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ヘイトスピーチ裁判判決確定のお知らせ―私たちは「強く」なければならないのか

※本記事では訴訟の内容をお伝えするために、差別文言を記載している箇所がありますのでご注意ください。

2025年2月5日、私(安田菜津紀)が提起していたネット上のヘイトスピーチに関する裁判の判決が確定しました。改めて、支えて下さったみなさまに感謝致します。

「発端」となったのは2020年、Dialogue for Peopleの公式サイトに掲載した『もうひとつの「遺書」、外国人登録原票』という記事でした。

私の父は、私が中学2年生の時に亡くなっています。その後、高校生になり、戸籍を手にしたことから、父が在日コリアンだったことを知ります。「なぜ父は、何も語らなかったのか」――。死者に尋ねることはできず、古い記録を頼りに、父やその家族の歩みをたどる「旅」をしました。その過程で、ルーツを容易に語ることができない、差別の実情があることを改めて知ることになります。

そうしたことを綴った記事をシェアしたTwitter上の投稿に、「返信」という形で差別コメントが連なりました。そのうち、発信者情報開示請求の裁判によって発信者を特定できた2件について、2021年12月8日、東京地方裁判所に訴状を提出しました。

1件目については過去の報告(下記)に詳細を記しています。

2件目の差別コメントは、下記のような内容でした。

在日特権とかチョン共が日本に何をしてきたとか学んだことあるか?嫌韓流、今こそ韓国に謝ろう、反日韓国人撃退マニュアルとか読んでみろ チョン共が何をして、なぜ日本人から嫌われてるかがよく分かるわい お前の父親が出自を隠した理由は推測できるわ

この書き込みについては2024年2月、高裁で判決が出され、双方が上告し、最高裁が受理しなかったため、高裁判決(地裁判決を維持)が確定しました。

裁判所は上記の書き込み内容を「差別的な表現」だと認めたうえで、慰謝料の算定に関しても、《差別的な表現を用いた上で在日コリアン二世である原告の父親のみならず、その子である原告をも韓国にルーツを有することを理由に「お前」などと指称して侮辱するものであり、本件投稿によって原告が受けた精神的苦痛を軽視することはできない》とし、被告に33万円の支払いを命じました。

判決では、下記のように「差別」そのものの暴力性にも触れています。下記に判決文の一部を引用します。

差別的言動解消法の前文において「不当な差別的言動は許されない」とされ、また、人種差別撤廃条約4条において「締約国は〔中略〕差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束する」と定められていることなどに照らせば、上記のような差別的な表現を用いて原告を侮辱する本件投稿は、社会通念上ゆるされる限度を超える侮辱行為であると認められる。

ネット上で差別発言を受けることは、残念ながら日常茶飯事です。ニュース番組でコメントすれば「朝鮮人が日本の政治に口を出すな」と言われ、私が放った言葉は「出自」に回収されていきます。ルーツを否定する言葉は、「存在しなくていい人間」「生きるに値しない人間」という暗示となって、心の内をえぐります。

「無視」することもできたかもしれませんが、これは私だけの問題ではありません。

自分のルーツを語るようになってから、次世代を含め、多くの人から「語れない」ことの息苦しさを打ち明けられました。「安田さんはどうしてルーツを語れるんですか?どうしてそんなに強いんですか?」と大学生に問われたこともあります。

誰しもがルーツをつまびらかにする必要がありませんが、隠したくもないのに隠さなければならない社会は、息の詰まるものでしょう。だからこそ「法の不備」「社会の仕組みの欠如」を可視化するために、裁判を起こすことを決めました。

私はこの訴訟を通して、「強さ」という言葉の意味を考えてきました。

ある人から聞いた、「自分の心が壊されたとき」のたとえ話を、ふと思い出すことがあります。

丈夫に見えるお皿を、「本当に割れないのか」と試したくなった人がいたとします。最初はフォークでこんこんと叩いてみたり、次第にエスカレートして床に落としたり、壁にぶつけてみたり――。お皿は「お皿」として扱われている分には割れないかもしれませんが、そうではない扱いをされれば砕けてしまう。

メディアに出ている人間は、タフで強い存在に「見えている」ことがあるかもしれません。「公の人間」なら「弱音を吐くな」と直接的、間接的に言われたこともあります。しかし私は、弁護団や、友人や、活動を支えて下さる人たちの存在なくして、この裁判と向き合うことはできませんでした。

ふさぎこんだり、起き上がれないことを、プライベートな書き込みをあまり好まない私は、SNSに投稿したりしません。「SNSに投稿されたもの」がその人の全てではないのです。

私は誰かの「感情のゴミ箱」ではありません。どんな言葉でも投げつけていいサンドバッグでもありません。たとえその人が自分の言葉を「正義」だと思い込んでいたとしても、です。テレビやスマホの画面の向こうにいるのは、血が通い、心が揺れ動き、時には潰れてしまいそうになる人間です。

本来であれば裁判の判決で、差別そのものの違法性にもっと踏み込んでほしいと思っていました。けれどもこの社会には、包括的に差別を禁止する法律が存在しません。安心して駆け込める、政府から独立した人権救済機関もありません。法廷で受ける「二次加害」を覚悟しながら、時間と労力と資金を割き、被害者自身が裁判に訴えなければなりません。多くの加害者はのびのびと「差別の自由」を謳歌しています。この歪な不均衡を変えなければならないはずです。

私がときおり記事でも紹介している、自殺対策のポスターに使われた言葉があります。

「弱かったのは、個人でなく、社会の支えでした」

個々人に「強く」なることを求める「自己責任」社会ではなく、社会の支え、仕組みそのものを、より確かなものにする必要があるでしょう。この訴訟に限らず、私もその一助となれるよう、取材や発信を続けていきます。



Writerこの記事を書いたのは
Writer
フォトジャーナリスト安田菜津紀Natsuki Yasuda

1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(ヘウレーカ)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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