもので、いってみれば全員が「政府で働いていた方たち」つまり旧政権関係者なんですね。こうした人々は、政変後は「日本のスパイ」とみなされ非常に危険な状況におかれています。

3番目のグループですが、今現在日本に暮らしているアフガニスタンの方々――2021年時点で3千人以上いらっしゃいます――のご家族などです。家族のほとんどは日本にいるけれど、アフガニスタンにきょうだいや親族などが残っており、迫害の恐れがある、という方々です。タリバンによる政変後、家族呼び寄せの申請が殺到しました。

このようにおおまかに3つの背景があるのですが、全員に共通するのは「タリバンによる迫害を受けてきた」ということなんですね。その迫害の理由として、日本政府の奨学金をうけていたり、日本大使館に務めていたりと、「海外とつながりがある」ということがあげられています。ほかにも、高学歴の女性や、元々アフガニスタンで差別・迫害を受けてきた少数民族のルーツを持つといった方々も、退避要請を行ってきました。

 
――まずは一番目のグループ、政府退避者についてお伺いしたいのですが、現地職員の方々は、日本人の職員と比べて退避が遅れたということがありましたよね?

はい、日本はカブール陥落から約1週間後、自衛隊機の派遣を決めました。現地職員の方たちや、残された邦人関係者を救出するという目的で、約500名がこの機で退避する予定でした。ところが退避当日の2021年8月26日、自爆テロで180人以上が亡くなるという事件があり、すでに空港へ向かうバスの中にいた人々は、もう一度家に帰るようにと指示を受けます。ただ、その時点ですでにパスポートやIDなどの情報が、タリバン側に渡っていたんですよね。その後、こうした方々が退避して来られたのが同年の10月~12月のことなので、それまでの期間、強い恐怖に晒されながら隠れていたということです。ほかにも、陸路で退避されて来られた方々なども怖い経験をされており、救出に遅れがありました。

 
――またそうした日本への退避の際に、帯同を認められたのは配偶者やお子さんに限るということで、それ以外の家族は残してこざるを得なかったという話もありましたよね。

そうですね。退避されてこられた方々はみな、心が引き裂かれるような思いで、両親やきょうだい、親族などを残してこなければなりませんでした。アフガニスタンに残っていても、高齢の両親は仕事もできなかったり、姉や妹が勉強もできなかったりと、そうした状況に家族を置いてこなければならないということで、退避されてこられた方々のメンタルにも大きな負担となっています。

 

退避後の日本での暮らし、日本語教育支援の問題点

――日本に退避後は、みなさんどのように過ごされていたのでしょうか?

政府退避者の方々の中でも在アフガニスタン日本大使館現地職員は、2022年8月までは雇用契約が続いていて、東京都内の研修所で過ごすということになっていました。コロナ禍の影響もあり空いていた研修所なのですが、研修に伴う宿泊が目的の施設なので、単身の短期滞在者が暮らすような作りなんですね。アフガニスタンから来られた方々の多くは大家族なのですが、シングルルームのみ、キッチンもなし、という環境で家族バラバラに暮らさなければならないというのは、かなり不便だったようです。小さな子どもたちもいる中で自分たちの口に合った食事を作れない、というのもかなり辛かったと聞きました。

政府との雇用契約を理由に日中の自由な外出も認められておらず、モスクにも行けなかったという方もいました。「日本人は自分たちの文化を尊重しろというが、私たちの文化は尊重されていないように感じた」と語る方もいます。

 
――学齢期の子どもたちはどのような状況だったのでしょうか? また、大人も含めて日本語教育の支援はあったのでしょうか?

そこは非常に大きな問題だと思っています。退避者の方々は2021年10月~12月の間に段階的に来日をされているのですが、学齢期の子どもたちが学校に行くことができたのは翌年の4月からということで、長い方だと半年近く学校に行けていない状況でした。

また、16歳以上の子どもたちに関しては、いっさい支援がない状況なので、大人たちもそうなのですが、体系的な日本語教育が退避直後に行われていたら、現状の生活ももう少しスムーズだったのではないかと思います。日本語教育がなかったわけではありませんが、定着し暮らしていくために必要な日本語教育とはとても呼べない程度のもので、非常に残念です。

 
――そのように研修施設で暮らしていたものの、相当数の人たちがアフガニスタンに帰国せざるを得なかった、という話も聞きますが……。

メディアで報じられている通り、やはり日本政府の態度は「ウェルカム」という姿勢ではなかったと、そのような雰囲気があります。「日本語ができなければ日本で暮らすことはできない」「まともな就労先はみつからない」などという言葉を、外務省職員から言われてきた、という証言もあります。故郷とは違う社会の中で暮らしていこうとしている矢先にそのようなことを言われてしまうと、やはり絶望的な気持ちになるというのはよくわかります。

なので、首に縄をつけて空港に連れて行って強制送還を行ったわけではありませんが、日本での将来展望に希望が見いだせない中、「帰国するしかない」と、そのようにご自身で判断されたということですね。言ってみれば「強制された自発性」というふうに呼べるのではと思います。

日本での暮らしに絶望して帰国された方の中には、その後タリバンに連行されてひどい目に遭った方もいます。また、家庭内でも亀裂を生む要因となってしまうケースも聞きます。夫はアフガニスタンに帰りたい、妻は日本に残りたい、というような形で、家庭内不和やメンタルの悪化などを訴える方もいます。「家族を日本に連れてきてしまった」ことを悔やみ、苦しんでいるお父さんもいらっしゃいます。「タリバンに殺されるのは1度だが、日本では毎日殺される」と。本当に心が痛みます。

 

「健康で文化的な住環境」が守られていない

――2022年8月に雇用契約が切れた後はどのような状況に置かれているのでしょうか?

雇用契約が打ち切られ、研修施設からも退去を求められました。ただ、ご存じの通り外国人が日本で住居を探すというのは非常に難しいことですよね。保証人が見つからない、敷金礼金を準備できないなど、様々な困難があります。日本政府は、そうした人々に対して関東近県の公営住宅を紹介していたのですが、そもそも9月以降雇用がない状態――収入のない状態となるので、公営住宅側からは「14ヵ月分の家賃の前払い」を求められていました。ほとんどの方にとって厳しい条件となり、多くは自力で民間の住居を探さざるを得ない状況でした。

公営住宅に移られた方もいますが、3LDK、56平米に大家族で暮らすというのはとても大変なことです。8人家族で暮らしている方もいますが、子どもたちも勉強する場所がない、寝るにも十分なスペースがない、という状況です。国交省が「健康で文化的な住環境」に必要な住宅面積に関する基準を出しているのですが、それによると、世帯の人数に10平米をかけて+10平米、ということです。8人家族であれば90平米必要ということになるのですが、実際にはその半分ほどのスペースで暮らしている。「健康で文化的な住環境」が守れていないということです。

 
――そのようにして雇用契約が切られ、研修所も出なければならない時期の直前、2022年の7月下旬、外務省から「難民申請をするように」と言われ、それから1ヵ月という、申請時点から考えると異例の早さで難民として認定されていますが、なぜこれが2021年の時点でできなかったのだろうかということは考えてしまいます。また、難民認定をされた方々のその後の生活ですが、「認定されたから良かった!」と手放しで喜べる状況なのでしょうか?

彼らからしたら戸惑いの連続だったと思います。もっと早い時点で難民認定ができていれば、帰国せずに済んだ人々もいたでしょう。また、難民申請を「出口」として想定していたのであれば、その後の定住に備えてもう少ししっかりとした日本語教育支援を行っておく、ということも考えられたと思います。

難民認定を受けて、その後はじめて6ヵ月の日本語教育を受けることができたという方もいますが、半年程度の語学研修の後、まだひらがなも十分でない方もいるうちに「自立しろ」というのは、あまりにも厳しいのではないでしょうか。

「社会福祉法人さぽうと21」さんが、若者向けの日本語教育を学費免除でアレンジして下さり、それは非常に良かったです。けれど家計を支える人々は生計を維持しなければなりません。そのため日本語を勉強する時間が十分に取れないんですね。その後こうした状況に鑑み、「RHQ難民事業本部(政府から委託を受けて、難民等の支援を行う団体)」が2024年3月までの日本語教育の延長を行っており、その点は非常に助かっています。ですが、生活も不安定な中、故郷に残してきた家族の心配や、子どもたちの教育に対する不安を抱えながら、日本語を学ぶ、新たな環境に適応していくというのは、とても難しいことではないかと思います。

今年の8月に私たちが行ったアンケートからは、厳しい現実が明らかとなっています。みなさん大使館で重要な任務を担っていたり、医師や大学教員だった方もいらっしゃるのですが、正規雇用を得た方はわずかです。なんとか正規雇用の職を見つけられた方も、賃金が20万円を超えることはなく、ほぼ全世帯で支出が収入を上回っているという状況です。政府との雇用契約終了時に退職金を受け取れた方もいますが、すでに使い果たしており、貯金は残り僅か、という方がほとんどです。これから10年、20年と生きていくことを考えたときに、それぞれの適性を活かした仕事につけないというのは、絶望を深める要因ともなっていると思います。

家計を支えるために、学業を諦め働いているお子さんたちもいます。逆境の中、日本にあるアメリカ系の大学に受かった方もいたのですが、学費が払えず通うことができませんでした。貧困と低学歴の連鎖を懸念しています。

 

————【コラム】ある退避者の日常と不安————

10~21歳の6人の子ども、妻と共に暮らす元在アフガニスタン日本大使館職員Aさん(50代)は「子どもたちは高校にすら行くことができない」と窮状を訴える。Aさんはこれまで在アフガニスタン日本大使館スタッフとして重要な任務を担ってきたが、政府関係者や海外機関の友人や親戚が次々と殺害されていく現状を見て、家族とともに2021年10月に来日した。自分の担ってきた仕事には誇りを持っている。ところが研修所生活の中で、外務省職員に「日本は外国人が好きではない」「文化が違いすぎる」「国に帰ったらどうか」などと言われ続けたことにより精神的に追い込まれていったという。帰国すれば身の安全は保障できず、現実的ではない。知り合いのNGOやメディアとの接触も禁止されていたため、誰にも相談できず、夫婦ともに抗鬱剤が手放せなくなってしまった。

雇用契約が切れたあと、関東近県の小さなアパートに引っ越し、家族8人で寝具も家電もない小さな部屋で暮らし始めた。なんとか仕事を見つけたものの、月収は約10万円、家賃は6万円だ。学齢期の子どもたちは小中学校に通えたが、16歳以上の子どもたち3人の学業は途絶えた。NPOの支援で日本語の勉強を始めた長男のBさんは、「やっと勉強できる」と喜んでいるという。それまでは、「日本に来てからは家でボーっとする以外にすることがない」状況だったという。子どもたちの教育を含め、先の見えない暮らしが続いている。

———————————————

 

 
――いわゆる「政府退避者」以外の方々はどのような状況なのでしょうか?

元留学生の方々に対しては、それぞれの大学で支援を行ってきました。公的支援がないので、大学、あるいは指導教員が自分の研究費を使って雇用するという、そのような状況です。しかしそのような支援を永遠に続けられるわけではありません。なんとか外で仕事を見つけてもらわないといけない状況です。

みなさん、修士号や博士号を持っている方々ですが、そうした学歴を活かした仕事に就ける人は本当にわずかだと思います。ですが、名古屋の大学や企業で、そうした方々やその方のパートナーさんを雇用するというケースもあり、そのような形で雇用が開かれていくことは非常にありがたく思います。家族を呼び寄せたいという方も、まずは雇用が安定しなければ経済的に支えられません。今後の退避希望者の方々のためにも、一般企業の協力というのも欠かせないと思います。

 

出身国によって支援に差が

――同じような状況の方々の中でも、ウクライナから逃れてきた人々に対しては、日本政府は「避難民」という位置付けで受け入れており、「身元保証人もいらない」「高校生世代は公立学校で受け入れる」「自治体によっては公営住宅を無償で提供」「生活支援金を一定額支給」など、アフガニスタンの方々と比べると「手厚い」支援があるように思います。そもそもこうした支援がスタンダードになるべきだと思いますが、こうした出身国による線引きは、いったいどのような根拠に基いたものなのでしょうか?

やはりそうした日本政府の姿勢が一番残念なところですね……。アフガニスタンから退避されて来られた方々は、身元保証人のいないウクライナ「避難民」の方々よりも支援を受けられていない状況です。特に政府退避者の方々は、自身は日本政府のために10年、20年と働いてきたという自負があると思うのですが、いざ日本に来てみると、ウクライナから避難されてきた方々のほうが手厚く保護されている。このような状況に非常にがっかりした、という声も聞きます。

彼らが日本社会に定着をしていこうと思っている中で、日本政府がそれを阻んでいるような形ではないでしょうか。アフガニスタンに限らず、難民受け入れに関してこのような線引きを行っていくということは、「日本は国家が差別をしている」と公言しているようなものだと思います。一方、家計に占める住居費の割合はとても重要なので、ウクライナの避難民と同様に地方自治体が公営住宅の無償提供を一定期間継続していただけると生活も向上できるのではないかと思います。

 
――国家による差別、という話が出ましたが、改定入管法には「3度以上難民申請を行った人は強制送還の対象となりうる」という内容が盛り込まれています。そもそもの日本の難民認定数が非常に限られている中で、何度も申請せざるを得ない、という状況が背景にあると思うのですが、このような制度を導入して、本当に誤った送還が起きないと言えるのでしょうか?

法案の議論の最中から、この強制送還の問題というのはとても心配されているところでした。そもそも難民認定の基準が非常に狭い中で、正しい判断を行うことができるのか――。「送還」を考える前に、「保護」についてきちんと考えるべきではないかと思います。

またこうした法律というのは、自身が送還の対象となる方はもとより、いつ自分がそのような対象となるかわからないという不安を抱えている方にとっても、非常に恐ろしいものですよね。そうした人々にとってもネガティブな影響を与える法律だと思います。また、精神的に不安定な状況になったとしても、都市部ではともかく、地方では多言語対応でそうしたメンタルヘルスを担える専門家というのが圧倒的に不足しています。

 

「難民の定着」についても議論を

――今年の「グローバル難民フォーラム」では共同議長国も務めた日本ですが、どのような制度改革が必要だと思われますか?

実は日本はUNHCRに対する世界で第四位の拠出国でもあるんですね。これまでは日本の「難民認定率の低さ」というところに議論が集中していましたが、「難民の定着」についても議論、制度の改革が必要ではないかと思います。

日本における難民受け入れというのは、インドシナ難民の頃から何十年という間、アップデートされてこなかったのではと思います。難民であれ、移民であれ、安心して定着できる仕組み――住居や就労支援、教育のサポートなど――を、やはりパッケージとして実現していくことが求められているでしょう。「社会統合政策」というものを、きちんと作っていくということが大事だと思います。
 

2023年2月23日、都内で行われた入管法改悪に反対するデモ。(安田菜津紀撮影)

(取材:D4P取材班 編集:佐藤慧)
 

【プロフィール】
小川玲子(おがわ・れいこ)

千葉大学社会科学研究院教授。千葉大学移民難民スタディーズ代表。主要著作に「アフガニスタンからの退避と人種化された国境管理」『移民政策研究』15:10-27、「社会で難民を受け入れるということ」森恭子、南野奈津子編『いっしょに考える難民の支援ー日本に暮らす「隣人」と出会う』明石書店、『東アジアのジェンダー・ケア・国際移動』(共編著)Palgrave Macmillan など。

 

※本記事は2023年11月29日に配信したRadio Dialogue、「グローバル難民フォーラム 問われる「議長国」日本」を加筆・編集したものです。
 

 
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2023.12.27

インタビュー #人権 #難民 #佐藤慧