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2023.10.5

広島と福島の核と、私ができることについて / D4Pメディア発信者集中講座2023課題作品 樋口実波

安田 菜津紀 Natsuki Yasuda

安田 菜津紀Natsuki Yasuda

佐藤 慧 Kei Sato

佐藤 慧Kei Sato

2023.10.5

#media2023

広島と福島の核と、私ができることについて

 大学でジャーナリズムの講義を取っていたとき、先生が「ジャーナリストの本質は、現場で人の話に耳を傾けることだ」とおっしゃっていた。

 私は、今回このセミナーに集まったみなさんのような確固たる信念や追い続けているテーマをなにも持っていない。伝えられるものもない。
 ただ私が「現場」で見たもの、思ったことを、エッセイというにはとりとめのないものになるが、まとめていきたい。

〜〜〜

 8月24日、はじめて広島に行った。平和記念公園と原爆ドーム、平和記念資料館を一人で訪れた。
 広島は素敵な街だった。街中を路面電車が走り、川がいくつも流れていた。

 平和記念公園の中心には、原爆死没者慰霊碑がある。まっすぐ先に原爆ドームが見える場所に安置された慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文が刻まれていた。

〜〜〜

 これまで大学のサークル活動や課外活動を通して、核兵器については触れてきていたつもりだった。
 広島出身の友人もできて、今年は投下時刻に黙禱して思いを馳せてもいた。
 それでも、資料館の展示は想像を上回るものだった。

 資料館で最も衝撃を受けたのが、被爆者の爪の展示だった。
 窓から手を出していて被爆した村上信祥(のぶよし)さんの指から、黒い奇形の爪が生えてきたという。そこには、正常な爪にはあるはずのない血管が通っていた。

 私は原爆の被害を初めて目の当たりにした。それまで見聞きしてきた原爆に関する言説で、知った気になっていた部分があった。しかし、放射能が人体に及ぼす影響が想像を絶するものだったこと、投下直後に亡くなった人の何倍も、原爆の影響で苦しんだ人、今でも苦しんでいる人がいることは知らなかった。
 原爆は過去のものではなかった。
 そして今でも世界には、地球を何度も破壊できるほどの核兵器が存在しているのだ。

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 福島ではこの日の1313時に、福島第一原子力発電所から、ALPSALPS処理水が放出されはじめた。
 広島も福島も、核の影響に苦しむ地域である。この瞬間、自分が核を通じて福島と繋がっているように感じられた。

 ヒロシマでかつて爪に通っていた血 フクシマでいま流される「水」

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 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館へも足を運んだ。
 追悼空間の中心では、88時1515分をかたどったオブジェを、原爆投下時に人々が求めた水が流れていて、その音だけが響いていた。

 平和って何なのだろう、とぼんやり考えた。
 それまでに見聞きした情報量が多かったし、感情も静かに押し寄せてきていた。一瞬にして亡くなり目を見開いたまま黒焦げになったご遺体の写真、原爆投下直後に亡くなった方のボロボロになった服、落ちてくる目を自分で受け止める絵、後遺症で長く苦しんだ人の写真、亡くなった方への手紙、後遺症が原因で貧困に陥り家族が崩壊していく写真…頭の中で次つぎと展示内容を思い返していた。
 明確な道筋も立てられないまま、あまりにも漠然とした問いだったので、出てきた答えは「戦争をしないこと」「貧困をなくすこと」という拙いものだった。当たり前のことだし抽象度が高すぎて、自分に呆れてしまった。
 具体的に私に何ができるのだろう?どうしたら戦争を止め、貧困をなくすことができるのだろう?

 先日お聞きした師岡先生の講義を思い出し、いち市民として生きていくうえで社会の変革に関わるには、ジャーナリストか法律家として世の中にアプローチしていく道があるように思えた。国家権力を監視し続け批判し、声をあげるのが難しい人に変わって声をあげることができれば、究極的には民主主義を守ること、ひいては日本を守ることに繋がるだろう。反対にそれ以外の道は、まだ私には見えなかった。

 平和記念資料館で、「NO MORE HIROSHIMAS 」と記されたストラップを買った。当事者でもなんでもないけれど、「過ちは二度と繰り返しませんから」と誓い、行動に移すのは、私たちにしかできないことだからだ。
 留学先のアメリカにも付けていこうと思っている。

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 平和や戦争、政治について、自分では答えを見つけられない気まずさがあるような気がして、私は思考を停止してしまいがちだ。私よりその問題に詳しい人はたくさんいるし、その人たちに任せておけば私一人が考えたことよりよっぽどよい「答え」を出してくれるだろうと、なかば諦めに似たような感情も少しある。

 それでも諦めずに考え続けることが重要なのだと思う。自分の言葉を持つには程遠いが、他人に思考を委ねてばかりでは何もわからないままに流されてしまうだろう。

 個人としてできる発信が、技術の発展やツールの多様化によってだんだんと増えていく。そのなかで自分はどう思ったのか、自分に何ができるのかを問い続けていきたい。

広島と福島の核と、私ができることについて

Instagram、Noteのような媒体を想定した。
自分が最も表現しやすいのは文章と短歌だが、同世代にとって文字だけの記事はとっつきにくいと思ったことと、写真があることで伝えられる情報も増えることを理由に、写真を付した。
 

    ▶︎表現形式:写真と文章、短歌
    ▶︎想定される受け手:同世代
    ▶︎制作:樋口実波


    こちらは、D4Pメディア発信者集中講座2023の参加者課題作品です。全国各地から参加した若者世代(18~25歳)に講座の締めくくりとして、自身の気になるテーマについて、それを他者に伝える作品を提出していただきました。
     

 
 

2023.10.5

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